新大陸より遠い場所

 千砂登はシベリア鉄道の硬い座席に腰掛けたまま、どこまでも続く雪原を眺めていた。
 乗客は皆どこか陰気で、分厚い外套に埋もれるようにしてこの列車が目的地に着くのを待っている。モスクワで乗り込んだときは未だ遠出に浮き足立つ客の姿も見受けられたが、都市部を離れる毎に賑わいは失せていった。そもそも千砂登がいるのは三等車なので、車内の空気が沈んでいるのも当たり前だ。千砂登も他人に絡まれる前に、外套についていたフードを目深に被り直した。
 コンパートメントを選ばなかったのは、手荷物が多いからだ。千砂登の座っている席の向かいには、巨大なトランクが鎮座している。四人分の切符を受け取った車掌がニコリともせず「人間の死体が三つ四つ入っちまいそうだ、え?」と酒臭い息を吹きかける、そういう大きさのトランク。
 なかには確かに人型のものが入っているものの、チップを余計に渡せば詮索されることはない。

 モスクワからウラジオストクまでは一週間と少し。その後、ナホトカ支線へ乗り換える。
 最終目的地は樺太だ。千砂登の任務はその地に住む少数民族に紛れて“シャーマン”として暮らしているらしい女がオートマータか否かを探り、前者であった場合“破壊”すること。事前資料によると彼女は少数民族を扇動し、ソヴィエト連邦が派遣した駐屯地兵を襲っているらしい──つくづくオートマータの旺盛な行動力には恐れ入る。オートマータの目的は、彼らの首魁であり造物主である“フランシーヌ”を笑わせることのはず。一体全体、民族浄化の邪魔をすることがフランシーヌを笑わせることと如何繋がるのか千砂登には分からない。旅費を持ってきた師にそう零すと、折り目正しい淑女であらせる師は「私たちに分かる必要があるとでも?」と答えて帰って行った。
 結局はそういうことなのだ。土は土へ、人形は人形に還せ。それが全て。何も考えるな。
 千砂登は思索を止めて、車窓に意識を戻した。目に映る景色の全てが色あせて見えるのは、七つの頃からの持病である。堪らなく退屈だった。北国は気が滅入る。南方へ行ってみたいと思った瞬間、千砂登の脳裏に“フランシーヌ”の記憶が蘇る。訪れたことがない国の色彩、そこに住むひとびとの暮らしと、それが無惨に踏みにじられていく光景。フランシーヌはそれを無感動に見下ろしている──今の千砂登と同じに、堪らなく退屈だと考えながら。それでも未だ「この世界の果ての果てまで巡れば、人形に過ぎない自分を笑わせてくれる何かがあるのではないか」という僅かな希望を胸に抱いている。それは遙か昔のことだったが、彼女が壊れたことを知る者は少ない。
 疾うにフランシーヌが捨てた希望を、彼女が生み出したオートマータたちは未だ信じている。

