久々に家へ帰ると、部屋中が桃の花で埋め尽くされていた。造花ではなく、生花だ。
だだっ広い玄関ホールで、火也子は手の中の鍵をチャリチャリ言わせながらあたりを見回した。
案の定、奥に見えるリビングスペースに老齢の男性の姿を見つける。夫の生家が懇意にしてる百貨店の外商だ。口を酸っぱくして「頼むならうちの馴染みにしてよね」と夫を蹴り上げ──体罰も交えて言い含めているのに、根っから温室育ちの夫は助け船とみるやすぐ「助かったあ
」と飛び乗ってしまう。何なら事の成り行きでマグロ漁船に乗せられた経験があるぐらい主体性がない。
どうせ今回も「お嬢様のために素敵な雛祭りをとお悩みになっているのでは?」とか何とかメールなり電話なりあったのだろう。そんなごく当たり前の営業を受けて、部屋中を埋め尽くすほどの桃の花を頼む夫も大概頭が悪い。さっさと死ねばいいのにと思うけれど、火也子の夫は恐らくこの世界で一番幸運と健康に恵まれている人間なので、火也子が手を汚さない限りは天寿を全うするであろう。腹立たしいことに、夫は火也子のXX才年下だ。面倒くさいが、やはり殺すしかない。
考えれば考えるほどに苛立つ火也子の視界に世にも愛らしい蝶が羽ばたく。
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに〜♪」
とうの昔に聞き飽きた童歌を食む娘──むぎは鮮やかな緋の着物を身につけていた。
小さな振り袖がヒラヒラ宙を舞う度、とろりとした光沢が布地を滑っていく。この仰々しい祝い方を見るに何ら驚くべきことではないが、まあ未だ四つのクソガキによく正絹の着物を仕立てたものだ。来年の今頃には着れなくなっているだろうに、つくづく馬鹿の考えることは分からない。
「ごーにんばやしのふえたいこ〜♪」
桃の枝が活けられた壺と壺の間を縫って走る姿は無邪気の一言である。
雛祭りの準備を進める人々が慌ただしげに働くなかで無邪気に振る舞うのは少しぐらい睨まれても仕方の無い所業だ。それにも関わらず、誰一人としてむぎの行いを咎める者はいない。多くの人間がいるのだから、むぎが“金づるの愛娘”という事実をさっ引いても幾らかは本心が滲むものだ。感情の機微を探ってみても、結果は変わらない。皆準備を進めながら、ニコニコとむぎの一挙手一投足を見守っている。特に夫が赤子の頃から世話になってきたという外商は一際目を細めていた。
火也子はこの外商が嫌いだ。火也子の顔を見る度イヤそうな顔をするし、夫の生家にむぎの私室を用意し、火也子の夫に離婚して親権を取るよう焚きつけてくる。夫の両親が死に、もう二度と顔をみることはないと思っていたのに、未だむぎに固執していようとは思いもしなかった。
人の好い顔をした外商がむぎに夫の母親の話をする。
おばあさまが生きてらっしゃったら、むぎさんの雛の節句を他人任せにはしますまいな。よく分からない話を聞かされたむぎは「まー?」と汎用性の高い相づちを打って小首を傾げていた。
顔と“個性”だけで夫を選んだ甲斐あって、火也子の一人娘は本当に可愛らしい容姿をしている。ぱっちりとした目は長い睫毛に縁取られ、鼻は小ぶりでツンと高く、唇はビスクドールのように“正しいかたち”をしている。顔の各パーツ全てが黄金比と言って良い場所に位置していた。
火也子も随分容姿に恵まれた人間だと自負しているが、こと娘の“それ”は火也子の比ではない。
きっと誰も、花のような笑みをまき散らすこの幼女がほんのひと月前まで入院していたとは夢にも思わないのだろう。むぎの振る舞いはそういう、一偏の陰りもないものだった。とてもじゃあないが、昨年末己の“個性”で身を焼いた経験がある子どもとは思えない。誰もが幸せなクリスマスに生ゴミを漁り、風呂場で水を啜って過ごしたにも関わらず、娘の全ては愛くるしさに満ちていた。
火也子には、娘のそうした“性質”が彼女自身の努力に寄るものなのか、天賦の才か、はたまた環境によって育まれたのか判別することが出来なかった。火也子には自分のために巨額の富を投じて“雛祭り”をしようという父親がいなかったからだ。父親は典型的な男尊女卑論者だった。
火也子は“可愛い娘”を作ろうと思ったが、何故娘がそうなったのかまでは分からない。
そして今になって思い知ったのは“可愛い娘を持つ親”というのは常にそうではない人々から妬まれ、無意味に敵視され、もしくは“自分のほうが良い親になれる“なんて馬鹿げた理由から親権を奪われそうになる……ということだ。火也子は娘を産むまでずっと世の中にこれほどの母性が満ちているとは知らなかったし、その“母性”とやらが対象を厳しく選定した上でごく一握りの優秀な遺伝子にのみ発揮されるものだとも知らなかった。産む前に知っていたなら、産まなかっただろう。
人々は中途半端な善意を恥じることもなく娘に近づく。
それを気持ち悪いと思うのは火也子の精神が過敏になっているからなのだろうか?
「ママ、おかえりなさい!」
ふっと気づくと、鞠のように弾む娘が腰に抱きついていた。人々の羨望の視線が集まる。
何の衒いもなく抱きつく細い腕、火也子よりずっと熱いぬくもり、いつでも甘い香りが漂う“誰の目にも理想的な娘”。火也子は気怠げに小首を傾げて、娘の顔を見下ろした。
三歳の頃から幼稚園に通っている娘は無論自分の親が他の園児たちの親と違うことを知っている。勿論、自分が人並み外れて可愛いことだって承知しているはずなのだ。分かっているはずなのだから、キラキラとした瞳、紅潮した頬、忙しく語る唇──この全部が演技なのだろうか?
「またパパが碌でもないことにお金をつかったのね」
「ろくでもなくないよう。むぎヒラヒラのキラキラで大きいおひなさまなんだもん」
「快気祝いだって言ってもね。誰も呼んじゃいないくせ、何人規模のパーティをやるつもりよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、足下にじゃれつく娘を野良猫よろしく雑に追い払う。
視界の端で何人かのスタッフが顔を顰めたのに気づいたけれど、そんな反応は疾うに見飽きてしまった。小さい頃からずっと、他人に嫌われるのは慣れている。火也子が怖いのは、
「ママもおひなさま」
差し出された枝には爛漫の花々。
世界で一番愛らしい娘が、彼女を粗末に扱う母親に屈託のない笑みを向ける。
火也子はこの笑みが何よりも恐ろしいと思う。
prev ▲ next