大名殿の深部に位置する会議室は、シンと重たい沈黙で満ちていた。
 疾うにこの館の主である大名を始め、火の国の上役たちは疾うに場を辞している。下座の右端に座っていた四代目も木ノ葉隠れの里へと戻っていった。部屋の中心部に置かれた石作りの机へ沿うようにして置かれた椅子に、二代目火影の部下であった四人だけが残っている。

 ヒルゼンは机上に広げたままの資料をボンヤリ眺めながら、深く息を吐いた。
 来期の予算編成方針に不満があるわけではない。今回の予算編成会議は木ノ葉隠れの要望がそのまま通る形で終わった。尤も火の国の上役たちが、木ノ葉隠れの要望に異議を唱えた試しはない。
 他国の大名のなかにはクーデターを恐れ、過剰に隠れ里を忌避する者もいるが、火の国の大名は軍事力としての“木ノ葉隠れの里”を高く買ってくれていた。
 火の国は、大陸中部の肥沃な土地に居を構えている関係上財源に事欠かくことがない。その経済的余裕からか、大名以下、火の国の上役たちは隠れ里に対して実に鷹揚だ。彼らが上座に並んでいるのは「木ノ葉隠れのパトロンである火の国がそちらの要望を聞き届けました。今後も火の国のために励んでください」と、形ばかりの上下関係を取り繕うために他ならなかった。
 実質的には木ノ葉隠れの里は殆ど火の国から独立し、木ノ葉隠れと火の国の関係は主従という言葉で、“軍事力と金銭を等価交換で提供し合う対等な商売相手”に過ぎない。
 しかし人の好い大名から“重臣”扱いされるのは、そう不快なことではなかった。
 初代火影の柱間から四代目のミナトに至るまで、火影の名を負う者は皆欲得に疎く、忍者の本分が“影”であることをよくよく分かっている。この里を覆い隠す“木ノ葉”は、火の国という“大樹”の枝に茂ったものであり、その樹影失くして木ノ葉隠れの里は存在しない。
 火の国と木ノ葉隠れの里は、極めて友好的な共生関係を築いていると言って良かった。

 度々大名殿で開かれる会議に招集されることは、ヒルゼンにとってストレスでも何でもない。
 自来也贔屓の現大名から執拗に構われることに辟易してか、ミナトなどは「正直、二の足を踏みますね」と言っていたものの、ヒルゼンが絡まれることは稀だった。
 年長者に対する畏敬と隠れ里への好意を持つ大名は、パトロンとして理想的だ。勿論里の上役たちで話し合って決めた予算案そのものにも不満はない。会議が終わるなりスタコラサッサと逃げ出したミナトに、気落ちした風に退室する大名は些か不憫ではあったが、まあ仕方のないことだ。
 ヒルゼンのため息は、左方に居並ぶ“腸が見えない友人たち”が理由だった。

「……いい加減何か用があるなら言うたらどうじゃ」
 ダンゾウは兎も角として、その内コハルかホムラのどちらかが切り出すだろうと待ちわびてから三十分。温厚な火影として親しまれるヒルゼンではあるが、生来そう気が長いほうではない。
 何より具合が悪いことには、仕事が溜っていた。

 ここ数日というもの、やたらプライベートに時間を取られている。
 元々ヒルゼンは書類仕事でも何でも、期日に余裕をもって仕上げる癖がついていた。それ故“仕事が溜まっている”とはいえ、そう切羽詰まった状況ではない。しかし今にも雪崩を起こしそうに積まれた書類を見ていると、やはり視覚的に追い詰められる。出来るだけ早く片付けてしまいたい。こんなとこでジジイとババアが話を切り出すのを待っていたくない。さりとて三十分も待ったのだから、一応は聞いて帰らなければ損だとも思う。損な性分だと、ヒルゼンは己を恨んだ。
 一体如何してこんなことになってしまったのだろう。振り返ってみると、受付窓口でアスマと喧嘩したことが浪費の発端である。その後、ミナトの仕事を手伝いながら、子育ての難しさを愚痴っている内に一日が終わった。次の日はアスマとの一件を知ったビワコから「叱り方が甘っちょろい」と叱責され、妻の気が済むまで付き合うことにした。それで半日の浪費。流石に少し焦ったほうが良いだろうと執務室へ入った瞬間、自来也が大蛇丸の動向を相談しにやってきた。