 やがて暗くなると、黒々とした車窓に十七歳の少女が映った。
 1959年晩秋、千砂登が“しろがね”になってから五十年が過ぎていた。アクアウイタエを飲んだ千砂登の体は、五十年かけてやっと十歳年を取る。十七歳の少女が大荷物を持って旅をしていることを案ずる者は少なくないが、髪も目も銀色の千砂登を日本人と気づく者はいなかった。
 尤も終戦から十四年も過ぎ、今や各地で日本人を見かける。ビジネスマンだけではなく、ヴァカンス目的の若者さえ珍しくない世情で、千砂登が己の出自を顧みる必要はない。単なる感傷だ。
 五十年の間に世界では様々なことがあったけれど、その何れも千砂登の人生には無縁だった。
 座敷牢を出てフランスへ渡ってから三十五年。即戦力の期待を受けて渡仏した千砂登は人形繰りを教わることもなくすぐ任務へ駆り出され、余暇には同世代の子らに人形繰りを教えたり、他の“しろがね”の操る懸糸傀儡を修理する。三十五年ずっとその繰り返し。しろがね年齢では未だ成人していないからという理由もあるのだろうが、他人と違う経緯で──ゾナハ病患者だったからではなく、金で売られたからと──“しろがね”に成ったため、本部から出ることを許されていない。
 同じ“しろがね”のなかには自由のない千砂登に同情的なひともいたし、ゾナハ病に掛かったことのない千砂登を仲間として認めないひともいた。彼らは“アクア・ウイタエ”はゾナハ病の治療にしか使ってはならないと信じていたし、ゾナハ病患者を目の当たりにすると「そうかもな」とも思う。そういうわけで、ゾナハ病から解放されたばかりの年若い“しろがね”ほど千砂登を見下そうとする。ゾナハ病じゃなかったくせに。そう罵られても、千砂登にはどうしようも出来なかった。
 そもそも千砂登は(厳密的には)金で売られたわけではない。成り行きで“アクア・ウイタエ”を口にしてしまっただけだ。両親は“ふつうの人間が知ってはいけない幾つものことを知ってしまった娘”を持て余していたし、幸か不幸か千砂登が知ったことを秘匿したい人間が何人かいたので、そのお膳立てで渡仏した……などと知ったら、皆もっと怒り狂うであろう。それ故、千砂登は罵倒されるまま黙っていた。きっと、たぶん、千砂登はゾナハ病にかかったことがなくて幸せなのだ。

 ゾナハ病、正式には「他者の副交感神経系優位状態認識における生理機能影響症」という病はオートマータの疑似体液や、オートマータが撒き散らす“銀の煙”が体内に入ることで発症する。
 病状の進行は凡そ三段階に分かれており、主な症状としては呼吸困難や免疫力の低下が挙げられる。対症療法として副交感神経系を緩和させる──他人を笑わせることで一時的に症状を抑えられるものの、現状は“アクア・ウイタエ”を飲む以外の治療法が存在しない。無論“アクア・ウイタエ”を飲めば“しろがね”に成るが、飲まなかった場合も最終的に“死ねない体”になってしまう。
 免疫力低下に伴う合併症で死ぬことなく第三段階に陥ると新陳代謝が停止し体温が低温で一定化し、食料を摂取せずとも生き続ける。外的要因以外では死ぬことが出来ず、半永久的な苦痛に苛まれる“置物”と化す。闘病時の苦しみを思い出すのか、レイ疫病研究所には皆行きたがらない。
 床の上に転がされる無数の患者を前に、憎しみの籠もった目で見てくる医療従事者を前にしても、千砂登は何も感じなかった。前もって師たちから「反論するんじゃない」と言われていたし、病棟を見て回るうちに「ここの大人は行き場のない怒りを抱えている」とも分かった。それに殆どのひとは知らないけれど、千砂登のなかには“これ”をばら撒いたものの記憶がある。仕方がない。
 千砂登はゾナハ病にかかったこともないし、その看病をしたこともない果報者だ。


 自分が世界で一番不幸だとでも言いたげな顔をしやがって。
 千砂登を殴った男が叫ぶ。お前さえ死ねば。お前らは人形如きに何十年も手こずって、お前の血があればここの子ども達が何人助かると、痛くも痒くもないくせに。馬乗りになって殴打してくる男を、無論殺そうと思えば殺すことが出来た。はねのけることも、落ち着かせることだって出来たのに、何もしなかったのは面倒だったからだ。ニンゲンだから壊してはならない、とも思った。
 ゾナハ病を知らない千砂登は果報者。千砂登の顔がすっかり変形した頃に、男の同僚が止めに入って心にもない詫びを口にする。看護婦たちが千砂登の耳に入るよう、顔を見合わせて話す。先生ったら、化け物相手に謝るなんて大人だわ。だってあの子、未だ子どもみたいな顔をしてるけど銃で撃たれたって死なないんでしょう。もう顔の腫れも引きつつあるじゃあない。もっと殴ったって良かったんだわ。子どもの頃、冒険譚に胸を焦がしていた気がする。海賊船へ乗って、新大陸目指し大海原を往く。幼い日に夢見た“新大陸”、まさか実際にその地へ足を踏み入れることがあろうと誰が予想しただろうか。ましてやそこで殴られ、罵られ──口々に呪われるとは。


