乱文倉庫
 四年前の第一次近界民侵攻以来、近界民による被害は少なく、死者も出ていない。
 今も近界民の侵攻は毎日のようにあるが、市民の多くはボーダーを信頼して三門市に残り、暮らしている。四年前よりはボーダー隊員の数も増えて、スコーピオンをはじめ近界民に対抗出来る武器や装置も次々に開発された。四年前から事態が好転しているのか、それとも真綿で締められるように悪くなっているのか、一ボーダー隊員に過ぎないきよらにはよく分からない。太刀川や奈良坂等の親しいA級隊員から漏れ聞いて、門の向こうに広がる“近界”では自分たちと同じ人型生命体が多種多様の文明を築いていることは知っている。
 あちらの世界の営みを考えてみると、どことなくおぞましい気がしないでもない。

 きよらは人の流れから外れるように、人さみしい地下へと降りていった。
 段々と明かりの乏しくなっていく通路の先で、地下格納庫手前に設けられた休憩所だけが明るい。仰々しい鉄の扉の脇に設けられた休憩所に人影があることは珍しい。
 休憩所に逸れてすぐの場所に置いてあるパキラは、カラカラに枯れかけていた。飲み物の自動販売機が二つ、それにホットスナックと、セブンティーンアイスの販売機が一つずつ。壁沿いに置かれた四台の自動販売機が、コの字型に配置された長椅子を囲んでいる。
 その、真ん中の長椅子に風間の姿があった。きよらの足音に、組んでいた足を下ろして顔を上げる。
「鈴原か。何の用だ?」
「これ、」風間の前まで来ると、きよらは白いビニル袋を掲げて見せた。「太刀川さんからです」
 半透明の袋からは、牛乳パックのパッケージと青いUSBが透けて見えた。

 風間は、持ち込み可能の講義には必ずボイスレコーダーを持ち込んでいる。
 流石に板書をデジカメで済ませたりはしないが、教授の発言を一々写さずに済むのは有難い。今返して貰ったUSBには、太刀川と一緒に取っている講義のデータが詰まっていた。“すぐに返すから”と乞われて貸してから一週間近く経っている。まあ、太刀川にしては早く返したほうだろう。
 ビニル袋の中を検めると、太刀川の文字で「ごめんね?」と書かれたメモが入っていた。太刀川らしくもない、ハローキティの模様。様々な意味で、風間は脱力した。
 あいつは本当に四年で大学を卒業する気があるんだろうか。しかしまあ、お使いを頼まれただけのきよらに罪はない。風間は「手間を掛けて悪かったな」と、一言労ってやった。

「それにしても、よく分かったな。エンジニア以外滅多に来ない場所だぞ」
 受け取ったビニル袋を足元のリュックに仕舞いながら、風間が呟いた。
「風間さん、よっぽど切羽詰らない限りカフェテリアとか行かないでしょ」
 風間の怖いぐらいの無表情が、きよらを射抜いた。そうした冷淡さに慣れているきよらは、特に怯える様子もなく揶揄を口元に浮かべる。「人の多いとこにあんまり長居しませんよね。流石隊長って感じ」
 風間は呆れ気味にため息をつくだけで、何も言わなかった。


 緑川や木虎からは「いつもフラフラして」「また遊んでるの」等と軽んじられるが、きよらだって十分に上層部から期待をかけられている。純粋な火力・戦術の練り方等、木虎・緑川たちと比べて見劣りする点が多いのは事実だった。しかしそういった戦闘能力とは別に、洞察力もまた得難いものだ。
 素質もある。伸びしろもある。若さもある。それなのに、きよら自身は“自分”に満足しようとしない。


 風間の隣に腰を下ろすと、きよらは風間のノートを開いた。何語なのか理解出来ない異国の例文や文法がズラズラ並んでいる。しかし風間のノートは項目や要点ごとに三色ボールペンなどが使ってあって、見易いことは何となく分かる。大学入学と同時に買ったキャンパスノートの束を部屋のこやしにするような太刀川とは根本から違うのだ。コピー機のない時代に生まれていたら、きっと太刀川は高校卒業にも手間取っただろう。何故太刀川が大学進学を選んだのかは、きよらにも分からない。
 パラパラとページを捲りながら、きよらは口を開いた。
「それで、何してたんです?」

