春先のぬかるんだ空気のなか、センリは木の幹に体を預けていた。
 同班の仲間たちはセンリの前方、ゆるやかな段差部分に座り込んでいる。担当上忍は、その更に先にいた。カカシの背後には、青い空と白い雲――雑然とした街並みが広がっている。
 何やかんやありつつ一応の“対面”を果たした第七班は、屋上庭園に場所を移していた。
 屋上庭園とは言っても、木が六本植わっているだけのコンクリートジャングルである。いや、ジャングルは言い過ぎか。何にせよ灰色一色で、単に“小屋上”と呼ばれることも少なくない。寧ろ、屋上庭園と呼ぶ人間のほうが少ないのだ。何せ“庭園”らしい部位が、たった六本の木と、アーチ状の屋根(雨天の役には立たない、単なる装飾だ)しかない。景観が良いわけでも、植物が多いわけでもない、無為な空間。言ってしまえば、ぼっちアカデミー生御用達のスポットである。要するにセンリにとっては慣れ親しんだ思い出の場所だ。卒業からたった数週間で“懐かしい”も何もないが。
 カカシが「屋上庭園」などという女々しい呼び名を使ったことには幾らか驚いたが、もっと驚いたのは、この期に及んでマニュアル通り移動しようとする“やる気のなさ”である。

 初ミーティング場所が被らない様、各班の移動場所は事前に定められている。
 今日は合格者説明会以外の催しが行われる予定はないし、別にあのまま視聴覚室で話を続けても良かったはずだ。第一それぞれ別の場所に移るのだって、サバイバル演習の概要が他班に漏れないようにと、たったそれだけの理由である。疾うにセンリ達以外の班が解散してしまっている以上、場所を移すのはタイムロス以外の何物でもない。別に早く帰ったところでダンゾウの帰宅が早くなるわけでもないのだが、いつまでも、こんな凸凹チームにかかずらってる暇はなかった。暇はないってか、まあ玄米を焙じたり、ひじき煮たりするだけだから客観的には暇なんだけど。
 教え子の予定なぞどこ吹く風で、カカシは落下防止にしてはあまりに低い柵に腰かけていた。
 ここに来てから早五分が過ぎているものの、その間一言も口を利かない。一体、何が理由でぼーっとしているのだろう? 何れもたった数日で解散しているとはいえ、上忍師役も四回目。まさか初ミーティングで何をするべきか忘れたわけでもあるまい。何処までもマイペースなカカシに、センリは顔を顰めた。仮にも上忍。深慮深謀があって黙しているのだろうが、いい加減苛々する。
 ふと、センリの顰め面を見咎めたらしきカカシと目が合う。口元は口布に覆われ、左目はだらしなく斜めにズレた額当てによって隠されている。それにも拘わらず、表情豊かな男だ。センリが自分の視線に気づいたと見るや、にっこりと、嫌味っぽく目を細めて下さった。
 恐らく何か対応を間違えてしまったのだろうが、今更如何しようもない。センリはツンとそっぽを向いて、樹幹を離れた。センリなりに“これ以上の悪目立ちはごめんだ”と思ったからだ。
 

「そうだな、まずは自己紹介してもらおうか」
 センリがサクラの隣に移動すると、それを待ちかねていたかのようにカカシが切り出した。
 同期一の嫌われ者が隣に座ったことで、サクラが身を小さくする。特に何かした覚えはないのだが、センリの悪名は十二分に記憶しているらしい。まあ、同じクラスで六年間過ごしてきたのだ。その六年間で、センリは……センリは特に誰かに何かした覚えはない。特にないんだけど、気が付いたらなんか一線を引かれていた。イジメというには些か皆センリに気を遣うので、自分の言動の何かしらに恐れを抱いただろうことは間違いない。“如何でも良い”と長年にわたって根源治療を放り出していたものの、隣に座っただけでこうも恐れられると俄かに気になってくる。
 確かにセンリは周囲の人間を見下すし、必要に迫られない限りは共同作業に参加しない。でもそれはうちはサスケも同じである。合同演習での態度を見る限り、自分とサスケの行動に大した差は見受けられなかった。しかし男子の誰も、自分の脇を通過するサスケを見てヒソヒソ耳打ちしあったり、サスケが隣に座っただけで石のように固まったりしない。何故だ。性別の差か?

