パンはパンでも
たべられないパン
なーんだ

 目が覚めると、黒々とした液晶に眩い光が反射していた。
 ホークスは重たい頭をユラユラ持て余しながら顔をあげて、デスクサイドの掛け時計に目を滑らせた。短針が八に差し掛かっている。朝だった。出勤を急ぐ人々のざわめきが遠く耳朶を撫でる。
 流石に静岡から帰宅してすぐ、不在の間に溜まった雑務を片付けようというのは無茶だったな。
 ホークスは疲労で凝り固まった体をギシギシ言わせながら身を起こした。メール返信は後回しにして、ちゃんとベッドで休んだ方が効率的だったかもしれない──寝ぼけた頭に少しずつ意識が灯っていく。ホークスの指が反射的に電源ボタンに触れた。パッと、寝落ち直前まで開いていたメール画面が表示される。そこに並ぶ支離滅裂な日本語は、二度寝を決意させるには十分すぎた。
 あっぶねーと思いつつ、急いで送信履歴を確かめる。幸いにして、異星語が流出した痕跡は見つからなかった。寝オチギリギリまで、頑張って日本語を扱っていたらしい。ヒーロー公安委員や留守を任せた仲間への、取り急ぎ返信する必要のあるメールには粗方返信し終わっていた。えらい。
 偉いし、あとのタスクは〆切りまで余裕があるものばかりなので、市街パトロールの時間まで寝ていてもよい。ふああ……と間延びした欠伸と共に、パソコンをスリープモードに切り替える。ホークスは背もたれの低い、特注のデスクチェアに座ったままノロノロと向きを変えた。
 カーテンの隙間からあふれ出る朝日に照らされて、一週間ぶりの“我が家”はその無機質かつミニマリスト的な印象を大いに深めていた。要するに、うらびれて寂しい感じがした。人生の喜びとか、楽しみとか、そういった“浮ついた感情”が一切存在しない空間を前に、ホークスは脱力する。
 遠いところに――物理的なことではなく、精神的に――随分遠く、戻って来たものだ。

 ホークスの自宅は繁華街の一画に位置する。
 2LDKのそこを私的事務所兼自宅として用いているものの、家具にしろ備品にしろ必要最低限のものしか置いていない。もしホークスが事務所の移転を思い立ったとして、荷造りに半日も掛からないだろう。それだって、殆どは壁を埋め尽くすファイル――警察への申請書類のコピーや業務上必要な資料が収まっている――に手間取るだけで、私物だけなら一時間も必要ない。
 必要最低限のものしか揃っていない殺風景な室内とホークスの人物像は上手く合致しないらしく、来客がある度「駅も近いし、通いやすいでしょうね」といった雑談を振られる。
 無論ホークスには“ここ”以外に帰る場所はないのだけれど、面倒くさいので「そっスね、あとは近所にうまい蕎麦屋でも出来たらサイコーなんですけど……」と煙に巻くことにしていた。
 食べ物の話は毒にも薬にもならないから、当たり障りなく話題を変えたい時に多用してしまう。
 食べ物に興味がないわけではない。ひとに興味がないわけでもない。それなのに、一人になると“最適解”を得ることに終始してしまう。自分が如何ではなく、自分は“そうしなければならない”のだと――そんな焦燥に、感情が殺されていく。この部屋はホークスの心象風景だ。

