8










ガチャ。





玄関の扉が開く音が聞こえる。


この土日、スーツから部屋着に着替えたもののずっとリビングにいた有志はゆっくり顔を上げた。
あまり寝ていないのだろう、うっすら目の下にクマができている

ソファに預けていた体を起こし、ひどい頭痛とともに時計を見た。


AM5:25




「智…希」




怒らないと。
こんなに心配かけて。

携帯に連絡しても出ない。
こんなに…。



怒らないと……。





ついさっきまで父親らしく子供を叱ろうと思っていたのに。
でも今、今は。








帰って来てくれた。









それが有志の思考を鈍らせる。













「智……」



ゆっくり立ち上がり玄関に向かうと、ちょうど智希が靴を脱ぎ終え上がってきたところだった。
リビングの扉を開けた途端、目が合う。



「あっ…あ…とっ」

「………」



怒らないと。
怒らないと。
怒らないと。



でも、言葉が出てこない。




「智っ…」

「………」

「智!」



智希はいると思っていなかったからか、口をパクパクさせる有志を驚いた目で見たがすぐ反らし何も言わず擦り抜け二階へと上がっていった。




「智!待て!……智希!」





バタン。




無情に、扉が閉まる。






「………と…も」




2・3段階段を上ったところで扉を閉められ、そのままズルズルと崩れ落ちていく。



「……智…」










拒絶。

声をかけてくれない。

見てもくれない。







「無理…だよ……俺…智を怒ったことなんか…ない……」






いつも自慢だった。
色んな表彰状を持って帰って来て、誉めてやると恥ずかしそうに笑顔を見せてくれる。

いきなりバスケを始めると言った時は驚いたけれど、どんどん上達と共に背も高くなり気がつけば抜かされていた。


片親でこんなに立派に育って、凄いですね。





違う。
俺が育てたんじゃないんだ。

智希は一人で大きくなったんだ。



だって、怒り方も知らないこんな親、凄いわけがない。





「……ごめん…ごめん…沙希」
















7時を過ぎ、智希は制服に着替え部屋を出た。
いつもより早い。

「………」


無言のまま階段を降りてスポーツバックを肩に背負い、リビングへは行かずそのまま玄関へ向かった。
段差に座りスニーカーの紐を結んでいると、リビングの扉がガチャリと開いた。





