乱文倉庫
 ※菊地原とエンカウント直後、バレエを止める切っ掛けの回想から、奈良坂くんとエンカウント。


「どうか、したのか」
「……先輩こそ、何か用ですか」
「木虎がおまえを探してた」
「あ」礼を言うことに、僅かに躊躇う。「ありがとうございます」
 こんな人気のないところで茫然と蹲っていれば、鈍い奈良坂にだって何かあったこと――少なくとも明るい気持ちでないことは、分かってしまっただろう。
 きよらが礼を告げてからも、奈良坂は立ち去ろうとしなかった。きよらが蹲ったまま動かないのと同様、きよらを見下ろして、突っ立っている。畑に立てられた、カカシみたいに。


「先輩、私が落ち込んでるって思ってるでしょ」
 へらっと、きよらは笑った。
「違うのか?」
「こないだ、資料いっぱい抱えてたオペレーターの子助けてましたね。親しいんですか?」
 問いを問いで……それも何の脈絡もない話題を返されて、奈良坂は面食らったらしかった。そもそも、きよらが口にした“オペレーター”が誰で、彼女を助けたのがいつのことかも覚えていないのだろう。少しばかり考え込んでから、該当する記憶を見つけたのか、ゆっくりと口を開いた。

「違う」きっぱりと否定してから、その語気の強さに対してきまり悪そうに唇を噛む。「特に急ぎの用があるわけでもなし、困ってる相手を手助けするのに親しいも親しくないもないだろう」

「おれが他人を手助けすることと、おまえが落ち込んでることに何の関係があるんだ」
「関係ないですよ」

 小首を傾げたきよらが、諦めきった風に頭を振った。
「先輩はいつも正論ですね」

「如何いう意味だ」
「頭良いんだから、分かるでしょ」
 ふっと鼻を鳴らして、吐き捨てる。
「大した意味はありません」


「……重たくて大変そうだから、手伝ってあげようって思ったんでしょ」
「そうだ」
「今、私が可哀想だから、慰めてあげようって思ってる」
 自分の心身に余裕があって、困窮してる相手を助けるのに理由は要らないと言ったのは奈良坂自身だ。言外に“私のことなんて何とも思ってないくせに”と詰られて、奈良坂は言葉に詰まった。師匠だから、弟子だから――そうした理由は、きよらがアタッカーに転向した時点で過去のものとなっている。仮にも師弟だったのだからと言葉をつづけるには、あまりに喧嘩が多すぎた。

 菊地原くんに見限られて可哀想なきよらちゃん。お母さんのコネでクララ踊っただけのくせに、きよらちゃんって先生たちから贔屓されてるよね。きよらちゃん、三門市でしょ。股関節駄目になっちゃったんだって。どうせ何か月も練習サボってたんだから、足無くなっちゃったって一緒じゃん。元からそんなに上手でもなかったもんね。

 じゃ、下手くその癖に調子乗ってクララなんか踊るから罰が当たったんだ。

 みんなわたしのきもちなんておかまいなしで、妬みや劣等感のサンドバッグにして、自分の理想を押し付けて、一体いつ私がママの娘だからって自慢したのいつあなたたちにひけらかすような態度を取ったのバレリーナになりたいだなんて一度だって言ったことないクララだって踊りたくなかったしろーくんと遊んでたかったシロとずっと一緒にいたかったもう全部嫌だっただからバレエ辞めたのもうママが構ってくれなくても良いと思った。

『最初からおまえみたいな役立たず、迷惑だったんだよ』
『菊地原くんに見捨てられて、そうしたら、きよらちゃんに何が残るの?』
 シロとしろーくんと一緒にいるためにバレエを辞めた。そしてシロが死んで、しろーくんが離れてったら、なんにも残らなかった。そんなの、私が一番よく分かってる。
 私は選択を間違えた。バレエを辞めてから、四年。体は健康で、足には怪我ひとつない。それでも、もうママは私に何の期待も掛けない。もう一度やり直そうとも言わない。バレエ団に入り浸って、滅多に家には帰ってこない。誰もいない家に帰る。自分で作ったご飯を食べる。ママがいない。シロがいない。しろーくんがいない。どんなに早く走れても、もう前のようには踊れない。何もかも自業自得。我儘だったから、天罰が下ったの。
 環境も才能も、無条件で他人に優っているのはバレエだけだったのに自分で捨てた。
 どんなに細かい的に当てることが出来ても奈良坂先輩や古寺くんみたいに頭がよくなければスナイパーとして使い物にならない。どんなに機動力が高くても火力が低ければアタッカーとして役に立たない。勉強も出来ない。バレエも踊れない。何のスポーツだって中学校三年生の今から初めて一番になれるほど甘くない。顔だって、私より可愛い子は山ほどいる。一体何で“役立たず”の言葉を払しょくすればいいの。
 他人に劣ってるところなんて全くない先輩に、他人に優ってるところのない私の気持ちが分かるわけがない。

