生活基盤を整えよう

 クソガキ二号ことサボは極めて口達者だった。
 “チサトと同じでさあ”という枕詞で始まったエースの話によると、サボはグレイ・ターミナルで寝起きする孤児で、将来的にエースの船の“航海士”になるらしい。突っ込みどころは無数にあるのだが、まず朝夕と器に貯めた水で歯磨き・洗顔を行う孤児が実在するとは思わないし、何なら五歳で文字が読めるのは千砂登の元いた世界でもかなり賢い部類に入る。朝の身だしなみを整えたサボはタンポポ・コーヒーを啜りながら、どこからか拾ってきた新聞を熱心に読みふける。こんな五歳児が山野にいてたまるか。十中八九それなりの家に生まれ、教育を受けてきた子どもであろう。
 まあ、千砂登には如何でもいい……のだが、流石にそろそろ今後の身の振り方を考えなければならない。五歳の子どもが真面目に暮らしているのを尻目に朝露を啜って暮らすのは気が咎める。

 サボと一緒に暮らすようになって三日、エースは山賊家業で忙しいらしく姿を現さない。
 その三日、千砂登はサボと殆ど口を利いていなかった。こないだの“やらかし”を引きずっているのも理由の一つだが、一番の理由はサボがコマネズミのように活発に働き回っており、話しかけるタイミングが掴めなかったからだ。サボは本当に働き者だった。その日の気分で動くエースと違って、明確な目的意識の下に自分のスケジュールを管理しているように見受けられる。
 朝は歯磨き・洗顔、どこからか拾ってきた食料とタンポポ・コーヒーで朝食を摂り、数日前の新聞三四部に目を通してから古びたシルクハットを被って外出準備を整える。この時「じゃ、出てくるからな」と声を掛けるのと、帰宅時に「おまえ一日そこにいるのか?」と問われることだけがサボの声を聞く機会だった。外出目的は様々で、彼ら曰くの“資金集め”に奔走する日は遅くまで帰ってこないが、単に生活必需品の収集で出かけている日は昼過ぎには帰ってくる。タンポポの根っこを持ってくる日は、問答無用で千砂登もタンポポ・コーヒー作りに付き合わされるのが常だった。
 植生は元の世界とあんまり変わらないんだなあと考えながら、サボから借りたナイフで根っこをみじん切りにして、新聞紙の上に広げて干す。その隣でサボは器用に火を熾し、数日前から干しておいた根っこをフライパンで炒める。それから粉末状にして完成なのだが、サボの小さい体ですり鉢を抱えて擦るのも大変そうだったので、そこも千砂登が代わることにした。

 グレイ・ターミナルは酷い場所だ──そこで三週間近くボーっとしてる人間の言ではないが。
 果てしなく続く土地は夥しい数のゴミで埋め尽くされていて、土が見えないほどだ。こうした無法地帯の常で、投棄されているゴミは生ゴミから粗大ゴミと無分別で、人骨までもが転がっている。これだけのゴミが集まっていれば、あちこちで煙が上がっているのも違和感はない。
 ゴミの層が薄い場所を掘ってみると栗色土の下に赤褐色土が覗く。グレイ・ターミナルの南方にある森林を遠望した限り、硬葉樹林であろう。煙と不自然な熱気で判別し難いものの、日ざしが強く空気が乾燥している。土壌や植生、天候から判断するに地中海性気候……幾らかの降雨はあるので、地理的には元の世界で言うところのイタリア北部に近いようだ。文明の発祥には地理的要因、気候的要因が大きく関わる。異世界とはいえ、元の世界との共通点は少なくない。日本語と英語が入り乱れている理由は不明だが、千砂登の知識は十分この世界でも通用するはずだった。

 初めは「人の住む場所ではない」と思ったものの、こんな場所にもコロニーは存在するらしい。
 少し歩けば老若男女問わず様々な人がゴミ集めに勤しんでいる。何が後ろめたいのか、誰もがゴミに隠れるようにして活動しているのが印象的だった。ここは子どもを育てるのに適した場所ではない。しかし千砂登には何の当ても無い。無になる。無になると言えばこないだワンナイトラブの果てに軟禁シャブ(推測)強姦の欲張りセットをご馳走してくれたチンピラがウロウロしているのを見かけた瞬間も無になった。あれだけボコボコにされたのに懲りない奴。別に次会ったら半殺しにしたら良いだけの話なのだが、面倒くさい。それに、エースは良いとしてサボに聞かれたら“やらかし”の全容が理解される気がする。あの子ども、本当に五歳なのだろうか……?


