乱文倉庫
「スナイパー辞めたってほんと」
「そんな今更」
「いつ? なんで、っていうかいい加減ちゃんとどこかの隊に所属しなさいよ」
「ええ……一週間ぐらい前?」
「何で言わないの」
「聞かれなかったし……?」

「謝りなさいよ」
「何に」
「奈良坂先輩に」

「佐鳥先輩から全部聞いたんだからね」
「全部ぅ?」
 バンッと木虎が思いっきり机を叩いた。クラスメイトの何人かが振り向いたが、すぐに呆れた様子で視線を戻す。入学してから二年と少しの間、きよらが木虎に説教された回数は百を下らない。
「奈良坂先輩が陣形の取り方教えてる最中に休憩中の当真さんとふざけだしたのに奈良坂先輩がキレてから五分後に貴女もキレて奈良坂先輩に手をあげて狙撃場から逃亡した」
「生身で殴ったわけじゃなし、先にキレたのは奈良坂先輩じゃん」
「キレる理由を作ったのは?」
「二日目だったんだろうね」
「殴られたいの?」
 

「良い、如何考えても悪いのは貴女よ」
「いつまで経っても、一人でプラプラしてるし、スナイパーの本分はアタッカー・ガンナーのフォロー、そして各隊員との連携にあるのに、あんたは模擬戦でも訓練でも防衛任務でも一人でプラプラしてる」
「当真さんは『別に良いんじゃね』って言ってるし、東さんも『とりあえず泳いでて良いぞ』って言ってる」
「奈良坂先輩は?」
「『ブチ殺す』って本音を五十枚ぐらいのオブラートで包んでるけど血管浮いてる」
「謝りなさい」
「やだ」

「……貴女ね、どうするつもりなの」

「ボーダー隊員は遊びでなるものじゃないのよ」
「防衛任務は真面目にしてるってば」

「ボーダー隊員は街の平和を守る存在でしょ。私は“私に割り振られた平和”は守ってる」

『30秒の何がヤだったの』
 11、8、4――私は、絶対に敵わないだろう壁を前にしても健気に頑張れるような人間じゃない。
 自分の一期前に入隊していた木虎のタイムを知って“ここ”は止めておこうと思った。きよらは学校の成績も然ることながら、決して頭が良いわけではない。幸いにして、運動神経は成績と反比例していた。四年前の第一次侵攻で負った傷故、体に多少の不自由は抱えていたが、リハビリは万全だったし、そもそもトリオン体になってしまえば何の問題もない。
 仮入隊の際に全役職をとりあえず試してみて、結果一番成績が良かったのは狙撃だった。しかし、菊地原はアタッカーだ。仮入隊の間は自分と同期入隊になる人間と殆ど遭遇しなかったのもあって、アタッカーでもそれなりにやれるのではないかと思った。何より、実践に出れば頭脳戦と転じる局面が多いスナイパーよりかは……そう思ったけど、次元が違った。
 上には上がいる。ボーダー内部でいの一番にそれを教えてくれたのは、木虎だった。

「別に、上を目指す必要はないよ」
 嘘だ。どんな手を使ってでも、上に行きたい。
 そのために、スナイパーを選んだはずだった。事実きよらはB級スナイパーのなかでもA級相当の力量を持っているものとして扱われてきたし、うちの隊にと声を掛けられることも少なくない。
 スナイパーランキング二位の奈良坂の弟子として、一応は今後の活躍を期待されていたはずだった。

「あのねえ……黙ってないで、何とか言ったらどうなの」

「理由ぐらい」

「友達、なんだから」

 口に含んだコッペパンを飲み下して、緩々と長い息を吐く。
 きよらはわずかに目線を落とすと、「うん」と小さく相槌を打った。そうやって頷けば、木虎もきよらの反省を信じて引き下がる。同い年で、一年の時から同じクラスで、同じボーダー隊員で、でも木虎のほうがきよらよりずっと強くて、きよらのことを友達だと信じている。目の前に座るきよらは、木虎のことを微塵も信じていない。

