背徳のブルー【R-18】.1

背徳のブルー【R-18】




自分が歪んでると気づいたのは、母が家を出た8歳の時だった。

「聖眞はお母さんと来るよね?」

当たり前のように聞いてくるその言葉が耳障りで、俺はその時笑いながらまさか、と言った。

愛する息子からそんな言葉を聞いた母の顔を、今でも鮮明に覚えている。




昔から勉強は人よりできた。
中学では生徒会長をやってのけた。

教師や生徒から信頼され、また、穏やかな表情と切れ長の目は女子達に大人気だった。

初体験は早く、中1の時。
相手は同じ学校で2つ上の美人な先輩だった。

ま、こんなもんか。



しかし大谷聖眞にとって一つの通過点にすぎなかったため、初体験の相手の名前も顔も今では思い出せない。
髪が短かったか長かったのかさえも。

その先輩と付き合っていたのはたったの2週間だった。
大谷聖眞も人間の子だ。初めての彼女に少しとまどった。

とまどった、というべきか、素を出し過ぎた、というか。



何してもいいって言うからやってあげたのに、泣くなんて卑怯だよな。



しかし大谷聖眞は要領のいい男だ。
たった2週間でも女の容量というものがだいたいわかってしまう。齢13歳。

中学から始めたバスケはなかなか良い成績を残せた。
生徒会長でバスケ部のエース。モテないわけがない。

異性からの好意は毎日のように浴びていたが、まれに同性から好意を持たれることがあった。

直接言ってこないが態度で示す者、直接告白してくる者。
人数で言えば片手ほどだがいた。

大谷聖眞にその気はなく直接言ってくる者にははっきり断り、態度で近寄ってくる者には自分から近づかないようにした。



だって男が男に、とか。ばかげてる。



中学生活ももう残りわずかとなった頃、一ヶ月に一度話す程度の父が大事な話があると声をかけてきた。
再婚を考えているという。

この仕事人間の父についていきたい女がいるんだな。どんだけドMだよ。

特に興味のなかった大谷聖眞は、「おめでとう」と、全く気持ちの入っていない返事を返しいつも通りに過ごした。

義理の弟となる陸に会って言葉を交わしたけれど、何も響かない。
紙上では兄弟になるけれど、それだけの関係だ。
いいお兄ちゃんになろうとも思わないし、義母に対していい息子になろうとも思わない。

俺は俺だ。何も文句言わないし、反対もしない。しかし俺の中に入ってくるな。

バスケでの推薦は貰えなかったが、有名進学校である秋波高校に入った。
元々バスケは高校までと決めていた。大学ではやらない。

バスケでも有名なこの高校は、大谷聖眞にとって充実した日々を過ごさせてくれた。
しかし家に帰るとつまらない日々。

料理はうまかったし、幼い頃母親が出て行ってからは週に3回お手伝いさんが来ていたが、今では部屋が常にキレイに保たれている。
母親が家を出て行ったからと言って料理をしようと思わなかったし、働いてくれている父親の為に何か、とも思わなかった。

父親も、何も要求しなかった。

家は勉強をする場所だった。
元々勉強は嫌いじゃない。知識があることは大きな武器だ。

一番気に障ったのは義母が専業主婦のため、家に簡単に彼女を呼ぶことができなくなった。
だからと言って出ていけよ、とは言わない。
交わりたくないのだ。

しかし同居が始まり1年もすれば町内会の仕事やら近所の友達と出かけることも増えてきた。
高校生にラブホテル代は高い。

予め予定を聞いておいて、今日は家に誰もいないと思い彼女を家に呼んだ日、義理の弟が帰っていた。

というより、義理の弟がいたということを忘れていた。


家族になって数年同じ家に住んでいるというのに、喋らないどころか顔もあまり見ない。

大谷聖眞は朝練で朝からいないし、帰って来る頃には義理の弟は晩ご飯を食べ終え部屋に閉じこもっていた。
風呂も、陸は夜、聖眞は朝の為会わない。

お互い意識して会わなかったわけではないが、ここまで生活時間が違うと兄弟が一人増えたことも忘れてしまっていた。
元々興味がなかったから、意識自体は薄いのだが。


時折入ってくる義母に苛立ちを覚えどうにかしようと考え初めていた時、大谷聖眞にとって新しいおもちゃができた。

幼く、反抗期真っ直中の弟、陸だ。

口では反抗する割に従順で、聖眞の一言一言に時に顔を赤らめ、時に真っ青にする。

自分の思い通りにいく高性能のおもちゃを見つけた大谷聖眞。
思い通りだと思っていた。
自分のものだと思っていた。



そしてあまり、独占欲は無いと思っていた。


陸が襲われた後日、変質者による逮捕があったことを全校集会で校長の口から告げられた。
ざわつく中、陸は一人微かに体を揺らし震えている。

何年生の誰がとは言わないが、あの事件のことを自分の家族以外の人が知っていることにひどく動揺した。
その後犯人は逮捕され、前科持ちの執行猶予中だったため一発刑務所戻りだ。

たくさんの大人が事情を聞きに家に来た。
両親が一緒に付き合ってくれるのだが、兄の大谷聖眞だけは一緒にいてくれなかった。

『一緒にいてほしい』

たった一言が言えない。

あの日あったことをすべて無かったことにしたい。

聖眞に体を洗えと言われた次の日、2時間かけて風呂に入り体の隅々を洗った。
擦り過ぎて皮膚が真っ赤になるぐらい洗った。

一番触られた性器は血が出そうになるぐらい洗い続けた。

風呂から上がると、陸が襲われた所為で過保護になった母親に体が赤くなっていることを指摘された。

「触られたから…洗っただけ」

母親は顔を歪ませ陸に抱きつき涙を流した。

兄、聖眞からの命令だと知らない母親は、陸の心が傷ついていると思い声をつまらせ涙した。

実際、心が傷ついているのには変わりないのだけれど。


パジャマに着替え聖眞の部屋に行きノックする。
短い返事が聞こえ恐る恐る部屋に入ると、参考書を片手に勉強をしていた。

「兄ちゃん…体キレイにしたよ…たくさん洗った」

「………そう」

「あ、あの」

「来週からテスト始まるから」

「あ、……うん」

今までも何度かあったじゃないか。
聖眞がいくら頭がいいと言ったって天才じゃない。努力家だ。
テスト前になると構ってもらえなくなる。


でもなんだか今は、拒否されが理由が自分が汚れたからだと思ってしまう。




全校集会が終わり教室へ向かう最中、気分が悪くなった。
生徒たちに、クラスの連中に襲われたのが自分だとバレたわけじゃない。

そう言い聞かせているのに、震えが止まらない。

陸の異変に気づいたのは、中学2年になってできた友達、朝日(あさひ)春人(はると)だった。



「陸、気分悪い?」

「っ…」

人だかりのできた廊下で後ろから声をかけた。
肩を触られた陸は汗を流しながら大きく体を揺らし、怯えた目で振り返る。

「あっ…春…」

「ご、ごめん驚かすつもりはなかったんだけど」

想像以上に驚いた陸に思わず反射で後ずさってしまった。
黒髪でストレートの陸とは対照的な、やや明るい髪色でふわふわした髪の毛の朝日春人は、祖父がロシア人のクォーターだった。

「いや、大丈夫…こっちこそごめん、変に驚いて」

「そんなことは気にしなくていいよ。それより凄い汗だけど保健室行く?ついてくよ?」

「………」

同じクラスになった頃は一緒ぐらいの身長だった朝日春人。しかし今では見上げないと目が合わないぐらい急激に成長している。

(ちくしょうロシアの血め…!)

