パンはパンでも
たべられないパン
なーんだ

 ホークスは二十四時間常に“ホークス”だ。

 これは別にホークスがプロヒーローとしての意識に満ちていることの証左ではない。
 個性柄常に人目を集めてしまうこと、プロヒーローになる前からの知人が片手に足るレベルのため本名で呼ばれる機会が全くないことが関係して、ビックリするほどプライベートが存在しないのである。それ故にホークスが二十四時間ずっと“ホークス”でいる他ないのは、比喩でもなんでもなく一つの事実に過ぎない。時々自分の本名をど忘れするレベルにプライベートがない。そういう仕方の無い理由から、ホークスは二十四時間“ホークス”として暮らしている。しかも背中の羽根は原則的にサイズ変更・取り外し不可だし、よりにもよってドハデな配色のため非常に目立つ。
 ヒーローとして顔が売れていて、尚且つ一種の“自己証明”を背負ったホークスは人目を忍んで行動するのが苦手だ。空中をびゃーっと飛んで移動する分にはノーストレスだが、雲の上にスーパーマーケットやコンビニエンスストアはないし、クライアントとの打ち合わせもまずビルの屋上で行われることはない。ホークスの人生は中々大変だ。人類である以上は地上に降りる他ないのに、しかし地上に降りるとメチャメチャ目立つという中々の業を背負って生きている。コンビニでお釣りを多めに貰ったり、落ちてる財布を見つけたり、増してあからさまな迷子が行く手を阻んでいたりするとまず知らんぷりは出来ない。エチエチブックをレジへ持って行くことも出来ないし、公衆の面前で屁をこくことも出来ない。不運にもメチャ目立ち個性を有しているばっかりに、ホークスは常に“良い人”でなければならないのだった。「自分の一挙手一投足に至るまで監視されている」と思うと精神的に疲弊するため、最近では「こっちが見せてやってるんだ」と考えるようになった。
 それに背中に羽根がついてるわけでもないエンデヴァーだって、様々に書きたてられる時期があった。個性の如何に関わらず、プロヒーローで在り続けたいなら“衆人監視”に慣れる他ないのだ。
 尤もホークスにだって割り切れない──他人に知られたくないことの一つや二つある。

 例えば、六つも年下の女の子と逢い引きしてることとか。


 経緯は省くが……むぎと初デートの約束を交わした時、ホークスは勿論人目を避けようとした。
 数年前の“エンデヴァー援交疑惑激おこ全関係者破滅宣告記者会見”以来、マスメディアは随分大人しくなった。プロヒーローのゴシップを主に扱っていた雑誌関係者は望まぬ“グリーディングイベント”の発生により偉い目にあったらしい。風の噂で「轟家(あすこ)は昔っからお抱えの弁護士集団がいるらしい」と聞いた。エンデヴァーが本当に合法的非合法手段で脅しをかけたかは兎も角、当時はプロヒーローに対する過熱報道を問題視する機運が高まっている時期ではあった。
 ホークスにしろ朝から晩まで知らんおっさんに尾行され、自販機で買ったコーヒーの銘柄やら交友関係をパパラッチされた覚えがある。あんなに付きまとってこの程度の記事しか書けないのか……と、変な感動を覚えたものだ。衆人環視に慣れているホークスだからこそ軽くいなせたが、ホークスと同時期にデビューしたプロヒーローは次から次へと精神をやられていった。

