乱文倉庫
「そのまま突っ込むと、轢かれると思うけど」
 思いがけず降ってきた言葉に、きよらは“ぷあ”と、オシロイバナのラッパを鳴らした。不意の天啓を受けて、白と黒のだんだら模様の前で足を止める。目の前に敷かれた横断歩道の先には緑が示されていて、停止線で待つ車もいない。危険見えない。声の主を探して視線を泳がせた刹那、きよらの髪が轟音と共に素早く靡いた。

 エンジン音と、金属製の体躯が切り出した突風に煽られる形で、きよらはすぐ脇の電柱にもたれるようにして縋った。
 乱れた風圧が多少収まってから横を向くと、自分を轢き損ねた車体が猛スピードで遠のいていくのが見えた。
 ガッチリとしたフルフェイスのヘルメットに、黒い革や鉄、銀色のパイプで無機質に纏められたボディ――如何にも男性的に骨ばった背を丸めて、ハンドルに覆いかぶさっている。”単車乗り”然としたバイクが眼前を抜けていくのは、中々珍しい。三門市郊外ならまだしも、役場や交番の多い中核部――それも朝夕と小学生の群れがひしめく道でバイクを飛ばしたところで自分の人生を棒に振るだけだろうに、何か急用があったのだろうか? まあ、きよらの知ったことではない。自分を轢き損なったバイクが、交通法を遵守していないことも如何でも良い。バイクの行ったほうを見てはいたものの、きよらは何も考えていなかった。生まれつき無駄なことは考えない性質なのだ。何か急く理由があったにせよ、学校付近では慎重に走り、赤信号では停止するべきだろう。身勝手に走るバイクを避けて、色とりどりの乗用車や、デリバリーピザの赤いマークを背負った原付、スクーターがキューッと、コンクリートとタイヤの摩耗する音をたてて脇に停まる。その一部始終を、きよらは漫然と眺めていた。
 ふと思い出して口元に手をやる。さっきまで口に咥えて遊んでいたオシロイバナはバイクが横ぎった際に飛ばされてしまっていたが、別段口寂しいわけではない。

「ケーサツもさ、来るの遅いんだよ。もう行っちゃうじゃん」
 恨みがましい声が降ってきたことで、きよらはようやっと忘我の境地から抜け出した。
 きよらは細い喉を逸らして、歩道橋を見あげる。自分を見下ろす人影を見とがめると同時、肩に背負っていたランドセルがずり落ちた。頑丈な肩紐が、二の腕にきしきしと食い込んで痛い。きよらは折角上げた視線を俯けて、ランドセルを地面に下した。もたもたとした動作でランドセルを背負いなおそうとする。
 昔ながらの製法で作られた良い品だか何だか知らないけれど、きよらのランドセルは周囲の子らと比べてずっと重く、ランドセルのみで1.5キロある。教科書・筆箱を足せば、楽々2キロを超える重量を誇っていた。クラスメイトから“ランドセルに背負われてるみたいだ”とまで言われた一年の頃に比べればずっとマシだが、それでも十歳の少女に2キロは重すぎる。
 ランドセルに手をついて、ふーと一息つく。少し休んでから、きよらは汗ばんだ額に張り付いた前髪をよけて、ぐっと肩紐を掴んだ。よいしょと勢いよく持ち上げて、背負う。背負った拍子にフラつく。如何考えても、きよらにはもっと軽いランドセルが必要なはずなのに、彼女の両親はそうは思わないらしい。
 きよらがバイクに轢かれかけてからランドセルを背負いなおすまでの間、見るからに要領の悪い幼馴染を眺めていた菊地原は、歩道橋の欄干にもたれたままため息をついた。