自分の全く伸びない身長に少し苛立ちを覚えむっとすると、それが気分を害したと思ったのか春人は眉を八の字に曲げ悲しい顔をした。

「ご、ごめんうざかった?」

「そうじゃないって。だからあんまそういうこと気にするなって」

「う、うん」

色白で目立つ髪色、髪型。顔は薄れてはいるだろうが純日本人から比べればくっきりした顔だ。
小学校の頃は体も小さく女の子みたいだった為イジメられていた。春人は対人関係がやや苦手だった。
中学2年で知り合った陸は偏見なく接してくれるため、今では大親友だと思っている。

「でも3日も学校休んでたし、まだ体調悪いんじゃないの?僕先生に言って…」

「大丈夫だって」

少し強めに言葉を発すると、春人はまた眉を曲げ悲しい顔をした。

「無理はダメだよ?」

「無理…してないから……体調も…風邪とかじゃないから」

「じゃあなんで3日もお休みしたの?」

「っ………」

墓穴を掘ってしまった。
バツが悪い顔をして下を向くと、覗きこむ春人の影が目の端に見えた。

「僕には言えない?」

計算なのか天然なのかわからない子犬のような目で陸を心配そうに見る。
陸ははぁ、と溜息をついて春人の腕を掴み廊下の端へ引っ張った。

「……誰にも言うなよ」

「?」

キョロキョロと周りを見渡し、小さく低い声でつぶやく。
心臓はさっきより速くなり汗も噴き出る。


「………さっき…校長が言ってた…変質者に襲われたうちの生徒って……俺なんだ」

「えぇっ?!!」

「ばっ!!」

「ご、ごめん」

春人の叫び声で廊下にいた生徒全員が2人を見た。
陸は慌てて春人の口に手を当て静止する。
春人はごめんごめんと言いながら陸の手を引き剥がすと、驚いた表情のまま小声で話した。

「被害にあったの…女の子じゃなかったんだ…」

「っ………」

その一言に陸は一瞬にして顔を真っ赤にし、涙を溜めた。

「ご、ごめん!そ、その、色んな人がいるもんね!色んな性癖を持った人が…」

「全然慰めになってねーよ!」

また陸に怒られシュンと肩を落とす春人。

陸は呆れながらも深くため息をつき、春人に背を向け歩き出した。

「誰にも言うなよ。春だから言ったんだからな」

「う、うん!」

肩を落としていた春人はなぜか一瞬にして笑顔に戻り、陸の隣に並ぶ。

「でもほんと物騒だね。今日から一緒に帰ろう」

「何言ってんだよ。犯人捕まったし、それより俺と一緒だとお前んち遠回りじゃん」

「ちょ、ちょっとだけだよ!そんな遠くないよ!」

教室につくと、陸はスタスタと自分の席に戻ってしまった。
春人はそれについて行き、座った陸に視線を合わせるようしゃがみ込む。

「公民館あるでしょ?あそこ通りぬけしたら陸んちと近いし」

「俺と別れたあとお前が襲われたらどうすんだよ」

「僕は大丈夫!」

「俺もそう思ってたよ」

「………」

また、眉が八の字になる。

春人がしゃがんだおかげで今度は見下ろす位置になると、項垂れるつむじがなんだか可愛く見えてクスっと笑ってしまった。

「…じゃあ、俺と別れたらダッシュで家帰れよ」

「…!!うん!走るよ!」

顔を上げパァっと光を放つと、春人の素直さに少し胸が痛んだ。


俺も春みたいに素直だったら…
もっと兄ちゃんに可愛がってもらえるのかな…


その日から陸と春人は一緒に帰ることになった。
朝も迎えに来ると言い出すので、流石にそれは申し訳ないので断った。

「春ってさ、なんでそんなに優しいんだ」

「え、僕って優しいの?」

陸と春人は同じサッカー部に所属している。
しかし今日はミーティングの為いつもより早い下校となった。

中学校からこの土地にきたため、小学校の友達はいない。
元々あまり社交的じゃない陸は友達作りが得意ではなかった。
しかしそれは春人も同じで、やっと見つけたなんでも相談ができる友達。

陸以上に友達を作るということが苦手な春人は、『友達』の範囲がよくわからなかった。

「なんか俺の親みたいに俺のこと心配してない?」

「普通じゃない??だって友達だよ??」

友達だよ、と言って春人の顔が少し赤くなる。
友達と呼べる人物がいることに感動と照れがあるのだ。

「……僕ね、前にもちょっと言ったけど、小学校の頃イジメられてたんだ」

「あー…」

学校から陸の家まで徒歩15分ほどだ。
あの角を曲がり直進すればもうついてしまう。

「今はやっと背も伸び始めたけど、中学に上がるまでは陸よりもっともっと小さかったんだ」

小さい、という言葉にギロリと春人を睨み付けると、苦笑しながらごめんねと小さく笑う。

「おまけにこんなしゃべり方でしょ。マ…お母さんに怒られるから、未だに俺って言っちゃダメだし。だからオカマ、とかね、女なんだからいらないだろ、って言われてズボン隠されたり色々…色々されたんだ」

段々口調は弱々しくなって、思い出してしまったのか少し目が潤んでいる。
足取りは重く、気がつけば下を向きながら歩いていた。

「弱いから。何も言い返すことができないから。僕が悪いんだけどね」

いつもの明るい笑顔ではなく、苦しそうに顔を歪める春人を見て陸の胸まで痛んだ。

「春をいじめる奴が一番弱いんだ。春は弱くない」

いつもより口調を荒げてそう言うと、春人はにっこり笑い足を止めた。
つられ陸も足を止めると、まだ陽が登る真下で春人に向き合う。

「陸のね、そういう所本当に尊敬してるんだ。覚えてないかもしれないけど、実は僕1年生の時知らない先輩達に因縁…?つけられて困ってる時、陸が助けてくれたんだよ」

「え、全然覚えてない」

やっぱり、と言いながらなぜか爆笑する春人。
陸は覚えていないことに罪悪感を感じているというのに、春人は嬉しそうに声を出して大空に向かって笑った。

「僕の腕を引っ張ってね、次の教室こっちだ、って言いながら走って先輩達から離してくれたんだ。先輩が見えなくなると、掴んでた僕の腕を離して、逃げるのは最大の武器だからって言ってどっか行ったんだよ」

「そういえばそんなことあったような…。でも顔まで覚えてないや…悪い」

「全然いいよ。だってさ、それって狙ってやってるんじゃないでしょ。無意識でそういうことできちゃう陸がほんとにかっこいい」

自分より背の高い友人が尊敬の眼差しで目を輝かせている。
陸は恥ずかしくなって、ふいっと体を回転させ止めていた足を再び家路へ向かわせた。

「それからね、たまたま陸がサッカー部にいることを知って、僕も入部したんだ。二年生で同じクラスになれた時凄く嬉しかった。部活では緊張してあまり喋ったことなかったけど、同じクラスになれてあまりの嬉しさにすぐ声かけちゃった」

「それは覚えてるよ。教室に入った途端大谷君!って腕掴まれた」

笑いながら歩きあの日のことを思い出す。

兄、聖眞との関係が思っていたものと違い寂しさを紛らわす為入った部活。
スポーツは好きだから楽しかったが、家に帰ると自分を意識してくれない兄に腹をたてる。
しかし何に発散していいかわからず悶々と日々を過ごし、時折くる聖眞の彼女にただただ嫉妬するだけだった。