 オールマイト一強時代への疑問が湧き始めたのも、その頃だ。
 オールマイトの事件解決数が下降の一途を辿っているのが明るみになると、それまで平然とプロヒーローを消費してきた大衆の一部は“このままで良いのか?”と考え始めた。オールマイトという完璧な守護者が在ってこそ、人々は他のプロヒーローを悪戯に批判し、その人生を弄ぶことが出来たのだ。オールマイトがいるから他のプロヒーローがいなくても構わない。どうしようもなくなったらオールマイトが助けてくれる。自分たちの傲慢が“幻想”へと落ちぶれるのを恐れた人々は、手のひら返しでプロヒーローを擁護するようになった。端的に言うと「需要と供給がひっくり返った」だけのこと。ただ少しずつ出始めたプロヒーローの人権保護を論じる記事は──それに対する反論記事も、まず“自己責任論”を念頭に置くのだった。プロヒーローは全部分かっているはずだと決めつける。痛いのも苦しいのも、五体満足で家に帰れないかもしれないことも、自分の遺骨が家族の手に渡らないかもしれないことも、自分の家族がありとあらゆるヴィランに狙われかねないことも、顔も知らない人々から石を投げられることも、全部全部覚悟の上でヒーローに成ったのだろうと、自らの背に守ろうとした人々から突きつけられる。殆どの人がプロヒーローを自分たちと同じ人間だと思っていない現実を突きつけられて、ホークスは思わず笑ってしまった。

 ホークスがヒーローになるのを志したのはごく幼い時のことだ。
 ふつうの子どもと違って、その“ゆめ”に手を伸ばしたときには既に現実となることが定まっていた。自分の意思で手を伸ばしたのは確かだが、果たして当時の自分は“全部”分かっていたのだろうか? 五体満足で家に帰ることが出来なくても、自分の遺骨さえ家族の手に渡らなくても、家族や友人がヴィランに狙われるようになっても、顔も知らない人々から石を投げられることがあっても、全部ヒーローを夢見たきみの自己責任なんだ。それでもきみは同じ夢をみるのだろうか? 記憶に問いかけてみても、答えは返ってこない。くだらない感傷だ。ホークスには分かっていた。
 みんな本当はプロヒーローにも人権があることぐらい承知している。本心から「正しいことをする者は報われるべきだ」と分かっていても、人々は自らの保身や享楽のために目を瞑ってしまう。ホークスの存在理由は、そうした臆病な人々の暮らしを守ることだ。何度背後から刺されようと、赤い羽根が傷口を覆い隠してくれる。どんな傷も他人に悟られなければ致命傷にはなり得ない。
 そういう諦観を、エンデヴァーは溢れんばかりの大人げなさで吹き飛ばしてくれる。
 俺には人権がある!と豪語するプロヒーローは彼ぐらいのものだ。

 “エンデヴァー援交(略)破滅宣告記者会見”は多くの名言を産んだことでも知られている。
 主題だけ抜き出すと中々如何して結構なイメージダウンになりそうな出来事だが、各種ワイドショーが出版社側を完全な悪者として報道したのもあってエンデヴァーのパブリックイメージに傷はつかなかった──“静岡のキング牧師”というあだ名が“傷”に含まれるかどうかはさておき。
 そもそも既にエンデヴァーのパブリックイメージには満遍なく傷がついてるから大した問題ではないという意見もあるが、それを差し引いても“エンデヴァー援交(略)破滅宣告記者会見”の主題が人々の記憶から抜け落ちた理由としては件の記事が載った号の発売前差し止めに成功したのが大きいだろう。お茶の間の無関心とは裏腹に、出版業界にもたらした影響は甚大で、この一件以降プロヒーローのプライベートを取り沙汰する雑誌はなくなった。ついでにエンデヴァーの活動や業績について掲載する出版物も新聞だけになってしまった。元からかなり露出が少ない人ではあったが、広告依頼もグンと減った。触らぬ神に祟りなしということなのだろう。エンデヴァーさんが悪いわけではないのに、この人はどんどん敵が増えていくな……とゾクゾクしたものだ。