 菊地原の呆れも知らず、ふうふうと疲弊を漏らし終えたきよらが再び歩道橋を見上げる。
「……しろーくん」もっそりと、命の恩人の名前を呼んで小首を傾げた。「ありがとう……?」
 要領が悪い上に頭も悪い。何の取り得もない――少なくとも、菊地原にとっては――幼馴染の疑問を耳にして、菊地原はむっつりときよらを睨みつけた。不満を込めて睨み付けてくる瞳は白目が多い。つめたい印象を与える目つきとは異なり、菊地原はごく普通の子どもだ。菊地原は決して“万人に優しい”子どもではなかった。
「疑問形なの? 馬鹿じゃないの? ぼくがいなかったら、多分轢かれてたと思うんだけど」
 ま、それはそれでアホが二匹いなくなるからそっちのが良かったかもだけど。
 冷淡な軽口をこぼすと、菊地原は階段を下った。電柱に寄り掛かって、ランドセルの重さを分散させようとしているきよらの隣に並んだ。何か思い出したのか、それともきよらのアホ面が気に障ったのか、これ見よがしにため息を吐く。ため息も、暴言も、きよらは気にしない。何せ自分と一緒にいて、一時間だって菊地原がため息をつかずにいれたことなど一度もないのだ。その図太さを察したのか、ちょっと間を置いてから二度目のため息。
「またなんかアホなこと考えてたの」
 左右確認もせずに信号を渡る菊地原の背を追って、きよらも一歩踏み出そうと「さっき轢かれかけたくせに、左右確認しないとか馬鹿なの?」踏み出そうとした途端に、菊地原の肩越しに鋭い一瞥が送られた。
 慌てて左右を確認して、自分を待とうとしない菊地原の隣に駆けていく。
「し、ろーくんが、しなかったから大丈夫だと思って」
「ぼくはいーんだよ」呆れ切った声だ。「きよらより頭いーし、きよらバカだし……轢かれかけんの何度目なわけ」
 ついさっき渡った道路を、パトカーが横ぎっていった。法定速度を守りながら、先ほどのバイクが消えた方向に走っていく。パトカーを見つめるきよらに、菊地原が鼻で笑ってみせる。
「ほんと来るの遅いんだから。夜だって、暴走族が行ってから十何分も後をトロトロ、サイレンだけ回して走っててさ。あんなんで捕まえられるわけないじゃん。暴走族もパトカーも五月蠅いんだよね」
 ぱちりと、きよらは目を瞬かせた。

 家のなかでテレビを見る。絵本を捲る。お風呂に入る。ベッドに横たわる。
 父親は海外に単身赴任していて、外向的な母親は深夜遅くまで家に帰ってこない。誰もおらず、静まり返っている家の中にいてさえ、きよらには家の前を通る車の音もよくよく聞こえないのが常だ。それでも暴走族が近くを走っていれば分かるはずだった。きよらの知る限り、この近辺を走る暴走族はいない。それに、幾ら危険運転をしている車両があったとしても、それでパトカーが来るかなんて、通報した当人にしか分からない。
 しろーくんは聞こえるはずのない騒音にブチブチ文句を言う。パトカーがこっちに向かっていることも、知っていた。なんで? 噤んだままの口の中で、問いを転がす。しろーくんだから。聞くまでもないことだ。

 暴走族にケーサツにバイクにヤマハにカワサキにトヨタに……とめどなく不満を垂れる菊地原の横顔に手を伸ばす。横顔をすっかり覆う色素の薄い髪をよけて、耳殻に触れた。日に晒されず、白い皮膚を撫でる。
「……なに?」
「なんとなく?」
「うっとーしーんだけど」
 刺々しい言葉を漏らしながらも、菊地原はきよらの手を払いのけようとはしない。

 きよらは、菊地原の聴覚が人並み外れて良いことを知っている。
 その耳の良さが“単に良い”を越えて、常人離れしていることも知っている。どの程度遠くの音が聞こえるのかも、どんな風に頭に響くのかも知っている。きよらにとって菊地原の警戒心の強さも、様々なものに辟易しないではいられないのも、何ら可笑しいことではなかった。菊地原はきよらが耳にする音や声、その何倍もの情報を得て暮らしている。その情報を整理するために、菊地原の脳には膨大な負荷がかかるだろう。普通の子どもなら知らないでいられる大人の事情や嘘、心無い暴言に感情が削られていくだろう。それで弱音を吐くでもなく、菊地原は自分自身の特異体質とキッチリ付き合っている。
 ただ菊地原自身は自分の耳の良さを疎ましく思ってもいるようだった。耳栓も大して意味がないし、何か聞こえるとそちらに意識が向いて集中できないと、事あるごとにクサクサしている。
 何か聞きたくないことが耳に入ったのか、もしくは虫の居所が悪いのか、きよら相手にブツクサと不平不満を漏らす。両親に言うまでもないが、友達に話せば変人扱いされる。菊地原の特異体質を理解して、その異端を心から肯定しているのはきよらだけだった。きよらが幼く、所詮他人事だからということもあるが、何よりは菊地原の耳の良さが彼にもたらす懊悩を愛していた。幼いころ、動物園で抱いた子ウサギを慈しむように。

