ひとりで生きられないのは君のほう

 チサトは変な奴だ。
 大人なのに全然うるさくなくて、大抵の場合ただそこに座ってボンヤリしてる。飯は食わねえ。動くのはチンピラをボコボコにする時だけ。すげえ俊敏な動きでボコボコにする。バーサーカーって感じだとエースに耳打ちしたら、エースは「ババアカーってなんだ?」と全然分かってなかったけど、チサトは聞こえたみたいで苦笑していた。チサトは耳がいい。地獄耳だと思う。
 何日も一緒にいると、段々チサトが何でもできる人間だって分かってきた。
 一昨日、チサトは幾つかのガラクタを手に端町へ行き、そのガラクタでどんな交渉をしてきたのか大工道具一式を買い揃えてきた。おれが「すげえ、かっけえ」って言いながらカナヅチの重さを確かめていると、チサトは「そう? 見栄えが良いばかりでノコギリの刃先は潰れてるし、カナヅチと斧は接合部分が雑だからすぐ柄が取れるでしょうね。思ったほど稼げなかったわ」と口にして、今度はコルボ山のほうへ出て行ってしまった。“ちぇーんそー”が欲しいとか言いながら。

 チサトがいなくても、おれの生活は変わらない。
 そもそも一週間前はチサトに出会ってもないわけだし、一週間一緒にいたのもエースが怒るからってだけで、おれ自身はチサトがいてもいなくても如何でも良いんだ。自由になりたくって家を出てきたのに、そこでまた厄介な大人の世話を頼まれるだなんて思ってもみなかった。チサトにもやることが出来て、あちこち歩き回るようになったなら喜ばしいことだ。おれは忙しいんだからさ。
 朝は拾ってきた新聞に載ってる“海の戦士ソラ”を読みながらタンポポ・コーヒーを飲まなくっちゃならないし、あたりを片したらグレイ・ターミナルを探索しないとならない。コルボ山から遙々こっちに来てるエースのほうがこのへんのことに詳しい、なんてことがあると悔しいからな。あちらこちらウロウロしながら何をするかは日によって違うけど、大体エースとの約束のために換金出来そうなものを探したり、食べ物や新聞を拾い集めて、日暮れ前に塒へ戻る。その日の収穫を隠し終わったらたき火を熾し、適当に腹を満たして寝る。そんで、たまに山賊の仕事から抜け出してきたエースと会ってなかった間の成果を話し合ったりする。家出してからの一ヶ月、その繰り返し。

 グレイ・ターミナルに来てからの一ヶ月、おれはずっとワクワクしてた。
 母さんの言いなりで勉強してるときも、父さんにわけのわかんねえ説教されてるときも、ずっと外の世界を見てみたいと思ってた。母さんたちの顔色を伺いながら食べるメシと違って、自分で拾ってきたパンをひとりで食うとちゃんとパンの味がした。時々カビてるのもあったけど、それはそれで面白い味がする。いつか金を貯めて自分だけの船を買って、もっと遠い国に行く。グレイ・ターミナルでの暮らしはその足がかり。換金できそうなもんを探し歩いてたらエースと出会って、最初は獲物の取り合いだったけど、喧嘩してるうちに同じ考えだって分かって、可笑しくなって、一人より二人のが早いよなって意見が一致したのを切っ掛けに仲良くなった。
 エースは面白い奴だ。時々わけのわかんねーとこがあるし(チサトひろってくるとことか)、頭悪いなコイツと思うこともあるけど、でもエースと話してると、おれの行きたい“遠い国”がどこにあるか知ってるんじゃないかって思う。おれの「遠い国へ行きたい」ってのは、つまり、単にこの国が嫌いなんだ。媚びへつらう母さんが嫌だ。おれのことを見てくれない父さんが嫌だ。おれの話を聞いてくれない二人のことが嫌だ。会う奴会う奴みんな訳の分からないことを考えてて嫌だ。こいつらのいないところに行きたい。そういう気持ちから「遠い国へ行きたい」って思ってるおれと違って、エースはなんか、もっと深くて激しい理由があるみたいに見える。海へ出て、誰よりも強い海賊になるんだって、そう話すエースの目がギラギラしてて、かっけえなって思った。
 海に出るのは一つの手段だった。でも、誰よりも強い海賊になりたいって話す男はカッコいい。おれもエースと同じ海賊になろう。この国のことを全部忘れて、世界で一番自由な男になるんだ。
 おれは自分の夢が着々と叶っていくのを実感して、毎日楽しかった。