 執務室に山積みになっている書類のなかには、週末の定例会議に回すものも含まれている。
 ヒルゼンは危機感を覚えた。脳裏に、師である扉間の怒り狂う姿が浮かび上がる。期日の一日前に仕上げること、そして十五分前行動の徹底をヒルゼンたちに刷り込むなど、他人に対して酷く神経質なひとだった。扉間自身も決してズボラではなかったが、横着癖があった。面倒くさがりの師があれほど口を酸っぱくして、時に体罰めいたやり方を交えてまで教え込んだ規律を破るのは気が引ける。やはり、これ以上付き合ってはいられない。内気がちな思春期の少女でもあるまいし、五十代半ばの中年が寄り集まって何をしているのだ。帰ろう。ヒルゼンは決意した。
 あと五分の間に膠着状態から脱せなかったら有無を言わずに帰ろう。……損な性分なのである。
「早よ言わんか。幾ら火影の座を退いたと言え、まだ教育施設の運営権はわしにある」
 暗に暇人ではないことを仄めかしても、隣席の澄まし顔はまるで崩れない。元チームメイトたちを横目に見て、ヒルゼンは机に両肘をついた。顔の前で組んだ手に寄り掛かる。
「そもそも、お前たちとて暇ではなかろう。言いたいことがあったらさっさと言うたらどうじゃ」

「わしは単に会議の内容を忘れぬうちに書き留めてるだけだ」
 お前になど興味はない。そう言いたげに不愛想な声が、末席から飛んできた。

 ヒルゼンが身を起こして伺うと、ホムラとコハルの向こうで、黙々と書きものに勤しむダンゾウの姿があった。議事録の清書作業に、この場で取り掛かっているらしかった。普段なら会議のあとはさっさと根城へ帰ってしまう癖に、わざわざ残っているのは少なからず同期三人のやり取りに関心があるからなのだろう。前述の通り、特筆するべきことを捻出するのが困難極まりない退屈な会議である。そのなかに何を見出したのか、ダンゾウはサラサラと万年筆を走らせていた。
 もしかすると、ヒルゼンが会議中に幾度欠伸を噛み殺したか記録しているのかもしれない。

「分かっとるわい。お前に言うたのではない」
 ヒルゼンはフンと鼻を鳴らして、殆ど包帯で覆われて表情の読めない横顔を睨み付けた。
 如何にも不貞腐れていると言いたげに幼い態度を目にして、コハルはやれやれと言わんばかりに嘆息する。その、他人事めいた反応にむかっ腹が立った勢いで口を開いた。
「大体、コハル、お前は訳知り顔をするばかりで、」
「そうカッカするな」ホムラがやんわりとヒルゼンの言葉を遮った。顎に蓄えたひげを繰り返し撫でながら、眼鏡のレンズ越しに思わせぶりな視線をくれる。「大した用ではない」
「そんなら勿体付けずにさっさと言わんか。あと一分でも待たせるなら、わしは帰るぞ」
「受付窓口で、アスマと派手に揉めたらしいな」
 ほんとに大した用ではなかったため、ヒルゼンは呆気にとられた。浮かせた腰をストンと椅子に落とし、友の台詞に込められた意図を探ろうと頭をフル回転させる。
 思春期の息子のあしらい方でも教えてくれるのか? 揃いも揃って独身のこいつらが?

「……揉めた」
 茫然としたまま、うやむやに肯定する。ヒルゼンの顔が訝し気に歪められた。
「そうだ、揉めた。それが如何した。わしが息子の躾に手を焼いとるのがそんなに面白いか」
 ヒルゼンの堂々とした居直りに、ホムラが目を瞬かせる。
「アスマの批判は一理ある。お前の対応は弱腰に過ぎた」
「あんな馬鹿げた譲歩……お前はうちはマダラを里の仲間として認めたも同然ではないか」
 わざとらしく肩を竦めたホムラの隣で、コハルも力強く頷いて見せる。
「あやつは裏切り者だ。何故アレが岩隠れの里と悶着した咎を我々が負う必要がある
 老いてなお苛烈な物言いが、独身のまま今に至る理由をしみじみと感じさせる。頭が良い癖に一途で、感情的で――だからこそ里と、少女時代の恋のために誰とも結婚しなかった。
 口惜しさに唇を噛む表情は、子どもの頃から変わらない。