 十二時間前は、賑々しいフードコートで……。
 そう思い至った途端に如何しようもない寂寞感に胸が支配されて、両手で顔を覆う。

 ホークスは椅子から立ち上がろうともせず、訥々と己の精神衛生について振り返った。
 見慣れた感傷に、いつもの虚脱。それがこんなにも重たく圧し掛かるのは、疲れているからだ。
 酷く疲れていた。碌々休憩時間も設けないまま、静岡−福岡間を一気に移動したのだ。その上、ベッドへ入るでもなくパソコン前に直行してからの寝落ち。こんな無茶なスケジュール、オールマイトだって疲れるに決まってる。今回の東京出張はかなりタイトなスケジュールだったし、また来週都内に赴く予定が入っているのだから救えない。過去の自分は一体何を考えているのだろう?
 この無茶なスケジュールが、公安委員会の面々に呼び出された結果なら未だ納得も行くのだ。ごく幼い頃から公安委員会の支援を受けて育ったホークスが恩に報いるのは義務である。しかし特別気に入りの“広告塔”が四年前の大怪我から完全復活――ホークスの目にはそうは見えなかったが――した以上、公安委員会は大人しいものだ。ここ半年近く、秘密裡に招集されることはない。
 ……それでは、何故こんなにも無茶なスケジュールを強いられているのだろう。答えは明白だ。明白すぎて考えたくない。ホークスはマリアナ海溝並みに深いため息と共に肩を落とした。

 自分は一体何故、こんなに必死こいて関東圏へ赴くのか?
 担任教諭のケツを呪うアッパラパッパラパーJKに会うためだ。我ながら自分の正気を疑う。

 アッパラパッパラパーJKは、その名前を轟むぎと言う。
 ホークスの敬愛するプロヒーロー・エンデヴァーの実姪である。だから何?って感じではあるが、正気を保ちたい時には些か役に立つ。そうだ。ホークスはエンデヴァーの話を聞くために、こんな滅茶苦茶なスケジュールをこなしているのである。その割に昨日は相澤先生の話しか聞けなかったし、エンデヴァーの面白エピソードを聞きたいならLINEで十分なところもあるのだけど、もう終わってしまったことは仕方ない。今回は終わった途端に即始まることが確定しているので、精神が不安定になってしまう。いつもは一月ある冷却期間が、今回に限ってはない。何故か。
 何故、如何して自分は「来週もデートしようよ」とか言い出してしまったのだろう。
 ホークスは頭を抱え込んだまま、低く呻いた。分かっているのだ。改めて振り返るまでもなく、ホークスは自分の言動に責任を持っている。一分前の自分の発言にも責任が持てないむぎとは違う。そんな女に、ホークスは会いに行く。来週から同い年の男子に囲まれて暮らす彼女が、ある日突然「むぎねえ、彼氏出来たのう」とか言い出す可能性があるからだ。絶対言う。
 むぎちゃんの頭には、脳味噌の代わりにイースト菌が詰まっている。
 ホークスはそう確信していた。そうでなければストーカーに携帯電話の番号を教えたり、露出狂にカーディガンをあげたりはしない。何を食って育てば初対面のおっさんに写メを要求されて平然と応じられる子に育つのだろう。当人は「減るもんじゃないしい」と言うが、その倫理観や道徳観は確実にすり減っていると思う。むぎについて考えれば考えるほどにホークスの胃は痛む。
 以前など、待ち合わせ場所に遅れて行ったら見知らぬ男性に肩を抱かれていた。
 親戚か、もしくは馴れ馴れしい知人であろう――そう思いつつ“あとで謝っとけばいい”と雑に追い払ったホークスに、アッパラパッパラパーのむぎは「はえー」と間の抜けた声で鳴く。
『一体あのおじさんは誰だったのう……?』