『木椰子区ショッピングモールの入り口ベンチで待ち合わせで良い?』
 祟り神の姪にそう問われたホークスは、思わず宇宙猫フェイスになってしまった。
 確かにプロヒーローのプライベートを取り沙汰する雑誌はなくなったが、しかしJCとデートする成人男性は犯罪者である。犯罪者とプロヒーローには一つの共通点があり、どちらにもプライベートが存在しない。プロヒーローの身の上で犯罪を犯した人間がどうなるかは火を見るより明らかだ。ホークスには今後自分以外の末代が発生する予定はないけど、末代まで燃えそう。
 木椰子区ショッピングモールは、ショッピングモールとは名ばかりのクソ寂れスポットなのだろうか……?と思ったが、ネットで調べたら普通に静岡のホットスポットで、公式サイトに「都内で話題のタピオカ屋がOPEN♪」と女学生が芋洗い状態の写真が掲載されていた。どう考えてもクソ目立ちプロヒーローがJCとのデートで行ってはいけない場所ランキング静岡編堂々一位である。
 マジで?????????何故???????まあでも別に疚しいことをするわけではないし????????デートっていうかJCと成人男性が二人でショッピングモールにいるだけで犯罪ではない??????堂々としてるほうが逆に怪しくない系のロジックかな???????
 諸々困惑してる内に木椰子区ショッピングモールのタピオカ屋へ行くことになった。
 よく考えたらむぎちゃんは今年度JKにクラスチェンジしてるし、私服だと全然JKに見えないからな……普通に私服で来たら何の問題もなく同世代カップルに見えるじゃん。やべ、ネットに「ホークスにかのピがいるとか><」って載せられたら困るな。インターネッツで恋人同士みたいに噂されちゃったね(汗)ホークスさんは彼氏にしたいランキング一位でカッコイイし、むぎみたいな実叔父発情JKと噂されるなんて迷惑だよね? 迷惑なんてことないよ。いや迷惑だよ。JKと付き合ってる噂が流れたら俺のプロヒーロー生命は死ぬ。落ち着けホークス、JKとショッピングモールをブラブラするのは犯罪ではない。行ってみたら思ったより田舎でノーピープルに決まってる。

 結論から言うと木椰子区ショッピングモールは全くノーピープルではなかった。
 田舎って結構人いるんだね〜〜〜〜〜〜〜〜という無礼な気持ちになってると普通に人垣が出来、その中で一番度胸のあるホークスファンのお姉さんに凸られた。疚しいことは一切してないし、プライベートだし、マスコミも大人しいから良いかと思ったものの、実際にギラギラした目付きのファンに凸られると途方に暮れなくもない。しかも学校帰りだというむぎは普通に雄英制服着てるし、辛うじて眼鏡に三つ編みという、変装なんだか校則の都合なんだか分からない格好をしているけど焼け石に水である。余計にJKに見える。ダメダメのダメ。反射的に「せめて雄英が私服校だったら良かったのにネ……!」ということを考えている間に、むぎがホークスの袖を引いた。

『ほらお兄ちゃん、ちゃんとファンサービスしなきゃ』
 一瞬でハチャメチャに思考を巡らせてしまったから体感時間で言うと結構なタイムラグがあったものの、実際には女性ファンに「ホークス……ですよね?」と凸られた直後のことである。

『ほんと、お兄ちゃんは綺麗な女性ファンばっかりでいいなあ』
 ホークスへ頬を膨らましたむぎはパッと女性ファンへ向き直り、とびきりの愛想を振りまいた。
『ごめんなさい。私の相談……進路の話を聞くために来たから、自分のことで時間取るのが悪いと思ったみたい』顔の前で両手を合わせ、心の底からすまなげな声を出す。『私、如何しても沢山の人と話したり見られたりするのが苦手で……お姉さんみたいな人だと平気なんだけど』
 むぎは僅かに頬を紅潮させて、地面に落とした視線をソワソワと彷徨わせた。ホークスは勿論むぎが息をするようにウソを吐く人間であることは知っていたけれど、こうも自然に顔色まで変えられるとは思わなかった。もう女優じゃん。この子多分ヒーローより警察のほうが向いてるでしょ。