話をする友達はクラスにも部活にもいる。
しかしなんでも相談できるような友達はいなかった。

2年生になり突然話しかけてきた春人に最初は戸惑った。
同じ部活だ。存在と名字だけは知っていた。あと、どっかの国とのハーフだかクォーターだかも。
しかしほとんど話したことがなかった春人から突然懐かれた。不思議と鬱陶しいや、めんどくさいと思うことはなかった。

春人が羨ましかったからだ。

自分も春人のように素直でいいものはいい、好きなものは好きと言える人間だったら。

今だって、春人に尊敬していると言われ何も言い返せない。
春人はなにも待っていないのだが、「ありがとう」の一つも返せない自分に、陸は苛立ちを覚えるのであった。

「春はめちゃめちゃ優しいよ。俺だけじゃなくて女の子とか、他の子にも優しくしたらもっとモテるのに」

「誰にでも優しいのは、優しいって言わないんじゃない?」

「なにそれ、哲学?」

「持論ー」

ケタケタと笑い歩いていると、気がつけば目の前は陸の家だった。

「ついちゃった…」

「………春、今日なんか予定ある?」

「ない!なんもない!!すっごい暇!死にそうなぐらい暇!」

どんだけアピールだよ、と陸が爆笑すると、部屋の門を開け春を招き入れた。

「よかったらおやつ一緒に食べてく?たぶん母さんがなんか作ってるから」

「いいの??お邪魔します!!あ、陸って毎日おやつ食べてるんだね」

「っ!!!!!」

子供じみてると言われたようで、一気に陸の顔が赤くなる。
春人はそれを見て天然なのか計算なのかわからない表情でケラケラと笑った。

「そう言えば春を家に入れるの初めてだな」

「そうだよー。いつも部屋汚いからって入れてくれないんだよー」

「だってお前んち広いしいい匂いするし何よりゲームがいっぱいあるんだもん」

「あ、絵里菜と満里奈がまた遊びにおいでって。あとお母さんも」

絵里菜は春人の1つ下の妹、満里奈は3つ下の妹だ。
二人とも人形のように可愛くて春人以上に上品だ。下の満里奈は少しおてんばだが最近スパルタの母が必死に軌道修正しているらしい。

「たぶんね、満里奈は陸の事好きだよ。僕が遊びにでかける時いつも陸と一緒なの?って聞いてくるもん」

「満里奈ちゃん可愛いけどお前の姉妹レベル高過ぎだってー」

モデル事務所に何度かスカウトされているが、どうも一家揃って恥ずかしがり屋らしく、人前にでることは苦手で全て断っている。

玄関について靴を乱暴に脱ぐと、客人である春人が陸の靴を揃え直した。

「そんなのしなくていいから!」

「で、でも気になるんだよー」

「おかえりなさい。あら、春人くん?よね?」

陸の母は声が聞こえ玄関に向かうと、いつもの反抗期真っ直中の息子と見たことがある少年を見つけた。
以前、授業参観で陸と楽しそうに話していた男の子のことを夕食時に聞くと、友達の春人だと言っていた。
再婚してからこっちの友達のことを全く言わない息子に少し不安を感じていたが、ちゃんと友達がいることに安心したためよく覚えている。

「お、お邪魔します!」

「こんなに大きかったっけ?前見た時は陸ぐらいちっちゃかっ」

「ちっちゃい言うな!こいつはロシアの巨大DNAを受け継いでるんだ!」

「そ、そんな巨大じゃないよ〜」

恥ずかしそうに照れ笑いすると、深々と頭を下げいつもお世話になっておりますと大人顔負けの挨拶をした。

親が違うと息子ってこんなにも違うんだな。

と、心の中で思ったのに、なぜか見透かされたのか母に頭を軽く小突かれた。



春人は落ち着かないのか、ずっと照れ笑いしてる。
そわそわと陸と母親を交互に見ては言葉をつまらせていた。

「春、顔赤くないか?」

「あ、き、緊張してて」

なんで、と笑いながら返すと、友達の家に来る事が生まれて初めての経験らしく、菓子折を持ってこなくてごめんなさいと母に頭を下げた。

「あっはは菓子折なんて!そんな気にしなくていいのよ。大人になればうんざりするほど媚びを売って生きないといけないからね〜」

不安がっている春人をよそに母は豪快に笑いスリッパを出す。
陸も呆れ顔で笑いながらスリッパもはかずさっさと中に入っていってしまった。

「お、おおお、お邪魔します」

まだ緊張しているようで、手足が同時に出ている。
笑うと春人が気にするだろうから陸は必死にこらえたが、体は大きいが気の弱い犬に見えて肩を震わせ声を出さず笑った。

リビングへ行き鞄を置くとすぐに洗面台に案内され、二人一緒に手を洗う。
泡をつけあいただ手を洗っているだけなのにとても楽しそうな笑い声。

陸の母はその笑い声を台所から聞きながら嬉しそうに笑った。


陸が笑っている。
事件があったあの日から、陸が笑っているのを見るだけで母は心の底から安心した。



手を拭き終えリビングへ向かうと、オレンジジュースとおやつのショートケーキが出てきた。

「春くん、甘い物は大丈夫?オレンジジュースでよかった?」

「はい!ケーキもジュースも大好きです!」

目を輝かせ甘い物を見つめる春人。
陸にとってはいつもの光景だが、春人にとっては全てが新鮮だ。

「いただきます! 」

「いただきまーす」

いちごがのったシンプルなショートケーキだが、スポンジがふわふわでホイップクリームが甘く濃厚だ。

「ホイップ甘過ぎない?陸が甘いの大好きだからいつもこのぐらい甘くしないとおいしくないって怒るのよ」

「もしかしてこれ、陸のお母さまが作られたんですか!?」

お母さまなんて、とまんざらではなさそうに笑う母を見て陸はため息をついた。

「母さんはごはん作ることしかできないもんな」

「まぁひどい!掃除も洗濯もちゃんとできますー!」

「この前俺のTシャツすっげー縮んでたんだけど」

「縮む素材って言わずいつもの洗濯かごに入れてるあんたが悪い」

「こんなおいしいケーキ作れるなら充分ステキなお母さまですよ!」

「やだもう春くん〜」

春の場合、おだててるんじゃなくて本気だから感心するよな。

ケーキを口いっぱいにほおばりながらじっと春人を見つめると、視線に気付いたのかにっこり笑いかけられた。

「陸のお母さんって感じだね」

「俺こんなうるさくないし」

間髪入れず答えると、間髪入れず頭をはたかれた。

「暖かい」

ニコニコ笑いながらおいしそうにケーキを口に運ぶ春人を見て、胸がきゅうっと締め付けられた。

おいしいものを簡単においしいと言えて、感動すると全身を使って表現する。

陸には苦手なことだった。
それを簡単にこなしている本人を目の前にして、何かわからない黒い渦のようなものが蠢く。

頬張っていたケーキは簡単に溶けて無くなってしまい、口を潤わせるジュースを流し込む。
ゴクゴクと何かを流し込むかのように無理やり胃に貯めると、それを見た春人も慌てて食べるペースを速める。