 千砂登は、七つで“アクア・ウイタエ”を飲んだ。
 その“アクア・ウイタエ”には事の元凶が溶けていたけれど──当時の千砂登は彼女が悪人だとも、人形だとさえ知らなかったけれど、ただ友人を助けるために“アクア・ウイタエ”の満ちた井戸へ入った。あの“アクア・ウイタエ”があれば何人のゾナハ病患者を救えたのか、ただ自分と妹分が助かるために土に吸わせた。それを皆んなが“大罪だ”と言うのなら、もう如何でも良い。
 座敷牢のなかで過ごした十五年よりも、あらゆる国を旅した三十五年のほうが不自由だった。
 千砂登には「私を壊して欲しい」と願ったフランシーヌの気持ちがよく分かる。この世界はあんまりに狭すぎて、あらゆる土地は呪いを帯びている。真夜中のサーカスは様々な場所を旅して回った。団長であるフランシーヌが「この世界の果ての果てまで巡った」と絶望するぐらいに。
 千砂登は夜色のガラスを見つめた。車窓のなかに映る瞳は暗く、ずうっと眺めていると目も髪も黒いような気がして息を呑んだ。妹たちは十七で嫁に行った。もう何十年も昔のことだ。今は孫に囲まれているか、はたまた先の大戦で死んでしまったのか……故郷はどうなったのだろう。家は未だあるのか、父親は息災か、母親の心の病はよくなったのか、どっと帰郷の念が湧いてきた。
 故郷を発って三十五年。妹たちももう五十を過ぎたに違いない。幼馴染みだって、千砂登のことなぞ覚えてはいまい。どの道千砂登は七つで死んだことになっているのだ。帰ることは出来ない。
 涙も涸れた顔に、不意に笑みが浮かんだ。車窓に映った輪郭を指でなぞる。十七歳の少女の顔とは思えないほど疲れ切った表情をしていた。当たり前だ。もう五十七年も生きている。ふつうの十七歳とは違う。白無垢に頬を染めてはしゃぐ妹たちと違うのは当たり前。千砂登は化け物なのだ。

 大きくなったら船へ乗って知らない国へ、未知の大陸へ出てゆくのだと幼心に焦がれて夢見た。
 少女だった頃から五十年も過ぎて、呪われた体のなかで精神だけが老いさらばえてゆく。
 叫び出したい程の悲しみは疾うに消え去っていた。
 どこか遠い場所へ行きたい、と思った。
 全部から解放されたい。
 誰か私を助けて。