 身分証代わりの制服姿に人々は納得し、長い三つ編みと眼鏡だけを彼女の特徴として記憶する。
 今ホークスの隣にいるのは“プロヒーローを目指す内気な親戚”で、彼女の髪色が白いことも、分厚いレンズ越しに見た目が青かったことも、誰も覚えていないのだろう。内気と多弁の矛盾は、特定個人に対する特別視と注目を集めた緊張とで中和されている。女性ファンはむぎへの警戒心を解いたばかりか、“自分にだけ緊張を緩めるホークスの親戚”へ好感を抱きつつあるらしかった。雄英のヒーロー科なの? すごいねーと、衒いの無い笑みでホークスと全く無縁の話を振っている。
 むぎは周囲の人垣を気にしつつ女性ファンとの雑談に興じていたが、予め用意しておいた設定(自分がホークスの親戚であること、内気な自分はプロヒーローとしての素質に欠けるのではと思い悩んでいることなど)を喧伝し終えると、少しずつ人の輪から抜けていった。彼女が人垣の外の傍観者に混じると、その場に居る人々はもう“ホークスの同行者”への興味を失ってしまった。

 プロヒーローのホークスが静岡くんだりまで来るのは自分と同じ道を志す親戚を励ますためで、木椰子区ショッピングモールを二人で闊歩しているのは疚しい関係でないことの何よりの証拠。
 そういう風に捉えたのだろう。ホークスが「ごめんね、従妹はまだ学生だからお手柔らかにね」と口添えしたのもあって、その日のことはネット上にさえ出回らなかった。

 同じ事を三回繰り返すと流石に「ホークス、静岡に親戚いるんだって」程度の噂は流れ始めたものの、地元民はホークスに飽きたのか殆ど囲まれなくなった。それはそれで悲しい。
 やがてフードコートでダラダラしてもスルーされるようになった頃、ホークスは何故あの日“木椰子区ショッピングモール”へ“制服姿”で来たのか聞いてみた。三つ目のチキンタツタバーガーを食べ終わったむぎは何でもない風に「そのほうが心証が良いでしょ?」と答えて、指を舐めた。
『学校帰りに私服に着替えて遊ぶような子だと思われたくないもの』
 口を尖らせたあと、むぎは綺麗にした手でシャーペンを持つ。テーブルの上に広げられた“近代ヒーロー美術史”のノートにペン先を走らせると、「女の人は好きな人の良いところしか見ないから、御しやすいでしょ?」と記した。挑むような視線でホークスを見つめ、妖艶に微笑む。

 若く生意気なプロヒーロー・ホークスが、進路に思い悩む親戚のために片田舎へやってくる。
 そうと知った人々は、まずホークスが思いがけず真面目にヒーローをやっていることに驚くだろう。流石に福岡市民にはバレているとはいえ、テレビや雑誌を通してしか面識がない人々はホークスのことを“不真面目な人間”だと思いがちなので、ギャップを感じるだろうことは想像に容易い。女性ファンならそうしたギャップに気を取られるか、もしくはあまり周知されていないギャップが知れ渡ったことへの優越感を覚えるか──何にせよ、敵意を削げば簡単だと彼女は語った。
 轟むぎという少女は、こういう生き物だ。彼女はいつも勝者の余裕でもって、他人を手のひらで転がしている。彼女の笑みからは「自分は何でも知っているのだ」という傲慢が透けて見えた。

 もし他人が彼女について語るのを聞いたら、“世界で一番退屈な女”だと思っただろう。
 誰もが愛さずにはいられない美貌と愛想を兼ね揃え、いつも幸せそうに微笑む彼女はどこからどう見ても“生まれついての勝者”にしか見えないし、事実──少なくとも、ヒーロー科を除籍されるまでは──彼女は根っから“勝ち組”だった。当然だ。些か問題はあるとはいえ裕福な両親の下に生まれつき、プロヒーローとして著名な叔父の薫陶を受けてスクスク育った末に名門雄英高校のヒーロー科へ入学。しかも中学時代はそれなりの伝統がある女子校で三年間生徒会活動を行い、剣道の大会でも結構な成績を残しているらしい。文武両道の完璧超人でありながら人なつこく、時として愚行をしでかすこともある。欠点らしい欠点はマジで個性がクソということしか浮かばない。
 ホークスは全てにおいて恵まれている人間が努力によって尚も向上していく様子を手放しで賞賛出来る人間ではない。それ故に、彼女が見た目通りの恵まれた人間なら一切の興味を持たないはずなのだ。一体何故、自分はこの子に惹かれるのだろう? そう自らに問う一方で、ホークスはむぎの言動、感じ方、価値観、思想をつぶさに観察した。時として彼女の神経を逆なでするような物言いをも躊躇わず、その分厚い仮面が剥がれ落ちるのを待った……そこに何かがある気がして。