「とっ智」

「………」

「……早いな、朝練?」

「………」


紐を結ぶ手は止めず、声も出さず、有志を見ない。
それでも有志は精一杯の声を振り絞って智希に近づき声をかけた。



「あ、あのさ。今仕事が一段落ついてて…今週は早く帰れそうなんだ」

「………」


智希はまだ無言まま、靴紐を結ぶ。



「………で、さ…今日……ゆっくり話し合わなっ…」

「今度練習試合あるから当分忙しい」




熱を持たない、冷たい言葉。



「そ、そうか。……でもほんと、俺…早く帰ってくるから……時間あったら……」


「いってきます」


「っ………いってらっしゃい」







立ち上がった智希の背中は、とても大きく、高く見えた。










バタン。
玄関の扉が閉まる。



「………」


力が抜けたのだろうか、有志は再びズルズルと床に崩れ落ちた。



「……ははっ…これ……きついなー…」




こもる声はもう、いつもの有志ではなかった。

















「はよー」

「はよ」

「?」



もうすぐ練習試合があるのは本当だ。
しかしいつもなら必ず有志にその事を言う。
有志も、行ける限りどんな小さな練習試合でも見に行っていた。



今朝の、余りにも子供な自分の態度に智希は自己嫌悪に陥っていた。


あんな、態度を取りたいわけじゃない。
目を見たらまた金曜日の夜のように有志を責めてしまいそうで。


重い溜め息を吐きながら体育館に入ると、同級生の阿部に声をかけられた。が、いつもよりテンションが低いのは明らかだ。

阿部は心配そうに顔を覗き込むが、それに気付いたのか智希は苦笑いを浮かべながらスルリと抜け体育館の端に寄る。



朝練は自主練のようなもので、全員揃うわけではないし、顧問もいない。
みんな適当に柔軟を始め、終わった者からシュート練習等をこなしていく。



智希も、誰に話しかけることなく簡単に柔軟を終え、ボールを手にした。
すると声をかけられる。



「おはようございます」

「……はよ」



佐倉だ。
ダム、ダム、と簡単にドリブルをする智希の背中に話し掛け、自分もカゴからボールを取り同じくドリブルを始めた。





「……土日、悪かったな」

「いえ、勉強教えてもらいましたし」


やや社交辞令な会話をすると、ドリブルをしながら走り出す智希を見送る。


パサ…。


綺麗に弧を描いてボールはゴールに吸い込まれるように入った。

思わず、うっとり。



再び智希がボールを取って佐倉の位置まで戻って来た。


「あ、祖父も先輩のこと気に入ってましたよ」

「………」


ダム、ダム、ダム。


何か考え事をしながらドリブルをしているからなのか、聞こえたはずなのに答えない。



「凄くしっかりしていて、良い子だねって」

「………全然良い子なんかじゃっ……!」


「っ……先輩」


「………悪い」



突然の怒声に体育館にいた部員全員が驚いた。

智希は居心地悪そうに肩をすくめると、もう一度佐倉に謝り体育館を出て行ってしまった。





「………」

「な、何があったんだよ佐倉」


智希の退場にザワつく中、姫川が慌てながらやってきた。
智希と怒声が結び付かないのだろう。真剣に意味がわからないという顔で佐倉を見ている。



「……ううん、ちょっと……。今の先輩にはタブーを言ったみたい」

「タブー?」

「なんでもないよ」

「??」


さらにわからない。
そんな顔をした姫川を置いて佐倉はボールをゴールへ投げ、簡単にロングシュートを決めた。















散々。
今日の智希にはその言葉が似合うだろう。

授業中は教師に当てられても聞いていなかった為答えられないし、部活では朝練で怒鳴ったことが響きみんなピリピリしている。
監督にも、あまりにも身が入っていない為帰れと怒鳴られた。



