乱文倉庫
「元鞘に戻りました」
「なんで! やめよーよ! アタッカーでてっぺん目指そうよ!!」
 案の定緑川は盛大に反対した。

「嫌だよ太刀川さん越えとか死んでも無理」
「目指すだけならじゆーじゃん。まあ太刀川さん以前に、おれより強くなんのも無理だろうけどさ」
「うるせーな! もし草壁隊と組むことになってもおまえの頭はふっとばすから覚えとけよ! 現場に私情を持ち込むタイプのスナイパーを怒らすとめんどくせーんだからな!!」
「持ち込むんだ」
「めちゃくちゃ持ち込む」

「まあ。奈良坂先輩に叱られるんで、自分の役割は真面目にこなしますよ」
「なんだかんだ狙撃のほうが向いてるし、久々の狙撃場だからみんなちやほやしてくれるしね」
 お菓子とかいっぱいもらった。アタッカー・シューターが兼用で使っている仮想戦闘室やC級ランク戦のブース等に比べれば、やはりスナイパーしかいない狙撃場は人が少ない。何より連携必須の役職だから、他の役職に比べてスナイパー同士の仲間意識は強い。まだ中学生で、どのような集まりでもムードメーカー的な扱いを受けるきよらを甘やかす年上は少なくなかった。穂刈・当真・荒船の十八才トリオはことのほかきよらを甘やかしてくれる。カッコいい先輩たちから「ゴーマン坂と仲直りしたんだな、えらいえらい」と褒められるのはまんざらではない。スナイパー友達の日崎も「このまま戻ってこないと思ったんだからね」と半泣きで歓迎してくれた。
 クラスメイトの縁と同じで、単に同じ狙撃場に通い詰めて毎日顔を合わせているから惰性で親しくしてくれているのだと軽んじていたけれど、みんな、思ったよりも、きよらのことを見てくれてるのかもしれない。

「ふーん」口を尖らせたまま、ぽつんとつぶやく。「でも、元気になったみたいでよかった……かも」
 

「……かわいーな!」
「なに、急に! ウッザ!」
「かーわE〜! 駿くん、きよらお姉さんのこと心配してたんだー!」
「悪いけど、たった数ヶ月早く生まれただけの上に成績でもアタッカーランクでもおれ以下の人間を“お姉さん”扱い出来るほど人間出来てないから。馬鹿じゃないの。馬鹿じゃないの。バーカ」
「馬鹿って言うほうが馬鹿だからおまえ3バカポイントな」
「きよらんだって三回言った」
「バカじゃありません〜! バカポイントですう〜!」
「五回」
「何さり気に馬鹿カウント回さないようにしてんの。5バカポイントって言えや」
「ろーっかい!」
「そういうのにマジになるあたりマジ子供。6ポイントだから何? 中途半端な馬鹿として格上の馬鹿を見習おうって気概はないわけ? そんなんだから私と一緒にふざけてても忍田本部長に呼び出されないんだよ」
「呼び出されたくないもん」
「たった数ヶ月早く生まれただけで説教の時だけ年上扱いされる年上の気持ちが分かるか? 辛いぞ?」
「きよらん、もう少し要領よく生きなよ」

「奈良坂先輩のこと嫌いなんだと思ってた」
「そーね。よく分かんないけど、大嫌いではないんじゃない」

「――おれのことは?」
「は?」

「おれのこと、奈良坂先輩よりも好き?」
『緑川。多分、おまえのこと好きだろ』

「……分かんない」

「今回のことで、自分が誰を如何思ってるのか、全然分かってないんだって分かったとこだから、わかんない」
「そっか」

「おれ、きよらんと話すの気楽で楽しい。きよらんは?」
「私も」
「私も緑川と喋ってんの、気楽だし、楽しいよ」
「じゃ、今はそれで良いや」

「きよらんと仲良い男子、一番はおれだって思うし。今はそれでいーよ」
 今はって、何だろう。いや、何となく分かるけど、思ったより自分は“子供”なのかもしれない。
 昔は、一番好きなのも、一番仲が良いのも、一番信頼しているのも、一番気楽な時間を過ごせる相手も、菊地原だった。全てのなかで一番であることこそが恋なのだと思っていた。今緑川に言った言葉は嘘じゃない。菊地原よりも奈良坂よりも、緑川と話している時が一番気楽だ。傍目からも、一番仲のいい異性は緑川だろう。

『戻ってこい。おまえには向上心がある。おまえの望む場所まで、おれが連れて行ってやる』

 相変わらず家に帰れば一人ぼっちだし、木虎には適当な嘘ばかりつくし、こうして緑川と一緒にいても芯から神経が休まることはない。どうせ皆、いつかはきよらを一人にすると思う。誰を前にしていても、この人の幸せにきよらは必要ないと思う。でも、菊地原に拒絶されてから、初めて“この人を信頼してみよう”と思える相手が出来た。
 一人になるよりも、誰も信頼できないことのほうがずっと辛い。
 そう分かったから、もし結果的に奈良坂に失望されて、また母親や菊地原の時と同じ孤独を味わう羽目になったとしても、頑張ってみようと思う。