 そもそもホークスは打算的な人間だし、異性交遊に特別思い入れがあるわけではない。
 今でこそこんな六つ年下のJKに振り回されているが、ホークスはれっきとした成人男性だ。容姿だって結構整ってるし、職業柄女に困ったことはない。必然的に少なくない女性経験があるのだが、振り返ってみると体の関係から始まるのが殆どである。ホークスの“恋愛”は有り触れた好意と好奇心によってのみ成り立つ脆い関係で、当然長続きはしなかった。ピロートークで「あなたの本当の名前を知りたい」と言われても、ホークスは何とも思わなかった。おれはおれだよ、そんなに特別になりたいなら好きな名前で呼んだら良い。そう囁く傍ら、そろそろ別れるかなと思案する。
 “おんな”は温かくて柔らかいし、良い匂いがして気持ちが良い。高い声で強請られると、思わず体が熱くなる。でも、それだけだ。プロヒーロー・ホークスには必要ない。そうは言っても全く女性経験がないのも生きづらいだろうし、二三人と適当に付き合おう。十代の頃から決めていた。

 名前を捨ててからいつも、何か始めるときは「これは“ホークス”に必要なのか?」と自問する。
 “ホークス”に必要なければ、それは全部ムダなこと。しなくていいこと。

 轟むぎはプロヒーロー・ホークスに必要なものだろうか? わからないけど、多分必要ない。
 ホークスは“ホークス”が生きる上で一切必要ない人間のために遙々静岡まで飛んでくるほど暇ではない。しかし事実としてホークスは“ホークス”が生きる上で一切必要ない人間のために時間を作って会いに来ている。矛盾の訳は不透明だ。むぎの容姿が良いからか、はたまたその言動が突飛で面白いからかもしれない。確かにこの子ほど可憐な少女は滅多にいないと、ホークスは思う。増して“美少女でありながら面白い人間”となるとホークスの人生において最初で最後の出物だろう。
 条件が良いから今のうちから唾を付けておこうという気持ちがあるのだろうか? 
 そうかもしれない。この子は結婚するにも、事務所の経営を任せるにも良い相手だ。エンデヴァーさんとも強いコネクションが出来る。この子はつむじから足の先まで全部利用できる。
 使える──ただ、それだけの理由で、彼女と会っているのか? ホークスには分からなかった。

 むぎちゃんは可愛くて面白い。声が好みだ。表情がコロコロ変わって、見ていて楽しい。
 適度に我が儘で、適度に都合が良い。それでいて、いつもホークスの欲しい言葉をくれる。本能的に他人に愛されることに慣れている人間だと思った。他人に愛玩されるために産まれてきたような女。男だったら──喩え女でも、むぎちゃんと話した人間は誰だって彼女のことを好きになる。
 それなのに、彼女はいつも自分が誰からも愛されないことを前提に話を進める。

『皆ホークスさんにしか興味ないのだもの、その害にならないってことさえ分かれば良いのよ』
 あの日“ホークス”と木椰子区ショッピングモールを歩いたのが話題にならなかったのは、君の演じた“真面目な雄英生”に皆が恋したからだ。誰の目にも君が“恋愛対象外”だったからじゃない。
 きみはいつも見ず知らずのおっさんに尾けられ、肩を抱かれ、ナンパされることを“善意の一つ”として受け入れる。その大らかな反応から君の狂気を感じ取った男たちは先を争うように逃げていく。それをきみは「自分が愛されるに足る人間ではないからだ」と受け止め、微笑う。