トボトボと鞄を背負い、まだ明るい道路を歩く。
何回目か、何十回目かわからない溜め息をつきながら近所の公園に寄った。



ベンチに鞄をドンと置いて自分もすぐ隣に座ると、背もたれに身を預け目を閉じた。


「………」




静か。
ではない。


子供達が5人ほど集まってサッカーをしている。
キャッキャッとじゃれ合う子供に全く罪はないけれど、正直煩い。




「……帰るか」



やはり落ち着くことは出来なくて、智希はゆっくり立ち上がるとまた、溜め息をついた。

















「…ただいまー」



バタン。
ガチャ。



「………」


返事は、ない。



有志は肩を落として靴を脱ぐと、リビングのドアの隙間から微かにおいしい匂いがした。



「智希っ……!」


帰っている。
晩御飯を作って待ってくれている。



嬉しさのあまり靴を直さず脱ぎっぱなしのまま中に入ると、勢いよく扉をあけた。



バンっ。



「智っ……希」


電気は、ついている。
料理も、ちゃんと用意されている。


でもそこに、一人分の料理しかない。


そこに、智希の姿はない。






「…………」


有志の鞄が音を立ててフローリングの上に落ちた。

智希のいないリビングを後にして、鞄も床に落としたままゆっくりと二階に上がる。
靴はあった。
きっと部屋にいるのだろう。


階段を登りきり、何かの恐怖に震えながらコンコン、と二回ドアをノックした。



「……智」

コンコン。


「……智希、いる?」


………。


返事はない。
まさかいないのだろうか。
そっとドアに耳をあて中の様子を伺う。



『……シャカシャカ…』


「………」


微かに音楽の音が聞こえる。
智希の好きな洋楽だろう。


智希は、中にいる。



「……智、ごめん。ちょっと…いいかな」

「………」


でも、返事はない。
動こうとする音も聞こえない。



「……智…話…だけ……話だけでも……させて」

「………」


コツン。
ドアに額をつけ寄りかかると、小さく、時には大きく。
何度も智希の名前を呼ぶ。


「…智…智希……お願い…智……智……お願い……開けて」


「………」



智希の部屋に、鍵はついていない。
しかし今の有志に、このドアを開ける勇気はなかった。

開けてもらうまで。

話を聞いてもらうまで……。


そう思い部屋の前から離れることは出来ない。

「……智希……」


何十分、何時間もここにいるつもりだった。
しかし意外と早くにその扉は開かれ、ジャージにTシャツとラフな格好のまま智希が現れた。



「っ…智」

パァっと有志に笑顔が戻った。
しかしすぐに。


「明日、朝練早いから」




「あっ………ご、ごめん」

「………」



バタン。



「…………」



すぐに、閉じられた。

また、目を見てくれなかった。





「………ごめん」

とても小さく、中の智希に聞こえたかは定かではない。










「………」

智希は扉をすぐ閉めると、真っ暗な部屋の中立ちすくんでいた。


ダメだ。
見れない。
有志の顔が見れない。


逃げる事しか出来ない。



「………くっ」

智希は自分の髪の毛を鷲づかみにし、喉の奥で悔しさを漏らした。


「………」

朝目が覚めて、すぐリビングに行ったけれど智希はいなかった。
テーブルにはお弁当と朝食が置かれている。

一人分。


決して大きくはない家なのに、こんなにシンと静まり広く感じたのは生まれて初めてではないだろうか。


「………昨日…寝るの遅かったから…な……朝…起きれなかった俺が悪い…」


有志の独り言が宙を舞っていて、時計を見ると7時5分。
はぁ、とため息をついて、倒れるように椅子に寄りかかり座った、おいしそうな匂いのみそ汁は湯気がたっていて、さっきまで智希がいたことが伺える。


いつも通り。
ただそこに智希がいないだけ。



「…いつも通りって……こんなに辛かったんだな…」



重く頭を垂れて、テーブルへ崩れるように寝ころんだ。
















「…智さ、最近元気ない?」

「………そうっすか?」


部活中、シュート練習の順番を待っていた清野がぽつりと喋った。
前から少し気になっていたのだろう、躊躇いながら首を傾げる。

「なんつーか…。月曜日からおかしいよな。月曜日は怒鳴ってたみたいだし」

「忘れてください」


最低だ。
佐倉にあたるなんて。

佐倉とその場にいた部員全員に謝りはしたが、自分の中であの日のことは許されない。

その苛立ちの意味を唯一知る佐倉は最近智希に寄ってこない。
一部で、佐倉と智希が喧嘩をしているのではないかと噂がたっている。


「姫っちが心配だーって顔してんぞ」

「………」


清野にガシリと腕で首を組まれやや息苦しくなりながら横を見ると、ボールを持ちながら二人の行動を見ている姫川がいた。


「……そういえば清さん、姫川になんかした?」

「……なんで?」


一瞬間を置いて清野はとぼけた表情でそう言うと、智希に振りほどかれ簡単に後ろへ下がった。
智希は清野のせいでゆるんだシャツを戻しながら、もう一度姫川を見る。
今度は見てない。シュートを打ちに行ったようだ。


「最近あいつ、清野さんがいる時絶対俺に声かけないんですよ」

「……へぇ」

気づいてたか。

「で、最近清さん俺の所ばっかいるし」

「そう?」

これも気づいてたか。



「あいつ純情なんだから、からかったらダメですよ」

「からかってないよ」

「………」


即答で驚いた。
しかも表情は真剣だ。




「……からかってなんか、ない」

「………」


そう言いながら姫川を見つめる清野の目は、どこか暖かくて鋭かった。


「……まさか、好きとか?」

「どうかなー」

「………」


思わず絶句。


「智ー。………手、出さないでね」


冗談ぽく言っているようだが、目が笑っていない。
本気…か?


「出しませんよ」


思わず出た言葉は簡単なものだったが、清野はその言葉に安心したのかニコリと笑いながら智希から離れ自分もシュート練習へ向かった。


「………」

まさか清さんが…姫川を?
一番嫌いな後輩っぽいのに…。


そんなことを思っていたら、足音が聞こえふと後ろを振り返った。



佐倉だ。



「………」

「……あとでシュート、見てもらっていいですか」

「…あ、あぁ」



二人の会話はとてもぎこちなかった。
緊張する智希。
しかしさらに緊張しているのは部員達だった。




「おい、今二人なんか喋ってたぜ」
「まじ?なに喋ってた?」
「たぶん、佐倉が泉水先輩にシュート練習頼んでた」
「それだけ?」
「たぶん」


二人の不仲説が出回っているからであろう、智希の怒鳴り事件を見た部員達はザワザワと聞き耳を立てている。



しかし何故このタイミングで声をかけてきたのか。

佐倉と智希の不仲説は、当の本人達の耳にも入っていた。
智希はボムボムとボールを軽く弾かせながら佐倉の行動を伺う。


「……あれから、お父さんと話ししたんですか」

「………」


突然有志の話を振られ、予想しなかったことに冷や汗が流れた。
思わずボールを自分のつま先に当て跳ね飛ばしてしまう。

「あああ」


急いでボールを取りに行くと、二人の会話を聞くべく耳を大きくしていた1年生がボールを拾った。

「あ、ありがとう」

「いえいえ」


智希に渡すとすぐ自分の持ち場へかけよるが、耳がこちらを向いている。



「……仲直り、してないんだ」

「…仲直りっていうか…」


ボムボムと弾かれたボールは佐倉の手に吸い込まれるように引っ付いて、紐でも繋がっているかのように操る。
佐倉は智希を見ずボールを見つめていると、言葉を濁す智希に苛立ちを覚えた。


