「焦凍、おかえり!」
「あっお邪魔してます。焦凍くん、おかえりなさい」
「……ただいま」
「ちょーど良かった。ね、洗いの下に敷く氷出してくれない? 製氷機が空で困ってたんだ」
「構わねェけど……夏兄が水足し忘れるなんて珍しいな」
「差し込みが甘かったみたい。さっき入れ直したから夜には出来てると思う」
「てか、姉さんが自分で出したほうが形が整ってて使いやすいだろ」
「私のはすぐ溶けちゃうし、今から茶碗蒸し作るからね。天ぷらはむぎちゃんが、」
「あ、冬美ちゃん。私、先にお風呂止めてくるねえ? 乾燥機も終わった頃だし、畳んでくる」
「そっか、忘れてた。でも、洗濯物畳むのはあとでいいよ、ご飯食べてから畳もう?」
「ううん、でも叔父さん帰ってくるまで未だあるでしょ。天ぷらは皆が揃ってからでなくちゃ」
「今日ぐらいお父さん抜きで始めちゃお、そのほうが夏も同席してくれるし」
「じゃ、叔父さんと夏くんが二人とも美味しく食べれるように時間ずらして揚げるねえ」
「むぎちゃんも知ってるじゃない、お父さんなんか電子レンジ使わなくてもご飯温められるのに」
「居候が居候初日から家主を蔑ろにしたら怒られてしまう
」
「むぎちゃんのほうがお父さんよりずっと可愛いし、今日からむぎちゃんが家主でいいよ?」
「んふふ
それに、私が夏くんとも叔父さんとも一緒したいの。冬美ちゃんにも楽させたいし」
「まあまあ、なんて出来た従妹でしょうね」
「あと、不味い天ぷら出したら二度と焦凍くんに食べさせるなとか言われちゃうでしょ?」
「平気平気、最近忙しくて焦凍のカロリーコントロール全然してないんだから」
「いっそ過労死したら良いのにな」
「焦凍、ぼそっと闇を吐くの止めよ〜?」
「まあ、まあ、ガチムチのおっさんに食事制限されるのは楽しくないものねえ……?」
「子猫とかハムスター相手だったら『あれを食うな、これを食うな』と言われても平気なのにね」
「医学の発展に期待 じゃあ、わたし……お風呂場に行ってくるねえ」
「ごめんね、お詫びに美味しいご飯作っとくね!」
「……しょ〜おと、今日からむぎちゃん居るって言ったよね?」
「言った」
「なら、もう少し愛想良く振る舞っても良いんじゃない? むぎちゃん凄い気ぃつかってるよ」
「知ってる」
「そうだよねえ。一人称私になってるし、焦凍のことも君付けで呼んでるもんね。お父さんのことも“叔父さん”って呼ぶし、全部焦凍が『バカみてェだから止めろ』って言ったことだよね」
「そこまで強くは言ってない」
「じゃあ、むぎちゃん、焦凍がテキトーに言ったことであれだけビクビクしてることになるよ?」
「それは……じゃあ……そういう、強い風に感じたのかもしれないけど……でも」
「そうだね。他人が何考えてるかは分かんないから、それは仕方ないね。でも、何?」
「そもそも高校生なんだから、ああいう喋り方が普通だろ。叔父を名前で呼ぶのも普通しねェし」
「普通普通って、むぎちゃんが普通なワケないじゃん。あの“火也子さん”の娘なんだから。大体、年上の親戚を名前で呼ぶのがダメだってなら、私だって火也子さんのこと名前呼びでしょ」
「一応、中学高校って普通に社会生活営んでたはずだろ。それに、姉さんの場合は違う」
「うーん……あっ氷ここに出しといて! ついでにウサギの氷とかもお願い」
「鯉の洗いに何でウサギなんか」
「むぎちゃんが喜ぶよ。ね、焦凍も何となく分からない? むぎちゃんちのこと」
「……もう何年も関わってないから、分からない」
「そっか。あのね焦凍、火也子さんたちが一人娘を置き去りにするのはよくあることなの。
いつぐらいからそうなのかは私も知らないけど、むぎちゃんが小五の時にはもう二ヶ月一人暮らしとかザラにあったわけ。お父さんも、流石にローティーンの姪を放っとくわけにはいかないでしょ。小学校高学年にもなれば預けられる場所もないし、それでお父さんの事務所にいたんだよ」
「小五で二ヶ月留守はもう行政に頼れよ」
「お父さんが他人に頼るわけないじゃん。あ、猫の氷いいね。むぎちゃん猫も好きだもんね」
「それに今聞かされても……すぐにあいつ戻ってくるし、正直」
