乱文倉庫
 ※風間に負けて、鬱々とした帰り道の途中で菊地原と会う。


「……なんか用?」
「いい加減、ボーダーやめたら?」
「は?」
「向いてないよ」
「かんけーなくない?」

「大体、話しかけんなって言ったじゃん」
「なんで僕がおまえに行動を制限されなきゃいけないわけ?」

「話しかけるなって、言った」

「あんたが」

「私に、」

「……いつ私が、あんたの行動を制限したわけ」
 震える唇をぎゅっと噛んでから、きよらが嫌味っぽく笑った。
「ボケるにはまだ早くない? あんたが自分で言ったんだよ。私みたいなバカと知り合いだと思われたら恥ずかしいから二度と話しかけるなって。忘れたの? 無責任だね」

なんで私があんたに行動を制限されなきゃならないわけ?
 時々、私はもうしろーくんを憎んでいるのではないかと思うことが、ある。


 私がしろーくんに執着し続けているのは、自己否定を撤回させたいからで、それは単に自分が可愛いだけで、しろーくんに好かれたいとか、しろーくんと一緒に居たいとか、そういう願いはもう枯れてしまっているのかもしれない。自分を見つめたまま微動だにしない菊地原に、きよらは嘲笑を浮かべてみせる。
 きよらを拒絶したのは、菊地原だ。役立たずと言ってきよらの自尊心を踏みにじり、二度と話しかけるなと言ってきよらを突き放した。きよらは、ただ、菊地原の意向に従っているだけだ。先に突き放したのは、しろーくんだった。私は役立たずじゃない。役立たずじゃなくなったら、そばにいて良い? 昔みたいに、一緒に、

 昔みたいになんて、そんなの無理だって分かってる。


 菊地原にはもう風間がいて、歌川がいて、三上がいる。特別な相手、大切だと慈しむ人間の数に制限があるわけじゃない。でも、もう菊地原ときよらは元には戻れない。どんなにきよらの成績が良くなろうと、A級に上がろうと、魅力的な人間になろうと、菊地原にとっては単なる昔馴染みでしかない。幼馴染じゃない。昔、ちょっと付き合いのあった人間。二人の綺麗な思い出は疾うに踏みにじられ、ただ悪癖だけが目につく。

 きよらがどれだけ頑張っても、その努力は最早菊地原にとって他人事でしかない。こうしてきよらが問題を起こした時だけ、釘を刺しにくる。役立たずは大人しくしてろ。不愉快だから、僕の世界に立ち入るな。

 それは、菊地原が特別残酷なわけではない。きよらは何か特別な感情があってボーダー隊員になったわけでも、これから先ボーダー隊員として何か目的があるわけでもない。ボーダー隊員でいるよりもずっと、きよらのためになることも、楽しいことも山ほどある。そっちに目をむけろと、菊地原は忠告しているのだ。
 全部忘れて、元々自尊心なんてなかったんだと言い聞かせて、誰か自分を大事にしてくれるひとを探す。そうしたほうが、多分幸せになれる。きよらは別に一人ぼっちなわけでも、可哀想なわけでも、不幸な目にあっているわけでもない。選択肢は山ほどあって、人並み以上に幸せになるのはとても容易なことだった。

 たった一人、きよらを選んでくれない。
 そんなのは不幸でもなんでもない。それが辛いのは、きよらが恵まれているからだ。
 恵まれた人間は、不幸を語ってはいけない。自分よりもっと不幸なひとのために、何の悩みもないようにヘラヘラ笑っているべきだ。だって、この町には、きよらより色んなものを失った人が山ほどいる。

「そうだね、辞めようか」

「でも、ほんとに、」
 力なく嗤って、深く俯く。

「……自分の言葉で私の行動が制限できるって思ってるなら、あんたは私に『死ね』って言うべきなんだよ」

「おま、っ――」
 きよら。唇からこぼれかけた名前を手で押さえて、家の中に消える幼馴染の背を見送る。



『きよらん、左の斬撃に気を取られがちで隙が見え見えなんだよね。なおそーよ、それ』
『実は左のほうがおっぱいが大きいから動きづらくて……嘘に決まってんだろうが』
『おれ今割とかなり真面目にアドバしてたよね』
『センキューグリーンリバー、エンデュー?』
『留年すんの恥ずかしいでしょ。おれのガッコに転入してきたら?』
『鈴原きよら十五才です! 両親の仕事とは全く関係ないのですが、成績の都合上前の学校で卒業することが出来なかったのでワンチャンあると思って偏差値の低いこの学校に転校してきました! 仲良くしてください!』
『うわ、上履き燃やそ』
 菊地原のことなど目もくれず、馬鹿みたいな話で、緑川とケタケタ盛り上がっている。

