「センリ、下忍にもなって遅刻はよくないぞ」
 入ろうか入るまいか悩んでいると、穏やかな声で肩を叩かれる。

「イルカ先生」
「大方緊張で眠れなかったんだろうが、今日は班分けと、担当上忍との顔合わせだけ――」
「私に話を振ってるヒマがあるなら、アレ止めません?」
 サクラに胸倉を捕まれたままブンブン振り回されるナルトを指し示す。
 イルカは柔らかい微笑を浮かべたまま、固まった。ややあってから「いやあ……」と言葉を漏らす。「あれは……あれ事故なんだよな? 痴情のもつれだったらどうしようかと思って」
 教え子の、しかも特別目を掛けている少年の性的志向が気になるあまり入室出来なかったのだろう。そうでなくとも、その人の善さから生徒たちに目を掛けてきたイルカである。“天使のような”とまではいかないにしろ、常日頃から“無邪気だな”と思っていた生徒たちが惚れた腫れたで流血騒ぎになっている現場に踏み込むのは躊躇われたに違いない。サスケファンこわい。
「私は春野さんたちよりずっと子どもなので、よくわからないですけどぉ」センリは指で口元を隠し、目を細めた。「ナルトくんが如何いう性的志向を持っていようと、イルカ先生が更生させたらいいんじゃありません? 私生活でも何かと接点を持つイルカ先生の、愛のち・か・らで
 まあ本当に更生させたいなら、“愛の力”なんて曖昧なものより”法の裁き”や“同調圧力”のほうがずっと確実でしょうけどね。少なくともセンリなら、そうする。誰にとは言わないが――困ったことに、何も言っていないにも拘わらず当人の危機意識が強すぎて付け入る隙が見つからない。愛するおじさまにあまり姑息な手段は使いたくないけれど、やっぱり薬を盛るべきかしら……?
 自分と違って性的志向の如何に悩まされ慣れていないイルカを置き去りに、センリは視聴覚室に滑り込んだ。尤もイルカもその内気付くだろう、予定開始時刻を一分もオーバーしていることに。

 すぐ脇の廊下にイルカ先生が控えているとも知らず、室内は喧騒に満ちている。
 一応春野サクラfeat.女子連合によるリンチは終わったらしいが、元々センリたち世代は如何なる時も騒がしい。第三次忍界大戦が終わってから十三年。そして早期卒業制度が失われてからも随分経つ。忍者アカデミーという箱庭のなかで、大人たちの願望を一身に受けて育った子どもたちは忍者にあるまじき屈託のなさを誇る。そして、その“屈託のなさ”はセンリも例外ではない。
 尤もセンリは、自分たち世代が温室育ちである自覚があったし、同時に“皆とは違う”と、漠然とそう思っていた。ダンゾウが大戦を知らない世代について度々嘆息していることを、センリは知っている。彼女が“年相応”の同期をバカにする理由は、それだけで十分だった。

 センリは視聴覚室の、教壇から見て左端最後方の席を押さえた。
 同じ班になることが分かっている三人が固まって座っていようと、無論センリには関係ない。というか、くノ一クラスでも一二を争う美少女を間に早くも愛憎関係を築くホモに近づきたくなかった。センリはフンと高慢に鼻を鳴らしてから、室内の“お子ちゃまたち”を見渡した。
 霊化散歩を用いた情報収集をライフワークとしているセンリは、ダンゾウというツテに拘わらず情報通だ。卒業試験の後に担当上忍によるふるい落としがあることも、疾うに知っている。
 室内には、センリを含めて二十八人の下忍(仮)たち。通常の班構成はスリーマンセルが基本とされるが、三で割り切れない場合はフォーマンセルおよびツーマンセルの班が一つ出来る。今回は一人多いだけだから、フォーマンセルか。恐らく自分たちの班が四人編成になるのだろうと、センリはそう予想していた。流石に“うちはの生き残り”と“九尾の子ども”、そしてセンリ――何かときな臭い噂の絶えない男の養子のみで編成するのは、いざという時の抑止力に欠ける。
 本来なら三人一緒にするべきでないと思うのだが、“腐った林檎を分散させても得はない”と思ったのだろう。そもそもセンリが彼らと一緒になるのは、ダンゾウの意見を封殺するための措置と見做すのが自然だ。そんなにナルトを下忍にしたくない、里の外に出したら危険だと思うなら、お前ご自慢の“根”だけでなく、センリも使って監視でも何でもしろということだろう。その対応を、ダンゾウを黙らすための方便と見るか、もしくはそれだけナルトに信頼を置いているのか――どの道ダンゾウにとっては面白くないに違いない。理由を明らかにせず内々に処分するなら、班単位で行うべきだ。それ故ナルトとサスケを分けた場合、二班六人の人材が失われる可能性があった。だったら寧ろ一つ所に纏めて、担当上忍の御しやすい下忍を付けておくのが無難である。
 男女比と成績を踏まえて考えると、最後の一人が春野サクラだろうことが推測できた。
 尤もあの大立ち回りを見た後なら、三代目たちもまた組み合わせを考えたに違いない。大人たちの浅慮により混沌班が産み出されてしまったものの、最早どうしようもなかった。イルカ先生だって三代目に「ナルトとサスケが路上キス、サクラが怒り心頭でヤバイ。ジャーマンスープレックスとかぶちかましてる」とか報告するのは嫌だろうし、報告を受けたところで三代目も「え、何それ? よくわかんない」ってなるに違いない。今年度の上忍師が誰かまでは分からないが、自分たちの班を担当する上忍は不憫である。まだ説明会も始まっていないのに死に体を晒しているナルト、スカした態度を見せるアンポンタン、アンポンタンに夢中なサクラ。おじさま以外に関心のないセンリではあるが、視聴覚室の中央に渦巻く混沌を見るにつけため息が漏れる。
 センリだったら、喩え里抜けしてでも自分たちの上忍師役など引き受けたくない。