「今度の遠征任務が終わったらすぐ後期試験だからな。今のうちにサブノートを作ってるんだ」
「机のあるとこでやったほうが、捗りません?」
「まだ要点をメモに纏めているだけだから、必要ない。図書館に行くほどの暇もないしな」
 風間は片脇のメモ帳を手に取ると、きよらに見せた。なるほど、ノートのページ数、教科書のページ数、恐らく講義の音声データのファイル名だろう数値が細々と記されている。
 合点がいった風に、きよらは「へー」と感嘆の声を漏らした。
「相変わらず、風間さんは几帳面ですね」
「そうか?」メモ帳を閉じて、元の場所に戻す。「太刀川と比べれば誰だって几帳面だろう」
 きよらの差し出したノートを手に取ると、風間は僅かに口端を歪めてみせた。思わず“ご尤もで”と言いかけたが、ノートをそのまま脇に放り出すのでなく、ちゃんとサイズ順に、メモ帳の下に重ねて置くあたり普通に几帳面だと思う。きよらの知りうる限り、風間は一番“年上らしい”人だ――身長は別として。
「太刀川さんと違って、勉強を頑張る風間さんにハッピーターンをあげましょうねー」


「いい加減、緑川とのじゃれあいは止めたらどうだ」
 左手に嵌めた腕時計の長針を確かめると、風間はリュックを膝上に持ち上げた。七時から、草壁隊との合同練習だ。丁度緑川とも顔を合わせるから、向こうにも釘を刺しておくべきだろう。
「まさか……きよらちゃんが仔猫のように可愛いからって……緑川に嫉妬……?」
 長椅子に広げていた文具の類を粗方仕舞い終えると、風間はドイツ語のノートできよらの頭をはたいた。
「一度の交戦でやり取り出来る点の上限が決まったのは、お前たちのせいだぞ」
 両手で頭を庇ったきよらが、口を尖らせて反論する。
「あれもこれも、それも、ぜーんぶ言いだしっぺは緑川です」
「それに乗るんだから、連帯責任だ」
「大体、みんな一々何点ベットするかなんて決めないじゃないですか」
 規定の数値でやり取りしてるんだから、上限が決まったって弊害ないです。先の台詞に続けられた言い訳を聞いて、風間はきよらを睨んだ。視線に気づいたきよらが、わざとらしく肩を竦めた。
「お前はもう少し奈良坂を見習ったほうが良い」
「うぃーす」
「鈴原」
 きよらの生意気な返事を窘めて、尖った声を出す。

 風間は凄く面倒見が良いというわけではないが、ちゃらんぽらんな自由人が多いボーダー隊員のなかでは真面目なほうだ。それに二十歳を超えて前線に出るひとは少ないから、必然的に纏め役に回されることも多い。総合的に考えて“面倒見が良い”と言って差支えはないだろう。きよらも、風間には度々お世話になる。そこそこ好きだ。尊敬もしている。多分、風間本人が思っているより深く、強く、複雑な感情で尊敬していた。
 しかし幾ら相手が菊地原にとって特別な“風間さん”でも、説教されるのは好かない。ことに、説教の種を山ほど抱えている時には。

「説教飽きました。鈴原、帰投しまーす」
 きよらはさっと立ち上がると、制服のスカートについたしわを片手で伸ばした。「じゃね、風間さん。緑川のことギッタンギッタンにしてやってください」
 あどけなく笑って、バイバーイと手を振る。


「鈴原」
 去り際に呼び止めると、きょとんとあどけない顔で振り向かれた。

「嵐山、どこにいると思う」
「メディア室で根付さんと何か話してるんじゃないですかね」
「木虎から聞いたのか?」
「昨日茶野隊と防衛任務入った時に、茶野がしょうもない凡ミスして落ち込んでたんですよね」きよらは明後日の方角を眺めた。「まあ嵐山さんと関係ないっちゃないんですけどね。藍ちゃんとは一緒に本部来たけど、ラウンジで別れてから、訓練室でもC級のブースでも仮想戦闘室でも赤い隊服を目にしてない。今日は防衛任務もメディア関係の仕事もないし、他の用事でどっか篭ってなんかしてるんだろーなって思ったんです。でも一昨日ランク戦やったばっかでもう作戦室篭ってるってのも変だし、そんで週末は嵐山隊の代わりに茶野隊がニュース出るじゃないですか。昨日のこともあるから、根付さんから頼まれて、ノウハウ教えついでに茶野隊に喝入れてんじゃないかなーって。もしそーなら、二人ともごしゅーしょーさまって感じ」
 冗談めかして、きよらがアハッと笑った。
「分かった。呼び止めて悪かったな」
「いえいえ」


 何か用ですか?

 いや、ちょっと聞きたいことがあってな。今どこにいる

 今メディア室にいます。まだまだ掛かりそうなので、急ぎでなければ後で大丈夫ですか?


『メディア室で根付さんと何か話してるんじゃないですかね』
 あれで、察しは良いんだがな。ライン画面を閉じると、風間は壁に寄り掛かった。

ムオンノクニ//11


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