 昔が嘘みたいに、きよらは社交的になっていたし、昔のまま馬鹿だったけど、時々はっとするぐらい鋭い視線で他人を観察するようになっていた。
 変わったんだなと、耳朶を霞める喧噪に耳を澄ませながら思った。変えたのは、多分自分なのだろうなとも思った。無抵抗の人間を傷つけるのは、ごく容易い。菊地原は、自分がきよらを変えたのだと分かっていた。変えなければと、確たる意志を持って罵った。
 トリオン量の多い菊地原は、近界民に狙われやすい。甘ったれで、内気で、近界民どころか、飼い犬がいなければ他人と話すことさえ覚束ない幼馴染が、何の考えもなしに付き纏って良い存在ではない。


 きよらが左を気にするのは、そちら側に傷があるからだ。
 四年前、近界民に襲われた。十一才と十歳だった。知らない世界に迷い込んだかのように荒れた街並みのなかで、左腹から溢れた血がきよらの足を伝って地面に線を引く。自分の手を引く掌が、弛緩と緊張を繰り返して冷たくなっていく。走っているのに、脈発が緩やかに間をあけて鳴る。普段口数の多い唇が、必死に肺を膨らませようと喘いでいる。感覚の失せた手をきつく握る。年下の幼馴染。自分の腕に纏わりつく体も、手も、大きさは然程変わらない。たった一つの年の差では、この少女を抱えて走ることが出来ない。
 耳に全神経が集まっているかのように、きよらの体から血液が漏れていく音が、弱弱しくなっていく脈拍が、苦しげな呼吸が、きよらの音しか頭に残らない。あの時のきよらに、年上の幼馴染として、男として、自分が出来たことは山とあったはずなのに、きよらの体から漏れる音が耳障りで、それ以外何も考えられなかった。
 一つ年下の、血みどろの幼馴染に手を引かれて走る。きよらから溢れた血の上を走りながら、何もしなかった。

『自分の言葉で私の行動が制限できるって思ってるなら、あんたは私に死ねって言うべきなんだよ』

「……わけわかんないんだけど」
 もう誰もいなくなった路地で、知らない誰かの足音や、生活音を受け流しながら、菊地原はひとりごちた。


『きよらと、一緒にいて』
 ずっと一緒にいて。そうせがんだ唇だった。

 突き放したのは自分だった。ハブられても陰口を叩かれても寂しくても苦しくても痛くても、左腹が裂けて、白いワンピースが真っ赤に染まっても、きよらは何も言わない。一人にしないでと乞うだけで、一緒にいる菊地原の気持ちを考えてみようともしない。ただ縋り付くだけの手が、あんまりに脆いから怖くなった。

 左の斬撃が怖いのは、よく分かる。奈良坂とそりが合わないのも、他人と腹を割って話そうとしないきよらと、自分が満足するまで知りたがる奈良坂とでは当たり前だ。緑川や木虎に引け目を感じているのも知っている。深夜に走り込みをしてるのも知っている。ボーダー隊員の情報をやたら集めてるのも知っている。暇さえあれば各隊の戦闘記録を観ていることも知っている。誰もいない家に帰りたくないのも知っている。誰にも心を許していないのが分かる。常に他人からみた自分の位置を探っているのが分かる。

 いつでも傍らにあった、安らいだ笑みがどこにもない。
 今のきよらは、誰といても、ふとした時に険しい顔を見せる。菊地原の視線に気づくと、その険しさは更に増す。はぐらかして、突き放して、笑って、誰も寄せ付けようとしないのが分かる。あんなに一人を恐れていたくせに、誰の心にも寄り添おうとしない。

 ボーダーを辞めれば、木虎や緑川に劣等感を抱くこともなくなるだろう。奈良坂と揉めることもない。一人の子どもとして、少女として、誰かに寄り掛かって甘えて良いんだと思い出すんじゃないかと思った。
 ボーダー隊員としての意地が、きよらを頑なにしているのだと思った。

『話しかけるなって、言った』
「……先に、言ったのは」

 ずっと一緒にいてって言ったくせに、自分を置いて死にかけた。
 先に裏切ったのは、きよらのほうだ。こんな堂々巡りがいつまで続くんだろう。互いに罪を擦り付け合って、名前も呼べないで、目が合う度に視線を逸らして、忘れよう忘れようと自分に言い聞かせる。親切心から忠告してやったのに、本当に不愉快な女だ。


 いい加減、僕かあいつのどっちかだけでも忘れられたら諦めがつくのに。

ムオンノクニ//14


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