「母さんもう一個」

「はいはい。春くんは?」

「い、いただけるんですか??」

口端についた生クリームに気付かず見上げる春人の姿を見て、陸の母親はたまらず微笑んで頭をなでた。

「春くんみたいな子がうちの子と友達でよかった。またおやつでもごはんでも食べに来てね。なんならお泊まりもする?」

「きょ、恐縮です!!!」

座りながらピシっと背筋を伸ばし何故か頭を下げる。
友達の家にお邪魔するだけで一大イベントなのに、お泊まりなんて日にちが決まってないのに今から緊張でおなかが痛くなりそうだ。

「かあーーさーーーんーーーーーーおーーーかーーーわーーーりーーーー」

「わかったから足をバタバタさせないの。ほんとお行儀悪い。ちょっとは春くんやお兄ちゃん見習いなさいよね」

「あ、そういえば陸ってお兄さんいるんだよね」

ピクっと体の芯に力が入る。

「うん。今はテスト期間中だから学校終わってからどっか図書館か友達の家で勉強でもしてんじゃない」

なるべく素っ気なく。
兄の話をする時の陸は顔がゆるむ。

自慢したくて、この前念願の一緒に撮ってくれた携帯写真を見せたくてうずうずするが、誰にも悟られたくなくて淡泊に答えた。
つもりだった。

「でも陸お兄さん大好きだよね。よく僕にお兄さんの話してくれるもんね」

「そうなのよー」

「そんなのことないし!好きじゃない!全然好きじゃない!!」

急に体が熱くなり息が上がってきた。
テーブルに手をついて春人に怒鳴ったが、本人は慣れているのかはいはい、と流すだけで全く受け取らない。

「だから俺はっ……」



「ただいま」



あんなに熱かった体が、一気に冷えて息が止まった。



「あら聖眞くんおかえりなさい。早かったのね」

「明日は1教科だけだから早めに切り上げてきた」

「あ、お、あ、あ、お邪魔してます!」


聞かれてた?


「陸の友達?」


どこから?


「は、はい!朝日春人と申します!!」


ちがう


「礼儀正しいねーゆっくりしてってね」


好きじゃないなんて


「聖眞くんケーキ食べる?」

「ちょっと食べてきたんで大丈夫です。春人くんにあげてください」

「いえ、そんな!」

「お呼ばれした時は遠慮する方が失礼なんだよ」

「あ、は、はい!いただきます!」



聖眞は陸と目を合わせることなく、自室のある2階へ上がっていった。



「かっ……こいいーーー!!陸のお兄さん超かっこいい!!聞いてた通り超かっこいい!あれで勉強できてキャプテンだったんでしょ??凄いお兄さんだね陸!…陸?」

「……あ、うん」

「ほら陸、ケーキ」

「………いらない」

「えっ」


コトン、と二個目のショートケーキが目の前に置かれたというのに、陸のテンションは低く今にも泣きそうだ。
いつもなら平気で3つ4つ食べる息子の姿に首をかしげ、今日のケーキは甘すぎたのかともう一度陸をのぞき込む。

「今日のケーキおいしくなかった?」

「……別に。春、俺の部屋行こ」

「え、あ、うん」

春人は深々と頭を下げごちそうさまでしたとお辞儀すると、学生カバンを持って陸の後を追った。



2階へ上がる階段で無言の陸を見つめ自分が何かやったせいで怒らせてしまったのではないかと冷や汗が出てきた。
春人は部屋についたらまず謝ろうと決心し、招き入れられドアが閉まったとたん体を90度に折り曲げ頭を下げた。

「陸、ごめん!!」

「……へ?」

換気のされていない部屋に入り顔を歪めながら窓を開けていると、突然大きな声が聞こえ振り返った。
春人の頭のてっぺんしか見えない。

「ぼ、僕浮かれちゃって……うざかったよね…うるさかったよね…」

ぎゅっとカバンを抱きしめ微かに声が震えている。
春人のネガティブは今に始まったことじゃない。
陸は大きくため息をついてベッドの上に座ると、隣の部屋にいる兄を意識しながら小さな声を出した。