 この世界の全てに祝福されたむぎちゃんは、小さな子どものように無邪気に振る舞う。
 自分は“おんな”になり得ない──幼い日のまま時間を止めた自分は大人にならないと信じていて、誰も知らないことを山ほど知ってるくせ、みんなが知っていることは何一つ知らない。
 傲慢を宿して微笑う君は目の前に座る男が自分に劣情を覚えているだなんて、夢にも思っていない。その歪んだ全能感が君が完璧でないことの証左でなければ何なのか。完璧なのは仮面だけ。

 十回会って、ようやっと“他人から愛されるためだけに生きてるんだ”と気づいた。
 バグ潰しと同じだ。望んだ相手の関心が得られないから、得る方法が分からないから、一つずつ欠点を削っていく。望んだ相手以外の全人類から好かれることで、穴を埋めようとしている。
 この子の頭のなかには、エンデヴァーさんと“エンデヴァーさん以外の人間”しか存在しない。
 そう気づいたら、いよいよこの子のことが欲しくなってしまった。だって、自分の全部を賭して欲して尽くした相手の関心を得たとき、きみはどういう顔をするんだろう? いつから、なんでそんなにエンデヴァーさんに執着するようになったのかな? 聞いてもきっと答えてはくれないし、むぎちゃん自身分かってないに決まってる。あの女が何かしたのかな。むぎちゃんはどういう子どもだったんだろう。きっとずっと昔から、エンデヴァーさんに好かれようとしてたんだよね。
 髪を伸ばしたのも、身ぎれいにしているのも、戯けたことを言うのも、事務能力が高いのも、剣道を続けてるのも、成績が良いのも、ヒーロー科へ進んだのも、ちゃんと毎日ニュース見てるのも、パソコンに詳しいのも、気になったトピックは掘り下げるのも、全部全部エンデヴァーさんに好かれるためなんだろうね。すごい熱量だね。本気でエンデヴァーさんが欲しいのかなと思ったけど、相手が妻子持ちだってことは重々承知してるんだよね。当たり前か、義叔母と従姉弟を傷つけてまで自分がエンデヴァーさんの一番になりたいなんて醜い感情、一番エンデヴァーさんに忌避されそうだもんね。エンデヴァーさんに好かれるために、エンデヴァーさんに好かれることを望んではいけないって本末転倒すぎて笑えるけど、あまりに必死すぎて自分では気づけないのかな。
 あんなに完璧だった仮面が、内側からつつかれるだけで脆く瓦解していく。

 むぎちゃん、いつからエンデヴァーさんの関心を欲してるんだろう。
 我慢強いきみのことだから、三年四年じゃないんだろう。剣道は五歳の時からやってるって聞いたことがある。その頃から好きだったのかな。きみの話を聞く限り、エンデヴァーさんは(ああ見えて)子煩悩で、姪なんかに構ってる時間はないみたいだけど、それは昔から変わらないのかな。誰からも愛されるだろう恵まれた境遇のきみは、きみより大切なものが沢山あるひとに依存して、誰からも愛されないのと嘆いてみせる。受話器の向こうで、むぎちゃんは子どものように泣いて、困って、駄々を捏ねる。その癖「たすけて」の一言が出てこない。こんなに如何しようもなくなっているのに、他人を呪うことさえ出来ない。この後に及んで、どこかで自分が悪いと思っている。だいじょうぶ。だいじょうぶなのよ。自分に言い聞かすような台詞を聞いて、背筋が粟立った。ずっとこの子こうやって、自分を奮い立たせることで何とかしてきたのか。誰にも守って貰えず、大事にしてくれるひともおらず、ある日突然両親が消えても、居場所を失っても、全部自分のせいで、自分でどうにかするしかないと思ってる。そんな風に育ったきみが見返り一つなくエンデヴァーさんを慕う理由が分からない。バカの一つ覚えみたいに他人を肯定するあまり、自分を否定し踏みにじるのに慣れてしまったんだろうか。きみは誰かを肯定するために、自分の全部を否定する。
 その“誰か”がエンデヴァーさんじゃないと気づいた時の衝撃をなんと言葉にするべきだろう。
『むぎのおうち……売れてしまって……むぎ、ホームレスになってしまったのう……?』
 あらゆる苦境に慣れている君の心を折ったのは“それ”だった。