 むぎちゃんの頭にはイースト菌が詰まっているので、何にでも「良いよう!」と請け負う。
 そんなアッパラパッパラパー状態で十五歳まで生き延びたのは、叔父の存在が大きいであろう。
 むぎが一人で出歩いている時でも、その腕に「エンデヴァー事務所」と記された荷物があるとか、もしくはエンデヴァーその人から着信があるとかすると途端に不埒な輩が近寄らなくなる。彼女が叔父の加護を受けている現場を目の当たりにすると、ホークスはつくづくエンデヴァーの影響力に感じ入るのだった。エンデヴァーは並居るプロヒーローのなかでも攻撃的かつ厳格さで知られる。幾らむぎが可愛くても、その背後にエンデヴァーがいると思うと詰まらない悪戯心で手出しする気にならないのだろう。対異性において、あれだけ効き目のある魔除けはなかなかない。ただ、その関心が“悪戯心”ではなく“本気”だったら、大した抑止力になりえない可能性がある。
 中学時代は良かった。何しろむぎは女子校出身で、こと異性に関しては無菌状態で育てられたのである。初対面のホークスにナンパされた時も――自身の名誉のために付け足すと、当時のホークスはむぎを大学生だと思っていた――むぎは「ママがね、叔父さん以外の男のひとと二人で出掛けたらダメだって言うの」と言って断った。それを「じゃ、三人なら良いの?」などの屁理屈を用いて篭絡したのはホークスである。なし崩し的に「三人なら大丈夫かも……?」と容認する様からオツムの弱さを推し測れば良かったのに、実年齢が判明した時には既に手遅れであった。
 ただでさえオツムが弱く、色事に免疫のないJCがホークスに篭絡された後に如何なったかと言えば、誰にでも付いていくようになった。ヒヨコか? いや、ヒヨコでもむぎより賢いだろう。
 二回目のデートでは、ホークスを待つ間にナンパされる始末。待ち合わせ時刻を過ぎても連絡がつかなかったので、遅れてやってきたむぎに遅刻の理由を問うたら「ここで待ってたら、お兄さんたちが時間になるまで一緒にカラオケ行こうって」と答えるので絶句したことがある。
 幸いにして善良なナンパだったらしく……いや、“不幸にも”と言うべきかもしれない。
 何ら痛い目を見なかったむぎは、何故ホークスが絶句したのか分からないらしかった。アッパラパーにも程がある。呆然とするホークスを前に、むぎは「ホークスさん忙しいのに……むぎ、遅くなってしまって、ごめんねえ?」と心底申し訳なさそうに謝った。違う、そうじゃない。

 轟むぎという女は、ざっと上記にあるような生き物だ。アッパラパッパラパーである。
 よって、同級生に「付き合ってよ」と言われた場合は間髪入れず「良いよう!」と答えるだろう。ホークスの脳裏には、輝かんばかりの笑顔で了承するむぎの姿がありありと目に浮かんだ。
 頻繁に会いに行って……というのは現実的でないにしろ、次回のデートで少しはホークスの存在を意識して貰わねば困る。ホークスと十数回以上デートしておいて、ポッと出のガキと付き合い始めるのは悪いこと。そう学んで貰わないと、この無茶なスケジュールに耐える甲斐がない。
 しかし当のむぎはホークスの気持ちを察しようともせず「ちゃんと聞いてよう!」と地団太を踏む。増して相澤のケツを呪うだけならまだしも、定期的に「でも先生、転んだむぎに猫ちゃんのバンソコくれたりしてやさしい」とか「厳しかったけど、せんせえと猫ちゃんの話するの好きだった」などと付け加えるのだ。やってられっか――そう思うのは、ホークスが狭量なのだろうか。
 “やさしさ”で言えば、除籍されてからずっとLINEで愚痴に付き合い、実際に顔を突き合わせてさえ「いい加減にしろ」の一言もなく延々聞き続けたホークスのほうがずっと優しい。それなのに、挙句の果てには「怒らなそうなひとなら、誰にでも甘えます(意訳)」とまで宣うのである。

 むぎに対する不平不満を検めるうちに、ようやっとベッドへ移動するだけの活力が蘇った。
 ホークスは顔を上げて、もう一度ため息を漏らす。今更何を考えたところで、結局来週もむぎに会いに行くだろう。最早行くと言ってしまったものは仕方ない。行かなければ行かないで、結局――などと考えつつ、椅子から立ち上がったタイミングで股間の違和感に気づいた。
 視線を落とすと、股間に見事なテントが張っていた。ダイレクトに言うとホークスのホークスが勃起していた。所謂朝勃ちである。疲れマラもあるかもしれない。どっちにしろ、今まさにチンコが勃起している事実に勝るものはない。このままコンビニへ行ったりしないで良かった。
 凄まじい疲弊感に襲われたホークスは再び座り込んだ。むぎに会った翌日は、決まって股間が元気になる。勃起の理由は見え透いている。むぎを抱きたいからだ。何が悲しくて、あんなアッパラパッパラパーに勃起するのか。ホークスは健気に、相澤の臀部に想い馳せようとした。
 先生の健康的なヒップが――せんせえのおしりはキュッと――せんせえは猫ちゃんが好きで――必死に振り返っても、むぎ独特の鼻にかかる甘ったるい声と、柔らかい唇しか思い出せなかった。地元紙から依頼されたコラムを執筆する傍ら、むぎの唇ばかり見ていたので仕方ない。
 むぎちゃんにキスしたい。むぎちゃんの体に触れたい。むぎちゃんの声を間近で聞きたい。せめて手を繋いでウインドーショッピングがしたい――ホークスの叶わぬ願いは下腹部に集い、海綿体を硬化させる。あんなに好感度上げに必死になって、手を繋いでウインドーショッピングすることさえ叶わないのは如何いう了見なのだろう。誰か教えて欲しい。マジで知りたい。

