不確かなものの通過点

 アクア・ウイタエを飲んだ人間は、基本的に刺されたぐらいでは死なない。

「坊や、死なないからって他人を刺したらダメですよ」
 死なないけどまあまあ痛い。ルシール先生とギイは脳天に弾丸受けるの平然とやってたけど、めちゃめちゃウケましたわね。演出のためにそこまでやる〜!?みたいな。千砂登は他人の信頼を勝ち得るためのパフォーマンス如きで痛い思いをしたくないので傍観を決め込んだのだが、そういう考えのクズは出会ったばかりの子どもに胸を刺されたりする。千砂登は胸に埋まったナイフを抜いて、無言でへし折った。あ!おれのナイフ!!とか言われたけど、知ったことではない。

「大体、死にたいって言ったのおまえだろ」
 Uの字に丸まったナイフを元に戻そうと奮闘していたキッズが舌打ちと共にナイフを捨てる。
 この子ども、クソ生意気の擬人化か?ってぐらい生意気である。
「……君は道徳の授業を受けていないの?」
「学校行ってねえ、通う年でもねえし」
「幾つ?」
「ひとに聞く前に自分がまず言えよ」
 ああ言えばこう言うの極地を見つめ、千砂登は改めて自らを律した。
「一応二十五歳になります。坊やは?」
 キッズは無言で指を五本差し出す。なるほど、未就学児だ。
 千砂登はじっとキッズを見つめた。目も髪も黒く、無礼ながらも流暢な日本語を口にしている。しかしよく日に焼けた肌やそばかす、彫りの深い容貌は日本人らしくはない。それに、日本にこんな広大かつ雑多な投棄場はないはずだ。そもそもこんな異臭が酷い場所が日本国内にあるとは思えない。たまたま出会った子どもの母国語が日本語なだけで、アフリカあたりの小さな国かもしれない。ティンババティの生真面目さと有能さ故に、千砂登はアフリカ大陸を訪ねたことはなかった。
 訥々と一人考えていたものの、面倒くさくなってきた。

「坊や、私はこんな髪の色をしているけれど日本人なの。坊やは?」
「ニホンジン?」
 キッズはきょとんと、出会ってから初めて年相応の無垢な顔を覗かせた。
「ええと、」ややこしい聞き方をしてしまったなと自省しつつ、千砂登は自分の胸に手を当て言い直した。「私、寝てる間にここへ運ばれたみたいで、ここが何処か知りたいの」
「マヌケなやつ」
 自分の祖国も知らない奴に言われたくないと思ったが、千砂登は微笑みと共に飲み込んだ。

 思えば千砂登は人間社会と無縁の生を歩んできたため、子どもと関わったことは殆どなかった。
 たった一人の特例も“天才児教育コースのエリート”なので、正直言って「子どもと関わったことがある」とは言いがたい。妹たちが孫子を立派に躾けるなか、千砂登は自動人形を破壊して回ったのだから仕方ない。そう言い聞かせても、九十八年も生きてきて五歳のキッズにむかっ腹を立てる自分の情けなさが身に染みる。自動人形が殲滅されただろうことを考えると千砂登は今後人間社会に混じって生きる必要性があり、万物が面倒くさいのでフウ・インダストリーに雇われたい。

「グレイ・ターミナル」
「え?」
「だあから、ここ!」キッズが地面を指さした。「ここ! グレイ・ターミナル!!」
 極めて不愉快とでも言いたげな顔で──尤も出会ってからの一時間、この子どもはずっと顰め面をしているが──鼻を鳴らすと、ひっくり返ったソファの上に腰を下ろす。
「おまえさあ、ここに捨てられたってことはゴミなんだよ」
 ブカブカの靴を履いた足で苛立たしげに地面を叩いて、腕を組む。
「誰もおまえが生きてることなんか望んでねえ、生きてて欲しくねえから捨てられたんだろ。
 ちゃんと殺してやろーと思ったのに、そんで殺してやったのに、平気で生きてんじゃねえよ」
 合間合間に「あのナイフ、使えるとこまで頑張って研いだのにさあ」と未練がましい愚痴が混じる。五歳の子どもが凶器に固執するとは、全くこの国は途方もない無法地帯だ。

 今日は最悪の一日だ。
 千砂登は膝の上の人形を撫でた。千砂登の体は元に戻っていたけれど、フランシーヌの顔をした懸糸傀儡は元に戻らなかった。あの戦いがどうなって、何故こんなところにいるのかは分からないけれど、何にせよ死に損なった現実は変わらない。サハラに来なかったくせに、ギイの体は千砂登よりずっとボロボロだった。ギイが千砂登をここへ捨てた可能性もあるが、普通に考えて死んだだろう。千砂登が戦えなくなった後も、自動人形は続々とやってきた。生きているわけがない。
 一体、誰が何のために千砂登を助けたのだろう。こんな無法地帯に無防備な状態で転がっていたのに、誰も千砂登の体を壊してはくれなかった。目を瞑っている間に殺して欲しかったのに、第一村人は子どもだし、出会って一時間でめちゃくちゃ罵ってくるし、千砂登のことを何も知りもしないくせに、たぶん、自分がずっと言われ続けたことを、それで他人を傷つけられると信じて、別に千砂登は出会ったばかりの子どもがどんな人生を歩んでいても如何でも良いのだけど、

「だって、仕方ないでしょう……?」
「はあ?」

 父親も、母親も、弟妹たちは勿論、同じ“しろがね”だった人々も死んでしまった。
 しろがねとして生きた九十年は長かった。それでも未だ“しろがね年齢”では二十五歳、千砂登の人生には果てしない時間が横たわっている。自分を生かした全ての理由を喪って尚、千砂登の人生は続いている。普通の人間の五倍の生を、普通の人間に混じって過ごしていかなければならない。
 九十年。生きていたくないと思いながら、ずっと誰かの死に傷ついて生きてきた。だから、最期ぐらい誰かを自分の死で傷つけたかった。自分が目の前で死ぬことで、彼が傷つくと信じた。
 千砂登は、自分の全んぶを賭して挑んだ賭けに負けたのだ。

「誰も私の生きてることを望まないのだから、死に方ぐらい、わたしが、選んだって」
 か細い声が掠れて、喉が引きつる。千砂登はぐっと唇を噛んで歪に笑ってから、小首を傾げた。
「千砂登、死なないでって、誰でも良いから、そう泣いて欲しかったのよ」
「じゃあ、そうしろ!」
 訳の分からん台詞に涙が引っ込んだ。

「泣いて欲しいなら、ちゃんとおれを泣きたい気持ちにさせろ! あとナイフ返せ!!」

「べつに、坊やに泣いてもらいたいわけではないのよ」
「じゃあ何だよ、ナイフ返せ」
「私の身の上話を五秒で遮った君には、私の情緒を解するのは困難だと思うわ」
「うっせーな、ナイフ」
「……ナイフはどうにかしましょう。そういうものを売っているお店はどこ?」
「ねえよ、そんなもん。てか、あったとして、おまえ金持ってねえだろ」
「お金はどうとでも稼げるわ。私はナイフをどこで手に入れたら良いのかしら?」

「はあー!? そんなもんテメーで考えろよなあー!」
 千砂登(98) 産まれて初めて自分の二十分の一も生きてないクソガキをぶん殴りました。
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