「悪いのは…俺だから」

「へ?」

聞こえず聞き返しながら頭を上げると、とても悲しそうな顔をしている陸が見えた。

泣きそう。

そう思った春人はとっさに陸の元へかけよりしゃがみ込んだ。

「陸?泣きそうなの?」

「泣かねーよ」

辛そうに笑いながら春人の頭を軽くたたく。

叩かれた頭は痛くないけれど、陸のほうが何倍も痛い顔をしていてなんだか春人の胸が締め付けられた。

「…陸はね、全然僕に相談してくれないでしょ」

「なに、急に」

陸を見上げながら悲しそうに、だけど少し怒った口調で言葉を選ぶ。

「僕、全然頼りないしいい言葉も浮かばないけど、聞くことはできるよ?ちゃんと聞こえる耳は持ってるよ?大好きな友達がなにか悩んでいたら聞いてあげたいよ」

「だからなんでおまえはそんなに…」



人に素直なんだろうか。



兄、聖眞は隣の部屋にいる。
勉強をしているだろうが、すぐ近くにいる。

春人を少し待たせてさっきのフォローをしに行きたいけれど、何を言ったらいいのかわからず体が動かない。

何も考えずただ謝ればいいのだ。

好きじゃないなんて嘘だ。
照れて口が滑ってしまった。
本当は、

本当は



「………俺、春みたいな人間に生まれたかった」

「えー絶対やめたほうがいいよ僕きもいし」

「自分のこときもいとか言うなよ」

ケラケラと笑う陸はいつもの陸、に見えた。
春人は安堵し目尻を下げると、カバンからノートと筆箱を取り出し部屋の真ん中にあるテーブルに移動した。

「ついでだから英語の課題やっちゃおうよ」

「えーそれ明後日までじゃん。今しなくていいじゃん」

「そうやって陸はいつもギリギリ先生がくる直前に僕のノート丸写しするでしょ」

確信をつかれぐっとのどを鳴らすと、さっきとは違う重くないため息をついてベッドを離れた。





「………春……ね」

隣の部屋で椅子に座り勉強机に頬づえをつく。
勉強の時だけ使うメガネを外し乱暴に机の上に置いた。

大谷聖眞はだらんと椅子の背もたれに体を預け天井を見ると、楽しそうに聞こえる隣の小さな声を聞きながら目を閉じた。








「暗くならないうちに帰るのよ。やっぱり送っていこうか?」

「大丈夫です!5分ぐらいなんで」

陸の事件のこともあり、子どもの一人歩きに敏感になっている陸の母は家まで送ると提案したが、眩しい笑顔にやんわり断られた。

「今度は泊まりに来てね。ご馳走作るから」

「はい!あの、ケーキも本当においしかったです。お店のケーキよりおいしかったです!」

陸の母に良い子良い子と頭をなでられると、恥ずかしそうにはにかみもう一度お礼を言った。

「じゃあね陸、また明日。おじゃましました」

「ん」

簡素に挨拶する陸に睨みをきかせる母だったが、いつものことなので春人はにっこり笑いながらドアノブを回し出て行った。


「本当に良い子ね〜あんな良い子が陸と友達なんて不思議で仕方ないわ」

「俺も不思議」

「あら、怒らないのね」

「ほんとに不思議だと思ってるから」

拗ねたようにそう言いながら部屋に戻ろうと階段を上ると、もうすぐご飯だから聖眞くん呼んで降りてきて、と声をかけられた。



い、いやだ。



でもここで拒否する理由がない。

陸は恐る恐る階段を上り聖眞の部屋の前に立つと、シンと静まっているドアにノックした。


コンコン


「に、いちゃん。晩ご飯できたって。降りて来いって」

「……わかった」

「…………」



一言、だけ。



陸は胸が苦しくなり動けなくなった。
再び体が熱くなり、どっと汗が噴き出る。

謝るんだ。
ひどい事言ってごめんなさい。
春みたいに。
素直に。


素直に。




ぎゅっとコブシを握ってもう一度ノックをしようとした瞬間、ガチャっとドアが開いてしまった。


「あっ……」

「……ん?なに?」

ドアを開けると目の前に陸がいたため少し驚き顔を歪める。
疲れているのか首を鳴らしながら出てきた。

思わぬ遭遇に一瞬にして頭が真っ白になり、何を言おうとしていたのか全て飛んでしまった。
口をパクパクさせ聖眞を見上げると、絞り出した声は小さくかすれていた。


「ごめんな……さい」


その一言を言うだけでいつもの何倍のエネルギーを消費したかのように体が疲労した。
口は渇き呼吸が辛いため顔が真っ赤に高揚している。

他にも言いたいことがあるのに、次の言葉が出てこなくて気がつけば涙が一粒流れていた。
汗と一緒に頬に流れる涙。しかし本人は涙を流したことに気付いていない。

そんな陸を上から見下ろすと、聖眞は首に手を当てながらもう一度首を鳴らした。


「なにが?」


無関心な言葉が廊下に響く。


陸は目を見開き吹き出ていた汗は引き涙が止まった。
今度は真っ青になり小さく震える。

陸を心配する様子も無くすり抜け階段を降りていく聖眞。
トン、トン、トンと、無機質な音を耳で聞き取りながら、陸は力尽きてその場に崩れ落ちた。








「もう陸、何してたのよ」

「うん…」

聖眞より10分ほど遅れてきた陸に最初は怒っていたが、あまりにも暗い顔をしていた為お箸を渡しながら不安げに顔を覗きこんだ。

「気分悪い?もしかしてやっぱ今日のケーキ…」

「なんでもないからほっとけよ!」

きつく言うと、テーブルの上に用意された箸を乱暴に奪い茶碗を持ち上げた。

「陸、言い方」

味噌汁を飲んでいた聖眞が手を止めぽつりとつぶやいた。

陸は一瞬身を縮こまらせたが、空気が悪くなったと感じた母は無理矢理笑いながらお茶のおかわりを持ってきた。

「いいのよ聖眞くん。陸ってば最近反抗期だから何言ってもダメなのよ」

「…………」

聖眞は無言のまま味噌汁を飲み終えると、再び無関心の表情をしたままおかずに手を伸ばした。

陸は母親に怒られた時より大ダメージを受けた顔をしていて、いつもは口いっぱい頬張るが今日はもそもそと口先が動いているだけだ。
母は陸を心配しつつも聖眞の機嫌を気にして少しおろおろとしている。

「ごちそうさまでした」

聖眞は箸を置き手を合わせると、自分の茶碗を流し台に持って行く。
それを見た陸は目で追い口の中にご飯とおかずをいっぱい頬張り、味噌汁を飲んで全て流し込んだ。

「お、俺もごちそうさま」

「あら、おかわりはいいの?」

「大丈夫」

聖眞と入れ違いで流し台へ行くと、2階へ上がる足音を聞きながら自分も急いで後をついていった。

「ほんとお兄ちゃん好きね〜」

嬉しい反面寂しさも覚えながら、食卓の片付けを始める母親だった。





「に、にいちゃん」

「なに」

止まらず、振り返ることもせずどんどん階段を上っていく聖眞。
無理矢理ご飯を飲み込んだため少し胸が苦しいが、必死に走りやっと追いつくと腕を掴み振り向かせた。

「あ、あの!」

「だから、なに」

やっと振り返ったその表情はなんだか冷めていて、早く何か言わないと、と焦りでまた汗が滲んできた。

「あ、明日は1教科なんだよね?その、今日勉強見て欲しいんだけど…」

上目遣いで頼むと、聖眞は見下ろしながらじっと陸の目を見た。
数秒の沈黙があって、掴まれていた陸の腕を逆に掴み簡単に引きはがしてしまう。

「あっ…」

拒絶されたのだと思い 、空気をきる自分の腕を見て悲しく眉を曲げた。

やっぱり聞かれてたんだ
それで誤解されたんだ

ちがうのに

あの言葉は違うのに


「勉強、いいよ」

「えっ」

真上から聞こえた予期せぬ言葉の意味が一瞬わからなかった。
ぱっと顔を上げて聖眞の目を見ると、相変わらず冷めた目はしているけれと、確かに言った。絶対、言った。

「あ、あの、じゃあ勉強道具…」

「そっちじゃなくて、こっち」

「あっ!!」

喜びで満面の笑みを浮かべながら部屋に勉強道具を取りに行こうとしたら、突然聖眞の手が伸びてきた。
まだ反応していない陸の股間を左手で軽く握る。

思わず高い声が出てしまった。恥ずかしくて手の甲で顔を隠すと、クスクスと頭上から笑い声が聞こえてきた。
なんだか凄く悔しくて、聖眞の顔が見られない。

「ちょっと握っただけでもう膨らみ始めてんだけど」

「っ…る、さい」

ズボンの上から少し膨らんでしまった陸のペニスが主張を始めている。

「で、するの、しないの」

「す、する!お風呂行ってくる!!」



陸は顔を隠しながら勢いよく自分の部屋へ飛び込むと、ドアを閉め床に倒れ込んだ。

「っ……うぅー……チンコ痛い…」

さっきよりさらに張りつめた下半身を軽く撫で、いま触ってしまうと出てしまいそうだから急いで起ち上がりタンスの元へ走った。

触ってくれる。

兄ちゃんがまた俺を触ってくれる。

嬉しさのあまり涙が溢れてきて、ずず、っと鼻をすすりながら下着を選ぶ。

もう触れてくれないかもしれないという不安がずっとあった。

汚れた自分を触ってくれないのかと。

極めつけは今日とどめで好きじゃないなんて言ってしまった。

滑ってしまった自分の口をひどく恨んだ。





聖眞も自室に入り椅子に座ると、隣でゴソゴソしている音が聞こえる。
きっと急いで着替えを探しているため荒らしているのだろう。

聖眞はふっと笑い机に目をやると、家に帰ってから全く進んでいない真っ白のノートを見つけた。
じっと見つめ大きくため息をつき、無言のまま閉じた。



「あら陸、もうお風呂入ったの?」

「調子悪いからもう今日はもう寝る!おやすみ!」

「そ、そう…おやすみ…」

ダダダ、と階段を登っていく後ろ姿を見ながら、さっきよりだいぶ調子良くなったみたいだけど…、と母は首を傾げた。



コンコンコン

「兄ちゃん!」

「…走るな。響く」

勢いよくノックをすると、足音が聞こえていたため準備していた聖眞がすぐ出てきた。

「ご、ごめん」

「俺が風呂から上がってくるまでに髪の毛乾かしとけよ」

「部屋入っていい?」

「ダメ。おまえの部屋で」

「わかった…掃除しとく」

いつも部屋は入らせてくれない。
中をチラッと見たことはあるのだが、招き入れてくれることはない。


彼女は、中に入れるのに。


「………」

着替えを持って階段を下りていく聖眞を見ながら、辛く胸を押さえながらぐっとこらえた。

ポタリと髪の毛を濡らす水滴が廊下に落ちて、慌ててタオルで拭く。
肩にかけたタオルで乱暴に髪の毛を拭きながら自分の部屋へ入っていった。






「緊張する…」

風呂で一度ヌこうかとも考えたが、前に一度それをしてバレたため我慢している。
少しおさまったものの、軽く反応している。

おさまれーおさまれーおさまれー

先ほど荒らしてしまったタンス周りと雑誌を拾いながら修行僧のようにぶつぶつつぶやく。
髪の毛も気がつけば乾いていて、濡れたタオルを洗濯機に突っ込もうと下に降りると、ちょうど聖眞も出てきたところだった。