「はい、静かにする。とっくに開始時刻過ぎてるだろう。いつまで騒いでるつもりだー?」
 まだ見ぬ担当上忍を憐れんでいると、イルカがバインダー片手に尤もらしい顔で入ってきた。
 ようやっと気持ちの整理がついたらしい。教え子のキスシーンに怯んで入室を躊躇っていたくせに、「お前らが静かになるまで十分待ったぞ」とか偉そうなことを言っている。
 未だにピクピクと痙攣するナルトを置き去りに、イルカは今日の予定について説明しはじめた。
 センリにとって、特に目新しい情報はない。事前に通知された進行表のお浚いと、有り触れた導入と鼓舞。班分けまで、暇を持て余しそうだ。班分け発表だって、自分の憶測がどこまで正しいか確かめる以上の関心はない。センリは自分と同班になるだろう三人に視線をやった。

『幾らか荷が重いかもしらんが、ワシの期待を裏切ってくれるなよ』
 サスケは兎も角、センリがナルトの監視を任されるのにはそれなりの理由があった。
 センリはチャクラコントロールを得手としている。それ故に幼い頃から霊化の術に慣れ親しみ、長じてからは封印術を覚え込まされた。それも“四象封印”を中心とした――故うずまきクシナ、ナルトの母親が得意としてきたものばかりを。当然その完成度は上忍だった彼女と比べるべくもない。しかし、その仕組みを理解し、発動することが出来るなら、後は問題ない。センリが対象に四象封印を施すまでもなく、既に幾重にも丁寧に封印されているからだ。指刻封印はマスターしていた。他人の施した封印術を改竄するだけなら、まだ未熟なセンリでも出来る。
 露骨に言葉にすることはないとはいえ、ダンゾウが何のために封印術を教えたかは明らかだった。“いざという時はナルトの精神を乗っ取って、その中の九尾諸共死ね”ということだ。
 養父からの残酷な期待を、センリは如何とも思わない。“あらまあ、おじさまったら”程度だ。
 確かに、他人からは“残酷なもの”として捉えられるだろう。しかしセンリにとってはただダンゾウにとっての自分がどれだけ重要か、身に染みて理解させられるだけのこと。やっぱり、おじさまには私が必要なのね――その事実以上に、センリの自意識を満たすものはない。

 センリは我儘で、自分勝手で、高慢ちきな普通の子どもである。
 数々の変態行為に呆れ返ろうと、ダンゾウは決してセンリを手離さない。センリには、そういう自信がある。養父の手札で、“ジョーカー”たる存在は自分だけだからだ。
 成績優秀とはいえ、勿論“根”で英才教育を受けた子らには適わない。増して、手裏剣やクナイを用いた近距離戦闘についてしか教えないアカデミーでは、センリは過小評価される。ダンゾウの養子ということで多少なり警戒されるものの、それでも屈託なく養父を慕うセンリに間諜役が務まると思う人間は乏しい。そしてヒルゼンもイルカも、ダンゾウ以外は誰も、センリが封印術に詳しいとは知らない。それで良い。封印術と霊化の術抜きでも、センリは十分平均以上のくノ一だ。
 センリは、“根”の、自分で考える頭を持たない道具たちとは違う。里のために死ぬ気は毛頭ないが、ダンゾウがセンリの好意に胡坐を掻くなら死んでやっても良い。
 それまでは、ダンゾウの屋敷に自分の痕跡を残せるだけ残すとしよう。
 自分の為に死んだ子どもがいたと、あの人が何百回でも、何千回でも苦痛に苛まれることを祈って、子どもらしく振る舞うのだ。昔のことなぞ思い出せないぐらい、沢山傷つけるために。

 かわいそうなおじさま。一班から順に読み上げるイルカの声を意識の端に、センリは思った。
 ダンゾウは喜怒哀楽に乏しい。その人生において繰り返し無力感と諦念に苛まれたのがよく分かる、落ち着いた物腰の、じき初老に差し掛かろうかという中年である。年を重ねただけ知恵と技術はうつくしく磨かれているが、既に前線に立つのは荷が重い。妻も子もなく、この世の春を知らないまま朽ちようとする不憫な男と言ってよい。若い頃は少なからず女性に好意を寄せられただろうが、今となっては異性として意識されることも稀である。到底センリのような若い娘が熱を上げる存在ではない。しかし、それがセンリの全てだった。単なる錯覚ではない。父母がまだ存命の頃からずっと、センリはこの男を気に掛けてきた。だから、色んなことを知っている。
 かわいそうなおじさま。二代目さまのことも、三代目さまのことも、幼い頃に夢見たものも、何もかも、おじさまが焦がれた光を全部束ねたより深く抉ってあげる。

 死んだ人の答えを待つより、愛で壊されるほうがずっと良いでしょう?


「じゃ、次は七班。春野サクラ、うずまきナルト、志村センリ――それと、うちはサスケ」
 ほらね、予想通り。センリはため息と共に、中央の混沌トリオから目を逸らした。
あなたは私の可愛い人形
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