「そうは言うてもな……」
 ヒルゼンはにわかに痛み出した額を抑えた。
 一歩里の外に出れば、“抜け忍が何をしようと知ったことではない”なんて感情論が通用しないことはコハルも重々承知している。そうでなければ、そもそもヒルゼンの口にした融和政策に同意するはずがない。コハルもホムラも、ただ一人反対意見を口にするダンゾウを相手取ってヒルゼンの意向を通してくれた。それが何故、半年以上も経った今になって不平不満を口にするのか。
 否、わざわざ聞くまでもない。今更ゴネだした理由は分かっていた。本当に“大した用”ではない。頭では分かっていても気持ちが収まらないから、ヒルゼンに話を聞いてほしいのだ。
 ヒルゼンは二人が話を切り出すまでに半刻待った。そして二人は、ヒルゼンが自分の決断を疑わないように半年待った。やはり、しっかり聞いて帰らないわけにはいかないだろう。
 頬杖をついて、何と返すかしばし思案する。

「……お前も分かっておろうが、岩隠れと事を起こす前にうちはマダラを処分出来なかったこちらの非が大きい。何せオオノキ殿自身が、当時同盟を組んでいたはずの木ノ葉隠れの里の忍――それも柱間様の右腕と名高かったうちはマダラに襲われたと言うのだ」
「オオノキは」コハルが断固たる口ぶりで、オオノキの名をぞんざいに呼び捨てる。「うちはマダラの襲撃が木ノ葉隠れの総意であるか如何か、とっとと正式に伺いを立てるべきだった。だのに勝手な被害妄想を何十年も引きずったまま、今更そんな理由で波風立てられては溜らない」
「大体、岩隠れの里は何のために柱間様を訪ねてきた? 里内でクーデターの企て、もしくは内戦の兆しでもあったか。どうせ尾獣を持て余して、柱間様の知恵を借りに来たのだろう」
 土影殿の言うことが真ならな。厳かに付け足された言葉は、深い敵意が感じられる。聡明かつ思慮深いホムラらしくもない、短気な言葉だった。どうも、岩隠れの里が、うちはマダラのことを持ち出すことで休戦交渉を優位に進めようとしたのではないかと疑っているらしかった。
「そこまでは、」ヒルゼンは言葉を濁して、自分がなぜオオノキの言葉を信頼するに至ったのか思い返した。「ただ、随分と長い間、柱間様はうちはマダラが里を抜けたことを公にはしておらんかった。無論、里を襲ってきた時点で最早柱間様もうちはマダラとの和解は諦めとったが、胸奥ではやはり里の皆が納得しないと分かっていても期待を捨てきれなかったのじゃろう」
 柱間の姿を思い返して、虚空を見上げる。親しみのある豪快な笑顔が懐かしかった。
 ヒルゼンの知る“千手柱間”という人間は誰にでも分け隔てなく優しく、人徳があるという言葉がぴったり当てはまる人だった。包容力に富み、あっけらかんとした好人物ではあったが、その一方で――いや、だからこそと言うべきなのか――負の感情と折り合いをつけるのが下手だった。悲しいことや、落ち込むことがあると、随分長い間一人で火影室に閉じこもっていたものだ。

 今思えば“包容力に富んで、あっけらかんとした好人物”というのは、周囲の人間を安心させるために柱間が作り上げたものかもしれない。扉間はそれをよくよく知っていたのだろう。そうでなければ、柱間の感情の浮き沈みに合わせて、公務の日程から会談の時間まで事細かに調整することは出来ない。常日頃は雑に扱っているくせ、扉間は兄の一喜一憂に酷く敏感だった。
 