「あっ…」

「なに、覗き?」

「ちがっ!タオル置きに来ただけ」

「ふーん」

脱衣所で合うのは実は始めてだ。
濡れた髪、少しだるそうな顔。
湯気と一緒になった聖眞はいつも以上に大人っぽく、先ほどせっかく抑えたというのにまた奥からこみ上げてきた。

「俺は髪の毛乾かしてからいくから」

「う、うん」

なんだかそのやり取りがすごくやらしく感じられて、陸は赤面しながら脱衣所を抜け階段を上がっていった。

ひ、久しぶりだからすげー緊張する。


あの事件があってから、なんだかそういう気分になれなくて一人でもシていない。
ムクムクとこみ上げてくるものを必死に押し込め部屋に戻ると、勢いよくベッドに倒れ込んだ。

兄ちゃん…兄ちゃん……聖眞兄ちゃん…

ぎゅっと目をつぶり身を縮こまらせる。

ドキドキしながら待っていると、トントントン、と足音が聞こえてきた。

普段気にならない足音だけど、今は鮮明に聞こえて心臓が飛び跳ねる。

早く来て欲しいような、来て欲しくないような。

コンコン

「……は、はい」

思わず声が裏返ってしまった。
恥ずかしくて口に手をあてると、ガチャリと音を立てて聖眞が中に入ってきた。

髪も乾き、寝る前の姿だ。

「あっち。窓あけろよ」

「え、でも声聞こえちゃっ…」

「どんだけでかい声出すつもり」

「っ!」

ゆっくり歩きながら陸のいるベッドに近づくと、閉まっていた窓を全開にして扇風機を強に変えた。
閑静な住宅街のため車の音や酔っぱらいの声は聞こえないが、夜の無音がかえって意識を集中させ敏感になってしまう。

ふぅ、と声を出しながら聖眞もベッドに座ると、堅くなっている陸に気付きクスっと笑いかけた。

「意識しすぎ」

「だっ…て…」

もじもじと自分の指で遊び口ごもると、せっかくお風呂に入ったというのに汗が出てきた。

今日部活なかったのに凄い汗かいてる…

こめかみの汗を拭おうとした時、急に聖眞が立ち上がった。

「な、なに」

「服、早く脱ぎなよ」

「う……うん」

いつものことなのだが、少し時間が空いていたため羞恥度が上がっている、気がした。

聖眞は移動し椅子に座ると、もじもじとボタンを外し始めた陸をじっと見つめる。

「に、兄ちゃん」

「ん?」

「電気…暗くしてよ」

「いつも付けてたじゃん」

「きょ、今日は消して」

「ダメ」

「なんで」

「ダメ」

うぅ、と睨み付けたが、もちろん聖眞には効いていない。
諦め今度はズボンに手を伸ばした。

……えぇい!

勢いをつけて下着ごと膝まで降ろすと、勢いよく陸のペニスが飛び跳ねた。
もう、上を向いてしまっている。

全然ダメだ…超勃ってんじゃん…

抑える努力むなしく完全に反応を見せていたそこを情けなそうに見つめると、ゆっくりズボンと下着を取りベッドの下にパサリと落とした。

いつもならここで何もしない聖眞の前で一人ショーが始まるのだが、今日は全裸になった途端聖眞が再びベッドにやってきた。
陸は戸惑い思わず前を隠してしまったが、ぺたんと座った足を大きく開かされ手を簡単に掴まれた。

「あ、あの、兄ちゃ…」

「どういう風に触られた?」

「えっ…」

「変態に」

ドクン、と心臓が反応する。
思い出さないといけないのか、あの日のことを。

「まずどこを触られた」

「………あ、あの」

急にフラッシュバックのようにあの日のことを思い出し、汗ではなく涙が溢れてきた。
降り始めた雨の匂い。あの狭い空間。密着する肌と肌。変質者の息づかい。

掴まれた腕がリアルにあの変質者の手に思えて思わず振り払ってしまう。

「あ、ごめ…」

「………ほら、早く。まずはどこ触られた?」


許しては、くれない。



涙を流し震えながら背中に手を回す。



「背中…触られた…」

「どんな風に」

「……無理矢理抱きしめられながっ…あっ」

あの日のことを思い出したくないのに思い出させられている中、急に重みを感じた。
聖眞に抱きしめられたのだ。

「えっ?え?」

「抱きしめられて、そんで背中撫でられて?」

「う、うん…」

違う。全然違う。
あいつの時はただただ気持ち悪かったのに、兄ちゃんに抱きしめられると、凄く気持ちいい。

「強さは?」

「もうちょっと…強く」

「このぐらい?」

「う、うん…」

正直、強さなんてあまり覚えていない。
だけどもっと、もっときつく抱きしめてほしい。あいつの体温や匂い全てを聖眞に置き換えて欲しい。

「それから?」

「それ…から……ベルト外されて…前…触られた」

「見られたのか」

「見られては…ないと思う…パンツの上から揉まれた」

「そう」

「あっ…あぁっ!」

また急に刺激された。
左手で陸の背中を支え包み込み、右手で柔らかくペニスを握る。

「ま、待って…やめっ」

「触られてどんなことされた」

「っ……何回か…揉んで……小さいね、って……」

「………」

「にっ…あぁっー!」

反応している陸のペニスを何度も擦り、溢れてきた液をすくっては全体に伸ばしていく。
久しぶりというのもあって、陸は簡単に反り上がり下半身が震え始めた。

「あっあっ…にっ……やめっ…そんなっ…すぐ出ちゃっ……すぐ出ちゃう」

「…あいつの時も、こんなになったのか」

「へっ……」

「あの変態の前でも、こんな顔したのか」

「してなっ…」

「それにしては反応凄すぎるんだけど」

「あぁっー!」

先端に爪を立てられ、弱い裏スジを一気に親指の腹で刺激された。
皮が動き中身が大きく見え始めると、陸はいやいやと首を振り聖眞の胸を押して抵抗した。


そんなの、兄ちゃんだからに決まってんじゃん!

わかってるくせに!