 うーんと考え込んでいるセンリの隣で、サクラが小さく手を挙げた。
「……どんなこと言えばいいの?」
「そりゃ好きなもの、嫌いなもの……将来の夢とか、趣味とか。まあ、そんなのだ」
 適当に答えれば良いものを、流石はくノ一クラス一番の優等生と言うべきか。
 サクラは成績は僅差で、そして男子人気ではセンリを遥かに上回る。ダンゾウ以外眼中にないセンリにとって男子人気なぞ如何でも良いが、自分より幾らか優れた人間を問答無用で見下すのも躊躇われる。メンタルがタフなセンリは、成績面で劣っていることは認めない。
 兎に角センリは、幾らかサクラを認めていた。なおセンリに認められることで発生するメリットは何もない。ヤッタネ! しかし、その、センリに認められているサクラが、何故センリを恐れるのだろう? 感謝しろとまでは言わないものの、センリに認められたことをそれなりに喜ばしく思って然るべきだ。本当に愚民の思考回路は甚だ理解出来ない。尤もセンリがサクラ相手に好意を示したことなど一度もないので、センリに認められていること自体気付いていないのだろう。センリはダンゾウ以外のものに興味がない。アカデミーの有象無象と関わる暇があれば、おじさまとセンリの愛の巣に篭っていたいのが人情だ。それ故、サクラは勿論、気に喰わないバカ共に害を為した覚えはないのだが――ナルトの屈託ない自己紹介を聞き流しながら、センリは無心に考えた。

 考えに考えを重ねて熟考した結果、「あれが理由か?」と思い当たった出来事が一件。
 そーいえば。衆人環視の中、クラスメイトに「呪い殺してやる」と凄んだことがあったっけ。
 若気の至りと言おうか、四年近く昔の懐かしき思ひ出である。あどけない幼女時代の浅慮だ。それが理由で四年近くハブにあってきた……というのは些か大げさに過ぎる気がするし、ついでに言うと相手が誰だったかも覚えていない。まあ多分、サクラではなかったと思う。多分、違う。
 大体、あのガキはセンリから罵られるだけのことをしたのだ。一度思い出すと、後から後から当時の記憶が蘇ってくる。忌々しい子ども、大嫌いだった。センリの前でダンゾウのことを批判したし、移動教室でも、組手でも、事あるごとにセンリに付き纏って、鬱陶しいったらなかった。「私たち友だちね」なんて勝手な決めつけに、「友だちの証よ」と手渡された稚拙なビーズ細工。馴れ馴れしくセンリの腕を取る手。死んだ父母への慕情を語る唇。全てが気色悪かった。押し売りの共感を受け入れることが“友情”だと言うのなら、センリは一生友だちなど要らない。
 そうだ、アレがサクラであるはずがなかった。サクラの呑気な自己紹介を聞き流しながら、センリはふと思い出した。あまりに如何でも良いことだったので、すっかり忘れていた。

 あの“裏切者”は霊化の術の本来の使い方を知った夜に、センリが殺したのだ。


 その事実を知っているものは、センリ以外にもう一人――山中フーただ一人。
 センリが幼少時から霊化の術を使えたとはいえ、それは所詮児戯の範疇。覗きに便利な術程度にしか思っていなかった。それ故、センリは随分長い間“霊体の可視化”が苦手だった。その“覗きの術”の本来の使用用途を教え、実用可能段階にまで鍛えたのは、同系統の術を扱うフーだ。
 ほんの二歳しか離れていないにも拘わらず、フーは十の頃から秘密裡に“根”に属していた。
 表向きは未だに下忍であるものの、実力だけなら並の中忍でも敵わないだろう。頭も良い。たった一つの欠点は、センリのお眼鏡に適わないことだけだ。要するに、“ダンゾウの手駒”としてとても優れていた。それがセンリには気に喰わない。センリは素直な子どもだ。少なくとも、常に素直でありたいと望んでいる。それ故、家庭教師として引き合わされて以来、フーを虐め続けている。しかし根の一員であるからして、フーには人間らしい感情の起伏は存在しない。流石に“全くの無感情”とまでは言い難いものの、センリに大した関心がないのは明らかである。
 センリにどれだけ罵倒されようと、足を踏まれようと、靴に画びょうを仕込まれようと、フーはただの一度も無表情を崩さなかった。あまりに張り合いがないので、センリのほうが折れてしまった。折れたと言っても、フーにだけわざわざアッツイお茶を出すとか、座布団の下にブーブークッションを入れるとか、フーが来る前に家の前に落とし穴を掘るとか、そういう無駄な苦労を止めただけである。正直嫌がらせのネタも尽きてきたので、真顔のフーに“もう嫌がらせしません”宣言をした時にはホッとした。その油断がいけなかったのだろうか。酷く如何でもよさそうなフーを前に、踏ん反り返ったまま「仕方がないわね。道具のくせに私とおじさまの愛の巣に足を踏み入れるばかりか私と同じ空気を吸えることを感謝しなさい」と言おうとしたら「道具のくせに私とおじさまの愛のしゅにあすゅエヘン! 要するにね、足を踏み入れるばかりか私と同じ空気を吸えることをかんっぴゃしゃふん゛え!」になってしまった。意図せずフーの笑顔を目にすることとなったが、勿論わざとである。完全無欠のセンリがあの程度の台詞で舌を噛むはずがない。果たして眼前の俗物が本当に感情を殺して事に当たっているのか試しただけで、わざと舌を噛んだのだ。いや舌なんて噛んでない。こんな美少女がキメ台詞を噛むはずがない。幻術である。幻術使えないけど。

 兎に角、諸々の事情により、一応“幼馴染”とも言うべき間柄の二人は不仲だった。
 しかし悲しいかな、例え不仲だろうとセンリの共犯足りえるのはフーしかいない。付き合いの長さと、知識量・経験値の差ゆえに、センリは度々フーに泣きついた。めちゃくちゃ悔しいけど、背に腹は代えられない。クラスメイトを憑り殺した時も、書斎の鍵を壊した時も、おじさま気に入りの茶碗を真っ二つにした時も、おじさまのタオルで勝手に下着を作った時も、大体フーが何とかしてくれた。器用な男なのである。暗殺から家事まで何でも出来るので、渋々重宝していた。
 そういうわけで、本来はダンゾウ以外に然したる関心のないフーが、ダンゾウも知らないアレコレを知っているのである。流石に「思い付きでクラスメイト殺しちった(汗)」と言った時は呆れかえっていたし、今後は自分一人の思い付きで他人を殺さないことを約束させられたけど、未だに色々と手伝ってくれる。便利な奴だ。いずれ自分の恥部を他人に漏らす前に殺さねばなるまい。


『センリちゃん可笑しいよ! 自分の両親を殺した人間が、何でそんなに好きなの!?』
 フーには散々叱られたし、サクラのビビリっぷりを目の当たりにすると「やはり何の接点もない人間で術の効果を試したほうが良かったかな」とも思う。それでも悔いはない。
 愚かなことに、当時のセンリはあの子どもにそれなりの情を抱いていた。彼女が自分に擦り寄って、共感を求めるのはセンリへの強い好意がある証拠だと思ったのだ。だからセンリは余計なことを言った。センリを否定するなら、センリはアレを殺すしかなかったのである。
 あの子どもは、センリの両親を死地に追いやったのがダンゾウだと知ってしまった。
 父親も母親も優しいひとだった。幼心にセンリは二人のことが好きだった。未だに二人のことを懐かしく思い出すこともある。でも二人は――センリの母親は、夫を見捨てれば自分一人でも我が子の下へ戻れたものをむざむざ夫に殉じた。大人たちの内緒話を盗み聞きした時も、センリは然して動揺しなかった。そういう人だと知っていたからだ。いざとなれば、自分より父を選ぶひとだと。そして父親もまた同様に、我が子よりも里のために尽くすことを尊ぶ立派な忍者だった。
 センリは決して父母を憎んでいるわけではない。でも“無邪気な良い子”を演じつづけるのはあまりに面倒くさかった。本当に、丁度良いタイミングで死んでくれたと思う。それだけだ。
 父母が何故死んだかなんてセンリにとっては如何でも良いし、知ったところで感謝の念しか湧かなかった。おじさま、センリを自由にしてくれてありがとう。でもダンゾウの精神を追い詰めるためには、自分が芯から薄情な人間だと知られるわけにはいかなかった。
 薄情な人間から愛されたところで、何故それを信頼出来るのか。知られるわけにはいかない。誰にも――自分以外の人間は、誰も信頼出来ない。誰もセンリを理解してくれない。
 あの子どもは“友だち”を騙ってセンリを裏切ったのだ。死んで当然の裏切者である。

 それに友だちごっこの間中、彼女はずっと死んだ父母を恋しがっていた。
 養父母に親しむことも出来ず、ただ父母との繋がりを求めてアカデミーに在籍し続けているような子どもだ。くノ一としての才能がないのは勿論、彼女が死んだところで悲しんでくれる人間もいない。センリと違って、その事実に耐えられそうもない子どもだった。だから殺してやった。
 センリは、悪いことをしたとは思っていない。彼女は淘汰されるべくして淘汰されたのだから。生きるということは、そういうものだ。常に何かの犠牲の上に成り立つ、残酷な刑罰。父母も、かつての“友だち”も、生の懊悩から解き放たれて随分平穏だろう。善いことをした。


「……じゃ、大トリお願いね」
 カカシの指示を受けて、センリはにっこり笑った。
「え〜と、名前は志村センリ。嫌いなものは遅刻するひとで、好きなものは他人の不幸。
 将来の夢は、大好きなひとに一生消えないようなトラウマを刻むことで〜す」
 センリの隣に座っていたサクラが思いっきり距離を空けた。くノ一クラスの都市伝説を知らないナルトとサスケも奇妙な顔でセンリを見つめている。想像通りの反応に、センリは肩を竦めた。

 どーでもいいひとを殺すほど節操なしじゃないのにな〜!
死へのはばたき
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