『兄者がとことんまで落ち込むと、一日は誰も寄せ付けない……うちはマダラ以外はな』
 うちはマダラ。初めてその名を耳にした時、ヒルゼンはまだ十代前半の子どもだった。
 その日、ヒルゼンは父親から預かった書簡を柱間に届けるよう言付かっていた。普段は賑々しい火影屋敷がシンと静まり返り、その静寂に背筋が冷たくなったのを覚えている。さっさと済ませてしまおうと駆け足になったところを、不運にも扉間に捕まったのだった。

 “騒ぐな”と手短な叱責を零した扉間が、ふと火影室の方角へと顔を向ける。
 その、無感情な横顔が兄を語る。兄の悲しみに自分が寄り添えない事実を語る。自分が寄り添いたい悲しみに寄り添える男が、最早この里にいない現実を呪う。

 ヒルゼンは追想を切り上げて、煙管の煙でも吐くように長々としたため息をついた。
「お前たちも知っての通り、停戦協定の話し合いを兼ねて開かれた初の五影会談で、柱間様は自らが集めた尾獣を忍び五大国のパワーバランスが均等になるように分配した。
 五か国同盟が実現したのは柱間様自身の人徳によるものだけでなく、柱間様の使う木遁術が尾獣のチャクラを抑え込むことが出来る唯一の手段だと里の皆が知っていたからじゃ。
 何となれば“いずれ柱間様の血族に木遁の才を持った人間が産まれるだろう”という楽観視から、我々は柱間様の理想を誉めそやし、反対意見を口にしなかった」

 多分、あの人は、

しかし扉間様の危惧していた通り、木遁術の才を持った人間は遂に産まれんかった。
 扉間様は木遁術が千手一族の血継限界ではなく柱間様の才能が為せる技だと薄々気が付いていながら、柱間様の理想に乗った。今思えば、うちはマダラの処分に踏ん切りのつかない柱間様を追い込むためだったんじゃろう。柱間様が死んでしまえば、木ノ葉隠れの里は他里の尾獣に対抗する力を持ちえない。……柱間様は、うちはマダラが従える九尾を奪い取る必要があった。
 他里の者がそんな経緯を知っていようはずもない。柱間様がうちはマダラを殺す決意を固めたのは、うちはマダラの里抜けを他国に知らせたのは綱手が産まれた頃のこと。悪戯に『第一次忍界大戦直後にうちはマダラに襲われた』などと、そんな嘘をつくのは危うすぎる賭けじゃ」

 ……扉間は、柱間がマダラと決別してくれることを望んでいたのだろう。
 決して自分の命を蔑ろにするような弱い人ではなかったが、柱間が死んでからの扉間は生への執着がまるきり失せたようだった。柱間はマダラを殺して間もなく息を引き取り、二人の対立を煽った扉間も、兄は遂にマダラを切り捨てることが出来なかったのだと悟った。

「わしはオオノキ殿の言葉を信じる。嘘をついているようには思えなんだ。
 それに元々土の国は資源に乏しくそう豊かな国ではない。高額な賠償金を吹っかければじき国が立ち行かなくなって、遠くない未来に第四次忍界大戦が起こる」
「それでは、」ずいと、上体を捻ったコハルが身を乗り出す。ヒルゼンとコハルの間に挟まれたホムラが窮屈そうに顔を歪める。「何故、うちはマダラのことを公表せんかった? 岩隠れが単に木ノ葉隠れとの同盟をフイにしたのではないと公表すればお前が火影の座を退く必要はなかった」
「わしはもう五十五歳。扉間様に、」ダンゾウの手許がピクリとはねた。そのわずかな動揺を見とがめて、言葉を変える。「……思えば、扉間様より随分年かさになってしまったものよ」
 ヒルゼンの重々しい口ぶりに、コハルがコクリと唾を飲んだ。
 コハルの首元の皮膚は草臥れて、かつての若々しさは失われている。五十代半ばというには疲労の色が濃く、顔色も暗かった。コハルだけではない。ホムラも、ダンゾウも、自分もだ。共に里政を回してきた者同士、その双肩に負った責任が肉体の老いを早めているのが分かる。サポート役に徹するならまだしも、自分たち主導で里の皆を引っ張っていくには、年を取りすぎていた。