 きよらは、多くのものに倦んで愚痴っぽい幼馴染のことを好いていた。
 いや、正確には“幼馴染と自身の飼い犬のことしか好いていなかった”と言うべきだろうか。

「ていうか、急いだ方が良いんじゃないの。もう四時半過ぎなんだけど」
 あと二回曲がれば二人の家がある通りに出るというところで、菊地原が不意に呟いた。ふと思い出したという風を気取っていたが、ずっと気にしていたのだろうことは明白だった。
「……レッスンサボると、またモンペが騒ぐよ」
 モンペとは、きよらの母親のことだ。
 きよらは菊地原の暴言を否定するでもなく苦笑した。つい一昨日まで逐一「モンペじゃないもん」と否定していたのに。単に訂正するのに疲れたとか、飽きたわけでないのだろうことは、菊地原にもわかった。

 物心つく前から、きよらはバレエを習っている。
 母親から強制的に習わされている形ではあるが、向いていたのか結果も残している。昨年末には自身の所属するバレエ研究所の公演でクララに選ばれた。菊地原から「ランドセル一つに振り回されてて、大丈夫なの」と散々コケにされた通り、二幕後半は所々でマイムを忘れる始末だった。母親からも叱られたし、先生たちは「まあ仕方ない」と言ってはくれたものの配役ミスを痛感しているのは明らかだ。きよらにはよく分からなかったけれど、公演を観に来た菊地原の顔を見る限り保護者たちからも酷く馬鹿にされたのだろう。元々“鈴原先生の娘だからと贔屓されてる”と、同じ教室の子からハブられていたものの、公演後はそれが悪化した。講師の目がないとみるや、きよらの目の前で堂々と馬鹿にしてくる。きよらの頭が悪いとか、顔が老けてるとか、可愛げがない、友達がいない、大人に媚びを売るのが上手い――この子たちは、如何してそんなに自分のことが気になるのだろうと不思議で仕方がない。きよらより頭が良くて、可愛くて、年相応に無邪気で友達がいっぱいいて、大人の前でも自然体でいられるのだから、別に格下のきよらを気にする必要はないのではなかろうか。きよらは同じバレエ教室に通う子たちの顔もよくよく覚えていない。他人に興味がないし、自分を悪く思っている相手の顔を覚える義理もない。名前を覚えなくても、愛想を振りまくことは出来る。顔を合わせたら「おはよう」と言い、一緒に組むことになったら「よろしくね」と笑って、帰るときには「またね」と手を振れば良い。きよらの、そうした機械的な反応も相手の神経を逆なでしていた。
 コンクールでは何度も入賞している。母親の言うとおり、きよらにはバレエの才能がある。同年代の子らのなかでは一番上手に踊れる。中学生のお姉さんだって、きよらより下手な人は山といる。きよらより年上でも、公演に出させてもらえない人も少なくない。きよらはたった十歳でクララの役を貰った上に、それを踊りきれなかった。きよらがクララを踊らせてくれと頼んだわけでもないのに、クララを踊ったと妬まれる。母親の七光りがコンクールにまで影響するはずがないのに、同い年の子らばかりか年上からも“実力もないくせに調子に乗ってる”と馬鹿にされる。依怙贔屓で役を貰った上に踊りきることも出来ないなんてブザマだよねと、哂われる。
 五年生になって、バレエ教室でも一つ上のクラスに上がることになった。これまですれ違いざまに罵倒してくるだけだった一つ年上の子たちと同じクラス。一昨日のレッスンを終えてロッカーを開けたら、鞄のなかがグチャグチャになっていた。別に、それは大したことではない。きよらの大切なものはほんの一握りだし、それ以外は何もかもが如何でもいい。でも“事態が悪化しつつあるのは、自分がダンマリを決め込んでいるからだ”とは理解した。黙っているからもっとやっても良いと思われるし、動揺する素振りがなくて生意気だと相手の不興を買う。
 このままボンヤリ生きているのは、自分のためにも、あの子たちのためにも得策ではないと、そう思った。

 今だけよと、母親はきよらの肩に手を置く。今年の公演でしっかり踊りきれば、皆黙るわ。
 やめなよと、菊地原が吐き捨てる。バレエなんかより、河原で鯉捕まえてるほうが、おまえらしいよ。

 夏が近い。
 路肩のくぼみに夜の雨が残っている。石垣からせり出した枝が青々と茂っている。

「しろーくん」
 気だるげに首をかしげたままのきよらが呟く。
 目を細めて斜め下を見つめたままの表情は十歳とは思えないほど大人びて、艶っぽい。ぐったりと長い四肢を持て余し気味に生きている幼馴染。きよらは人目を引く存在だ。才能もある。その才能は多分、バレエの才能などではなく、視野の狭さなのだと思う。誰の気を惹きたいのか、そのために何をすればいいのか、きよらの頭のなかにはその二つしかない。好きな人以外は如何でも良いと思っているからこそ、その一途さに劣等感を煽られた人間から過剰に妬まれるし、その一途さに才能を感じ取った人間から過剰に期待される。
 きよらは自分が傲慢だとは思っていない。もっと言えば、傲慢の意味も分かってないだろう。一人娘で可愛がられてきたから、この世界に手に入らないものはないと無自覚に奢っている。他人に媚びを振りまく必要もないと思っている。きよらには、菊地原以外の“人間”の友達がいない。この傲慢な幼馴染と付き合っていられるのは、きよらが菊地原を好いてくれているからだ。面倒くさいことに、きよらの母親はそれを面白く思っていない。
 別に菊地原は、明日にでもきよらが心変わりしたところで、まるで困らない。

「今日ね、バレエないの」
「あっそ」
 いつも通りの緩慢な交通量が信号に合わせて流れていく。チリチリと横柄な自転車のベルが二人を脇へどかす。その音にかぶせるようにして、菊地原以外には聞こえない、乏しい声量で呟いた。
「もう、ずっとないの」
 きよらが申し訳なさそうに眉をよせる。


『きよらちゃんは菊地原くんと一緒が良いって言うけど、菊地原くんなんか頭いいんだから、頭のいい学校行って、頭のいい友達いっぱい作って、何にも出来ないきよらちゃんのことなんて忘れちゃうのよ』
 母親は人並み外れて残酷なわけではない。きよらを愛しているし、大事にしている。ただ自分と同じで、きよらもバレエでしか生きていくことが出来ないと信じ込んでいるだけだ。頭が悪くて要領も悪くてぼーっとしていて、飼い犬と菊地原のほかには友達がいない。犬は学校につれていけないし、菊地原とは学年以前に学校も違う。通信簿では「もう少し積極的にクラスメートのみんなとお喋りしましょう」と書かれている。きよらの母親は、人権的な担任教師の熱心さで何度も学校に呼び出されては、きよらの家庭になにか問題があるのではないか、教師の目がないところで苛められているのではないかと話し合いを強いられる。きよらが一人でいるのは、何のことはない、単に自分と菊地原と飼い犬以外が有象無象に過ぎないからだ。母親と一緒にいてさえ、きよらからは滅多に喋ることがない。学校生活をネタに苛められることはあるが、クラスメートたちはきよらを無害な生き物として放っておいてくれる。皆がみんなクラスメートのように、きよらに無関心で居てくれれば楽なのに、大人たちはきよらのなかに異端を見出して、才能があると言ったり、SOSを発しているとか、異常だといって騒ぎ立てる。きよら周辺の姦しさを、当人以上に菊地原が嫌っていた。菊地原に言わせればきよらの母親は身勝手だし、担任教師はお節介で、バレエ教室の講師たちは無責任にも程があるとのことだった。