 私を殺して。



「イカダで川を下りたいわ」
 腕組みをして、新居の下に転がったままの木材の有益な運用方法を提示する。

「……そーゆーのはもうちょいこの辺探索してからだろ」
「良いじゃん、イカダ。おれやりたい」
 エースもサボも互いに木材の山に乗って遊んでいたのだが、綺麗に意見が分かれた。
「いつまでも転がしとくと見栄えが悪いでしょう。それに、蔓なんかがあればすぐ出来るわ」
「ツル? ここ来る途中よく見るよ。おれ、取ってくる!」
 言うが早いか、木材の山から滑り降りたエースが走り出す。
「エース!」殆どドップラー効果めいて響いた言葉尻に、サボが子どもらしからぬ渋い顔をした。「ったく、イカダより資金集めだろぉ!」僅かに身を浮かせたものの、再びドスンと腰を下ろす。
 その小言が耳に入ったのか、走りながら振り向いたエースが「イカダも大事!」と叫んだ。
「今月のノルマ達成できなかったらおまえんせいだかんな!!」
 律儀に叫び返すサボを見て、千砂登は口元に手を当てて笑い出す。
「……チサトも同罪だってわかってんだろーな」
 サボの怒りの矛先が自分に向いても、千砂登は笑みを崩さなかった。
「ごめんなさい。でもやっぱり、いつまでも置いとくと危ないでしょう?」
 クスクスと鼻にかかった笑みを漏らす千砂登は長い銀髪を結い上げ、すっかり真人間の顔をしている。少し前まで男をボコボコにするだけの存在だったのがウソのようで、服装にさえ目を瞑ればどこぞの貴婦人に見えた。容姿が優れているからだけではなく、言葉遣いや仕草──立ち居振る舞いに至るまで千砂登は洗練されていた。少なくとも、グレイ・ターミナルに一人蹲っていたのが不思議なぐらいには。サボがそう感じるのは無論彼が貴族に産まれたからで、エースなぞは「へえーおまえただの役立たずじゃなかったんだなー! 船作れねえのかよ、船」以上の反応はない。
 他人と分かち合うことの出来ない悩みを抱えたサボは悶々としていた。若しチサトが自分と同じ貴族だったら自分を知っている可能性があるし、もしくは両親が遣わしたスパイの可能性もある。
 そうでなくとも、サボは明らかに“特異な存在”である千砂登に自分のペースを乱されるのを嫌っていた。無論千砂登には、この年頃の──自立精神豊富な子どもの考えなど分からないし、理解しようとも思っていない。ただ本で読んだ“イカダの作り方”を実践し、川を下りたいのである。

「はしっこに寄せてあるんだし、危ないことなんかないだろ」
 千砂登より遙かに複雑な思考を展開しているサボは、木材の山から立ち上がった。
「大体さあ、チサトは」下ろうと足を出した瞬間、足蹴にしてた木材が崩れてバランスを失う。「っと、や」慌てて両手を広げ、支点を探すサボを、千砂登がさっと抱き上げる。
 至近距離でサボを見上げる千砂登が、ことんと小首を傾げた。
「ね、崩れたら危ないでしょう」
 結果的に言い負けた形になったサボが口を尖らせる。
「……チサト、嬉しそう」
「サボくんは?」
 サボを抱き上げたまま、千砂登が問う。
「今までミンシュシュギだったのに、チサト来てから二対一になっていやだ」
「平等に意見が交換出来るだけじゃなくて、悪戯にマジョリティが勝つのも民主主義の側面よ?」
「ばーか」
 罪のない罵倒を受けて、千砂登は微笑った。
 遠くに、紐状のものを引きずってくるエースの姿が見える。あと数分の内に戻ってくるだろう。エースが戻ってきたら、サボもなんのかのと不満は言いつつイカダ作りを楽しむはずだ。
 こないだから、サボとグレイ・ターミナルの地図を作っている。一から地図を作るのは楽しいし、少しずつ知っている場所が増える感覚は言葉にし難い興奮がある。それはサボも同じなようで、地図を作ってる間はトゲのある言葉を口にしない。一方のエースは感覚的に行って戻ってこれれば良いようで、地図作りには積極的ではなかった。今日の川下りは久々に三人で楽しめそうだ。

「嬉しいわ。ここに来てから、知らないことだらけで毎日楽しいの」
 目を眇めて笑いかけると、サボがため息交じりに「しゃーないな」と口にする。あった、あった、あったーーーと叫ぶエースの後ろに牛らしき生き物の影が見え隠れし、サボと二人慌てて武器を取る。あったじゃねえだろ、後ろ見ろよ!! サボが叫んでようやく背後に気づいたエースが変な声を出す。エースの分もパイプを持った千砂登は、堪えきれず大きな声で笑った。


 故郷を発ってから七十五年、千砂登は九十年ぶりの自由を謳歌していた。
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