 何とか立ち上がると、ホークスはベッドへ向かう道すがらボックステッシュを拾い上げた。
 さっさと抜いて寝よう。放っておけばそのうち収まるのは分かっていたが、処理しない限り永遠にむぎについて考えるに決まっていた。そんなことをしたら、本格的にノイローゼになってしまう。何にせよ一週間はむぎに会わないのだ。その間、心穏やかに暮らすことが出来る。たぶん。
 ホークスは仕事場と同様に殺風景な寝室に入るなり、手に持っていたティッシュを投げた。上手い具合に枕の横に落下したのを確認してから、邪魔な衣類を脱ぎ捨てる。どうせ後でシャワーを浴びるんだし、ボクサーパンツ以外全部脱いでしまえ。さっさとシコって寝よう! そう開き直りを決めた瞬間、ハタと、ベッド脇のポスターと――エンデヴァーと目が合う。はずかしい。
 先週入手したばかりの真新しいポスターに映るエンデヴァーは、以前のものと違って真っ直ぐ正面を向いていた。これまでは平気でシコってきたホークスだったが、こうも見つめられると実際のエンデヴァーに見守られているようでシコり辛い。エンデヴァーは、ホークスが自分の姪で自家発電しているのを知ったら如何思うだろう。なんだか逆に興奮してきた。そろそろ疲労のあまり壊れてきたな。混迷と理性の狭間で千々に引き裂かれながら、ホークスはベッドに腰かけた。
 どの道、勃起しているのは見られてしまったのだ。いや、これはポスターなので見られていない。落ち着け。そもそも俺がエンデヴァーしゃんのファンだっちゆう事実さえ周知されとらん。エンデヴァーしゃんのポスターん隣で自慰に励もうと励まなかろうと、それがエンデヴァーしゃん本人に伝わるこつはなか。要は俺ん気ん持ちごたって、やっぱポスター移動させようかな……そりゃそれで、どこさ?って話になるっちゃんなあ。ダメだ。疲れて頭がぐちゃぐちゃになっとう。

 暫く考えた結果、ホークスはエンデヴァーのポスターを一旦剥がすことにした。
 清々しい初秋の朝に、何が悲しくて勃起したまま憧れの人のポスターを剥がすハメになるのか。

 エンデヴァーのポスターを筒状のプラッチック容器に収納し、ようやっと自慰の準備が整った。
 あとはもう無の境地でチンコを擦るだけである。たかが自慰なのに、ハードル高すぎか?
 ホークスはベッドに横たわり、ぐったりと脱力した。ホークスがこんなに疲れているのに、チンコは宿主の意志などどこ吹く風で勃起している。俺のチンコ、むぎちゃんに似てきたな。馬鹿げた見解を心中に落とすと、ホークスは手探りで枕元のスマホを取り出した。タフタフ画面をタップして、画像フォルダを開く。殆ど無意識のうちに“むぎちゃん”フォルダを選んでいる自分が虚しい。
 たまには普通に、グラビアモデルとかAVで抜こうかなと思いつつ、結局むぎの写真を使う。理由など言うまでもないだろう。可愛いからだ。あの、口を開けば非実在痔主話のアッパラパーJK、顔がすこぶる良いのだ。それもあって、あんなにアッパラパッパラパーなのだろう。第一むぎちゃん以外のオカズで抜くにしろ、エンデヴァーさんに自慰を見られること自体が恥ずかしいのである。折角手間暇かけてエンデヴァーさんのポスターを外すんだから、一番エンデヴァーさんに見られたくない自慰を試すのがコスパが良いというものだ。自慰のコストパフォーマンスが何かまでは分からないが、兎に角ホークスはむぎの画像を漁っていた。さっさと抜いて、寝るために。