 どうせだれもいないのに、なんのためにがんばるの。

『でも、おれもやっぱり先輩と鈴原と三人でやってて楽しかったから』
『おれは割と鈴原のことが好きだよ』
『友達なんだから、理由ぐらい話してよ』
『照準を合わせてる時の、おまえの横顔が好きだ』
『でも、元気になったみたいでよかった……かも』
 ほんとに誰もいないなら、どうして嘘でも笑えたの。

 やっぱり、きよらは菊地原に自分の愚かさを許してほしいと思っている。
 菊地原の口で、役立たずじゃないと言われない限り自分のことを許せないし、愛せない気がする。自分のことを許して、劣等感が払しょくされたら、他人からの干渉が苦痛でなくなるだろう。自分には他人からの好意を受け取るに値する価値があるのだと、そう思えるようになったら、木虎や緑川の言葉、関心を素直に喜べるかもしれない。


 しろーくんのことが好きなのだと思っていた。
 しろーくんのことが好きだった。全てのなかで、しろーくんが一番だった。しろーくんのためなら幾らでも頑張れた。しろーくんのためなら死んでもいいと思った。しろーくんの言葉だったから、自分をも否定することが出来た。でも、きよらはきよらで、如何足掻いても自分の安寧と幸福を願ってしまう。その自己保身は、多分特別汚いことではないのだ。
 少なくとも奈良坂先輩は、私が全人類を呪っても「大したことはない」と言ってくれる。

 初恋だったから、菊地原への恋情が失われること、汚されることを恐れていた。
 十才の頃、きよらは菊地原のことが好きだった。出会ったときからずっと、菊地原のことが好きだった。大きくなったら菊地原の彼女になって、菊地原とキスして、菊地原と結婚するんだと思っていた。それがきよらの夢で、きよらが夢見た“家庭”だった。あんなに真っ直ぐに、身勝手に他人を好きになることは二度とない。
 きよらはもうとっくに、菊地原のことが好きでなくなっていた。選ばれなかったことが自尊心を傷つけられたから、自分よりも菊地原に好かれているものを妬んだ。
 その醜さを“恋”とは言いたくない。

 きよらは今、菊地原じゃない誰かを好きになりたいと思っている。
 自分の傍にいて欲しいと、そう口に出来る相手が欲しい。今度こそ、心の底から“傍にいるだけで良い”と思える恋がしたい。傍にいてくれる人を大切にしたい。嘘をつきたくない。他人と真面目に向き合っていきたい。
 

「きよらん?」
「緑川」

「アタッカーになってからさ、私が落ち込んでる間ずっと、」

 あの無音のなかで、きよらと菊地原は二人きりだった。
 きよらには菊地原以外の人間は有象無象で、菊地原は他人と関わるのを厭うていたから、ずっと二人きりなんだと思っていた。だから菊地原が歌川や風間と笑い合っているのに、裏切りを感じてもいた。しろーくんだって、誰も要らないと思っていたくせに。そういう気持ちが、きよらのなかに存在した。菊地原を詰る気持ちが、きよらの孤独をより意固地に固めていった。私だけは、ずっと子どもの頃のまま、シロと一緒にしろーくんを待ち続けよう。

 神社のはずれにあった、鍵の壊れた小さな物置。
 そこで菊地原は読書や勉強に耽り、きよらは飼い犬を撫でながら菊地原との未来を夢見ていた。誰も二人を傷つけない、誰も立ち入ってこない無音の国。

 きよらはずっと、あの場所に帰りたかった。菊地原と、シロと、子供の頃の自分で。それはもう叶わない過去の思い出なのだと、四年も過ぎてやっと理解する。きよらは十四才で、菊地原は十五才。シロは永遠に十歳のまま、命の砂時計は四年前に砕けてしまった。老犬になれなかったシロの代わりに、きよらはあと六年で大人になる。
 もう全部、過ぎ去ったことだ。あの時のきよらは十歳だった。もう、手に入らないものを追い続ける苦痛を自分に課すことはない。古寺にも言ったはずだ。確かに私が悪かったと思うけど、そこまで悪いことはしていない。もう良い。もう全部終わった。それでも菊地原に許してほしいのなら、菊地原の審判を待ちきれずに自分で自分を追い詰めるような真似はやめよう。もうきよらは、十分自分を罰したと思う。

 鈴原きよら、十四才。中学校三年生。
 親友がいて、ふざけあえる友達がいて、心配してくれる仲間がいて、自分を信じてくれる師匠がいる。
 近界民がいなければあっただろう“今”と、近界民がいたからこそある“今”の重さを測ることは止めにして、自分のなかで眠り続ける“十歳の子ども”を少しずつ昇華させていこうと思う。

「……ずっと、」

『ずっと、一緒にいて』
「ずっと……一緒にいてくれて、ありがとね」
 緑川はきょとんと目を瞬かせてから、にんまりと人懐っこい笑みを浮かべた。きよらの背に圧し掛かる。
「どーいたしまして!」
「おう。でも『お礼にプレスしても良いんだよ』とまでは言ってねーから退いて」
「きよらん分厚いから潰してあげるね」
「さっきのなかったことにするわ。寧ろ一緒にいさせてやった礼が欲しい」
「照れちゃって、緑川がいてくれたおかげで元気になれたよ! いつもいつもありがとう〜! でしょ?」
「うーん! そこまで遜ったことになったかあ!」

 緑川と一緒にケラケラ笑うと、少し体が軽くなった気がした。

ムオンノクニ//17


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