 自分が火影の名を継いでから四半世紀余り、新しい風を入れねば里政が膿む。そう思った。

「ここ数年でめっきりチャクラ量も減った。責任を取るとか、民意に従って云々ではなく、そもそも戦争が終わり次第、早々に四代目を決めるつもりでいたのよ」
「一人、泥を被ってか」
 ホムラがポツンと呟いた。
「柱間様と扉間様の任期を足したより長い間ずっと里に尽くしてきたお前が、その幕引きが“博愛主義の度が過ぎた”などという中傷で終わって、本当に何の不満もないのか」
「今後の岩隠れの里との友好関係、そしてうちは一族の尊厳を守るためなら安かろう」
「ヒルゼン、うちはマダラのことは」
「優れた能力は人々のやっかみを買う」コハルの台詞を遮るために、ヒルゼンは語気を荒げた。「ただでさえ排他的な一族じゃ、決して里内で孤立させてはならん
「柱間様はうちはマダラが里を抜けた時点で、キッチリ奴を処分するべきだった。あの方のお優しさよ」コハルが吐き捨てるように言った。「扉間様も仰っていたが、あの方の唯一にして最大の欠点が“それ”だった。なまじ情なぞ抱くから――柱間様が幾度奴に思い直すよう持ちかけたか――災いを招く。お前もこの一件で、トバリの処遇についてよくよく考え直しただろう

「トバリの処遇?」
 ヒルゼンは思いがけない名前が出てきたことに目を瞬かせた。

「何を、」あまりの唐突さに、思わず鼻で笑う。「何故、今、トバリのことなぞ持ち出す?」
「お前があの子を忍者アカデミーへ入れるつもりでいるからだ」
 何かの冗談かと困惑するヒルゼンを置き去りに、ホムラもコハルの台詞に追随する。
 ヒルゼンに向き直ってから、ホムラが口を開いた。
「お前はあの子を“普通の子ども”だと信じて、世の保護者がそうであるようにあの子の望み通り、アカデミーへ入学させたいと思っているようだが……」考え込む素振りを見せてから、言い辛そうに口を歪める。「お前には無論、あの子を殺す覚悟があるのだろうな?」
「……まだ四歳の子どもに、何を言う」
 ヒルゼンは乾いた笑みを浮かべた。馬鹿馬鹿しいと言いたげに頭を振る。
「話がそれだけなら、わしは帰るぞ」

「そういえば、あの子のチャクラコントロールの精確さは素晴らしいな」
 ふっと、それまでダンマリを決め込んでいたダンゾウが話に入ってきた。

「それに、賢いばかりか手裏剣術も巧みだ。まあ流石に四歳と言うべきか、体力には難があるものの、それを除けば並の下忍と比べても遜色ないだろう」
 ヒルゼンの反応を伺うようにじっとりと粘ついた視線を寄越して、一言一言ハッキリと発音する。その瞳には底の見えない残虐さが見え隠れしていた。
「素晴らしい逸材だ。だからこそ芽が出る前に摘んだ方が良いかもしらん」
 相変わらず、嫌なタイミングで嫌なことを言ってくれる奴だ。

 果たして、いつトバリと会ったのだろうか?
 ヒルゼンは柄にもなく舌打ちしたくなった。悶々と直近のトバリの様子を思い返すヒルゼンの脇では、ダンゾウがトバリが修練を積む様子を事細かに語っている。その話のなかから、いつ頃会ったのか割り出すべく耳を澄ます。手裏剣の的を五つに増やしたのは先月のことだ。

 この一月の間、トバリの家に自分とアスマ以外の人間が訪ねてきた痕跡はなかったように思う。
 思う。……思うが、家政婦も一々そんなことまで報告してくれない。それに、トバリは自分の周りで何があったか喋るタイプではなかった。いや、それ以前に、自発的に自分から話を振るというのが稀なのだ。誰と会って、どんな話をしたかなど、事細かに聞きださない限り口を割ってくれない。どうも、他人と何をして何を喋ったか、すぐに意識の表層に浮かんでこないらしい。
 他人に興味がないならないでボーっとしていてくれれば良いのに、その優秀な記憶能力が如何でも良い戯言をしっかり暗記してくれる。あれはトバリが二歳の時だったか、絵本を読むトバリを相手に上役たちとの軋轢を滾々と漏らしたことがあった。第三次忍界大戦末期で気が滅入っていたとはいえ、愚行だったと思う。トバリは今もその愚痴を一言一句違わず暗唱することが出来る。懐かしい愚痴を聞かされて以来、ヒルゼンはトバリの前では言葉に気を付けてきた。
 しかしその努力も、ダンゾウが余計なことを吹き込めば意味がない。
 トバリは頭が良い。そして感情が薄い。悪意と善意の区別が付かない。確固とした精神的基盤もない。常識を教えてくれる両親も、社会経験を植え付けてくれる兄弟もない。

 トバリはまだ四歳の子どもだ。
 これから如何様にも成長する若い蕾である。それを勝手にうちはマダラなどと同一視されては堪らない。増してや何の罪も犯していない段階で処分を視野に入れて考えるなど言語道断である。

「カカシは六歳で中忍になった」
苛立ちから、ヒルゼンが尖った声を出す。トントンと指で机を叩く。
それこそ、トバリよりずっと優秀じゃった。あの子は記憶力が良いだけで、応用力がない」
「カカシには尊敬できる父親がおり、その父親の前ではよう笑った」
 コハルがヒルゼンの論旨に噛みついた。
「親の前では普通の子どもだった。カカシが天才ともてはやされたのは、あやつに産まれながらの天賦の才があったからではない。サクモの汚名を雪ぐために立身を望み、それをやり遂げたから“天才”なのだ。今もミナトによく懐き、ここが己の居場所だと確信しておる」
「……うちはマダラにはこの里に残る理由がなかった。あの子どもとて同じだ」ホムラがあやすように優しい声音を紡ぐ。「この里に居場所がない人間は、いずれこの里を出ていく」
 ヒルゼンはたかが四歳の子どもを脅威の種として扱う朋輩たちを、緩慢な仕草で見渡した。

 ホムラたちの言いたいことは分かる。
 トバリをアカデミーに入学させたくない理由も分かっている。その“理由”を消し去ったのはヒルゼン自身なのだから、承知していないはずもなかった。


 カンヌキは初代火影・千住柱間の死体の一部を用いた人体実験に傾倒していた。

 前々から里を空けることが多いカンヌキの動向を探ってはいたが、実際に研究所の在処を見つけたのは大蛇丸だった。大蛇丸が言うには「たまたま任務帰りにカンヌキのチャクラを感じて尾行した」とのことだが、それもどこまで本当か分からないというのが実際のところだ。
 薄々密告を感づいていたのか、もしくは“誰か”に前もって知らされていたのか、大蛇丸と二人でカンヌキの研究所に押し入った時には既に研究データは全て処分されていた。
 ヒルゼンが押収することが出来たのは、研究所裏手の大きな穴のなかに投げ込んだままの死体。そしてガラス管のなかで眠る、トバリと同じ顔の子ども。生命反応が見受けられたので保護を試みたが、培養液から出て間もなく心停止状態に陥り、そのまま死んだ。その様子を観察していた大蛇丸が「生体維持というより、体組織の保存を目的に延命措置を施していたようですねえ」と含み笑いで口にする。その言葉の示す通り、穴のなかにあった死体からは柱間とトバリ、双方の体組織を移植した跡が見られた。柱間の体組織を移植したものは幾つかあったが、トバリの体組織は必ず柱間のものと混ぜて合った。その意図も、カンヌキと研究データがない以上分からない。
 如何して話を聞きだす前に殺したと咎めても、大蛇丸は白々しい反省を口にするばかりで埒が明かない。ヒルゼンは“どうせ、そのうち分かることだ”と追及の手を緩めた。

 大蛇丸はカンヌキの研究データを保持しているはずだ。
 それを参照すれば、あの研究所にあった死体の山はトバリと無関係で、トバリが単なる材料の一つに過ぎなかったと証明できる。自来也が尻尾を掴んでくれるまで、もう少し辛抱すれば良い。
 あの子は普通の子どもだ。カンヌキの手で産みだされた“作品”ではない。


「あの子は、駄目だよ。人間として大切なものが欠落しとる」
 コハルが静かに呟いた。
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