「……藍ちゃんの、そういうところ好きだよ」
 ようやっとお弁当の包みを開いた木虎がジロリときよらを睨む。ばか。木虎は声を出さずに、口の動きだけできよらを罵った。眉間のしわは相変わらずだが、満更でもない風に気の抜けたため息が漏れる。

 ボーダーの顔である嵐山隊の一員である木虎は広報活動にランク戦対策に戦闘訓練と忙しく、ボーダー本部で顔を合わせることは滅多にない。高校に進学して、もしクラスが別になったら、木虎と顔を合わせない日のほうが多くなるだろう。木虎は忙しいから、きよらに構っていられない。きよらだって大人たちから余計な心配をされず、悪目立ちしないで済むための“友達”が欲しいだけだから、如何しても木虎が必要なわけではない。

 藍ちゃんのそういうところ好きだよ。あいちゃんがすき。すき。
 すきという言葉が、きよらの胸の中で反響する。木虎の生真面目なところがすきだ。努力家で、自分にも他人にも厳しいところがすき。冷たい風でいて義理人情に篤いところがすき。凛々しくて綺麗な顔がすき。猫のようなアーモンド型をした瞳がすき。でも、この子にも私は必要ない。この子の幸せにも自分は必要なくて、この子はしろーくんに少し似てるけど、しろーくんではない。ずっと一緒にはいられない。ずっと一緒にいてと望むこともない。一緒にいたいと望めない。
 すきだから傷つけたくないと思う。自分のせいで辛い思いをしてほしくないと思う。だから嘘をつく。学校から出て、ボーダー本部に着くとほっとする。少なくとも、明日の朝までは木虎に嘘をつかなくて済む。如何してこんなに頭が良くて、可愛くて、優しい良い子と一緒にいて神経が摩耗するのかと、自分に苛立つこともない。
「私、ほんとに藍ちゃんのこと好き」
 藍ちゃんは本当に心配してくれてるのに、ごめんね。
「好きだよ」

 ごめんね。

 許してほしいという気持ちをこめて、繰り返し繰り返し「好きだよ」と口にする。きよらの告白に慣れっこの木虎が、それでも恥ずかしいのか頬を僅かに紅潮させて「もう良いわよ」と額に手をやる。

 好き。好きだよ。
 きよらにとって、心からの好意がこもった告白は“一緒にいて”という懇願に他ならなかったのだと思う。たった一度、菊地原に縋った言葉だけが屈託のない思慕だった。

 シッター代わりにきよらの面倒を見てくれた父方の祖母は義務だけで、きよらの心に寄り添ってはくれなかった。母親と父親にはきよらよりも大切なものがあった。唯一自分の心に寄り添って、ずっと傍にいてくれた家族は喋れないから、きよらは寡黙な子供だった。バレエ教室では大人から特別扱いされたから皆に遠巻きにされ、大人しいから保育園でも小学校でも友達が出来なかった。シロがいてくれれば、それで良かった。
 シロは犬だから、きよらの傍にいる他ない。母親にも、父親にも、きよらは駄々をこねたことがなかった。いつでもキラキラしている両親はきよらの自慢だったし、十分大事にして愛してくれているのだから、これ以上の我儘で引き留めてはいけないと思っていた。シロがいるから、きよらはひとりぼっちじゃないと思っていた。

 たった一度きり、一人だけ、菊地原に傍にいて欲しいとせがんだ。
 シロよりも好きなものが初めて出来た。好きだと告白することも、キスしてとませた口を利くでもなく、ただ傍にいて欲しいと思った。それがきよらの恋だった。それが初恋だと知ったのも、一人になってからだった。

 傷つきたくないから「すきだよ」と口にする。その嘘がきよらの感情を殺してくれる。遅効性の毒薬みたいに。

ムオンノクニ//3


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