 むぎとホークスは普段LINEでやり取りしている。そしてむぎは自撮りが好きである。
 必然的に、二人のトーク画面にはむぎの自撮りで溢れる。決して非合法的に入手した画像ではない。むぎが送ってくれたもの、二人で撮ったもの、自分で撮ったもの──ちゃんと合法的なアレソレである。尤もそれを保存し、自家発電に使うことの是非までは分からない。多分“非”だろう。
 何故、何故むぎちゃんは六つ年下なのだろう。考えるのは止めようと結論付けたはずの議論を、何度でも繰り返す。何故自分は六つ年下で、手を出せば淫行罪で逮捕不可避のアッパラパッパラパーJKの画像で処理しようとしているのか。顔が可愛いからだ。顔が好みなだけで、それ以外は如何でも良いのだ。そう自分に言い聞かせながら、ホークスは先月貰った写メを選択した。
 写メを送る際に「中学の友だちがプールに誘ってくれたのう」と嬉々として自慢していた。
 液晶のなかのむぎは友人らしき少女に抱き付かれ、はにかんだ笑みで映っている。華奢な肢体を惜しげも無く陽光に晒すむぎは、人生の喜びとか、楽しみとか、そういった“浮ついた感情”を満喫しているように見えた――自分が他人の目に如何映るのか全く頓着していないようにも。
 友人の腕に押されることで形を崩した膨らみは、見るだけでその柔らかさが伝わってくる。ホークスには、画面端に映る他の利用客がむぎを見ているのが分かった。何せ、このアッパラパッパラパーは顔が良いのだ。顔が良い。可愛い。かわいい。だから、それで声を掛けた。軽い気持ちで。
 エンデヴァーの血縁だからというのも、勿論あった。エンデヴァーと同じ目の色。叔父と両親の庇護下でぬくぬく育ったのだろうことが知れる無防備さ。ホークスに如何思われているかも知らずに、自分に伸ばされる手を拒もうとしない。大人だから踏み止まってるだけで、むぎちゃんが子どもだから我慢してるだけで、本当はむぎちゃんがグチャグチャになるまで犯したいんだよ。
 あのたわわな胸を揉みしだいて、硬くなった胸の先端を徹底的にいじめたい。甘い声で鳴くむぎの腰を押さえつけて、いやらしい蜜が太腿を伝うまで水着の上から可愛がりたい。内腿を擦り合わせ、腰を浮かせて快感に耐えるむぎを想像しながら自身のいきり立ったものを扱く。

 エンデヴァーさんと同じ青い瞳は無垢に澄んで、どこか遠くを見つめている。
 その目に俺だけを映して、何も考えられなくなって、俺の下で、その体も心もどこにも行けなくなるぐらい乱れて欲しい。俺が如何いう気持ちで一緒にいるのか分かってほしい。“こういうこと”をしたいんだって、ずっと前から……他愛もない雑談に応じながら、ずっと頭の中で犯してたんだと知ってほしい。そうと知ったむぎちゃんがどんな顔をするのか、見たくて堪らない。
 むぎちゃんの目も、唇も、四肢も、心臓も、全部――何もかも自分のものにしたい。
 ビクッと手中の熱が痙攣し、白濁液を放出する。吐精と同時に、脳裏に浮かんでいたむぎの艶姿が霧散した。憑き物が落ちたように性欲が失せ、「アホか」と囁く理性だけが胸に留まる。
 眼前に掲げたままのスマホが、ぼとっとホークスの顔に着地した。今度こそホークスは全身の力を抜く。一瞬放心しかけるものの、辛うじて「このまま寝ると布団が汚れる」と思い出した。予め用意しておいたティッシュで局部と利き手を拭き清める。シャワーは、起きた時で良いだろう。
 倦怠感のなか、ぐしゃっと丸めた“それ”を綺麗なティッシュで幾重にも覆って床に落とす。
 性欲も煩悩もたった今処理し終えたはずなのに、馬鹿げたことに……昨日会ったばかりで、もうむぎに会いたくなっていた。頭が可笑しくなったとしか思えない。本当に、訳が分からない。