「まあ確かにちょっとタイミングが悪かったなって思うけどさ……でも、何も今すぐむぎちゃんに愛想振りまけって話をしてるんじゃないよ。今は焦凍も高校受験で大事な時期だし、そこにむぎちゃんが来るから、夏とも話したのね。焦凍には私たちがいるけど、むぎちゃんは今一人じゃない」
「……姉さんの言いたいことは分かる」
「うん。焦凍とむぎちゃんの間に色々あったのは分かるし、それはきっと私と夏には分からないことなんだろうなとも分かるんだ。でもさ、むぎちゃんのあの戯けた話し方とか、うちのお父さんへの愛着とか、そうしないではやっていられなかった面もあるのを分かってあげよう?」
「なるべく分かる努力はする」
「ねえ、焦凍」
「ん」
「私も夏も、この八年間むぎちゃんが泣いたとこも怒ったとこも見たことない。わかるよね」
「何となく、言いたいことだけは」
「まあ、分からなくても良いよ。焦凍のことだから、焦凍の気持ちが一番大事だと思う。でも、丸っきりむぎちゃんが嫌いなわけではないじゃない。そしたらさ、私たちがずっと何にも言わないのもきっと焦凍のためにならないよね。私は焦凍が大事だから、焦凍のためになることがしたい」
「ああ、うん。わかる。姉さんが心配してて、間違ってないのは」
「昔から、むぎちゃんだけはうちのお父さんのこと全然怖がらなかったよね」
「……それは覚えてる」
「お父さんが怒鳴っても、竹刀振り回してても平気だったね」
「ああ」
「お父さん怒ってて──お母さん、困ってて、よくむぎちゃん割って入ったの覚えてる?」
「それは……そうだったかも、しれない」
「火也子さんにけしかけられてたの知ってる?」
「一回だけ見た。火也子さんに『止めてきなさい』って突き飛ばされたむぎちゃん。
むぎちゃんは女の子で、お父さんにとっては余所の子で、焦凍より一つ年上なんだから、止めてきなさいって。むぎちゃん、お父さんの気をそらすの上手だった。最近になって思うのは『ずっとそうだったのかな』ってこと。バカなことして怒りの矛先ずらして自分が怒られるってことを、ずっと続けてたのかな。そしたら、むぎちゃんの“怖い”って気持ちどうなったんだろう」
「私は焦凍も夏もいたし……燈矢兄だっていた。それで余計にキツかったこともあるけど」
「姉さん」
「いい加減さ、なんか勿体ないじゃん。むぎちゃん、良い子だよ。優しいし、面白い。お父さんのことを引っ張って、それで仲良くしないのって勿体ない。むぎちゃんのことだけ見ようよ」
「……うん」
「うあっ茶碗蒸し一個スが入っちゃった」
「クソ野郎の分に丁度いいと思う」
「半端に失敗作出すと色々五月蠅いからなあ……いっそお父さん茶碗蒸し抜きで良いか」
「どうせプロテインと白米さえあれば文句言わねぇだろ。このサラダチキンを器に盛っとけ」
「やめてよ、絶対むぎちゃんの仕業だと思われる」
「二人ともお料理お疲れ様なのね、お洗濯もの畳み終わりました」
「むぎちゃん、ありがと〜!」
「何故この器だけ鶏ささみがギュウギュウに詰まっているのう……? 茶碗蒸しは……?」
「それが一個スが入っちゃってね。お父さんのだけ鶏ささみ詰めとけって焦凍が」
「皿も洗わねェ奴に姉さんの茶碗蒸しを食う資格はない」
「良い良い、お父さんに下手に洗わせると二度手間だから寧ろ洗ってくれなくていい」
「叔父さんお洗濯も出来ないものね……事務所でもインナーをティッシュ塗れにしたりするう」
「えっお父さん、洗濯機触るの?」
「お盆やお正月で事務員さんたちが休みの時はするよう! みんなが嫌がる」
「やっぱり嫌がるんだ」
「どこに行っても迷惑な奴」
「その点、焦凍くんは冬美ちゃん手伝って偉いのね」
「……そもそも飯作るのも、掃除洗濯、家のことは姉さんだけの仕事じゃないからな」
「まあ、そうは言っても私に一任されてるんだし、いつもお手伝いしてくれてありがとうね!」
「わ、私も居候ながらお手伝いがんばりますゆえ」
「むぎちゃん時々お武家様みたいな話し方になるねえ」
「真にござるか……?」
「まことまこと! あっ夏おかえり〜!」
「夏兄おかえり」
「今日からお世話になります!」
「ただいま、久々に台所が賑やかで良いな。姉ちゃんも楽しそうだし、なんか嬉しい」
On your way:B
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