『ママがね、叔父さん以外の男のひとと二人で出掛けたらダメだって言うの』
 母親の言いつけで女子校に通っていた君は決して異性と二人きりになろうとしなかった。
 優等生の君は母親の言いつけを守ることに疑問を持たない。そもそも、それが全ての“呪い”なのだ。君の母親はずっと、君の人生から“君に君の人生を歩ませようとする者”を排除し続けていた。
 叔父以外の男性と校外で話してはいけない。例え同級生であろうと、男と親しくなってはならない。買い物は生鮮食品から衣類まで全て通販で済ませ、各種習い事とエンデヴァー事務所、そして学校以外行ってはならない。戯けた様子で話していた“母親の言いつけ”は、未成年相手と考えてもあまりに厳しい。そんな理不尽な言いつけを自然に受け入れ、なるたけ守ろうとするのがそもそも異常である。しかしむぎちゃんとの交流はイレギュラー続きだったため、見落としてしまった。あとなんか「でもねえ、むぎ、コンビニ大好きい」とか言いながらメチャクチャ買い食いしてたし。
 何にせよ、かつての彼女がホークスの屁理屈に対して「三人なら大丈夫かも……?」と容認したのは、オツムの弱さが理由ではない。本心から母親の言いつけの意図を理解していないが故にセーフとアウトの認識がガバガバだったのだ。やっぱりハチャメチャにオツムが弱いんじゃん。
 あのオツムの弱さも仮面であってほしかったけど、アレは素なんだろうなあ。

 君の完璧な仮面は、母親に見放された苦しみに為す術もなく砕け散る。
 誰からも愛される恵まれた君は、自分を産んだ女のために誰からも愛されようとしない。
 ただエンデヴァーさんを愛していると思うより、そう考えるほうがずっと自然だ。君は母親のために、彼女の人生をやり直そうとしている。それ故にエンデヴァーさんに固執する。君は無意識のうちに、“姉”として叔父を愛しているのだ。十六年。本当の君はいつまでも幼いまま、母親の帰りを待っている。愚かなことに、君は“自分さえ良い子でいれば自分たちはやり直せる”と信じているのだろう。未だ心のどこかで“母親を肯定するためなら自分の未来を捨て去って構わない”と思っている。君が終生出る予定のなかった生家を失い、捨てたはずの未来に放り込まれる。誰もが欲する“自由”のなかで、君は泣く。母親は二度と君の下へ戻ってくることはない。母親のために自分の時間を止め、世界を狭め、自分を呪った君には受け入れがたい事実に違いなかった。
 ……君の母親は君の十六年を歪め、君が最も欲したものを与えなかったけれど、最後の最後に君を自由にした。そこに僅かな善意が見て取れる。きみの直向きでいじましい愛情は、きみに愛されたひとを優しくする。きみの目に映る世界はいつも優しい。きみが語る言葉はみんな優しい。

『……寂しくてもいいから、むぎは自分の我が儘で正しいひとを傷つけたくなかったの』
 きみの口から出る言葉は全んぶ純粋な善意に満ちている。
 辿々しい響きで、少しずつ考えながら、自分の考えるなかで一番正しいことを伝えようとする。その声をずっと聞いていたい。きみの可愛いところを俺しか知らないのが嬉しい。
 早くむぎちゃんに会いたいな。どんな顔で話しているのか見たい。触りたい。触ったら犯罪。なんで日本の高校って飛び級出来ないのかな。むぎちゃんなら飛び級ぐらい出来るでしょ。
 むぎちゃん今自宅待機中だし、手を繋ぐぐらいしたいし、個室のあるレストランとかで待ち合わせるか。静岡行った時に寄るインド料理店なら、店主はネパール人でオールマイトの顔すら知らないし、ホークスのことは“たまに来る鳥男”としか思ってない上、屋上からダイレクト入店をかましても「厨房通るならタマネギの皮むき手伝え」としか言わないので打って付けであろう。

 ……このようにホークスはむぎのことで頭を一杯にしていたのだが、むぎはそうではなかった。

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