 むぎのことが如何しようもなく好きだ。
 

『TOP3入りを目前に控えた優秀なヒーローが、こんなところでむぎなんかに会ってて良いの?』
 そういった問いを受ける度、ホークスはいつも苛立つ。

 地元のヒーロー仲間から聞かれるなら未だしも、他ならぬむぎに何故分からないのだろう。
 むぎは未だ高校生だが、幼少時から事務所に入り浸っていたのも関係してエンデヴァーの秘書として認知されている。それ故ヒーロー業界に詳しいし、無論ホークスが多忙であることも重々承知していた。しかしホークスの仕事量はむぎの予想を遥かに上回る。ホークスはランキング上位であるばかりか、その若さと親しみやすさから気軽に仕事を押し付けられた。純粋なヒーロー活動にのみ重きを置くエンデヴァーとは違い、やれ“トーク番組に出てくれ”だの、“ラジオにゲスト出演してくれ”だの、“新聞にコラムを載せてくれ”だの――如何でも良い仕事を回されまくるのだ。
 そのあたりが分からないむぎは「むぎの話聞いてないでしょ!」と言って不貞腐れてしまう。
 そうではない。一緒にいる時でさえ仕事に取り組まなければならないのである。勿論それは“むぎちゃんに会うため”なので、当のむぎがホークスの態度を不満に思っているのを踏まえると本末転倒の嫌いがある。しかし、それでも直接むぎの顔が見たいのだから仕方ない。
 流石にホークスにもプライドがあるので「俺はむぎちゃんが思ってるより遥かに忙しいんだよ」などとは口が裂けても言えないものの、少しは察してくれても良いのではなかろうか。
 例え仕事のついでとはいえ、福岡から静岡まで飛んでいくのはそう容易なことではない。何故そこまでして会いに来るのか。その問いに「きみが好きだから」以外の答えがあるだろうか?
 ……あるかもしれない。というか、自分でも何故そこまでして会いに行くのか分からない。
 相手は半年世話になった人間のアナルを罵るアッパラパーJKだ。でも本当はおしり柔らかくてキュッとしていて健康なのう……! すまなげにそう付け足すぐらいなら、端から痔主扱いしなければいいのに。自分には、こんなアッパラパーJKに構っている暇はない。そうは思っても、如何しようもない。あのアッパラパーが好きなのだ。アッパラパッパラパー、今、何してるかな。

 射精後の心地よい睡魔に蝕まれ、ホークスは二度寝につこうとしていた。
 今まさに目蓋が視界を覆うとしたその時――ピヨヨ、ピヨヨヨヨと、間の抜けた着信音が鳴り響いた。パッと飛び起きたホークスが、ピヨヨヨと鳴き続けるスマホを手に取る。
 この馬鹿げた着信音。無論、仕事仲間のものではない。むぎからの着信があった時だけ鳴るよう設定してある。ホークスから電話をかけることがあっても、むぎが自発的にかけてくることは滅多にない。大抵の場合、むぎは文字で連絡してくる。「そっちのほうが後で見返す時便利でしょ?」と言われたのは「むぎちゃん、俺との会話を読み返すんだ……」と思って、ちょっと嬉しかった。
「むぎちゃん? どした?」
『んやー』スピーカーの向こうから、むぎの困惑した声が漏れる。『あ、おはよう……?』
「おはよ。挨拶は良いけど、こんな朝っぱらから如何したの?」
 俺に会いたくなった? 昨日“結婚して福岡おいでよ”と言ったのが効いたのだろうか? 俄かに口角を上げたホークスだったが、次の瞬間スペースキャット顔になった。


『むぎのおうち……売れてしまって……むぎ、ホームレスになってしまったのう……?』
 ホークスには、むぎの問いに答えることは出来なかった。

A.最後の神判
(神は時として人智を侵して星を動かす)



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