乱文倉庫
「なんで最近優しいの」
 きよらの台詞に、緑川がきょとんとした。

「なんでだろ」
「暇だからじゃん?」
「ランク戦あるでしょ」
「普段から鍛錬してるし、きよらんで遊んでたからって負ける草壁隊じゃないし」
 ブースに入って右端にある長椅子に腰かけたまま、きよらは長い事口を噤んでいた。

「緑川は、」きよらが、力ない笑みを浮かべる。「優しいねえ……」
「……そだね。おれ、けっこーモテるし」
 そう冗談めかして、緑川は長椅子にどすんと腰を下ろしついでにきよらに抱き付いた。バランスを崩したきよらが、緑川の胸にしがみ付く。

「……泣いてるの」
「泣いてない」

「じゃあ顔見せてよ」
 肩口に熱が滲む感覚はない。泣いてないのは、事実なのだろう。ハッと浅く吸った息が、深く吐き出される。泣くのを堪えてるんだなとは、緑川にも察することが出来た。

 奈良坂と揉めるのはしょっちゅうだが、こうまで沈み込むのも珍しい。
 きよらと出会ってからまだ一年も経っていないが、緑川はきよらに対して“自分の感情を取り繕うのが得意なんだろうな”と思っていた。自分の好嫌感情より、相手のそれを基準に距離を測るタイプだ。だから誰を相手にしていても――奈良坂など一部の例外は抜きにして――きよらは明るい。こちらの機嫌どうこうで素っ気なくなったり、露骨に拗ねたりということはまずない。弱いし、勉強は出来ないし、趣味嗜好は小学生男子に通じるところがあるものの、他人の感情の機微に敏感だったり、些細な表情の変化から感情の揺らぎを読み取るなど、こと対人面においてきよらは年嵩めいた余裕を見せるのだった。
 自分より圧倒的に劣っていながら、八つ当たりも嫌味も許容してくれる……同年代の女子とは思えない付き合いやすさ、ノリの良さは、緑川にとって心地よかった。

 その、対人面でいつも緑川を適当にあしらってきたきよらが、泣きたいのを堪えて、浅い呼吸を繰り返している。感情の浮き沈みを隠そうと、自分に縋って、何とか平静を保とうとしている。自分に頼らないではいられない。可哀想な気持ちになった。
 たった数ヶ月早く生まれただけだから、緑川はきよらを“年上だ”と思ったことは一度もなかった。でも、こうやって余裕なく思いつめた様子を晒していると、小さく感じる。小さいというか、細い、薄い……なんかどれも違うな。背丈は緑川と同じぐらいなのに、肩も手も自分よりもずっと頼りなくて、壊れやすそうで、大事にしてあげたいなと思う。

 吐息で湿った布地ごしに、ほんの僅か、きよらの唇が左胸に触れた。ひくりとぎこちなく震える唇に、「きよら、かわいい」自分の口から漏れた音に、緑川の顔が赤くなる。
「や、子どもみたいって思って!」
 焦ったように顔をあげたきよらはきょとんとしていたが、すぐ破顔した。

「緑川こそ、子ども体温じゃん」
 ふっと微笑するきよらは、もういつも通りだった。
 あっちーわ、オメー。湯たんぽかよ。そんな憎まれ口と共に、緑川の胸から抜け出る。緑川から一人分の距離を空けて、右端にずれた。
「あっちーって、何、きよらん照れてる〜?」
「うっさいな。廊下という廊下に迅さんとの相合傘描かれたくなかったら黙ってな」
 いや、それってきよらんが怒られるだけじゃないの?
 そう心中で突っ込んだ時点で、多分全部“終わり”なのだ。名前をつけると面倒くさくなって、きよらが反射的に遠ざけようとする“なにか”は終わりで、これ以上突っ込むときよらの機嫌を損ねるし、そうでなくとも気まずいことになる。少なくとも、これまで通りじゃれ合えなくなってしまう。緑川は、きよらとふざけた話をするのが迅に構って貰うことの次の次の次の次の次……まあそんな感じに、それなりに好きだった。

「あ……そろそろ帰んないと」
 緑川から視線が逸れた瞬間、“いつも通り”の明るい表情が抜け落ちる。如何考えても落ち込んでいて、誰かの慰めが必要なのに、何故一緒にいて慰めようと腐心している緑川にまで取り繕って見せるのだろう。
 可愛いと思う。それと同時にムカつく、とも思う。
「まだ、いーじゃん。もっかい、やる?」じりっと距離を詰める緑川に、きよらが腰を浮かして、椅子に座る。「てか、荒船さん来てるよ」
 モニターを覗き込んだきよらが口にした名前に、緑川は慌ててきよらのブースを飛び出して行った。

 一人取り残されたきよらは、思いっきり椅子を後ろに下げて机に突っ伏した。
「バトル馬鹿で助かるわあ」
 小さく呟いて、深々としたため息をついた。机の、口元に近い部分が湿る。やっぱり中学生といえど、おっぱいの部分は雌雄が分かりやすい。声変わりも終わってないくせに、胸は真っ平らで、きよらの胸よりかは机に近い硬度を有していた。かわいい。可愛い、か。


 不信感は変わらないのに、このところ他人に対して上手く取り繕うことが難しくなってきた。もっと大っぴらに甘えたら楽になるのかなと、思うことがある。
 でも多分、それは新しい“別れ”のはじまりだ。

ムオンノクニ//5


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