乱文倉庫
「スナイパー、戻ったって聞いた」
 菊地原が、ぼそっと呟いた。

「うん」

「戻った。辞めない。あんたには、」

「……私が自分で決めたことだから、辞めない」

「あっそ。好きにしたら」


「死ねなんて、そんな風に思ったこと一度もないから」

「あ、の――あのね!」
 菊地原は、慌てて振り向いた。
 視界の先で、きよらが泣きそうな顔で菊地原を見つめている。

「……ボーダー入った時、」
「うん」
「あんたなんかと知り合いだと思われたくないから、話しかけないでって言ったの、嘘だから」
 嘘だから。ぜんぶ嘘だから。繰り返し告白するきよらに、菊地原はきりっと唇を噛んだ。
 菊地原には、強化聴覚のSEがある。心音から嘘と真を見分けることも出来るし、そうでなくとも、馬鹿な幼馴染の言うぐらい、耳が聞こえなくたって分かる。全部嘘だなんて、最初から知ってた。知ってたけど、菊地原はきよらを徹底して無視した。すれ違う度にきよらがドキドキして、菊地原を意識しているのも、何もかも分かってた。
 何のための嘘で、何のための拒絶なのか、単におまえが僕を嫌いになったわけじゃないなんてこと、最初から全部分かってた。そうと分かってて、僕は“その先”を考えることを放棄した。

『最初からおまえみたいな役立たず、迷惑だったんだよ』
 滅茶苦茶に傷つけて、罵って、否定すれば、二度と近寄ってこないと思った。
 それなのに、この馬鹿は愚かを極められるだけ極めていて、度し難い愚かさ故にボーダーに入隊してきた。


「奈良坂先輩と、」
 菊地原は引きつった喉を震わせて、無理に声を絞り出した。

 奈良坂先輩と……あの生真面目な先輩と上手くやれるの? 今のおまえが、昔の、僕に縋って無邪気に笑ってた頃のおまえならまだしも、何もかも信頼できない今のおまえが、自分で「奈良坂先輩ともう一度やり直す」って決めたの?

 話しかけないでって言ったのは嘘。彼氏と一緒にいても、おまえは全くドキドキしてなかった。僕の存在に気付いて、これ見よがしに彼氏と腕を組んで、明るい笑顔を作った時、怖いぐらいに心音が激しくなったのを覚えている。それからすぐ彼氏の姿を見ないようになって、ボーダーに入った。おまえは、きよらは子供のころからちっとも変わらない。馬鹿みたいに僕のことを意識して、僕のことを追いかけて、ただ縋ることだけ拒んでる。僕以外の誰にも縋れない。誰のことも信頼できない。
 僕のせいで、どれだけ傷ついて、傷つけられてきたのかまだ分かってないの。あれだけおまえにモンペのことなんて気にするだけ無駄とか言いながら、僕はおまえの親の言うままにおまえを突き放したのに、きっとおまえなら、ごめんねごめんねって泣いて、どんなに突き放しても縋ってくると過信していたのに、おまえはそれでも、それからも僕のことを嫌いになりきれなかった。僕よりずっと優しい奴も、面倒見のいい奴も山といるのに、奈良坂先輩なんてその筆頭みたいなものなのに、まだ僕の前でドキドキしている。

 たった一言、嘘だったよと言えば良い。

 そうしたらきよらは過去のしがらみから解放される。
 役立たずだなんて、思ってない。本当に嫌いだったら、四年もずっと一緒に居れたわけがない。SEのことだって、何だって、風間さんに会うまでの間、僕が何もかも打ち明けられるのはおまえ一人だったのに、何でも打ち明けてきたのに、嫌いだなんて思ってるはずがない。

 でも、多分、それを知ったら、おまえは僕のことを忘れる。
 木虎や緑川や古寺、奈良坂先輩にあっさり気を許すようになって、縋るようになって、信頼するようになる。それが嫌で、僕は口を閉ざす。