目尻に涙をためて叫ぶけれど、それは口から出ていかない。

ビクビクと太ももが痙攣しはじめ、もうイく、その寸前で指の動きが止まってしまった。

「あっ…あぁ………へ?」

抵抗はしていたものの、突然なくなった刺激にまだ脳がついてきていない。
なんで?と、自分を抱きしめる聖眞を見上げると目が合った。

「こんなことになってないんだな」

「なっ、……なってない!俺勃たなかったし!」

「本当か?」

「本当!」

完全に上を向き先走りの液が溢れているこの状況はなかなか説得力がないのだけれど、聖眞は信用したのか手を離し汚れた液をティッシュで拭き取った。

「……で、他には。これで終わりか」

「えっ……」

「………まだされたんだな」

腰が引けゴクリと生唾を飲む。
痛いほど勃ち上がった自分のペニスを隠しながら目をそらすと、再び引き寄せられた。

「何された」

「………」

「陸」

「………っ…り…」

「え?」

「…おしり……指入れられた…」

カァ、っと一気に顔が真っ赤になりベッドに前のめりに倒れ込んた。
顔を隠しているのだが、その、触られたという尻は丸見えだ。

「……何本」

「………」

「何本」

「あぁっ!!」

汗で濡れた聖眞の指が一本中に入ってきた。
いつもは入り口を撫でてからゆっくり挿入するのに、今日はやや無理矢理押し込んできた。

びっくりして思わずベッドに手をつき体を起こしたが、その反動でさらに指が奥に入り付け根まで到達した。

「んんーーっ!」

一本とはいえ、バスケをしている大きくて長い聖眞の中指が刺激する。

聖眞は自分の唾液を陸の尻に垂らし潤滑剤にすると、ぐりぐりとかき混ぜてきた。

「何本入れられたんだ」

「あっあっ…やっ…1本……1本だけ」

「本当に?」

「ほっほんとっ…!ほんとう!!そのあとすぐ怖くなって…大声だしたらあいつ…驚いて…指もそんな奥っ…入れてなっ……そんなに掻き混ぜっ…て、なっ……あぁーっ!」

タイミングを見計らって指を2本に増やすと、さらに唾液も追加し奥を刺激していく。
グチグチと卑猥な水音が部屋中に響いて、器用に動く指先が何度も陸の中で暴れ続けた。

「やだ…にいちゃ……やだ」

「なにがいやなんだ」

「兄ちゃんも……兄ちゃんのも」

もぞもぞと動き体を半分起こすと、ベッドに座る聖眞のズボンに手をかけ中身を取り出した。

嬉しい…ちょっと反応してる。

聖眞は特に抵抗することもなく、手を動かしたままじっと陸の動きを見ている。

「んっ…舐めていい?」

涙で見つめ見上げると、熱い息を聖眞のペニスにかけ震えながら声を出した。

「…あぁ」

ドクン、と聖眞のペニスがひとまわり大きくなる。

それに気付かず陸は口を大きく開け先端に唇を這わせチュウ、と音を立てながら吸い付いた。



何回見てもおっきくてかっこいい…



うっとりと聖眞のペニスを見つめながら、くびれに添ってゆっくり舌を這わせていく。

おいしそうに、何度も何度も角度を変えては吸い付く。
聖眞は舐めやすいように少し体をずらすと、必死に動く後頭部を見ながら指の動きを強めた。

「んんっ!」

だいぶ余裕になった陸のアナルをさらに拡げながら動かしていく。
反応が凄くいいわけではないが、聖眞の指が動くたびに臀部も飛びはねそれを見ているだけでおもしろい。

「……陸、自分の剥きながら擦るんだ」

「あっ…ふっ…むんっ…」

膝立ちになり下半身に空間を作ると、聖眞のペニスを舐めることはやめず言われた通り皮をめくりながら大きく擦り始めた。

「んんっんっ」

ペニスの刺激と、聖眞のものを咥えているという事実と、尻奥の刺激。

最大級の快楽の波が押し寄せてきた。

「んっんぅっ……んんっ!んっ!」


中の締め付けが強くなってきたな…そろそろイくか。


「陸…俺もイくから全部飲めよ」

「ん!んーん!んーん!!」

「ダメだ。一滴残さず飲み込め」

首を振る陸に悪魔の笑みで答える。

精液の味はまずいので飲みたくない。


しかも兄ちゃんの大きいからのど奥に当たってそのまま中に入るからイガイガして気持ち悪いんだ。


イヤだと顔を離そうとしたけれど、聖眞の左手に抑えられロックされてしまった。


苦しいいい!!


でも自分のペニスを擦る手は止まらない。

「っ……出すぞ……陸もイけよ」

「ふっ…ん!ふぅーん!!」

陸への刺激をさらに強め、低いうなり声を微かに出しながら精を吐きだした。

「っ……ふぅ…」

「うぅっー…うぇー…また飲ませたー!なんでいつも飲ませるんだよ!」


マーキング?


「おまえ声うるさいから塞いでやってんだろ」

「うっ…」

「陸もちゃんとイけたな」

「あっ…」

萎み皮も元通りになり始めた陸のペニスをピンと弾くと、腰を震わせ崩れ落ちてしまった。
必然的に聖眞に抱きつく格好となり、思わず手をついて離れようとする。

「ご、ごめっ」

「別に。このまま寝るか」

「ちょ、俺ベタベタなんだけど」

「はいおやすみ」

「待っ!シーツ変えたい!布団につく!わー!!布団被せるなー!!」

自分のベッドじゃないと思って!!

ゴロンと寝転がり勝手に枕に頭を埋める聖眞を見てだんだん腹が立ってきた。
もぞもぞと体を動かし布団の中を進んで顔を出すと、聖眞に腕枕をされた。

「ちょ」

「明日試験残ってるんだから寝かせろ」

「せめて体拭かせてよ!!」

「ダメ」

「なんで」

「このまま寝る」

「なんで!」

陸の背中に手を回し大きく息を吸い込むと、ゆっくり吐き出し寝息をたて始めた。

「くっそうっ……また母さんいない時に布団洗わないと…」

ぶつぶつ文句を言っているが、実は本気を出せば簡単にベッドから出られる。

だけどそうしないのは、この重みが大好きだから、でもある。


気のせい…だと思うけど…

寝息を立てる聖眞の顔をチラっと見ると、顔を赤くしてすぐ視線を下に戻した。


いつもなら向き合って寝ないのに
今日向き合ってるのは
背中に手を回してくれてるのは

あいつに背中に手を回されて抱きしめられたって言ったから?


あいつから兄ちゃんに上書きしてくれるため?











朝起きると、隣に聖眞はいなかった。

「………なんじ…」

時計を見ると7時を過ぎたところだ。

やば。そろそろ起きないと母さんが起こしに来る…
俺全裸じゃん…

もぞもぞとだるい体を起こして立ち上がると、下半身のだるさに気づき腰に手をあてた。

「……はぁ」

アナルを激しく弄られた次の日はいつもこうだ。
普段使わない筋肉を使うからか、怠い筋肉痛のような刺激が臀部中心に走る。


適当に脱ぎ捨てた下着とズボンをはいて下に降りると、朝食を用意している母に出くわした。


「陸おはよ…ってなにその格好。上、着ないで寝たの?風邪ひくわよ」


やべ。着るの忘れてた。


「汗かいたから風呂入る」

「じゃあ今のうちにお布団干して…」

「あああしまったパンツ忘れたー取りに行くついでに布団干すのやっとくよ」

「?そ?じゃあお願い」


やばいとりあえずファ●リーズかけまくらないと。


急いで階段を上り部屋に入ろうとした時、聖眞の部屋の扉が開いた。


「……お、おはよ…」

「おはよ。今起きたのか」

「う、うん」

「そ」

制服に着替えた聖眞からはシャンプーの匂いがする。
自分と同じ匂いのシャンプー。

なんだかカァっと顔を赤らめてしまい、それに気付いた聖眞はクスリと笑いながら陸に近づいた。



「何思い出してんの?えっちだねぇ」



低い声が、耳元で。


「っ!!!兄ちゃんだけには言われたくない!!」

バっと耳を押さえて聖眞を睨み付けると、聖眞はその表情に満足したのか妖しく笑いながら下へ降りていった。

「っ…」


ずるずると崩れて廊下に寝転がる。

冷たい床がなんだか居心地いい。


「……兄ちゃん……」












体がすっきりすると頭もすっきりするのか、今日はいつもより目の前が鮮明に思えた。
教科書の入った重たい指定鞄を肩に掛けて、部活用のスポーツバックを反対の肩にかける。