「…先輩は、お父さんと仲直りする気ないんですか」

「………」


黙る。
すると佐倉の怒りもさらにヒートアップするわけで。



「……ずるいのは、先輩じゃないですか」

「……佐倉…」

「逃げてるんでしょ。今は泉水さんが」

「………」



言い返せない。
佐倉に本当の父親を愛してしまったことは話した。
しかし今その愛した父親、有志をとことん避けていることは言っていない。


きっと、智希の普段のテンションや言動でわかるのだろう。


それほど、智希を見ているからわかるのだろう。

それほど、智希のことが好きなのだ。





「……今は…なにしても汚い言葉しか…出てこないんだ…」

「……なんで嘘ついてたかって?」

「…違う……もっと…」


ぐっと智希の喉がなると、俯く表情からよくわからないがきっと歯を食いしばっているのだろう、微かに手が震えている。
佐倉はそれを見て目を伏せると、再びボールを付きながら智希から離れていく。

「……先輩って、ほんと子供みたいですね」

「………そうだな」



離れて行く佐倉の背中も見れないまま自嘲気味に笑うと、監督の笛が鳴り集合がかかる。
ゆっくりとその場へ向かい自分のそのやるせない気持ちにチクリと胸を痛ませた。















今日は有志の方が早かった。
急いで帰ってきたのだろう、少し息を切らしている。

鍵を開けているとき窓を横目で見たら電気が付いていなかったのでまだ帰ってきていないと思ったが、それでも日課の言葉は忘れない。

「……ただいま」

ガチャリと音を立てて中に入る。

「……やっぱまだか…」

玄関もリビングも電気はついていなくて、時計を見ると6時30分を回ったところだった。
有志の会社は午後6時までなので、営業の、しかも中堅の位置にいる有志がこの時間にいるということは正直ありえない。

会社から家までは電車と徒歩を合わせて30分くらいだが、終了のチャイムが鳴った直後家に帰ったことになる。


「…智希より先に帰るのは久しぶりだなー」


智希は普段部活があるため、帰って来るのは7時過ぎだ。
夕飯や弁当の材料を買うためもう少し遅くなる日もある。

それでも智希は毎日ご飯を作りながら有志の帰りを待っている。
どんなに部活でしごかれて疲れていても、有志より先に帰りご飯の支度をしているのだ。


「……あんな出来た息子、いないよな」


ポツリと独り言を言いながら玄関の鍵を閉めると、リビングへは行かず入ってすぐにある自分の部屋へ向かった。
背広を脱いでネクタイを外し、部屋着に着替える。

すると数分して玄関のチャイムが鳴った。



『ピンポーン』



「?勧誘か?」


脱いだ背広をハンガーにかけクローゼットにしまうと、ノロノロと玄関へ向かった。


「…はーい」

インターフォンも使わず、声を出す。
すると微かに見えるドアのガラスから人影が見えた。
学生服を着ているようだ。




学生?
智希?
まさか、鍵を忘れたとか…?


