眠れよ眠れ、善い子は眠れ

 初めて作ったイカダはものの一時間で瓦解し、サボにしこたま絞られた。
 這う這うの体で川から上がったサボに「作れるって言うから任せたのに!!」と詰られたが、千砂登は無用な嘘を吐くほど暇人ではない。家だって、イカダだって、皆んな“本で読んだ”以上の知識はない。当世風の表現を用いるなら“進研ゼミで習ったやつだ!”以上の知見はないのである。
 進研ゼミ冒険者養成コースもとい、千砂登の愛読書であった“大草原の小さな家シリーズ”や“重五少年漂流記”、“宝島”でだって、イカダを拵えるのは簡単だと記してある。どの本だって数行、精々一ページの間に完璧なイカダを作っている。そのたった数行、一ページの余白に様々なことがあった。まず、エースが持ってきた蔦から葉を毟って縄を縒らなければならなかったし、サボはエースが振り回した丸太で強かに顔面を打ち、エース自身も丸太に乗って遊んでいたら派手に転倒した。ツリーハウスを建てている時から薄々感じていたけれど、冒険小説の記述は実用的ではない。
 それでも千砂登は“しろがね”である。ふつうの人間の倍ある腕力を用いて無理やり丸太同士を繋げた。大正生まれの千砂登に貴婦人としての立ち居振る舞いを仕込んだのは生粋のパリジェンヌたる師である。重火器を振り回して尚貴婦人然としていた師は、千砂登があらん限りの力で蔦を締め上げているのを見たら卒倒したであろう。なお、丸太同士の絆が強固になる前に蔦が千切れた。
 千砂登が数多の苦難を乗り越え、ようやくイカダ(仮)を完成させた時には既に日が暮れていた。
 最初は手伝っていたエースとサボは段々水浴びに夢中になり、最終的に木陰でうたた寝を始める始末。千砂登が意気揚々と「出来たわ! ね、なんて名前にする? 私たちの船よ!」と叩き起こした途端「しらね〜ってか、ねみい」「まだやってたの?」と大はしゃぎ。やはり子どもである。
 大歓声のなか着水させたイカダは、そのまま水底に沈んだ。浮力材がなかったからだ。
 千砂登は「みんなでグレイ・ターミナルに浮きそうなものを探しにいきましょう」と促したが、一度挫折を味わった子どもたちはシビアだった。元々サボはイカダ作りに否定的だったので、すっかりイカダに興味関心を失ったエースが「おれ、もう帰る」とほざいたらそこで千砂登の“イカダに乗ろうプロジェクト”は終わりであった。帰る道々サボに「これが“みんしゅしゅぎ”の力だ」と言われたけれど、千砂登は諦められなかった。イカダに乗って川を下りたい一心から、サボの目を盗んで浮力材を探し回り、ちゃんと浮くイカダを作り上げた。……作り上げたはずだった。

 びしょぬれのサボに叱られながら、千砂登は人差し指の先を咥えて考えた。

「チサト、聞いてんのか? 大丈夫大丈夫って無理やりおれらを縛って乗せたの反省したか?」
「あんまり……」
 千砂登は本心のまま、それでも形ばかりはすまなげに返事をした。
「だって二人とも、たくさんお願いしたのに聞いてくれなかったんだもの」
「おまえさあ、ひとがイヤだイヤだって言ってんのに何で力づくで何とかしようとするんだよ!」
 今回の失敗に限って言うと恐らく蔦の強度が足りなかったのであろう。カラムシから縄を縁るのは小さい頃からよくやっていたが、今回エースが持ってきたのは見たことのない蔦植物だった。葉の形からして、カラムシどころかイラクサ科でさえない。それでも、幾らか弾性があるので使うことにした。そもそも千砂登には植物学の知識などないし、あったところで知ってる植物がちょっと増えるだけのこと。考えるより生むが易しと思った結果、三人を乗せたイカダは無事に沈没した。
 作った時はある程度の強度があるように見えても、日を置いたら耐久度が落ちたらしい。

「でもね、サボくん……途中まではとっても楽しかったでしょう?」
「どーすんだよ、見覚えのねえとこまで下ってきちまって」
 サボはわざとらしいクソデカため息と共に、地面に転がってる丸太を蹴った。
「チサトはおれたちのなかで一番年上だろ、すこしはしっかりしろよな」
 千砂登は言葉に窮した。確かに、この世界へ来てから自制心の“じ”の字も意識したことはない。
 でも……千砂登は内心呟いた。でも千砂登はこの世界へ来て未だ一月も経ってない。この世界では赤子も同然である。そんな千砂登より、ここで産まれて育ったサボやエースのほうがしっかりしているのは当たり前ではなかろうか。赤子なのに言葉を喋って偉い、ぐらい褒めて欲しいものだ。
 千砂登の甘えを感じ取ったのか、サボは五才児とは思えないほど渋い顔をした。
「……ほんっとに、チサトはしょうがねえやつだなあ。なあ、エース……エース?」
 そこでようやっとサボがエースの不在に気付いた。