自分と同じ学ランを着た生徒と、おしゃべりをしながら歩くセーラー服の生徒を見ながらぼんやり空を見上げた。



俺って、兄ちゃんのなんなんだろう。

いや、弟なんだけど。



教室につくと春人が満面の笑みで向かってきた。なんだか今日はいつにも増して笑顔だ。

「おはよう陸!」

「おー」

素っ気ない返事にいやな顔せずニコニコと笑い返す春人。
自分の席に座った陸を見下ろしながら、もじもじと何か言いたそうに頬を赤らめている。

「え、なに。なんだよ」

明らかに話を振って欲しいという顔をしているのだが、なぜ頬を赤らめているのかわからない。
陸は教科書を机にうつしペンケースを出すと、自分の両手でもじもじと遊んでいる春人の腕を掴み強制的に終わらせた。

「もじもじやめろ」

「あ、ごめん。そ、その、昨日言ってたの…いつかなー…って」

今度は手を後ろに回しそわそわと視線を泳がせている。
そんな動きするからイジメられるんだろーが。

「春」

「なに??」

「気を付け!」

「へっ」

陸に呼ばれ嬉しそうに返事をしたが、軍隊の上司が命令するように春人に号令を出すと、お世辞にも軍人らしくない春人だがつられビシっとその場で気を付けをした。

「今度からもじもじしたら 罰金500円な」

「た、高いよ!」

「じゃあすんな」

「もじもじしたくてしてるんじゃ…」

わかっている。
クセだというのはわかっている。
しかしこのなよなよ癖を直さないと、また今日も…



「はるこちゃんは今日も女の子だね〜」



…。ほら、来た。



「は、はるこちゃんじゃないっていつも言ってるのに!はるとだって!」

「なんでセーラー服着てないの?洗ってんの?」

「飯塚。おまえいい加減春いじるのやめろよ」



飯塚宗一(いいづかそういち)。陸達と同じクラスで、春人のなよなよした動きを馬鹿にし、何かとちょっかいを出してくる。



「彼氏が怒ってるねー」

「やめてよ飯塚くん!」

「春。お前が相手するから 調子乗るんだ」

「彼氏は大人だな」

「お前よりはな。ってか仲がいいだけで彼氏とかどんだけ単純頭だよ」


相手にしない陸の態度にむっと顔を歪めると、飯塚はどうしたらいいのかわからずおろおろしている春人に向かって低く唸った。



「まじお前きもいんだよ。しゃべんなオカマ」

「っ………」



春人にしか聞こえないぐらい小さな声だったが、陸はギロリと飯塚を睨み、また飯塚も陸を睨み付けた。


春人はしゅんと肩を落とし目を閉じた。
何度も言われたことがある言葉だが、何度言われても胸に突き刺さる。


「いい勉強になるな。あんなクズみたいな人間になっちゃダメだって」

「陸ぅー」

「でももうちょっと男らしくなれ。せっかく体でかくなってきてんだから」

「うん…体が僕で、中身が陸ならすごくモテただろうね」


ちっさくねぇよ!と春人の腹に軽くパンチをすると、言ってないよと春人が笑いながらやや大げさに腹をさする。

やっと笑顔が戻った春人を見て一安心したが、飯塚のあの馬鹿にした顔を思い出しまた顔が引きつってしまう。


「周りは結構お前のことそういう奴ってわかってんのに、なんかあいつだけ未だにつっかかってくるよな」

「僕がきもいからだよ…」


肩を落とし体をくねらせる春人の背中におもいきり平手をすると、バチンという音と共に春人の大きな目がさらに大きくなった。


「なよっとしたから500円。あとネガティブ発言したからプラス500で合計1000円」

「た、高いよ!そんで痛いよ!」


春人の目の前で手のひらを向けてお金をせがむ陸。
一瞬凄い音に教室にいた生徒全員が陸達を見たが、背中をさすりながらも嬉しそうに微笑む春人を見て誰もがいつも通りだと気にしなかった。

ただ一人を覗いては。



「あいつ…」







授業が終わり部活もつい先ほど終わった。

あとは着替えて帰るだけなのだが、春人は教室に本日出た課題を忘れたことに気付き急いで戻ってきた。
陸も一緒に行くと告げたのだが、すぐだからと断り先に校門へ行ってもらう。


「えっと………あった」

机の中にあったプリントを取り出し立ち上がると、教室の大きな時計をちらりと見て走り出した。

肩に下げた鞄は日に日に窮屈になっていき、体全体が大きくなっていることを実感する。


僕、そんなに身長いらないから陸にあげたいな…。
こんなこと言うと絶対陸怒るだろうけど。


フッ、と笑って教室を出ようとした瞬間、廊下の奥から人の気配を感じた。



「おーい、はるこ」

「…はると、だよ…。なに、飯塚君。陸が待ってるから急がないと…」

「っ…………。その大谷から伝言。なんか急用できたから先に帰るって。俺が忘れ物取りに教室戻るって聞いたら伝言頼むって言われた」

「えっ…そう…なんだ」


あからさまに肩を落とし、今朝オカマと言われた時よりもショックな顔をする春人を見て、飯塚は顔を歪ませ舌打ちをした。


「お前さ、本当に大谷が好きなんだな。まじきもいんだけど」

「好きって…そりゃ僕、陸のこと凄く尊敬してるし、凄くかっこいいとは思うけど、飯塚君がよく言う恋人とかそういうんじゃ…」


怒るというより、困った表情で話す春人を見て、飯塚はさらに声を荒らげた。


「嘘だろ、お前ら付き合ってんだろ。男同士でまじきもい。お前も大谷もまじきもいんだけど!」

「ぼ、ぼくたち付き合ってないよ!それより、陸のこときもいって言わないでよ!」


顔を真っ赤にさせて、普段からボソボソと話す春人が大きな声で張り上げた。
教室にも、廊下にも人一人いない静かな空間で、春人の声が小さなこだまと一緒に流れていく。


「そ、それだけ必死になるってことは本当なんだろ!お前らきもい!!」

「僕のことはいいけど、陸の悪口は言わないで!!」



「っ…なんなんだよ陸、陸、りくって!!」



飯塚も顔を真っ赤にさせ、走って春人に近づき胸ぐらを掴んだ。

殴られる。瞬時にそう思い目をぎゅっとつぶり両肩を上げて身を縮こまらせると、カツンと何かが春人の歯に当たった。



「痛っ…」


まだ体を萎縮したままゆっくり目を開けると、自分より少し背の低い飯塚が顔を真っ赤にさせて春人を見ていた。


「えっ…」

まさか、と、口に残るナニカがぶつかった感触。

春人はそのナニカがわかってしまった。
その瞬間湯気が出るほど耳まで真っ赤にさせて、固まった状態のまま言葉を失っていた。


「大谷とばっか喋ってんじゃねーよ!!」


至近距離で怒鳴りつけると、放心状態の春人を置いて反対方向へ逃げていく飯塚。



その姿を追うことはできず春人は力尽き、廊下にぺたんと崩れ落ちてしまった。


「なっ…なに、なっ……」


手の甲を唇にあてて、さっきまであった少しジンとする感触をもう一度思い出す。

それは確かに、アレなわけで。


[ 84/121 ]

[*prev] [next#]

[novel]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -