小さな取り立て人

 どこのスラムかは知らねど、グレイ・ターミナルなる場所は結構な無法地帯だった。
 大抵の場合無法地帯とゴロツキは密接に繋がっているが、グレイ・ターミナルも例外ではないらしい。千砂登が目を覚ましてからの一週間、招かれざる客が結構な人数やってきた。
 馴れ馴れしく擦り寄るだけの男もいれば、乱暴を働く男もいる。千砂登はそういった男たちが立ち去るまで己の過去を追想することで気を紛らわし、無体を働く相手に限ってはボコボコにすることでやり過ごしていた。千砂登の本分は“人形繰り”で、肝心要の懸糸傀儡は頭部しかないのだが、大抵の人間は素手で征圧出来る。チンピラが何人来ようとボコボコに出来るため、如何でも良い。
 ……いや、如何でも良いというのは嘘だ。

 千砂登は男嫌いである。
 しかし、まあ、男が嫌いというか“ギイ・クリストフ・レッシュ”が嫌いというほうが正しい。
 “しろがね”として過ごす九十年の殆どは彼の脚本に付き合い、自分の本心に蓋をして生きてきた。“しろがね”としての千砂登は人形破壊者としてもメカニックとしても優秀で、誰にでも優しく温厚な人物だった。エレオノールに尊敬されるに相応しい人格者。ギイ・クリストフ・レッシュの思い人に相応しい完璧な貴婦人。九十年の長きに渡り、千砂登は並大抵の努力では務まらない役を演じきった。そんな千砂登が脚本家、ギイ・クリストフ・レッシュを憎むのは自然な成り行きと言って良い。やがて彼個人への嫌悪は男性全体へと広がっていったが、役の都合上それを表に出せなかったため千砂登は男嫌いを拗らせていた。千砂登の人生を当たり前のように支配する男が嫌い。千砂登に何かを強いる男が嫌い。千砂登の実力を軽くみて“守ってやろう”とする男が嫌い。
 千砂登を“女”として見る男が嫌い。千砂登には母親が縫う白無垢も、家族からの祝福に包まれた挙式も、一緒に生涯を歩んでくれる伴侶も何も用意されなかったのに、性の捌け口として見られる時間ばかりが悪戯に長い。アクア・ウイタエが尽きた時点で、ファティマが夢見た“伝説”はおとぎ話になってしまった──その“おとぎ話”の只中で呪われた千砂登は夢見ることも出来なかった。

 アクア・ウイタエがなくても“しろがね”の血があれば一人仲間を増やすぐらい簡単に出来る。
 人より長い生のなかで自分が味わった懊悩も苦痛も諦観も絶望も全部忘れて、それでも自分と一緒に生きて欲しいと他人に望むこと、それを受け入れてくれる誰かを探す難しさを思うと、千砂登は結婚に夢見ることは出来なかった。この長い人生にハッピーエンドなぞありはしないのだ。

 ファティマも死んだ。
 ギイ・クリストフ・レッシュも死んだ。
 何となく、エレオノールも“ここ”にはいない気がした。

 もう戦うべき者もいないのに、千砂登は未だ生きている。

 なにもかんがえたくない。


 自分の二倍も三倍もある男に馬乗りになってステゴロを決める時だけは全てを忘れられる。
 最終的に話しかけてきた男全員をボコボコにしていたら、グレイ・ターミナル中に噂が広がったのかとうとう誰も来なくなってしまった。かなしい。もっと男を殴りたい。でも動きたくない。
 十人に一人ぐらいは優しくしてやっても良かったかもしれない。
 血まみれの指を咥えてボンヤリしていると、聞き慣れた足音が近づいてきた。

「おまえさあ、グレイ・ターミナルの鬼婆って呼ばれてるぞ」
 白煙を越えてやってきたクソガキが無感情に言い放って、定位置となったひっくり返ったソファに腰掛ける。千砂登もクソガキに負けず劣らずの無表情で迎え入れ、項垂れた。ため息。
 ああ、男を殴りたい。千砂登は陶然と思案した。
 千砂登を女と思って小馬鹿にし、ヘラヘラ笑いかけてくる男を殴りたい。
 千砂登を性の捌け口にしようとした男が泣いて許しを請うまで、千砂登の手の骨が折れて変形するまでボコボコにしたい。そのためなら胸の一つ二つ見せても良い。何なら揉んだり吸っても良い。それなのに、ああそれなのに何故今日もこの子しか来ないの。再びのため息。

「子どもを殴るわけには……いかないものね……」
「殴っただろーが!!」
 よっぽど不服に思ったのか、思わずスタンディングオベーションったクソガキが唾を飛ばす。
「何もしてねえおれをしこたま殴ってグチャグチャ女々しく何か言ってただろ!」
「それはだって、」
 千砂登は顔を顰めた。
 年上には敬語を使え。初対面の他人を“テメー”呼びするな。他人を刺すな。他人の質問には丁寧に答えろ。そういったことを言いながら往復ビンタをしたのは事実だが、それについて「グチャグチャ女々しく何か」等と称するあたり、千砂登の説教は全く実を結ばなかったらしい。

「坊やがあんまりに」
「だあから、それ止め、」
 バチィーン! 

 互いに互いの台詞を遮り、束の間の静寂が訪れる。
 千砂登はジンジンと熱を持つ右手を空に浮かせたまま、思わず乗り出した身を引っ込めた。
「……エースがあんまりに生意気なことを言うから、つい手が出るのよ」
「それだけじゃねえだろ、暴力ババア!」
 千砂登は口を噤んだ。確かに、ここへ来てから一切の自制心を失っている気がする。
 細長いため息をゆるゆる棚引かせ、千砂登はゴミの上に縮こまった。揃えた膝に顔を伏せて脱力する。ここへ来る前はこんな風ではなかった。子どもに手をあげたり、スッキリするという理由で男を殴るような人間では……でも好き放題するのはスッキリするし、歩く気力もない今は自分を取り繕うことが出来ない。それにこの子も私のこと刺してるし、平手打ちぐらいトントンでは?
 悶々と考え込んでると、頬を押さえたエースが空いてる右手を目一杯差し出した。


「ナイフ!」
 百回目の要求を聞き流しつつ、千砂登は宇宙の彼方へと魂を飛ばした。
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