 同い年の奴らに同調して、ハイハイ言ってればいいんだよ。そんなことも出来ないから、要領が悪いって馬鹿にされるんでしょ。何事にも淡泊な菊地原が、不快そうに言い捨てる。その、嫌悪を湛えて細められた瞳に、本当の自分が映っているような気がした。むかしから、きよらは自分が何を考えているのかよく分からなかった。それは担任教師が言うようなSOSでもなく、祖母の口にする“発達障害”という言葉とも無縁で、ましてバレエ教室の大人たちが期待するような“才能”の片りんでもなく、単にきよらの個性の一つに過ぎない。
 子供の頃からきよらは一人ぼっちで居ることが多かった。父方の祖母はきよらに無駄口を利かせたがらなかった。ただバレエの練習をすることだけが求められていた。
 この世界は雑音であふれかえっていて、その音の一つ一つに膨大な量の感情がこめられている。他人と関わるためにはその一音一音を咀嚼し、律儀に反応することが強いられる。きよらには、それが苦痛で堪らない。その苦痛をSOSと断じられたり、優劣で量られ、一喜一憂の種にされるのも更なる苦痛を呼ぶ。その苦痛こそが、きよらと菊地原に唯一共通していたものだった。きよらの感受性は脆すぎたし、菊地原の耳は雑音を集めすぎていた。
 それでも菊地原は上手くやっているほうだ。

 きよらの甘えた根性に苛立つことは山とある。バレエ教室でのイジメなんか、きよらがきっぱり「やめて」と口に出せばすぐウヤムヤになるはずだった。担任教師とのことだって、学校で適当な友達を二、三人作ればすぐに解決する。祖母と折り合いが良くないことなんて、それこそ親に言って、家に来ないようにして貰えば良い。何もかも自分の力で解決しようともせずグズグズしていて、辛くなると、すぐ菊地原に泣いて縋る。それで菊地原がアドバイスしても、でも…と口ごもって動こうとしない。周囲の人間は余計なことまでペラペラ喋って鬱陶しいのに、きよらときたら自分に必要な言葉を口にすることも出来ない。頼まれれば「はい」と言うし、期待されれば「がんばります」と請け負う馬鹿な奴。小さい頃からずっと飼い犬が友達で、遊び相手で、子守り役を務めてきてくれたから、他人とコミュニケーションを取る必要性を感じないままに生きてきた。相手の言葉を否定しなければ良いのだと、そう信じ込んでいる。
 要領が悪くて、いつまで経っても飼い犬と菊地原に頼りきりの甘ったれ。でも、やたらに口が回る奴よりずっと、きよらのほうが信頼出来た。きよらは嘘をつかないし、偏見で物事を語らない。いつまでもずっと黙って、菊地原の隣にいてくれる。馬鹿だから、菊地原の特異体質を「シロといっしょ」と言って笑う。
 きよらのほうこそ、犬と一緒だ。きよらの中には何もない。きよらのことは好きじゃない。でも、きよらを取り巻くものはもっと好きじゃない。何もわからないバカなきよらに自分の欲を押し付けてる様を目にすると、吐き気がする。

「何で泣いてんの」
「きよらと、一緒にいてね」
 はたはたと、春雨のような涙できよらが泣く。嗚咽ひとつない、静かな泣き方は菊地原の耳障りにならないようにだ。小さい声で菊地原を呼ぶ。菊地原が視線をやるだけで、気付いてもらえたのが嬉しくて堪らないという笑みを浮かべる。しろーくん。頭の悪そうな呼び方。悪そうっていうか、頭悪いんだけど。

「ずっと、一緒にいて」
 頭悪いし、要領も悪いし、うっとうしいし、ばかだけど、ずっとしろーくんと一緒にいたい。


「ランドセル置いたら、神社行こ。シロ連れてきなよ」

「どうせ暇なんでしょ、ずっと」

 触れるだけで、自分の気持ちのすべてが伝わると思っていた。
 自分と同じように、この幼馴染も『他人の言葉なんて信用するに足るものではない』と感じているのだと思っていた。嘘をついても無駄だと思っていたから、本当のことしか言わなかった。
 嘘をついても、きっとすぐに見透かされると信じていた。

 そうでなければ――自分の手を命綱と信じて縋る幼馴染に、あんな酷いことを言えたはずがない。

ムオンノクニ//0


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