パンはパンでも
たべられないパン
なーんだ

 うちの弟と従妹は距離感がバグっている。それが悪いことなのか、良いことなのかは分からない。ただまあ、一教師として妙齢の男女が密着しているのは見過ごしてはならない気もする。そうは言っても風変わりな環境で育った二人を常識の枠に嵌めるのも躊躇われ、見て見ぬふりを決め込んでいる。

「あちち」

 思案しつつ二人を眺めていると、弟よりかは独りの時間を好む従妹がちょっと嫌味っぽく独りごちた。そのレベルの嫌味っぽさじゃ絶対焦凍は気づかないだろうな……と思っていると、「厚着してるからだろ」案の定である。それどころか、僅かに逃げ腰になった従妹が動けないよう伸し掛る。
 弟は十四歳、従妹は十五歳。二人共まだ誕生日を迎えていないので中三と高一である。かつての体格差はとっくに逆転している。自分よりゴツい男子に押しつぶされた従妹は露骨に顔を顰めた。

「しょうちゃんがくっつくからだよお!」
 いいぞ、もっと言っちゃえ。レクの本を読み進める傍ら従妹を応援する。
「……俺は暑くない」
 弟が“俺は絶対悪くない”と言いたげな顔で言い返した。じたばたする従妹を力づくで制圧し、更に言葉を続ける。
「むぎは皮下脂肪が厚いから」
「むぎちゃんは完璧なプロポーションだもん!」
 自然な流れで発奮した従妹が更にじたばたするものの、男女の力の差は残酷だ。
「むぎ、むぎ、崩袈裟固」
「ぐえー」
 教育を……間違えたなあ……?と痛感して唇を噛む。
「これは横四方固め」
 弟がこんなに楽しげなのはごく珍しいものの、従妹に嬉々として寝技を掛け続けるのは看過出来ない。むぎちゃんの顔色が凄いことになってるし。

「……焦凍、もう子どもじゃないんだから」
 私の指摘にハッと顔をあげるものの、技は解かない。なんで?
「ふゆ、ふゆみ゛ぢゃんっ」
 むぎちゃんがぺちぺち畳を叩き、私のほうに逃げようともがいている。シンプルに可哀想。膝歩きでよじよじ近づいて、往生際の悪い弟を引き剥がす。
「焦凍、女の子に寝技掛けたらダメでしょ?」
「ふゆみちゃん」
 弟がバツの悪そうな顔をする。年が離れているからか、もしくは両親のことで負い目があるからか──昔からどんな些細な叱責にさえ敏感に反応するものだから、つい甘やかしてしまった。
「……女子じゃなくてむぎだし」
 本当にめちゃくちゃに甘やかしてしまった。
「むぎちゃんis女の子だよう!」
 私にぺったりくっついたむぎちゃんが意気揚々と反論する。分かりやすく調子に乗っている。

「むぎのことはオールマイトの食玩のように大切にし、むぎがアイスを食べたい時はいつも良きに計らうようちべっ」
 弟が氷を纏った指先で従妹の頬をつついた。
「アイス、好きだろ?」
 ニコッと天使の笑みを浮かべる。従妹の顔が引きつった。


 二人のやり取りは十年前から変わっていない。
 私にとっては“むぎちゃんと仲違いしてる焦凍”のほうが馴染み深いのだけど、焦凍にとっては寧ろ今の自分のほうが“あるべき姿”なのかもしれない。

 私が焦凍と関わることを許されなかったころ、お母さんはまだ家にいたし、私たちは“三人兄弟”だった。
 厳しい鍛錬を強いられる兄や、重い期待をかけられる末弟と違って、女の私とすぐ下の弟は“ふつうの子ども”。そうは言っても友だちの家とはかなり違ったけれど、良くも悪くも私たちは“安全”だった。末弟が育つにつれ私と同じ扱いになった兄は、何が悪いのか私よりずっとよく分かっていたと思う。今となってはもう、それが何かは分からないけれど。焦凍が大きくなると、兄はボロボロになるまで鍛錬しなくてよくなった。それを“よかった”と思ってしまった幼さを、私はずっと覚えている。多分、夏も。