『これで、君たちの船に乗せても大した荷物になりはしないと納得して頂けた?』
 ……チサトは変な奴だ。

 今日、おれは二日ぶりに帰ってきたチサトに連れられてコルボ山の麓に来ている。
 このあたりは幾らか悪臭も薄れてて、まあ夥しいゴミに地面が埋め尽くされつつあるけど、ゴミの隙間を縫うように草木が増殖を続けている。そこに沢山の切り株と、元はその切り株から上に生えていたのだろう木材が鎮座していた。チサトが二日かけて切ったのだと言う。グレイ・ターミナルに流れてくる前は林業でもしていたのだろうか? 正直言うと、おれやエースがあくせくゴミ拾いしても新品のナイフさえ手に入らないのに、ほんの数日で大工道具から何から手に入れてしまうチサトへの嫉妬もあって、つい「こないだっからさ、ここから出てくための金でも作ってんの?」と口走ってしまった。チサトはきょとんとおれの顔を見つめたあと、不思議そうに小首を傾げた。

『君たち、まだここでやることがあるのでしょう。私たちの家を建てるのよ』
 当たり前みたいにそう言い放ったチサトは、おれに布と裁縫道具と図面を投げて寄越した。

 チサトはこの二日間で端町とここを何往復かしていたらしい。
 何らかの手段で金銭を得たチサトは大工道具同様に布や裁縫道具も揃え、数十本の木を切り倒し、ただの丸太を角材に加工したり、木っ端から食器やカトラリー、木桶を作っていたらしい。チサト曰く、材料と設備さえ揃っていれば鍛冶仕事も出来るらしい。じゃあエースにナイフ作ってやれよと言ったら、その言及を避けるためにエースには言わなかったのだと口止めされた。
 大の男が何人揃ってても出来ないようなことを、チサトは平然とやってのける。魔法みたいに。
 チンピラをボコボコにするチサトを見て、エースは「あれでも大人だしな」って言う。チサトはダンダの五分の一ぐらいの大きさしかないけど、そもそも女は男よりもつえー生き物なんだってさ。おれは世間知らずのお坊ちゃんだから(エースにもチサトにもナイショだけど)、おれが知らないだけでエースの言うことが正しいのかもしれない。でも、チサトは絶対に変な奴だと思う。


「サボくん、サボくん! 見て!」
 声に釣られて樹上に目をやると、数本の枝を支柱に建てられた小屋が見えた。
 木材を前に「もう少し奥だと獣が出るし、森から離れると臭いし水場は遠い……」とウンウン悩むチサトに冗談半分で「木の上とか良いんじゃない?」と言ったら本当に実行してしまったのだ。
 小屋の影に隠れていたチサトが枝伝いに降りてくると、その頬が上気してるのがよく分かった。
「サボくんが言ったとおり、ツリーハウスにして良かったわ。すごく眺めが良いのよ」
 おいでおいでと手招きするので、針がついたまんまの枕カバーを放り投げて枝を手繰る。
 チサトはニコニコしているけど、普通に眺めは最悪だった。

「チサト、家作ったことあんの?」
「初めて!」
 そんな気はしていた。
「所有者のいない森なんて無いし、建ててる時間もなかったもの。でもね、本は沢山読んだわ!」
 チサトの座ってる枝の少し上にある枝に腰を落ち着けると、おれたちの新居と、今おれが縫ってる枕カバーの完成とが殆ど同じになりそうだってことが分かる。小屋は、もう殆ど完成していた。
 おれはどうやって家を建てるかは全然知らないけど、紙工作みたいにいかないことぐらいは分かる。何気なくチサトの手元を確かめると、一昨日と同じで傷一つなく綺麗だった。
 おれは世間知らずだけど、大人が誰でも皆本を読むだけで家を建てられるとは思わない。

