パンはパンでも
たべられないパン
なーんだ

『むぎが、しょうちゃんに、これ以上嫌われるとか、』
 神さま、ありがとう。“しょうちゃん”、ありがとう。
 嗚咽を堪えて語る声に、ホークスの肌が粟立つ。体の底から込み上げる高揚感が相手に伝わらない安堵から、口端を歪めて笑った。通話履歴の一番上に俺が乗ってて、同世代の友だち皆が電話に出られない平日の朝──轟火也子、最高のタイミングでやらかしてくれて本当に、本当に、ありがとう。この子をここまで追い詰めた全部のものに、感謝の念を覚えた。

 元々のむぎはかなり忍耐強い性質だ。
 何を言われても、されても、ふざけた態度でサラリと流してしまう。甘えた物言いとは対照的に、他人に借りを作るのを厭うらしかった。推測だ。貸しを作らせないよう立ち振舞っているだけで、そもそものむぎは「むぎちゃんは猫ちゃんだもん♪」と口にして止まない。言動が剥離しすぎていて、甘えたいのか甘えたくないのか計りかねる。大抵の場合むぎの本心はおどけた台詞や冗談で幾重にも覆われていて、ホークスには彼女が何を考えているのかいまいち分からないのだった。
 そのむぎちゃんが“どうしようもなくなって”俺に縋ってる。そう思うと、ホークスは堪らない気持ちになった。ずっと、こういう風に、取り乱したむぎが見たかった。尤も実際に目で見たわけではないけれど、今後のことを思えば寧ろ手が触れる距離にいなくて良かったのかもしれない。
 可愛いむぎちゃんは、ホークスが24時間いつでも“ヒーロー”だと思っている。恐らく、身近なプロヒーロー・エンデヴァーが裏表のない人間なのだろう。むぎはプロヒーローという生き物は、可哀想な女の子に心を痛め、罪のない女の子を苦しめた奴らに憤るような、そんなご立派な人間だと信じているらしかった。そうでなければ、こんなにズブズブ弱みを晒してくれるはずがない。
 受話器の向こうで、むぎは繰り返し鼻をすすっている。涙を堪えて、長い吐息を漏らす。スマホを耳に当てたむぎが泣いてる様を思うと、下腹部が熱を孕んだ。かわいい。かわいい。凄く可愛い。早く、全部、俺のものにしたい。
 むぎは躊躇いながら、途切れ途切れに、従弟の話をしていた。そのたどたどしい口調から、随分長い間一人で抱え込んでいたのだろうことが分かる。堪らなく可愛いと、思った。何度も何度も二人きりで会って、結婚しようかとまで言った男に、誰にも明かせなかった切実な感情を自ら語っている。ホークスならきっと困窮しきった自分に心から同情し、“正しい対処法”を授けてくれると信じているのだ。
 ホークスは「従弟に嫌われて悲しい」と泣くむぎに欲情することはあれど、可哀想だとは思わないし、何なら「そんな従弟に割く時間と感情があるなら俺に費やして欲しい」以外の感想がない。正直言って「従弟くん、そのまま未来永劫むぎちゃんを嫌っていてくれないかなあ」とか「むぎちゃんを罵倒して良い感じに追い詰めてくれたら良いな〜!」とさえ思っている。もっと拗れろ。揉めて、嫌われて、そして、今みたいに泣きつけば良い。ホークスが腹の底で何を考えているのか分からないまま、ホークスなしには生きていけなくなってしまえ。

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