坊ちゃんが乳児を連れて帰ってこられた。
 「センテイ、見ろ」と気安い口調で投げ渡された時は、犬か猫でも拾ってこられたのかと思ったが、「ぼくが作った」と続けられたのに仰天してしまった。奥様とお嬢様を立て続けに亡くされてから随分塞ぎこんでいた方が、よくもまた子供を作る気になったものだ。
 お嬢様とは一度お会いしたことがあるものの、どんな親子関係を築いていたかは終に知ることが出来なかった。しかし仮にも二人の子宝に恵まれていながら、乳離れも済んでいない乳児をあんな雑に扱うのは如何なのか。尤もお嬢様の養育については奥方に丸投げしていたらしいから、赤子の扱いを知らないのも仕方ないのかもしれない。さりとてトバリお嬢様と違って、この子の親は坊ちゃんしかいないのだ。坊ちゃんには、この子の父親としてしっかりしてもらわねば困る。


 坊ちゃんが連れ帰ってきた赤子がミルクを飲んでくれないばかりか、中々寝付いてくれない。
 ちゃんとした乳母を雇うべきだと進言したにも関わらず「問題ない。お前がやれ」と言って、話を聞いてくれない。そればかりか赤子の名前を聞いても「名前はない」と煙に巻く。ないならないで付けねばなりますまいと申しても「要らん」とか「意味がない」など、面妖なことを仰る。


 坊ちゃんが赤子を連れ帰ってきたのが巷で噂になっているようだ。
 坊ちゃんが帰宅するなり訪問客が大挙して押し寄せるから、おちおち話も出来ない。
 坊ちゃんも昔は結構な社交家だったのだが、お嬢様を亡くして以来は内にこもりがちになってしまった。もう十数年そんな調子なので、案の定来る人来る人を不愉快そうに追い返している。
 とはいえ親交の深い三代目やダンゾウ様がた、綱手様とは気を置けない付き合いだ。彼らが顔を覗かせれば喜んで迎え入れるだろうし、良識ある皆からの忠告を受ければ坊ちゃんも考えを改めるだろう。坊ちゃんは家に不在がちだし、オレも子どもなぞ持ったことがない。乳母が必要だ。
 早く坊ちゃんが考えを改めなければ、オレが勝手に雇おう。今日も全然ミルクを飲んでくれないし、眠る気配もない。今日は坊ちゃんが家にいて出入りが激しいから、とりわけ神経が高ぶってるのだろう。せめて実父である坊ちゃんにあやしてほしいのだが、また畳に投げ捨てられては堪らない。幸いにして骨折もアザもなかったけれど、生後数か月の赤子にして良い仕打ちではない。
 何にせよ、如何にも不憫だ。世話の前は一生懸命手を洗ってるけど、この子とてガサガサに荒れた指で世話されるより、優しい母親の腕に抱かれ、父親の逞しい手で撫でられたいだろうに。


 坊ちゃんがこの子の名前を決めた。
 正直嫌だ。いや、名前が気に食わないのではない。この子は一体どうなる。坊ちゃんはこの子を愛しいと思わないのだろうか? 確かに容姿はよく似ている。でも、この子はトバリお嬢様ではない。トバリお嬢様はもうとっくに死んでしまって、坊ちゃんもそれは分かっているはずだ。
 オレはたった一度しかお嬢様に会ったことがない。それでも坊ちゃんはちゃんとお嬢様を愛して、お嬢様も坊ちゃんを父親として慕っていた。随分と扉間様に恨みを持っているようだったから、それで結婚願望がないのかと心配していた分ほっとした。本音を言えば奥様もお嬢様も里へ迎え入れて、ちゃんと籍を入れるべきだと思ったけど、それで幸せなら何も言うまいと思った。
 何故お嬢様を愛したように、この子を愛してくれないのだろう。こんなにお小さくて、温かくて、寂しそうではないか。この子をトバリなどという名で呼ぶのは止めて欲しい。


 嫌なら呼ばなくて良い。ぼくも人前以外で呼ぶつもりはないから。
 如何いうことだ。坊ちゃんの考えてることが分からない。


 坊ちゃんがトバリ様をアレとお呼びなさる。耐えがたいことだ。


 トバリ様は大人しい良い子だ。
 ミルクを飲んでくれない。眠ることもない。命がある人形のようにおとなしく、息をする。
 ものの本にあるような夜泣きもないし、ぐずることも、排せつを行うこともない。通いの家政婦が、トバリ様を奇妙な目で見る。オレに世話をしろと言うわけがわかった。口の軽い女や、部外者にこの子を任せるわけにはいかない。兎に角、なんとかなるまでオレが如何にかするしかない。
 本当に生きてるんですか? と突き放した言葉をくれる家政婦に腹が立つ。それと同時に、得体のしれないものを任されている恐怖心を胸中に感じる。こんな赤子に恐怖を抱くなど、恥ずべきことだ。仮にも木ノ葉隠れの忍だった男として、扉間様に顔向け出来ない。


 時折、トバリ様の目が動く。
 最初は特に意味のない反射と思っていたが、よくよく観察すると鳥や蝶、人の動きを目で追っているようだ。そして誰かがしゃべり出すと、そちらに流し目をくれる。ご自分に関係のない話の時はじっと見つめているし、家政婦や坊ちゃんがトバリ様について話しだすと目を瞑ってしまわれる。眠いのか、眠ってくれるかと、そればかりに夢中になって、目を瞑るタイミングに共通する条件があるとは気が付かなかった。オレがあやしだすと、瞑っていた目をぱっちり開ける。何とも不思議そうな瞳で見上げられる度に、この子を怖いと思った気持ちがすっかり失せてしまう。
 柱間様や、お姉さまに似て愛らしい子だ。ちょっと他人と違うからと言って、それが何であろう。父母が頼りにならないトバリ様にとって、オレがいなければどうしようもないのだ。
 しかし、ミルクを飲んで、眠ってくれないことにはオレだってどうしようもない。馬鹿げたことではあるが、もしかすると、この子は犬猫程度には人の言わんとすることがわかるのではと思う。
 赤ちゃん言葉で話しかけるのをやめて、ちゃんと坊ちゃんに話すようにして、育児書に書いてあることを幾つか教えてみよう。本当に、ミルクを飲んでくれなければ困るのだ。


 トバリ様がミルクを飲んでくれるようになった。
 やはりオレの言ってることが分かるらしい。奇妙なことではあるし、間違いなく常識の範疇から外れている。しかし、オレは安心した。オレの言葉を理解できるなら、如何とでも教育出来るからだ。これ見よがしに、家政婦の前でミルクをやると鳩が豆鉄砲を喰らったようなアホ面を晒したのでスカッとした。里の外に嫁ぐため、あと数ヶ月で辞めるということだが、さっさといなくなってしまえば良い。結婚したところで、どうせトバリ様ほど可愛らしい子には恵まれまい。
 サボりがちにミルクを飲むトバリ様はかわいい。たまに嫌そうな顔で哺乳瓶を叩いて首を横に振るのも格別に可愛らしい。胃に何か貯まるのが嫌なのだろう。排泄の際も嫌そうにしていた。まあ、痴呆の老人とてオムツを替えられる時は不愉快に思うものだ。耐えて頂く他ない。
 ただ、デモンストレーションに付き合えば良いのだと解釈して、ここ数日は哺乳瓶の乳首を咥えたままミルクを飲む様子がない。それはそれで構わないが、飲食によって身体機能に異常が出たりもないのだから“フリ”ではなく“経口摂取による身体機能の維持”を定着させる必要がある。
 何といっても、この子はこの里で生きていくのだ。父親である坊ちゃんがあの調子で、この子に乳母も親族も近づけるつもりがないのだから、オレがしっかりしなければ。


 ちゅっと一回哺乳瓶の乳首を吸ってから伺うようにオレの顔を見る。
 ダメダメと首を振ると、諦めたようにちゅっちゅっと何度かミルクを飲む。またオレの顔を見る。まだまだと首を振ると、不愉快そうにちゅ……ちゅ……と空飲みする。ちゃんと飲んでくれないと困るのだが、どうにも嫌なことを強いられつつ我慢する様が可愛くて笑ってしまう。
 オレが笑うと、トバリ様は不思議そうに、まじまじ見つめてこられる。
 しかし食事については解決したが、寝ないのはどうしたものか。


 とうとう坊ちゃんが「アレは僕の子どもじゃない」と言い出した。
 想定の範囲内ではあったが、トバリ様の前で言ってほしくはなかった。トバリ様は坊ちゃんの拒絶を知ってか知らずか、瞼を閉じ、微睡むようにしていた。尤も、眠ってはいまい。
 適当に育てておけ。自発的に動けるようになったら躾ける。それまで関わる気はない。便宜上トバリと呼ぶけれど、他人の目がない限りそう呼ぶ必要はない。今はまだ仕方ないが、立って歩けるようになったらコレに深く関わるな。淡々と碌でもない命令を授ける坊ちゃんの声に呼応して、トバリ様の瞼がぴくりと動く。そっと目を開けようとしたトバリ様が、オレの視線に気づいて目を閉じた。オレには、そうとしか思えなかった。多分、家政婦のように、この子を不気味がるほうが自然なのだ。坊ちゃんが、お嬢さまの時と違って突き放す態度なのも、どことなく理解できる。それなのに、坊ちゃんや家政婦がこの子を普通の子どもと同じに扱わないのが嫌だと思った。聞こえていないフリをしていると思った。直観的に、何の根拠もなく、そう思った。
 聞こえていないフリ。見ていないフリ。分かっていないフリ。食事しているフリ。自分のためだけの名前もない。この子にとって、生きるというのは全部が真似事か。多分そうなのだろう。
 オレの腕のなかで確かに息をしているのに、この子の命がどこにも見えない。


 トバリ様が喋りはじめた。
 やはり、この成長速度は尋常ではない。ふつうの子どもではないと、改めて思わされた。父親である坊ちゃんが受け入れられないのも仕方がないのだろう。そうだ、仕方がない。仕方ない。
 坊ちゃんも家政婦も、みんなトバリ様を異端と見做して距離を取る。それで良いじゃないか。トバリ様はオレだけのもんだ。オレが育てりゃええ。食べることも、人前で話さねえこともオレが教えた。たどたどしい声音で「しぇんてえ」と呼ぶ愛らしさは、オレだけが知ってりゃあいい。
 トバリ様がここで生きてくための方法は、センテイがみんな教えてさしあげますでな。


 トバリ様は食事のたびに「しぇんてえ、いあみゃー」と仰る。
 何故か語彙は豊富なのだが、如何せん舌が回らないご様子。正しい発声を心がけるも「要らない」が「いあみゃー」に、「必要ない」が「ひちゃーみゃい」になる。微笑ましい。
 仕事帰りにトバリ様のお部屋に行くと、必ずベビーベッドから出ようともがいている。未だ立てもしないのに「わたしゃまじゆうにかちゅどーでりゅ」と訳の分からない論を主張される。
 十回ほど聞き取りを行った結果「私は自由に活動できる」と仰いたかったことが判明。
 幾らか疲れた様子なので、ベビーベッドに入れたまま帰って来た。


 家政婦が来る前にお部屋に向かうと、やはりトバリ様が起きていた。
 オレの顔を見るなり「だしゅてくれるのかな」と仰ったが、授乳の時間と察するや「いあみゃー」と柵にしがみ付く。大した抵抗でもないので、ひょいっと摘まんで外に出して差し上げた。
 来るぞ……来るぞ……と思った通り、哺乳瓶から顔を背けて「ひちあーみゃい」と一言。
 いつまで経っても顔を背けたまま、ついに手で口を覆ってしまう。仕方なく、その言葉で納得した風を装って理由を問うてみることにした。その途端にオレを見上げて懇切丁寧に説明しようとしてくれたので、そのタイミングで口に乳首を突っ込ませて頂いた。この手口は使える。


 昨日と同じ方法で、ごねるトバリ様への授乳に成功。


 一ヶ月ずっと同じ方法で授乳したのだが、必ず問いに答えようとするトバリ様は親切だ。


 休憩中に、よくトバリ様の様子を見に行く。
 部屋のなかに入らず、コッソリ襖の隙間から覗き込むと何度か「みゃー」と鳴いていた。
 みゃ、み、みゅ、みぇ……と発声練習したあたりで、不貞腐れたのか向上心を打ち捨てる。ちょっと経ってから、また「あ、い、う、え、をょ」と練習し始めるも“ま行”で途切れてしまう。
 「お」も上手く発声出来ていないのだが、それはまあ知らぬが仏というものだろう。


 トバリ様がま行を制覇した。しかし、今度はら行で詰まっている。


>あ、い、う、え、よ
>きあ、く、くっ、え、こ
>さ、し、しゅ、え、しょ
>ちゃ、い、つ、え、とょ
>な! にゅ、ぬ、にえー、の
>は! ふぃ、(吐息のような何か)、(ため息のような何か)、お!
>みゃ、み! むー、め、もょ!
>やあ、いうー! ょ?
>りゃ、りう、りよー、え! りよー、り、りえ……をう……?
(日中の聞き取りメモより抜粋)
 トバリ様は我流“あいうえをょ”を二度反芻してから「りよ……? りよー? ぇよお……?」と鳴いていた。ら行どころか全体的に発音出来ていないのだが、自分では分からないらしい。
 「順調ですか」と伺うと「らぎょうまぢゎ……」と実に腰の低い返事を下さる。

 
 覗き見に気付いたトバリ様から「のじょちえ……のじょちぇえ……?」と問い詰められた後、「のじょちぇえは、じゃめであ?」と厳しく詰られた。しゃまてぇのじょくのは、あましょくない。こえおー、をょ……ひょえこ……きゃえー? 短い腕をパタパタして、あんまり熱心に詰るので、思わず畳の上に突っ伏して死んでしまった。トバリ様は随分オレの覗き見に憤ってらした。


 昨日散々トバリ様に絞られた結果、二人で発音練習をすることにした。
 トバリ様はすこぶる賢くていらっしゃるが、こと呂律に限ってはその叡智も意味をなさない。
 オレが“お”が“をょ”になっている件を指摘すると、トバリ様は長々と考えこんでから「ょを?」と新たな音節文字を産み出された。“お”より俄然発声が難しいのではなかろうか。トバリ様が腕をパタパタさせながら「ょを……あ、い、う、にぇ、ょを……? ょを?」と的確な採点を欲するので、仕方なく頭を振って応えた。お目こぼしされたところで、喜ぶまいと思ったからだ。
 案の定トバリ様は叡智の宿った目を瞑り、極めて理知的に「しゃねし」とため息を漏らした。しゃねし。これは中々自然な発音であるが、恐らくトバリ様が発したかったもう幾分聡明な響きの篭った台詞であろう。仕方なし、とか、そういうものであろう。トバリ様の眉間が僅かに寄った。
 昼休憩後の紆余曲折は存じ上げぬものの、ままならぬ舌に焦れていたのだろうことは想像に容易い。仕事終わりに顔を出した時には「んえー」と鳴いておられた。んんんえー。にぇー。を。んにょ。んやー! を! ををををを……っを! よを? よ? にょ……にえーょ!
 埒が明かないので、お傍に寄って“お”と口にしてみた。小さい腕がオレの口元まで上がって、柔い指が唇に触れる。何度か“お”を繰り返すと、トバリ様が「ぉ」と呟いた。あ、い、う、え、お。
 トバリ様の修学に付き合っていると、この子は未だ赤子なのだと強く感じる。この子は普通の子どもよりほんの少しだけ進みが早く、そして普通の子どもよりずっと孤独なだけ。
 ただそれだけで、トバリ様は未だオレの手を必要としている。


 トバリ様が寝てくれた。


 昨晩はたまたまかと思ったが、二晩続けて寝てくれた。
 腕に抱いたまま庭を散歩するだけで、こんなに易々と眠ってくれるのなら、もっと早くこうしていればよかった。普通の子どもと同じだ。ハイハイも碌々できない赤ん坊。
 それなのに、何故腕に抱いたままあやすのを億劫に感じるのだろう。ずっと抱いていたいと思えないのだろう。トバリ様が我が子ではなく、またオレが子を持ったことがないからだろうか。
 理由は考えるまでもない。結局はオレだって、トバリ様が怖いのだ。


 三晩続けて、二人で夜の庭を散歩した。
 トバリ様の小さい指が健気にオレの服を掴んで、骨ばって硬い胸板に頬を寄せる。目を細めたトバリ様が「ことん、ことんておとがしゆ」と呟かれた。ことん、ことん、ことん。そうやって、不思議そうに反芻する声が途切れてから、オレの心臓の音を聞いているのだと気付く。
 心臓がどこにあるかさえ知らない赤子の何が怖いのだろう。この世は馬鹿げたことばかりだ。


 今晩は夜の散歩を止めにして、縁側に座したままトバリ様を抱いてあやした。
 オレの心臓の音を幾度か反芻しながら、トバリ様が目を瞑る。命綱のように固くオレの服を握りしめたまま、眠ることを覚える。夜の闇は、この早熟な赤子にどんな夢を見せるだろう。


 腕に抱いて寝かしつけようとしたら、「いりゃまい」と拒否された。
 十分に意思の疎通が成り立つことは分かっているので、話し合いを行う。何故急に要らないなどと言い出すのか、そして何故寝かしつけを嫌がるのか。不思議なことに――いや、未だ一歳にも満たない赤子であるのを踏まえると当然と言うべきか――トバリ様の答えは不明瞭で、「ことんておとがしにい」とか「しからりる」「ざわざわしると、ちんねるがつみゃがう」と熱心に繰り返していた。何かに怯えている風なのが気がかりではあるが、要はオレが帰ってしまうのが問題らしい。
 オレの腕から降ろされて、一人ぼっちになると悪夢に悩まされるようだ。
 しかし、一応は一介の庭師であるオレがずっとトバリ様に付いているのも変に思われるし、そもそも育児と庭仕事を両立できるような体力がない。何か代案を考える他あるまい。


 昼休みに、雑貨屋に行ってありったけの目覚まし時計を買って来た。
 店主から「庭師が寝坊がちじゃあ困るな」とからかわれたが、まあ、そう言うことにしておくしかない。鼓動と同じ周期で音を発する物……と考えて、時計しか浮かばなかったのだ。
 トバリ様は「ちべたい」と不服そうにしていたものの、こちらの意図を伝えると承知してくれた。それでも、目覚まし時計を耳にくっつける度に「ちべたい。かたい」と嫌そうな顔をしていらした。“ちべたい”は兎も角、硬いのはオレの胸板も一緒のはずなのだが……いまいち分からない。
 色々試した結果、買ってきた時計のなかで一等大きな赤い目覚まし時計がオレの心音に近い音を刻むらしかった。その晩は、寝かしつけの時にトバリ様と一緒に目覚まし時計を抱いた。
 そうやって寝かしつけていると、奇妙なものと一緒にされたことに対する報復行為なのか、オレの体に目覚まし時計をぎゅうっと押し付ける。鉄製の目覚まし時計は、確かに“ちべたかった”。「冷たくて申し訳ねえです」と謝ると、トバリ様が「しぇんていのあったかいのしゅ」と、何か呪文のようなことを呟かれた。怒ってはないようだが、目覚まし時計に体温を吸われるのは辛い。


 新しい家政婦が来た。
 温厚で人の良さそうな娘ではあるものの、どことなく愚鈍であるように感ずる。
 尤も、することと言えば水回りの掃除と洗濯程度のこと。勘が良いよりずっとマシであろう。
 トバリ様の感想を伺うと、大凡オレが思っているのと同じようなことを仰っていた。ただ前の家政婦についても不満を呈することはなかったので、トバリ様の言葉はあまり参考にならない。


 どうにもトバリ様はオレの子ども扱いにウンザリしてきたご様子。
 これまで拙い言葉で喋っていたトバリ様が、今日に限ってオレの頭に直接話しかけてきた。
 心伝身の術であろうか? 山中一族のうちでも使いこなせる者が少ない高等忍術を、このような幼子に使えるはずもあるまいが……如何せん常識離れした方なのだから、可能不可能より自身の観測能力を信じる他ない。案の定、トバリ様の素の語り口は極めて横柄でぞんざいであった。
 体の動かし方がいまいち分からないだけで、中身は単なる赤子ではない。カンヌキに厄介を押しつけられて不運だとは思うものの、見目に騙されるようでは先が思いやられる。じきに呂律が回るようになれば、私はこういう風に話し出すであろう。その時になって後悔しないよう、身の振り方を決めておくが良い。……要するに“子ども扱いはよせ”と仰りたいに違いない。
 このような便利な術が使えるのでしたら、端からそうやって話し掛けて下さればよろしかったのに。そう伝えたところ、トバリ様はぴたりと(元々口は使っていないのだけど)噤んでしまわれた。長々とした沈黙の後、ばつが悪そうに「かんぬき、きもちあるて」と絞り出される。
 かぬきやーがるので、ちかわない。トバリ様は早熟な方であるからして、ご自身の口から出る言葉について「無様な発声だ」と苦々しく感じているのだろうことは想像に容易い。しかしトバリ様は「使わない」と仰った通り、オレの頭へ直接話しかけるのはやめてしまった。何を話し掛けてもふてくされた様子でゴロゴロし、口頭で応えようともしてくださらない。
 明日までに気を取り直して下さるだろうか。


 駄目であった。


 トバリ様の機嫌が直るまで、丸々三日。
 どうにも、随分ぐずられたなと思っていると「いくらかきけゆであろ」と、トバリ様が仰られた。この三日、密かに発声練習を行っていたらしい。何とも涙ぐましい。
 縁側へ連れ出して差し上げると、暫く心地よさげに目を瞑ってらした。機嫌が宜しそうなので、先日使われた術について聞き取りを行う。忍術の類であるかと問われると、そのあたりはトバリ様もよくわかっていないご様子。ただトバリ様にとっては手足を動かすのと大差ないらしい。トバリ様曰く、声を飛ばせるのは幾らか親交を持った相手に限定され、また届く距離についても精々実際に声が届く程度であるとのこと。声帯が整えば自然と使わなくなるであろうとも仰っていた。
 一つ引っかかったのが、話の途中で度々“私は”と注釈を入れる点だ。まるで、その異能をご自身より巧みに使いこなせる誰かがいるような口振りであった。坊ちゃんから聞いた限り、トバリ様と直接関わった人間は坊ちゃんとオレの二人きりのはず。大蛇丸様とダンゾウ様はある程度の関与があるとはいえ、どの道トバリ様が使われるようなサトリの異能は持ち得ない。それが薄ら寒いと言えば薄ら寒いのだけれど……やはりトバリ様自身は普通の赤子と大差ないように感じてしまう。
 口を開かずとも他者に自分の伝えたいことを伝えることができる。その利便な術に対し、トバリ様は幾度も「きもちわるかろ」と呟かれた。坊ちゃんに拒絶されたのが余程辛かったに違いない。オレと話す時は使って頂いても結構ですよと伝えたが、結局最後までご自身の声帯を使って話していた。坊ちゃんに拒絶されるまで、それが異能であることさえ知らなかったのではなかろうか。
 異能を繰る自分に強い嫌悪感がおありのご様子で「いしゃさかむきになってちかってしまったが、にどとちゅかわぬ」と決意された。おかわいそうなことだ。


 あの子はふつうの子どもではない。
 それなのに、可愛らしいと思うオレが可笑しいのだろうか?


 トバリ様をここに置いて行ってから四ヶ月、人目を避けるようにして坊ちゃんが帰ってきた。
 酒の臭いもしないのに目が虚ろで、酩酊しているようなご様子であった。嫌な予感がしたので「トバリ様の近くに行かないほうがよい」と忠告したものの、オレの制止を振り払うようにして室内に進入。トバリ様と二言三言交わされた後、突如として手を上げる。ベビーベッドから摘まみ出したトバリ様を畳に叩きつけ、その腹を踏んだり、顔を蹴るなどして十数分近く暴行を続ける。
 愚かなことに、暫し呆然とその暴行を眺めていた。坊ちゃんは気まぐれで、我儘で、他人の恋人を寝取ったり、他人の神経を逆なですることを何よりの楽しみとしておられるものの、子どもや老人といったご自身より弱い人間には親切な御仁であった。オレにトバリ様を引き合わせた時も些かぞんざいな扱いをされていたものの、それでも端からオレが抱きとめるのは予見していたのだろうと思っていた。それなのに一人で歩くことも出来ない幼子に、あのような無体を働くとは……。
 ようやっと止めに入ったときには内蔵が破裂したのか腹が歪に腫れ、心停止状態に陥っていた。
 夜間救急に持ち込めば息を吹き返すかもしれない、しかし第三者を交えれば「誰が」と問うであろう。誰が何故この子を害したのか。その問いに何と応じるべきか戸惑い、すぐ病院へ行く選択肢を取れなかったのは人間としてあるまじきことと思う。オレも大概人としては最低の部類だが、こと今回に限っては坊ちゃんに勝るものではない。坊ちゃんは「トバリにしたことをやり返してるだけ、どうせ死なない」と吐き捨てて、千鳥足で出て行った。なんたることであろう。

 しかし結果から言うと、坊ちゃんの言は虚言ではなかった。まず初めは、腹部であった。
 赤黒く熱を持った腹から少しずつ腫れが引いていき、十分と経たないうちに元通りになった。腹部の傷がすっかり癒えてから胸に耳を当てたところ、確かに止まっていたはずの心臓がか細く脈打っているのだった。意識・四肢の回復に時間がかかったものの、目を覚ますまで二時間も掛からなかった。……つい“時間がかかった”などと記してしまったが、このようなことは常識の範疇ではありえないことだ。遅いとか早いとか、そう言う風に計ることは出来ない。
 それ故“時間がかかった”と感じたのは、寧ろ“何故腹部からなのか”という疑問なのだ。そこが一等損傷が激しかったからであろうか? わからない。死体は見慣れていても、乳幼児のそれはあまりに痛々しすぎる。気が動転していて、体の損傷具合を確かめる余裕などなかった。
 
 トバリ様は、坊ちゃんに暴行されたのをさして気にしていない風だった。
 目が覚めると、青ざめた顔で「しゃない」と一言だけ仰った。それから目を瞑り、随分長いことそのまま微睡んでおられた。その時は“疲れて眠ったのだろう”と思ったが、そうではなかった。
 オレが帰ろうと立ち上がった瞬間、か細い声で「おそろしいであろ」と呟いた。
 わたしがおとろしいのであろ。その言葉に何と返してよいのかもわからず、朝まで一緒にいた。その間ずっと、トバリ様は一睡もせずにオレの顔を見ていた。


 ミルクを飲んで頂いたあと、トバリ様を庭にお連れした。
 幸いにも、庭は春爛漫の花の盛り。ここ数日で綻んだ蕾も多く、気晴らしになっただろう。
 花木の話をしながら庭を回ると、時折目を眇めたり、花弁に手を伸ばしておられた。
 

 トバリ様にミルクを与えに行くと、部屋がすごい有様だった。
 台所でうずくまっている家政婦よりかはトバリ様のほうがずっと聴取しやすそうだったので、事の子細を伺う。苦々しげに「ころびそうであったから、ついこえをかけた」と一言。なるほど、畳の上に広がる衣類の量からして前方不注意だったことは想像に容易い。
 とりあえず「ほ、本当に喋ったんですう」とか「あの子、可笑しいですよお」とか喚く家政婦を適当に丸め込み、屋敷から追い出した。次の出勤時に面談して、ダメならクビにする他あるまい。


 連休を挟んで面談したものの、結局長期休養を取るよう勧めた。
 坊ちゃんも随分帰ってこないことだし、そもそもこの屋敷に家政婦など必要ないのである。三代目や千手の方々から「父親もいない、乳母もいないでは育てられんだろう」と聞かれる手前、仕方なく雇っていたに過ぎない。どうせ給金に見合う働きもしないくせ、ちょっと赤子に声を掛けられたぐらいでワアワア騒ぐ女を雇うのは金の無駄だ。オレが女であれば楽だったのにと口惜しい。
 良い年をしたジジイであるからして、いずれは後任を探す必要があるであろう。しかし一先ず「療養のため長期休暇を取らせている」という言い訳がある以上、三代目に言及されるまで後回しにしておこう。戦況が好転し始めた頃であるし、数ヶ月は様子を見に来ないのではなかろうか。

 トバリ様に無断で事を進めるわけにもいかないので、掻い摘んで報告した。
 流石に家政婦の狂乱ぶりについては略したものの、報告し終えると「こえをかけてはならなかったな」と仰られた。あのまま、あの娘が転んで、強かに頭を打つのを眺めているべきであった。カンヌキからも散々釘を刺されていたのに、私の浅はかな行動で要らぬ手間をかけてすまなかった。
 トバリ様は辿々しい口振りでオレに謝ると、それっきり口を噤まれてしまった。


 やっと愚鈍な娘がいなくなって清々したところで、今度はトバリ様が喋らなくなってしまった。
 こちらが頼んだことには応じて下さるので、急に言葉が分からなくなったわけでも、特に具合が悪いわけでもなく、単に他人と話す気分ではないのであろう。いなくなってからも迷惑な娘だ。


 トバリ様が喋らなくなってから三日経ったが、状況は特に変わらない。
 恐らく家政婦に気味悪がられたのを気にしているのだろう。生憎言葉下手な人間なので、理由が分かっていても慰めになるような言葉が浮かばない。仕方なく、如何でも良い雑談を振り続ける。


 相変わらず、トバリ様は一言もお話しにならない。
 ミルクは飲むし、眠りもするが、オレが何を話しかけても応えてはくれない。 
 ……トバリ様が謝った時「あなたのしたことは正しく善良なことであったのだ」と、すぐにそう言って差し上げれば良かった。普通の赤子はそもそも喋らないとか、そういう常識を差し引いても、トバリ様がご自分の目の前で他人が傷つくのを阻もうとした事実に変わりはない。それがどれだけあの方の性根の優しさを示しているのか、オレ以外には分からないのだ。
 “他人に怪我をさせまい”というトバリ様の判断を、ちゃんと褒めて差し上げれば良かった。


 幾日も幾日も話しかけて二か月過ぎた。
 帰る直前になって、ようやっとトバリ様が口を利いてくれた。
 おまえはかわったやつだな。わたしにはなしかけても、なにもおもしろいことはなかろうに。
 一人でいる時に練習していたようで、久々に聞いた声は随分滑らかになっていた。笑いながら「オレも大概普通じゃありませんで」と返すと、それがトバリ様のお心に適ったのだろう。僅かに目を細めて、こちらを見上げてくださった。無表情のなかにも、僅かな感情の起伏が伺える。
 心から“ふつうの子どもでなくともよい”と思った。


 三代目がやってきた。
 案の定家政婦について突っ込まれたので後任を探す。
 事業所に行って直接三四人の女たちと会って来たが皆一様に愚鈍そうであった。愚鈍な女がノロノロ家事を片付ける様を悠々眺めるのが流行っているのだろうか。正気の沙汰とは思えない。
 へとへとになって屋敷へ戻ると、トバリ様がベビーベッドのなかで転がっていた。微笑ましい。







 このようなものが残っていると、いずれトバリ様のご迷惑になるのではなかろうか。
 そう思っていながら、いざ「燃やそう」と奮起しても焚き火を熾したあたりで挫けてしまう。
 勿論このような記録が残っていて、トバリ様のご迷惑にならない可能性のほうが低い。
 トバリ様について、オレはあんまりに詳しく記録しすぎた。この手記が衆目に晒されれば、家政婦たちがそうであったように人々は「ふつうの人間ではない」と騒ぎ立てるに違いない。増して、トバリ様の特異な回復力、異能を知れば、それを利用してやろうと画策する者も出るであろう。
 ……しかし、そうした杞憂や不安を差し引いても、いつかトバリ様がこれを読んで下さるのではないかという期待を消し去ることができなかった。オレが何を考え、何故あなたのお側に居続けたのか、この手記を読みさえすればきっとおわかり頂けるはず。そう思って、焚き火を消す。

 オレがこの里にたどり着いたとき、オレは疾うに成人済みの十九の忍者だった。
 任務中に足を悪くしたのが切っ掛けで二代目に拾って頂き、それから二代目やそのご子息方に振り回されてる内に目まぐるしく時代が移り変わっていった。有事の際も里内を出ることはなく、それ故に初代や二代目の理念が人々の暮らしに正しく反映されるのを間近で見ることが出来た。
 里の中で生き恥を晒し続けて四半世紀。いつからか、男衆のなかで一番年嵩になってしまった。
 オレが今のまま、しゃんとした姿でトバリ様とご一緒できる時間は幾ばくも残されていない。
 幾人も見送ってきた都合上、死の際まで正気を保てる人間が少ないことはよくよく分かっている。きっとオレも、愚かなことをしでかすだろう。もしくは、このような重要機密を内々に処分できない意気地のなさが既に“耄碌”の証なのかもしれない。愚かなことだ。
 オレは十九で忍生命を断たれたが、それでも「傍系とはいえ名のある忍一族に産まれた人間だ」という自負があった。若い頃は、自分の知識は全て自分だけのものと信じて、墓の下まで持って行くのだと信じていた。万人に知られて困ることは、いつだって頭の中だった。人質を取られた時も、拷問にかけられてさえ一字たりとも漏らさなかった。それが忍の正しい姿だと信じていた。

 忍は死して何も残さず、名も亡き躯を野に晒す。
 しかし今、オレは恥ずべき感傷をここに残している。誰に愚かと思われようと、オレのいない世界で千年二千年、永遠に生きていかねばならない幼いあなたのために数多の文字を残す。
 果たして誰がこの記録を読むであろうか。なるたけトバリ様の手にのみ渡るよう気をつけてはいるものの、死んだ後のことまでは分からない。それ故、万人に向けての言葉も記しておく。

 私こと奈良センテイは長きに渡って二代目から密偵・暗殺の任を託され、二代目の掲げる理想のため、里のために己の手を汚すのを良しとしてきました。この里が数度の戦を繰り返しながら、それでも今なお豊かな営みが築かれている現状には幾らか私の手柄が含まれるはずです。しかし私は常に二代目の陰に徹し、報償を断って参りました。それは偏にこの“木ノ葉隠れの里”への強い帰属意識と忠誠からなるもので、その奉仕は二代目が亡くなる寸前まで続きました。そして、二代目の死後は、二代目の遺言通りに庭師として、単なる下男としても彼の家にお仕えした次第です。
 彼の童女に対しても、お祖父様にあたる二代目へのご恩返しも含めて一身にお仕えしました。
 彼女が世間一般の“子ども”と些か異なることは重々承知しています。しかしながら朝な夕なと深く関わるなか、彼女がこの手記のそこここに記したような優しさを有していると知りました。
 それ故に私は彼女こそが千手カンヌキの息女、唯一の後継であると定め、お仕え致しました。

 この手記を読んだ方には何卒トバリ様にご厚情賜りますようお願いいたします。

四年前の記録

 あとに何があろうと、以上に記した言葉がオレの最終決定です。
 ここから先にはもう何もありません。
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