「ツリーハウス、憧れたわあ。熱帯雨林にジャングル、インディアン、西部開拓時代!」
 チサトの声音が僅かに幼くなった。銀色の目がとろんと微睡んで、少しドキッとする。
「ケンちゃんたちともようけ話したわ。ルシール先生ンらは酷い田舎やってウンザリしとったけど、ほいでもウチゃ元々田舎もんやけんね。畑仕事やっとお時なんか、こりゃあ新大陸でん育っとおかち皆で話しおうとったわ。イカダ作って川浮かべて……どこへ行くつもりやったんか、」
 よく分からないことを捲し立てていたチサトの唇が奇妙に歪んで、きつく結ばれる。
「……嫌だわ、昔覚えた言葉ってずっと出てくる。柄にもなく里帰りなんかしたからね」
「チサトの産まれた場所って、ゴア王国の外?」
 今チサトが話した言葉は全く耳慣れないものだった。ゴア王国はあんなに酷い訛りはない。
 もしもゴア王国の外に帰る場所があるのなら、おれとエースで送ってってやっても良いかなと思った。チサトの故郷にいるひとはみんな銀髪に銀眼で、チサトみたいに何でも出来るひとばっかりなのかな。もしもそうなら、その国は凄く発展していて、おれには想像も出来ないようなことが当たり前みたいに起こる国なんだろう。その国のひとが旅へ出るなら、きっと海の底へも空の彼方へも行ってしまう。何でも出来て、何処へでもいけて、誰にも負けないのが“自由”ってことだ。
 おれの質問に、チサトは悲しそうに微笑んだ。

「そうよ。でも、みんな私のことを忘れてしまったから、もう帰らなくていいの」
 ケンちゃんというのは、チサトの幼馴染らしい。四十年前に病で死んで、数ヶ月前にお墓参りも済ませた。ケンちゃんの奥さんは数年前に大往生で亡くなり、チサトはケンちゃんの息子から「父ちゃんの教え子の娘さんですか?」と聞かれたので、仕方なく肯定したそうだ。幼馴染なのに。
 チサトはそれっきり何にも言わずに、作りかけの小屋を眺めていた。遠くで蝉が鳴いていて、グレイ・ターミナルに居るときは気づかなかったけど、そういえば夏になるなと気づく。
 おれとエースは出会って一ヶ月。このまま一緒の目的のために金を集めて、船を買って遠い国へ行って、それまでに何年も掛かるだろう。その時にはもうおれとエースはただの友だちじゃなくて、幼馴染ってヤツになってるはずだ。でもおれはエースの子どもに「父ちゃんの教え子の息子さんですか」って聞かれたりはしない。エースに子どもがいて、しかも死んでるなら、おれも結構なジジイってことになるし、エースの子どもだってよっぽどのバカでなければジジイ相手に「父ちゃんの教え子かな?」なんて、ましてやその子どもだなんてことは思わないに決まってる。
 蝉の鳴き声が一際大きくなった。同じ木に留まって鳴いているのかもしれない。

「……怖くなった?」
 おれは答えに詰まった。


 チサトは変な奴だ。
 最初は母さんたちみたいに何にも出来ない大人だと思ってたのに、意外と行動力があって逞しくて、黙って立ってると風に飛ばされそうなほどヒョロヒョロしてるのに自分の何倍もある男をボコボコにするし、大人しそうなのに結構暴力が好きで、まあエースとはそこらへんでウマが合うんだろうなあっておれなんかは思うんだけど、知的なおれとは気が合わないんじゃねえかなって不安になるぐらいエースに似てて……全然エースに似てなくて、悲しそうで、時々子どもみたいにはしゃいで、当たり前みたいに一週間前に出会ったばっかのガキと一緒に暮らすための家を建てる。

 ……おれはチサトなんかいなくたって全然楽しかったんだ。
 それなのに、チサトがいない間「あー、チサトがいないな」って何度も思った。夜、夢うつつに目を覚ますとチサトがたき火を眺めている。チサトの銀色の目に炎が煌めき、銀色の髪に赤々とした光が映る。この世のものと思えないような色彩に見とれているうちに、また眠りに落ちる。チサトがいない夜は、それがない。夜目を覚ましても悪戯に暗いだけで、たき火も消えてる。
 エースに頼まれて、イヤイヤ世話してんだよなと自分に言い聞かせる。
 だっておれは家が嫌で、ひとりでやってけると思ったからグレイ・ターミナルに出てきたのに、ここでまた知らない大人に庇護されるのってなんか違うよな。夜が暗いのも、たき火が消えてるのも、おかえりって言ってくれる人がいないのも、今日一日の話を聞いてくれる人がいなくたって、おれは全然平気だ。おれは自分一人で生きていけるんだよ。だからさあ、チサト。

「全く仕方のねえやつだなー! 帰る場所がねェのなんて、おれもエースも同じだろ」
 うちのクルーが泣き言を言うんじゃねえ。そう口を尖らせると、チサトが嬉しそうに笑った。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -