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「パパに会いに」
「……パパって、だれ?」
「……パパ」
左手でコップを掴み右手ですっと有志を指差す。
ゴクン、と生唾を飲む有志と智希。
有志は智希の目がまだ見れない。
「……お母さんのお名前は?」
「春日部葉子(ようこ)」
「………」
「…父さん?」
一瞬悩んだ有志は、すぐハっと顔色を変え将太に体を向ける。
将太の二の腕を掴んでじっと見つめると、大きな目がじっと有志を見つめた。
「……葉子って……まさか」
「……父さん…もしかして思い当たんの?」
「あっ……」
我に返った有志は智希の存在に気づき喉を鳴らした。
将太は有志と智希を交互に見上げ、渡すタイミングを失ったコップが寂しく膝の上で震えている。
もしかして、君は。
あの人の子供?
有志は再び将太に目を向けると、じっと確かめるようにその顔を見つめた。
「…まさか…本当に…」
「パパァ」
「あ、ちょっ!」
眉間にシワを寄せる有志に、将太はコップを持ったまま抱きついた。
空になっているコップは今度は有志の脇腹付近で小さく震えている。
将太が有志に抱きつき、ほぼ反射的に智希が声を上げ立ち上がり二人を見下ろす。
「………」
なんだよ。
そう思いながら智希は将太を見下ろしたというのに、逆に なんだよ。 と見上げられた。
思わずたじろぐ智希。
ぐっと足を踏みしめ将太の持っていたコップを取り上げる。
「ガラス…危ないから」
「あ、ごめん智希」
「ううん」
ちょっと、情けない。
「…と、とりあえず今日はもう遅いからおうちに帰ろうか」
「やだ」
「もう遅いし、帰ろう?ね?」
「やだ」
有志が優しく微笑みかけても首を縦に振らない。
あんなに笑顔だったのに、急に不機嫌な顔となりひたすら首を横に振る。
「…お母さん、心配してるよ」
「ママ、どっか行っちゃった」
「えっ」
夕食前。
二人ともお腹を空かせていたというのに、この時空腹感は全くなかった。
ただ驚きと不安でこの少年の発言に振り回されていた。
「どうすんの」
「…うーん」
将太がトイレに入った隙に、智希はすかさず有志に話しかけた。
二人は立ちながらはぁ、とため息をつき視線を落としながら腕を組む。
その格好がまた似ていて、親子なんだなと周りが見ると感じるだろう。
「ってか、パパってなに」
「………」
「春日部葉子って誰?知ってんの?」
「………」
苛立ちもあってか、智希は早口で捲くし立てた。
視線を落として喋らない有志。
さらに智希の苛立ちも増えるわけで。
「まじ、誰なんだって」
「………昔…母さんが死んで……お前に母親をって思ってたときに付き合ってた…女性」
「っ………前言ってた…?俺が母親いらないって言ったから別れたっていう?」
「……うん…智希が6歳ぐらいの時だから…」
「俺が今16で、あいつが9歳……計算的には父さんと別れてすぐ生まれたってこと?」
「……うん…そうだな」
「でも………」
でも。
その先が言えない。
有志がその女性と体の関係があった、と、智希は知っているからだ。
初めて有志を抱いた時、酔っ払った有志が話してくれた、人生二人目の女性。
智希の母沙希が死んで、幼い智希に優しい母親をと思い半年ほど付き合っていた女性がいた。
春日部葉子。
年齢は有志より3つ上で、会社の前にあった弁当屋で働いていた。
ショートカットで清潔感が漂い、常に笑顔を絶やさない癒し系美人。
有志の会社でも彼女に好意を持っている人間は何人かおり、彼女に会うため毎日弁当を買いに通っている者もいた。
有志も、その弁当屋に通う人物ではあったが、春日部葉子に好意を持っているから通っていたわけではなかった。
単純に智希がまだ料理を作れる年齢ではなかった為、昼ごはんを買いに行っていただけ、である。
惚れたのは春日部葉子のほう。
よく買いに来る有志の、お釣りを渡した時の会釈した笑顔が心に残り、思い切って声をかけたのである。
初めは驚いた有志だが、確かに意識をすれば彼女の笑顔は素敵だったし、何より家庭的そうだった。
智希に母親を。
智希が寂しい思いをしないように。
実際、本当に春日部葉子を好きだったか、と聞かれれば少し考える。
ひどい男だと思われるだろうが、今も昔も一番は智希なわけで。
「で、自然消滅したんだっけ?」
「…ん…というか俺から連絡しないようになって…」
弁当屋にも、行かないようになった。
気が付けばその弁当屋は閉店し、二ヶ月もしないうちに新しいカフェができていた。
今思えば、恨まれても仕方ないことしたなぁ、と思い出す。
「で、どうなんだよ」
「なにが?」
「ちゃんとしてたの?」
「なにを?」
「ゴム。避妊」
「ゴッ…ヒっ!」
「………」
相変わらずこの手の話は苦手だな…
顔を真っ赤にして智希を見上げる有志に、同情したのかポンっと肩を叩きため息をついた。
「……これからどうすんの?」
「…とりあえず…葉子さんと連絡取ってみるよ」
「警察には?」
「なんだか複雑そうだから少し様子見る」
ガチャっと、トイレの扉が開く音がした。
同時にまた、智希のため息が聞こえる。
「……全くその…春日部葉子さんと関係ない子供だったらどうすんの」
「……それは…ないかな」
「なんで?」
「………目元が…凄く葉子さんに似てる」
「…………」
再び姿を現しリビングに戻ってきた子供に、智希は嫉妬を覚え思わず睨んでしまった。
将太は智希の視線に気づかなかったようで、パタパタと走りながら有志に近寄り、抱きつく。
チッ。
心で舌打ちをする智希。
相手は小学生だと自分を無理やり静める。
「パパーお腹空いたー」
「あーそうだな…そういやご飯食べてなかったなー……智、この子の分も晩御飯ある?なかったら俺の上げて…」
「パパーこの子じゃないよ。将太だよ」
「ん、そっか。ごめんな将太。でもその…パパってのは…やめてもらってもいい?」
「なんで?パパはパパだよ。昔からママにこの人がパパだよって写真見せてもらってた」
「……その写真、ある?」
「あるよー」
将太はソファの上に置いていたリュックを取りに行き、ガサゴソと中を探り一冊の大学ノートを取り出してきた。
「はい」
「ありがとう」
大学ノートから出てきたのは、一枚の写真。
少し古びた写真の中央に写っていたのは、花見をしている途中であろう男女二人のみ。
「っ………」
智希は有志の肩口からその写真を見ると、なんとも言えない感情がこみ上げてきた。
優しそうに笑う綺麗な女性と、その女性の隣で同じぐらい優しそうに笑う有志がいた。
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