 この幼馴染を前にすると、なんでずっと十歳のままでいてくれないんだろうと思うことがある。
 一つずつ年をとって、子供から少女になって、僕以外の奴と寄り添うための人生を歩き出す。四年前に疎遠になってしまった元幼馴染。自分の自尊心を踏みにじった、懐かしい遊び相手。うそだったよと口にすれば、もう僕はきよらのなかで思い出になるだろう。つるんでる仲間も、学校も、性別も違う他人。
 僕はおまえのいない人生を選んだ。でも、おまえに僕のいない人生を生きて欲しくない。それが痛みによるものでも、いつまでも十歳のまま、あの頃から歩き出せなければ良いのにと思う。
 四年の間、孤独のなかでおまえが必死に追い求めてきた奴は、そういう奴なんだと教えてやりたい。おまえは本当に馬鹿なやつだ。僕はたった一度だって、おまえのことを“好きじゃない”と思ったことはなかったのに。

「……何?」
 きよらが、恐々と続きを催促する。
「別に」その声に我に返って、菊地原は平然と頭を振った。「……何でもない」

「もう暗いんだから、帰ったら。これからまた走り込み行くんでしょ」
「あ、」「うん」

「じゃ」




『……ちょっとぐらい、声出してもうるさくないから』
 はたはたと泣く幼馴染に、菊地原はため息をついた。
『なんかあったの?』
『ころんだの』
 確かに腕には擦り傷があったが、白くかすれているだけでそう痛そうには思えない。それに、野生児の気があるきよらにとってそんな傷はしょっちゅうのはずだった。多分、何かあったんだろう。
 きよらは何も悪いことをしていないはずなのに、きよらが泣くに足る理由はあまりに多すぎる。

 きよらの瞳ははたはたと、春の雨のようなやさしさで涙をこぼし続ける。飼い主の涙に慣れている犬が、静かに寄り添う。無音のなかで泣く幼馴染の頭を抱え込んで、戸の隙間から覗く空を見上げた。
 この世界には、きよらを損なうものが多すぎて、自分なしには、この幼馴染は涙をこぼすことも笑うこともない。それが重荷でなかったと言えばウソになる。
 でも、菊地原はその重さが――


 あの無音の国のなかで、きよらに抱いていた気持ちを思い返すと無性に胸が苦しくなる。
 他人の悪意が理解出来ない馬鹿な奴。出会ってから僕が突き放すまで、僕の好意を信じて疑うこともなかった。その、馬鹿みたいな一途さが心地よかった。自分の手によってしか生きていけないと過信して、たった一度も優しくすることが出来なかった。だから、きよらはもう二度と僕と一緒にいたいとは思わないだろう。

 僕の手を離れて、幸せになっていくことが許せない。
 そんな馬鹿げた思いを抱かせる、一つ下の幼馴染。ずっと一緒にいてね。その健気な告白に、良いよと一言返すことさえ出来なかった僕の初恋。


ムオンノクニ




 四年前、この街は戦場だった。建物はくずれ、街並みは蹂躙され、未知のエネルギーのために人々は家畜の如く殺されていった。
 もしも近界民が攻めてこなかったら、どんな中学生になってただろうと思うことがある。
 しろーくんはSEがSEだとも知らないまま他人の陰口に辟易していて、三輪先輩はお姉さんとたわいもない話で笑って、奈良坂先輩は実家の経済力を顧みることなく自分の行きたい大学を好きに選んで、緑川と双葉ちゃんは山のふもとの中学で退屈を持て余し、藍ちゃんは私のいない教室で皆に一目置かれている。しろーくん以外の誰とも出会わない未来。
 例え奈良坂先輩や古寺くん、藍ちゃんとすれ違っても、意識の端にも止まらない世界

 分岐したまま、もう二度と歩めない架空のみらい。私たちの郷愁。

ムオンノクニ//18


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