 サボと向かい合っていた千砂登は知っている。
「乾いた木を探しにいったみたい、ずっと濡れた丸太に火を付けようとしてたから……」
 千砂登がサボに叱られている間、一応の共犯たるエースが何をしていたかと言えば焚き火を熾そうと腐心していたのである。焚き火を熾す……と言っても、知識があるわけではない。さっきまでイカダだった丸太の一部に拾ったライターの火を近づけ何とか燃やそうとしていたが、五本ほど試してダメだったから他の燃料を探しに森の奥へと消えていった。千砂登も一緒に行きたかった。
 千砂登は胸の前で手を組んで、何故だか憔悴しきった様子のサボに詰め寄った。
「ね、このあたり何があるのか気にならない……? わたしたち、」
「おれたちまでこっから離れたらいよいよ遭難だろ……エースが戻ってきたら川沿いに帰るぞ」
 再びクソデカため息をついたサボが丸太の上にドッカと腰を下ろす。
 千砂登は暫し立ったままあたりを見渡していたが、サボが「チサト」と言って睨むので大人しくサボの向かいに座り込んだ。エースばっかりサボくんに叱られなくて良いなあと思いながら。

「チサトはさ、」
「うん」
「……よく、こんなんで今まで生きてこれたな」
 五才児にしみじみ感心されてしまった。ピシッと表情筋が固まる。

 千砂登はこう見えて九十八歳である。
 サボの人生の二十倍ぐらい独りで生きてきた、立派な大人──いや、独りとは行っても去年までは殆どしろがね本部に住んでいたし、そもそもサボがイメージする“しっかりした大人像”は千砂登の元いた世界では“しっかりした大人像”として通用しないような、まあでも師が自分と同じ境遇になったらサボとエースをビシバシ鍛えただろうし、決してこんな侮辱を許しはしなかっただろう。

 うんうん考え込みながら、胸に飛び込んできたものを咄嗟に受け止める。パンだった。
「そういう反射神経はあるんだよなあ」
 一足先にパンを齧ってるサボへ視線をやると、まだ短い人差し指を口元に立てた。
「濡れてないパンこんだけだから、エースが戻ってくる前にそれさっさと食っちゃえよ」
 千砂登は手のなかのパンをじっと見た。

 “しろがね”は食事も睡眠もあまり必要としない。
 ギイ・クリストフ・レッシュなぞは「人生には享楽がつきものだ」と言って食を楽しんでいたけれど、まあアレは元々フランス貴族の末裔で、もう遺伝子的に堕落した人間なのだ。清貧を美徳とする農村部に産まれた千砂登とは違う。食事は活力を養うための手段であって、不必要に欲することはなかった。眠ることも同じ。寧ろ、夜毎の悪夢を思うと眠るのは厭わしいことだった。
 “同じ悪夢”に魘された妹分は、ただの一度も笑ったことがない。その美しい顔立ちを人形のように強張らせて、他人に媚びようとしなかった。でも、千砂登は違う。口端をちょっと吊り上げるだけで許されるなら、そうしたほうが楽だと思った。すぐ屈してしまうことが自分の弱さだとも。

「チサト、変な顔してる」
 サボの指摘を受けて、千砂登は小首を傾げた。
 自分が食事や睡眠をあまり必要としない人間であることは、とっくに二人に伝えてある。一緒にいたら何れ分かることだし、限りある資源を無駄にすると勿体ないと思ったからだ。そう伝えたにも拘わらず、二人は千砂登に食べ物を分けるし、自分が寝る時は当たり前のように千砂登も寝るものと思っている。サボとエースの背丈に合わせて作った寝台は、千砂登が寝るには少し小さい。
「そろそろ食料問題をどうにかしたいなと思っているの。小麦畑を作りたいわ」
「どーせ畑耕すのも初めてなんだろ」
「いいえ、うちは兼業農家だったから……おいしい、帰りに木苺か何か生えてると良いわね」
「なんかはあるさ、エースはそういうの鼻が利くから」そうぼやくサボの手には、食べ掛けのパンが握られている。「言うほど美味しくなかったから、あとでエースにやろうと思って」
 言い訳っぽく付け足したサボが「やっと来た」と言って立ち上がる。
 エースは自分の倍もある倒木を引きずりながらこちらへ向かっていたが、びしょぬれだった衣服は彼を待っている間に粗方乾いてしまっていた。サボが両腕を振って「木を捨てて来い」と指示するが、勿論エースには伝わらない。相変わらず、周囲の木々をなぎ倒しながら向かってくる。
 千砂登は「あーあ」と言いたげに額に手を当てるサボの隣に並んで、乱れた髪を耳に掛けた。

「あの木で新しいイカダが作れそうね」
「そんときはチサト一人で行ってよ……エース、それ要らない!! いーらーなーいー!!!」
「占い〜〜〜〜〜〜!?!? これでえ!?? どうやって? 燃やすのか?!」
「要らねえーーーーーーだっての!!」
 全力でじゃれ合う二人を見て、千砂登は目を眇めた。三人が眠れる大きさに寝台を作り直そう。
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