なぜか嬉しそうに玄関へ向かうと、明るい表情で扉を開けた。


「……あ、こんば…んは」

「……あれ、違う」

「?」

「ううん、なんでもないよ」


智希だと思った学生服の姿は、佐倉だった。


「……智希の友達かな?」

「あ、あの。部活の後輩です」

「そっか。大きいもんねー」

「……いえ」


佐倉は玄関口で自分より少し背の低い有志をじっと見つめる。
まさか、この人じゃ……ないよな。
心がざわつく。


「…あの、泉水先輩…」

「あ、まだだよ。もしかしたら晩御飯の買出しとか行ってるのかも」

「…そうですか」

「…上がってく?息子もそんな遅くならないと思うし」

「……息子?」

「…あ、ごめん、全然見えないだろうけど。あいつの父親です」


「………」


佐倉は一瞬目を見開いて有志を見つめると、それに驚いたのか有志も目を見開く。

「……あなたが…先輩の……」

「……は、はい」


なんとも異様な空気だ。




嘘だろ、こんな若いの…。
少し年の離れた兄か従兄弟とかだと思った。
でもこんな可愛い人なら泉水さんも……。


「?どうした?」

「……いえ、お邪魔ですし今日は帰ります」

「え、いいの?」

「はい。明後日部活で会えますし」

「……そうか」


有志は折角の珍しい客にテンションが上がっていたからか、帰ると聞いて眉を落とし全身を使って残念だと表現した。


確かに…こんな父親、ちょっとやばいかもな。


佐倉はもう一度有志を嘗め回すように見ると、一礼しその場を去ろうとした。

「あ、君名前は?」

「……佐倉です」

「佐倉君ね、うちの子に来たって伝えておくよ」

「……はい。それでは」


うちの子…ね。










自分の子供と、セックスしたんだろ。








「?」

「……失礼します」


佐倉の黒く陰湿な部分に気づいたのか、有志は少し身震いをした。





それにしても礼儀正しくて綺麗な顔した子だな…。
最近の子ってみんなあんななのかな…。

佐倉の気持ちも知らずノー天気に考えていると、ガシャンと音がした。
誰かが帰ってきた。
必然的に、智希なのだが。


「……あれ、佐倉?」

「………」


智希はスーパーの袋を抱えながら柵に鍵をすると、二人の影に少し驚いて体が止まる。
有志の声が聞こえたけれど、もう一人が佐倉だと気づくまでに時間がかかり、わかった途端大きな声が出た。

「あ、あ、あ、よかった、智。あの、佐倉君が用事あるって…」

「………なに」


智希は一瞬有志を見た。
必死に智希に声をかけているのがわかり痛々しい。
見ていられなくてすぐ目を反らし佐倉に声をかけると、その一部始終を見ていた佐倉はフっと笑い鞄の中からプリントを出してきた。


「はい、明後日の練習試合の集合場所とか書いたプリント。先輩今日持って帰るの忘れてたでしょ」

「そんなん携帯で教えてくれればいいのに」

「地図とか書いてるし、ほら……ここ、対戦相手のこととか……ね」

「…あ、ほんとだ結構書いてくれてんだ」

「………」


そこに、有志の居場所はなかった。

学生服を着た若者が部活の話しをしている。
自分はしなびた部屋着でサンダル。
年も、一回り以上離れている。


何か、当たり前のことなのに孤独を感じる。


「はい、練習試合って言ってもインハイに向けての大事な試合って監督言ってましたよ」

「どうも」


しっかり者の後輩はプリントを渡そうとすると、買い物袋で持ちきれないのか少し戸惑う智希を気遣いそのプリントを智希の鞄に押し込んだ。


「じゃあまた明後日。練習試合頑張りましょうね」

「……あぁ。ありがとう」

「……失礼します」

「あ、まだ明るいけど気を付けてね」

「はい」



佐倉はチラリと有志を見ると、立ちすくんでいる姿に会釈した。
有志は思わず丁寧な言葉と態度に言葉をどもらせたが、父親らしい顔で優しく言葉をかける。



そのまま智希と有志は佐倉が見えなくなるまで立っていた。
何か、気まずい。


「……おかえり」

「ん」


智希はそれだけ言うと、有志の目を見ず玄関に入ろうとする。
有志は心地悪さを感じながら智希の持っている買い物袋を取ろうとした。

「あ、ごめんな半分持つ…」

「いいよ」

「………」


拒絶。
目も見ない。
声のトーンも、いつもより低い。


ショックで息を飲んだ。
しかし有志は智希の前に行き玄関のドアを開けてあげると、智希はうつむきながら何も言わず中に入っていった。


「………」

取り残された有志はトボトボと肩を落としながら中に入りリビングへ向かう。



「…佐倉…くん?凄く丁寧でしっかりしてそうな子だな」

「………」


なるべく明るい声で。
しかし有志の声だけが響いている。

智希は無言で買ってきた食材を冷蔵庫に直しながら、何か考え事をしているのだろうか眉間にしわが寄っている。


「……練習試合…どこで?何時から?行くよ」

冷蔵庫の前でしゃがむ智希を見下ろしながら、必死に訴えているというのに。
今の智希には響いていないようで。



「…いい」

「大丈夫だって、今仕事暇だから…なんだったら平日でも有給取って」

「いいって。練習試合だし」

「でも佐倉君、監督が大事な試合だって言ってたって……」

「っ……」

「えっ…智っ」



ガタン。
大きな音を立てて何かがばらまかれた。
智希が直していた野菜たちだ。
冷蔵庫の周りに食材が散らばったと思ったら、有志は簡単に足払いをされ床に押し倒された。


「つっ…」

後頭部を打つ、まではいかなかったがそれは突然だったため有志は背中を強打した。
驚いて見上げると息を荒げた智希が覆い被さっていて、熱い息がかかるほど接近していた。


「ちょ…智っ……!」

振りほどこうと思っても、乗っかられているためビクリともしない。
肩を押さえられさらに抵抗出来なくなると、何か喋らないと。そう思う有志だが冷や汗ばかり出てくる。


「と、智希。落ち着け。ごめん、俺が悪かった…から」

「……それは…何に対して」

「っ………」



心臓が、鷲掴みにされたよう。








「……頼む……入ってこないで…」







「……智…希……」



震えている。
泣いているだろうか。
いや、泣いてはいない。

怒り、悲しみ。
何にたいして震えているのか。
智希本人にもわからない。





「ごめん、今日のご飯はなんか適当に作って」

「とっ…」



ボソリと言葉を発すると、あんなに高揚していたというのに、智希は簡単に有志から離れ台所を出て行った。













バタン。
二階の扉が閉まる音が聞こえる。



「………」

有志はまだ、立ち上がれずにいた。
倒れた時の背中の痛みと、智希に拒絶された痛みが連動して涙が流れる。

少し冷たいフローリングの上で、有志はひたすら声を殺し下唇を噛んだ。







ダメだ。
なんて自分は子供なんだ。
これはただ、拗ねてるだけじゃないか。


「……父さん…」

部屋に戻った智希は膝をつきながら崩れ落ちた。
シンと静まり返った部屋は何も映し出してくれないし、何も答えてくれない。

今自分が何をしたいのか、どうしてほしいのかわからない。

生まれて今まで有志に逆らったことがなかった。
逆らおうと思わなかった。
いつでも隣にいてくれて、いつでもいい意味で自由にしてくれた。

辛い、悲しい、苦しい。
その感情を父親にぶつける術を、智希は知らなかった。




だから、避けるしかない。






遠まわりで、単純な行動。









次の日、有志は智希に声をかけなくなった。
智希が台所でご飯を作っていても、風呂場で顔を合わせても何も言わない。

しかし、とても辛そうに目を伏せている。



入ってくるな。
そう言われて前の様にむやみやたらと声をかけていないのだ。

しかし、それでも必ず言う言葉はある。




「朝ごはん、ありがとう。いただきます」



そして


「いってらっしゃい」



だ。
有志から教えてもらった、とても大事な言葉。





『ありがとう』 と 『いってらっしゃい』








智希の胸が、ギシギシと痛み呻いている。











日曜日。

「…こ…これから練習試合?」

「……ん」


智希が朝早くに玄関で靴を履いていると、音に気づいたのか有志が部屋から出てきた。
深く踏み込みすぎないように恐る恐る話しかけているのがよくわかって、やはり痛々しい。


「……頑張って」


「………」



それでも智希はまだ、どうしたらいいのかわからない。


本当は振り返って顔を見たい。
いってきますと笑顔で言いたい。
試合に見に来てよと言いたい。


でも、どういう風に言ったらいいのかわからないのだ。
なんでも率なくこなすと言うのに、対人間に関してはまだまだ未熟で子供。



早く、話がしたいのに。



「………」

「い、いってらっしゃい!」





結局今日も、有志の目が見れないまま出てきてしまった。
玄関を開け外に出ると、スポーツバックをかけ直し空を見る。

腹が立つほど、快晴だ。




「……はぁ」


大きな溜息をつきながら集合場所の高校へ向かった。















自転車で30分ほどのところに練習試合を行う高校があった。
智希がついた頃には1年生は全員きていて、準備運動をしている。

智希もすぐ更衣室へ案内されると、ユニフォームにジャージの上だけを羽織り体育館へ向かった。


「おはようございます」

「…はよ」

一番最初に声をかけてきたのは佐倉だった。
前ほどではないが、また部員達がざわついている。

「…先輩、ちょっといいですか」

「…試合始まるぞ」

「5分だけです」

「………」


智希はボールを持ちアップしようとしたが佐倉の真剣な言葉と表情に観念して、ボールを持ったまま佐倉の後をついて体育館の裏側へ向かった。



「……どうした」

「…意外…でした」

「?」


体育館のすぐ裏のため、アップをしている選手達の声、バッシュの音、ボールが跳ねる音がよく聞こえる。


「先輩のお父さん。見れたらラッキーぐらいで行っんだけど…全然先輩に似てませんでしたね」

「……昔はちょっとだけ似てたよ」

「そうなんですか?」



茂みのある体育館裏は、あまり人の手入れが行き届いていないのか雑草があちこち自由に生えている。
その中を軽く草を分けながら歩くと、花壇を見つけその壇に佐倉が腰を降ろす。
智希は立ったまま空を見上げ飛行機雲を目で追っていた。

なんでもない、軽い感じの会話。


「似てたから…変えようと思って牛乳いっぱい飲んで運動もして筋肉つけた」

「もしかして…バスケ始めたのも肉体改造のため…とか?」

「……一番身長高くなるスポーツはなんだろうって思って…バレーとバスケ悩んだあげく、たまたま中学がバレー部なかったからバスケ部にしたんだ」

「ははっ…まさかそんな理由で……泉水さんのこと大尊敬してる奴等が聞いたら泣きそうだな」

「…俺は尊敬されるほど凄い人間じゃないから」

「……へぇ」


佐倉が壇に手をついてニコリと笑う。チラリと見た智希は目を泳がせ再び空を見た。


「…凄く可愛い人でしたね。先輩ぐらいの息子がいるって絶対思わないですよ」

「………」

手に持ったボールをクルクル回しずっと空を見ていると、ガサっと音が聞こえた。


「?誰かいるのか?」

「……?なに?何も聞こえませんよ?」


気のせい…か。
そう思うと智希は来た道を戻り始めた。


「5分経った。戻るぞ」

「……今日はお父さんとお話できましたか?」

「………」

ぴたりと止まる。

「……ダメだったんですね」


佐倉の顔を見ていないけれど、この声のトーンからしてきっとニコリと笑っているのだろう。
悔しいが、本当のため動けない。


「…泉水さん、子供すぎて情けないですよ」

「………ほんと…な」


智希はそれだけ言うと、とても辛そうに佐倉を見つめすぐに目を反らし体育館の入り口へ戻っていった。

残された佐倉は花壇の花を見つめ大きく溜息をつき目を閉じた。



「……隙さえあれば…好きになってもらう自信あったんだけどなー…」


そよそよと風が髪の毛を揺らし、体育館からはピーと笛の音が聞こえてきた。


「……あの二人の表情は……お互い………」



今度は強めの風が吹き耐えれず佐倉は目を閉じた。






それでも智希は、やはりこの学校のエースだった。





「……すげぇ」

「…部活中プレイは見てたけど…」

「………俺、この高校入ってよかった…練習辛いけど…この人のプレイ間近で見れるなんて…この人と一緒に練習できるなんて……」

「………」




「一年、全員泉水のプレイに魅入っちゃってますね」

「まぁ、あいつは……な。本人は気に入らないだろうが、天才だ」

「天性?」

「まさか、あいつは努力の天才だ」

「………」



前半が終わった頃には74対44で智希達の高校が勝っていた。
うち、智希のアシスト29点、自らの得点38点。

決して相手が弱いわけではない。県大会に出場したこともある私立校だ。


ただ、智希の本気が凄いだけ。


智希が指揮を取る対抗試合を初めて見た者、中学の時に一度見ていた者、一年全員が唸り、見とれる。
清野やキャプテンの大谷も素晴らしい動きをしているのだが、智希のアシストがあってからこそ。






