1
まだ少し肌寒い昼下がりの午後。泉水家では日曜日の朝から大掃除が行われていた。
男二人暮らしにしては綺麗な家なのだが、昨夜まで行われていた行為の痕跡がリビング、階段と残っている。
有志は顔を赤く染め、右手に雑巾を持ちながらブツブツ文句を言っていた。
「リビングではしたくないっていつも言ってるだろ…」
「待てないって言ってたじゃん」
「だから部屋行こうって言っただろ!」
もう乾いてしまった自分の体液を雑巾で拭き、念入りに殺菌作用の液体を飛ばし匂いを消していく。
フローリングの上に飛び散っている固体になった白いソレ。拭き取ってはため息が出た。
何が悲しくて自分の…
肩を落としていると、テレビ周りに散らかった雑誌を片付けていた智希が笑顔で抱きついてきた。
有志はバランスを崩し床に崩れ落ちる。
「こ、こら!」
「ね、やろ?ね?」
「昨日さんざんしただろ」
「足りない」
自分よりも大きい男が抱きつき甘える。
意志の弱い有志は心がぐらつきそうになったが、今日は簡単に流されない理由があった。
「昼から東條さんくるんだから無理に決まってるだろ!」
片膝をついて振り返り智希の胸に手を置いて力一杯拒否をする。
された本人はむぅっと怒りを全身で表して唸った。
「〜〜〜また勝手に日曜日誘うし」
「北海道の時もこの前も、俺達親子は東條さんにお世話になりっぱなしだろ。お礼の一つもできないでいい大人になんかなれないからな」
ペチン、と智希のおでこを音立て叩く。
痛くもないおでこをさすってわざとらしくさらにむぅっと口を尖らせる。
「ここの掃除と階段の脱ぎ散らかした服は全部俺がするから、智希は早く買い物行ってきなさい」
「〜〜〜」
「拗ねるな」
掃除を再開した有志を後ろから抱きしめ声のない訴えをひたすら行っていたが、段々呆れられ相手をしてくれなくなった。
智希はふん、と勢いよく立ち上がり時計を見て首を鳴らす。
「どこまでおもてなししたらいいの」
「最近覚えた料理でいいよ。あ、東條さんは嫌いな食べ物とかないって」
「〜〜〜」
別にあいつの好き嫌いとか聞いてないし!
有志と東條が何かしら繋がっているというだけでイライラがおさまらないというのに、これからイライラの原因のために料理を作らないといけない。
不満だらけだ。
「………食材…買ってくる」
「いってらっしゃい」
リビングに置いてあった財布を取って尻ポケットに突っ込むと、携帯も持たずジャケットを羽織り玄関へ向かう。
わかっている。
東條には迷惑をかけたし、この人がいなかったら自分はどうなっていたかわからない。
最悪、父、有志と離ればなれになっていたかもしれない。
「っ………」
想像しただけで背筋が凍る思いがした。
智希は身震いしたまま靴を履いて玄関を出ると、庭先に止めている自転車へ向かう。
いい天気だ。
良すぎるぐらいだ。
土砂降りの雨だったら濡れて悲惨な東條が見られたのに、と思ってしまったことはさすがに反省した。
最寄りのスーパーへ向かうと、カゴを取って野菜売り場からじっくり品定めをしていく。
やっぱ豪華にしたほうがいいのかな…
質素な節約してるっぽい料理作って父さんの経済力バカにされるのも嫌だし。
もちろん東條はそんなこと思うわけないのだが、智希にとって有志が人からバカにされたり卑下されることを何よりも嫌う。
父のことになると人が変わったかのように怒り狂う。
こういうの、直したいんだけどなー
父に対してすぐ熱くなるくせはある意味物心ついた頃からだ。
片親だから、だとか、片親じゃあしょうがない、とか、母親の代わりは父親には無理だ、とか。
きっと父さんは俺の知らないところでもたくさん嫌味を言われている。
まだ子どもの俺が想像できないぐらい、残酷な言葉を。
「っ……」
やべ、涙出てきた。
レタスを掴みながら屈辱の言葉を想像して目が潤む。
智希は有志が周りからいい父親だと思われるために頑張った。
勉強もしたし、運動も頑張った。
仕事で忙しい父に甘えず我慢もした。
思いつく限りの役に立てることをしたら、料理が出来て勉強も出来て全国に名を知られる有名バスケプレイヤーになった。
正直、有志は智希が元気に育ってくれれば、ここまで完璧に育ってくれなくてもよかったのだが。
無事食材を買い終え自転車置き場へ向かうと、他に買い忘れたものはないか携帯を取ろうとした。
「……あれ?……あ」
携帯を持ってきていないことに気付きため息をつく。
だいたい携帯は持たない智希なのだが、たまに有志からあれ買ってきて、があるのでなるべく携帯を持って行くようにしている。
そしてだいたい、こういう時に限って有志から連絡が入っているのだ。
「………お茶葉は買ってきてくれましたか」
「……いいえ」
「……携帯は持っていきましたか」
「……いいえ」
家に戻るとドアが開く音を聞いて出てきた有志が仁王立ちで玄関に立っていた。
智希は有志を見ると買い物袋を持ちながらバツが悪そうに下を向いて怒られた子どものように肩を落とす。
「もうー」
怒りながらも両手を塞いでいる智希の荷物を持ってリビングへ向かう有志。
智希は靴を脱いで頭をポリポリかきながらついていった。
「ごめんて」
「何度目だよ。携帯電話を携帯しなきゃ携帯電話の意味ないだろ」
冷蔵庫の前で「ん?今の日本語合ってる?」と首を傾げる有志に後ろから抱きつきなんとかごまかそうとするが、簡単には許してくれそうにない。
振りはらうことはしないが、智希と同じ癖の口を尖らせる表情をしたまま黙々と冷蔵庫に食材をつめていく。
「とりあえず智は料理作り始めて。東條さん迎えに行くついでに買ってくる」
「え、迎えにとか行かなくていい…」
最後まで言う前に有志に睨まれた。
智希はわかりましたとふて腐れながら言うと、財布をテーブルの上に置いて手を洗う。
冷蔵庫横に置いているエプロンを取って慣れた手つきで腰に巻くと、食材を入れ終えた有志は台所で雑巾を洗い再びリビングへ戻ろうとした。
「え、まだ飛び散ってんの?父さんの精液」
「こ、こら!」
顔を真っ赤にして振り返り智希を睨む。
その通りなのだが。
自分の精液を拭いているの、だが。
「もう絶対リビングでしないからな!」
ドスドスと足音を響かせて台所をあとにした。
智希はクスクスと笑い時計を見ると、あと3時間ほどで東條が来る時間になる。
料理はビーフストロガノフとシチューに決めた。
ホワイトシチューはもちろんソースからだ。
そういえばじいちゃんがいちご送ってくれてたな…タルトでも作るか。
冷蔵庫の中を見て何ができるかふんふんと頷きながら進めていく。
台所に置いているお手製の料理ノートを手に取ると、まずは肉の下ごしらえからすることにした。
その姿はもはや、料理人である。
[ 67/121 ][*prev] [next#]
[novel]