「おまえ、人間か?」
 同じような疑問をサボも抱いていたらしい。

 藪からスティックに問われた千砂登は真顔になった。一応未だ人間のつもりではいる。多分。
「おれがさあ、メシ分けてやるつっても要らねえ要らねえって、なんも食べないじゃん」
「……私は二ヶ月ぐらいだったら食べなくても平気なのよ」
 完成したタンポポ・コーヒーを瓶に詰める手を止めて、サボがまじまじと千砂登を見つめた。
 千砂登は僅かな水ですり鉢を洗いながら思案した。チンピラをボコボコにした時の感覚から言って、こちらの人間の体は元の世界のそれより耐久度が高い気がした。そうは言っても骨折などは中々治らないようで、“しろがね”の頑強さとは比べるべくもない。どうせ異世界だし、子ども相手だから本当のことを話してしまったけれど、この子の反応次第では他人へ吹聴するのは止めよう。
「へーえ」常日頃大人びた仕草の多いサボの顔に、あどけない表情が浮かんだ。「べんりだなァ」
 なんやかや、やはりエースの友だちということなのだろう。
「海の上じゃあ、そういうのは有り難いんだ。なんたって、初めは小さい船だろうから」
 サボがあんまりに平然と言うものだから、千砂登はクシャリと破顔した。
 弧を描いたままの口元へ指をやって、自分らしくもない笑みを隠す。作った笑みや、嫌みったらしい笑みを浮かべるばっかりで、腹の底から“面白い”と思ったのは随分久しぶりだった。
 こんなことで笑ってもサボに変に思われるばかりだと分かっているのに、真顔に戻せない。
 とうとうサボが不思議そうに見つめてくるので、千砂登は観念したように手を膝へ下ろした。

「これで、君たちの船に乗せても大した荷物になりはしないと納得して頂けた?」
 苦笑と共に問いかけると、あれだけ弁の立つサボが黙り込んだ。なに?

「あの、勿論……雑用係云々はエースが言ってるだけで、いつまでここへいるかも分からないし」
 何となく気まずい気持ちになったので、言い訳めいた台詞をつけたす。
「チサト、どっか行くとこあんのか?」サボがハッと我に返ったのは、友人との約束を思い出したからだろう。「勝手にどっか行くとエースが怒るぞ。あいつ、あれで粘着質だからな」
 大事なことはすぐ忘れるのにな!と続けて、ケラケラ笑う。とりあえず“友人との夢にババアが割って入ってきた”と思ったわけではなさそうだ。千砂登はホッと肩の力を抜いた。
「……ここへいるなら、ちゃんとした住処を作らないとね」
「まあ、それはな〜おれも考えてンだ。でもさあ、おれまだここに来て一ヶ月ぐらいだから、どこに何があるかも分かってないし……エースはコルボ山帰るから良いけど、如何するかな」
「コルボ山は分からないけど、ここから端町までの道程はあらかた分かったわ」
 千砂登はゴミをどけて露出させた地面に指で簡単な地図を記した。
「正直言って、この悪臭のなかで暮らす気にはなれないでしょう。明後日、町で大工道具を揃えてくるわ。とりあえずグレイ・ターミナルとコルボ山の間に小屋を建てて……どうしたの?」
 サボがポカンとした顔で千砂登の顔を凝視している。

「すげえ、大人みたいだ……」
 このクソガキは千砂登のことを何だと思っていたのだろう。
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