毎回思うけど…。
こいつほんと俺ら先輩に花持たせる癖にちゃっかり自分が一番目立ってんだよなー。


「清さんっ」

「……おっしゃ」



清野は汗を拭いながら褒めているのか悔しがっているのかわからない想いになっていると、またまた絶妙なボールを智希から受け取りゴールへ走り出した。



悔しいけど、こいつには勝てねぇ。



プライドの高い清野さえも唸らせる。






「……はぁ…はぁ…」



智希は肩で息をしながら得点と時間を見た。

この試合、まず勝ちだろう。
しかし油断は絶対しないのが智希なのだが。



後半が始まり流しながら体育館を走る。

黄色い声援も多い。
他校だというのに智希の人気はまるで芸能人クラスだ。

同じ学校の生徒達も何人か応援にきていて、視線はもちろん智希。

大学のスカウトか、スーツを着た大人もいる。
智希目当てだろう。



しかし、智希が本当に見てもらいたい人はいない。




…自分で拒否っといて、来てないことに苛立つなんて…




自分の幼さに軽く笑った。
まるで馬鹿にしているように。

観客を端から端までゆっくり見ていると、後半戦が始まったばかりだというのに笛が鳴り響いた。



「?」

「なんだ?」

「タイム?」


ザワつく選手達の中を顧問の須賀がコートに入ってきた。
とても急いでいるようで、審判に何度も礼をしながら険しい顔をしている。


「?」


須賀が向かった先は、智希だった。






「泉水っ…!大変だ!」

「………?」


中断されたゲームはとてもシンとしていて、須賀の声だけが体育館に響いている。
智希はリストバンドで汗を拭うと、腰に手を付き休憩のポーズで耳を傾けた。







「お父さんが、倒れたそうだ」








「…………」








サーっと、血の気が引いていく。
須賀も智希の顔色の悪さに気付いたのか、心配そうに肩を掴み顔を覗き込んだ。





「試合は気にするな、大事なお父さんだろ、中央病院だ」


「かっ…監と…く」


「智希、あとは任せろ」


「清…さん……」




みんながまるで自分の事のように心配し、声をかけているのに。



「俺…おれ……」



智希は動かない。


動けない。





「……泉水さん」

「…佐倉」


そこへ一年で唯一背番号を貰えた佐倉が、アップをしていたのだろう、軽く汗をかきながらコートに入ってきた。



「俺、泉水さんと交代だって」

「………」


佐倉の顔は興奮しているのか冷めているのかわからない。
声のトーンは、とても低い。



「ほら、行ってください」

「佐倉……」

「……これは…泉水さんの望んだこと?」

「っ………」




智希は息を飲みやっと動いた足を回転させ須賀に一礼した。



「すいません!失礼します!」

「おぉ、気をつけてな」

「慌てんなよ」

「落ち着いて、な」


「はいっ!」



メンバーや練習試合校の生徒、審判達に深く礼をすると、ユニフォームのまま体育館を飛び出した。
















「っ……がう…違うっ……違うっ!……俺は…こんな事を望んだんじゃ…ないっ!」











通行人達は全力で走り抜けて行く智希を不思議そうに見ている。


中央病院は高校から車で15分程あるが、その道則を智希は手ぶらのまま走り続けた。
















「はぁ…はぁ…はぁ…」


病院についた頃にはヘトヘトになっていたが、気合いだけで受付へ急ぐ。




「すっ…すみません……泉水有志はどこですか」

「えっ…」


ユニフォーム姿の上に息を乱した少年が看護師につめよる。
若い女性看護師は少し頬を染めながら智希を見上げると、急いで名簿を見始めた。



「…たぶん、救急かなにかでついさっき運ばれたと思うんですが」

「あっはい……あった……!今は普通病棟の305号室におられます」

「普通病棟…」

「あ、ここを真っ直ぐ進んでもらって、突き当たりを右に進んだ3階です」

「真っ直ぐで右…ね。ありがとうございます」

「あ、はい」



看護師は智希に見とれながらお辞儀をし、ポーっとなっている。

汗に濡れて高揚している智希は確かに色っぽい。




「305…305…」


病室の番号を確認しながら歩いていると、【緊急用病室301〜305】と書かれた看板を見つけた。


「こっちか…」

角を曲がり少しすると、見知った人間がいた。


重里だ。







「あぁ、智希くん」

「重里さっ……父さんはっ」

「うん、倒れたって言っても軽い貧血だから大丈夫だよ。目が覚めたら帰っていいって」

「貧……血」



はぁはぁと肩で息をしながら重里の座る長椅子に智希も座ると、うなだれるように壁にもたれた。


「練習試合…だったんだって?」

「あ、はい」

「泉水さんがね、今日は智希の練習試合だけど色々あって応援行けないんだーって寂しがってたよ」

「………」



ん?




ふと、疑問が出てきた。
よく考えれば何故ここに重里がいるのか。
今日は日曜日だ。会社はない。


有志はどこで倒れたんだ。


そういえば、何も聞かずやってきた。



有志がひとまず大丈夫と聞いて余裕が出てきたのか、智希は溢れ出る疑問を抱えながら重里を見る。



「重里さん…あの…」

「ん?」


体勢を起こし改めると、重里も智希に向き直しじっと見る。




「…父さん、どこで倒れたんですか?」

「え、会社だよ?」

「でも今日は会社休みなんじゃ…」



お互い驚いている。
医療の薬品が匂う中、キャッチボールができないとハテナマークを浮かべた。




「お父さんから聞いてない?今日は休日出勤だったんだよ」


「………」






聞いていない。

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