「正直言って、自分が見放したら如何しようもないからって義務感で構われるのは迷惑なんです」
 声が震えた。

「直接言われなきゃ分からないなら、いい加減分かってください」
 泣くな。泣くな。泣いたら、もっと惨めになる。私は何も悪いなんかしてない。如何してこの人の前で泣く必要があるの。無神経で厚顔で、自分の才能に傲慢なひと。努力が報われるなんて、道徳の教科書にだって今時書いてない綺麗ごとをまだ信じている。報われない人間が努力しているだなんて夢にも思わないんだろう。
 この人はそういう人だ。存在するだけで私の心を抉っていく。
「スナイパーとして尊敬はしてましたし、今もそれは変わりません。でも、先輩のこと大嫌いです」
 大嫌い。すきだよ、と言うよりずっと生々しい実感があった。他人を好きになるのも信頼するのも難しいのに、憎むのはこんなにも簡単なんだと、頭の隅を失望が過ぎる。

「劣化しないために頑張るのって、上に行くために頑張るのより辛い。先輩には、それが分からない」

「先輩は正しいことしかしない。それって、相手の気持ちは如何でも良いってことですよ」
 奈良坂の瞳を、無感情な視線が見上げる。
 何も言えないでいる奈良坂に対して、きよらがふっと苦笑した。
「頭良いんでしょ。これだけ言っても、まだ分からないんですか?」

「先輩の、独りよがりの師弟ごっこには飽き飽きしました」
 きよらはおもむろに立ち上がると、何の躊躇いもなく踵を返した。颯爽とした、いつも通りの歩き方で去っていく。でも、時折左方を見たり、右方に足を向けて立ち止まったりすることから、きよらが行く当てもなく歩き出したことが分かる。迷子になった子どものような、焦燥感と不安の入り混じった足取りだ。華奢で、頼りない背中が遠ざかる。
 何としてでも引き留めなければならない。奈良坂は漠然と、そんな風に思った。きよらは、普通に歩いているだけだ。走って追いかければ、すぐに追いつく。
 追いついて、肩を掴んで引き留めて、そうして何を言えば良いんだろう。答えに窮している間に、きよらの背は見る見る小さくなって、ついに見えなくなった。

 拗ねて、不貞腐れて、些細な理由から避けられているだけだと思っていた。
 いつだって何だかんだで笑ったり、軽口で応えてくれていたから、そんなに具体的な憎悪を向けられていたとは気付かなかった。正直言うと馬鹿だ馬鹿だと思っていたきよらから、ここまで真っ当な蔑視を口にされるなどと夢にも思わなかったし、今もまだ何を言われたのか理解出来ない。

 大体にして、きよらは十分才能のあるスナイパーだ。
 特定の隊に所属しないからB級なだけで、A級相当の実力があるのは周知のことだった。東も当真もきよらのことは特別目にかけているし、冬島隊をはじめ隊員数に余裕のあるA級部隊から勧誘されることもままある。飽き性で集中力が長続きしない等の精神的な問題を抜きにすれば――本人の気が向いて真面目に働いた時に限るとはいえ――スナイパーとして、優秀すぎるぐらい優秀だった。それ故、きよらの扱いを心得てる荒船は奈良坂に「スナイパーのいる隊は、あいつには無理です」と釘を刺されても執拗に勧誘していたし、余暇の時間にも熱心にきよらを餌付ていた。奈良坂が手を打って躾けておいたので、まさか荒船隊には入るまいと思ったのだが……数日前、荒船から「もう少しで荒船隊に一人増えるわ」と茶化されたので、奈良坂はやにわに不安になったのだった。
 木虎が探しているというのは、嘘だ。奈良坂が、きよらを探していた。もう一度、師弟関係をやり直して、きよらに狙撃場に戻ってきてもらうために。


 きよらは本当に飽き性で、自分勝手で、集中力が長続きしない上に東や太刀川以外の指示を無視して好き勝手に動くわ、スナイパーの癖にアタッカーごっこをしたがるわで、戦力として捉えるにはリスキーすぎる。自分の才能ある弟子を、五分五分の確立で不良債権になりうるスナイパーのまま放置することは奈良坂のプライドが許せなかった。一から十まで自分が調整し、仕込んだものだから、自分以外のスナイパーの癖がつくのは、もっと許せなかった。荒船隊に引き渡せば、きよらは大っぴらにアタッカーごっこを始める。

 やる気を出しさえすれば、奈良坂にとってきよらは自慢の弟子だった。だからこそ完璧なスナイパーに育て上げたかった。元が優秀だから求めるものが多くなっていたとは自覚しているし、その素行の悪さからきよらが何をしても手放しで褒めることが出来なくなっていた。


『劣化しないために頑張るのって、上に行くために頑張るのより辛い』
『自分が見放したら如何しようもないからって義務感』
 何故、こんなことを言われるのか――如何いう意図があるのか――奈良坂の頭蓋に疑問が立ち込める。きよらは優秀で、奈良坂は如何しようもない人間に構うほど暇人ではない。それは、きよらも分かっているはずだった。そうではなかったのだろうか。

 なにをかんがえてるのか、よくわからない。

ムオンノクニ//8


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