 お父さんが怖かったのもあるけど、私たちが焦凍と触れ合うのを躊躇ったのは“引け目”があったからだ。幼い私たちには、兄の代わりにボロボロになって、吐くまで木刀で叩かれる弟の存在を認知することは出来なかった。私たちが暮らしていくために、私たちは三人兄弟でいたかった。それが“引け目”。

 幼い日、弟と従妹が二人でいるのを見ると随分気持ちが慰められた。じゃれあう二人は“ふつうの子ども”で、従妹に抱きつく弟の身体に無数の傷があるのも気にならなかった。むぎちゃんがいれば、弟は大丈夫だと思った。私が一番の味方にならなくても、むぎちゃんが弟を守ってくれる。そう思っていた。

 七歳と六歳の子どもの犠牲で成り立っていた平和は、結局粉々に崩れ去った。誰が特別悪いわけではなかったけれど、誰が特別傷ついたかは一目瞭然で、中学にあがったばかりの私には従妹の身まで案じることは出来なくて、お父さんが姪の世話をし始めたのにホッとした。伯母の悪癖を知っていたから。

 むぎちゃんがズブズブお父さんに依存していくのは分かっていた。
 むぎちゃんはいつも私に申し訳なさげにしていたけれど、私はその申し訳なさにも蓋をした。忙しかったからだ。私たちの家庭はこれ以上酷くならないと信じるのに必死だったし、生活を立て直すことに奔走していた。二人の弟を抱えた私が正気を失するわけにはいかず、全ての蓋を取っ払うことはできなかった。

 私たちは結局三人姉弟になってしまったし、伯母の悪癖も直らず、私たちを取り巻く環境はマシになったのか悪化しているのか不明なまま今に至る。

 情緒未成熟な弟はまだ短い人生の半分を従妹に依存して過ごし、残り半分では彼女を呪って過ごしてきた。そして今、やっと仲直りしたと思ったらこの様だ。

「むぎ」
 数ヶ月前まで耳に入れることさえ拒んでいた名前を、この上なく大切そうに口に食む。この弟は、もうちょっと容姿が悪いほうが健全だったと思う。

「むぎ、俺が嫌いになったのか」
 従妹がフレーメン反応を起こした。
 従妹の反応は正しい。どう考えても無抵抗の人間に寝技を掛けてはならないが、弟は顔が良すぎる。純粋な顔の良さだけで万物を切り抜けてきた弟は、今また顔面の力で押し切ろうとしている。たった一言「むぎとは節度を守って遊ぶ」と誓えば良いのに、それが出来ない。何故なら弟には従妹以外の“ともだち”がいた試しがないから、唯一のともだちには無体を働きたいのである。あーあ。

「俺がむぎの皮下脂肪の話をしたから嫌いになったのか」
 絶妙に違う……!

 絶対自分が悪くないという姿勢を崩さない弟はしょんぼりと俯いた。悪気はないのである。演じているわけでもない。それ故にたちが悪い。
「……嫌いじゃないよう!」
 従妹が負けた。私の下を離れた従妹がヨシヨシと弟を撫でる。
「しょうちゃんのこと好きだから、いじめられると気持ちがギュッとするのね? しょうちゃんも、むぎにイヤなこと言われるとヤでしょ?」
「むぎは俺に嫌なことは言わない」
 自分の悪口は決して口にしない従姉を一方的に嫌っていた人間の言葉は重みがある……! 焦凍がぎゅーと従妹を抱きしめた。私が従妹だったらビンタぐらいはする。まあ従妹は自分と不仲だった頃の弟がどんな感じだったか知らないんだけど──好きでも嫌いでも、焦凍は結局むぎちゃんに感情を左右されるんだよね。依存しているから。仲違いしてる間も、むぎちゃんと再会する度に感情がめちゃくちゃにされてたもんね。三日ぐらい。

 焦凍、ずっとこのままなのかなあ。
 彼女出来るかなあ。精神年齢あがるかなあ。ずっとこのままだったら、お父さん憤死しちゃうな……最悪焦凍と引き離すために無理やりむぎちゃんを嫁がせて話を拗れさせそう。めちゃくちゃになりそう。

 再びイチャつきはじめた二人を後目に、冬美は思考を止めた。


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