物心ついたとき、トバリには既に親はいなかった。
 トバリの最も古い記憶は、二人の男が自分を覗き込んでいるのを見上げている図だ。
 男の一人は今と大して変わりない姿の三代目火影・猿飛ヒルゼンと、もう一人はヒルゼンより大分年かさであるものの、まだ目に光のある好好爺。土塗れの手をモジモジとさせて、決してトバリに触れようとしなかった男は、今もまだトバリの家に通ってくる庭師だ。
 土で茶色い指は変わっていないが、今はもう、すっかり呆けてしまっている。

 自分の記憶が果たしていつ頃のものか聞いてみると、ヒルゼンは驚きながらも「この家にお前が来てすぐのことじゃったかいな。センテイがどうにも『おれが世話したんじゃ汚れちまうから』と持て余しとったよ」と答えてくれた。続けて「カンヌキの奴、昔から猫でも犬でもありとあらゆるものを拾って来てはセンテイに押し付けとったが……まさか我が子までのう」と口にしたことからも、如何にトバリの父親が無責任な人物であるかは推して知るべしと言ったところだろう。
 所帯を持つことさえなく子どもだけ作って、その子どもの世話さえ他人にポンと任せたまま死んでしまったのだから無責任の極みと言っていい。さぞ気楽な人生だったはずだ。

 その無責任極まりない父親が死んだのは、トバリが四歳になってすぐのことだった。
 第三次忍界大戦が終わったばかりで慌ただしい頃だった。葬儀に集まった誰もが「あいつは要するに何が理由で死んだんだ?」と首を捻っていた。死体は綺麗なもので、川にぷかりぷかり浮いていたのをヒルゼンが見つけたらしい。検死の結果は、どこぞの山野で毒蛇に足首を咬まれた拍子に谷川へ落ちたのだろうとの由。何せ任務外の殆どを植物の採集に費やしていて、親しい仲であったヒルゼンでさえ連絡が付かないことがままあるひとだったから、単なる事故として片づけられた。
 忍者としては酷く優秀なひとで、潜入任務の成功率や諜報活動における情報収集能力は右に出るものがいなかったというから、人間何が理由で死ぬかは分からないものだ。
 葬儀終盤で聞こえてきた「岩隠れの進軍予定図さえ手に入れてきたカンヌキが、蛇毒如きで死ぬのだな」という一言は、単なる揶揄か、はたまた落胆だったのだろうか。折角先の大戦を共に生き抜いた仲間が詰まらない理由で死んでしまったことに、誰もが失望しているようだった。
 トバリは人づてに聞いた話でしか父親のことを知らない。それなのに葬儀の参列者たちはめいめいトバリの父親との思い出を持っていて、所詮他人事でしかない死を切々と受け止めている。子ども一人世話出来ない男が、そんなに大層な人間だったとは知らなかった。
 どの道、間抜けな死にざまを晒して消えた人間だ。そんな詰まらない人間のために泣いたり、思い出話を口にしたり、みんな無駄な労力を使うものだ。
 優しく頭を撫でてくれるヒルゼンをはじめ、自分を取り囲む大人たちが一様に“親を喪ったことさえ分からない子ども”の姿をトバリのなかに見つけ出そうとするのも、理解出来なかった。
 恨みに思っているわけではないが、その生涯において決してトバリを顧みなかった男である。何故、トバリがそんな男の死を特別なものとして受け止めなければならないのか――特別なものとして受け止めることを期待されるのだろう。棺桶に眠っているのは、ただの肉塊だ。
 トバリの父親だったものを常温放置しておくと耐えきれない腐臭が漂いだすし、蛆が湧いて不衛生なので埋める。トバリは父親の葬儀に、それ以上の意味を見出すことが出来なかった。

 トバリは己の目で父の顔を見たことがない。
 棺桶のなかも、覗かなかった。何故と言えば、父親の死に顔を見たからと言ってチャクラコントロールが上手くなるわけでも、手裏剣の精度があがるわけでもないからだ。
 大人たちが父親との最期の別れを強要せずにいてくれたことがトバリには有難かった。

 法宴の夜、トバリの家に集った親族たちは「忍としては一流だったけど、人間としては三流だった」「本当に二代目様の息子と思えないほど無責任だった」「扉間様も生前から『末子とはいえアホウに育った』と言ってただろう」などと勝手な話で盛り上がっていた。
 勿論、幼い子どもの眼前で和気藹々と死んだ人間を批難していたわけではない。トバリが寝静まった頃を見計らって始まった無礼講を、トイレに起きたついでに盗み聞いただけのことだ。無遠慮な批評に対して年上のはとこが「頭が良くて面白い人だった。無責任ったって、トバリを放ってたこと以外は大した無責任じゃないじゃないか」と言っていたが、「その唯一が大したことなんじゃないか」という反撃を受けて黙り込んだ。暫く襖の向こうで耳を澄ましていたが、彼女自身“あいつのことは庇いきれない”と思ったのか、それ以降の発言はなかった。やがてトバリも退屈を覚えて寝所に戻ったため、父親の人生の総評が如何なるところに落ち着いたのかは分からない。

 無責任極まりない父親を何とか庇おうとした年上のはとこは、名を綱手と言う。
 医療忍術に長けた人物で、先の大戦でも後方支援の要として重用されたようだった。存命の親族のなかで一番の近縁にあたるからか、トバリに幾らか関心のある素振りを見せていた。しかし、父親の葬儀以来一度も会っていない。父親と同じで、彼女にも大した放浪癖があるようだった。
 親族の殆どがまだ四歳のトバリが長い葬儀に飽きた様子もなく座っているのに奇異の目を向けていたが、なかでも綱手は胡乱なものを見極めようとしているかのように一際厳しい視線をくれていた。トバリに向ける言葉には随分と親しみがあったが、綱手の、トバリに向ける反応の落差が、トバリが“普通の子ども”でないことを裏付けているかのようだった。
 綱手だけではない。面と向かって口にしないだけで、ヒルゼンだってトバリは“普通の子ども”じゃないと理解している。普通の子どもには、生後数か月そこらの記憶はない。

 ヒルゼンのことは嫌いではない。善良なひとだと思う。綱手だってそうだ。次会う時には値踏みされないで済むよう、コミュニケーション能力を磨いておきたい。でも、それだけだ。
 他人と共にいる時、相手の好意に気付くとそれに応えたくなる。本来の自分を誤魔化して一時的に良い顔をしたところで何も得るものはないと知りつつ、蔑ろにしたくない。
 無駄なことにかまけている自分が馬鹿馬鹿しいと同時に浅ましいようで、疲れる。いっそ家政婦や、自分を遠巻きにする親族のように悪感情を向けてくれるほうが気楽だった。尤も気楽と言え、煩わしさは感じる。そう考えると、独りでいるのが一番好ましいのかもしれない。独りが好きなら、ヒルゼンが訪ねてくるのを煩わしく思わないのは何故だろう。
 トバリは自分が他人に何を求めているのか、よく分からなかった。他人に意識を向けること自体が無駄であるように思えてならない。ただトバリは優秀な忍者になり、里のために身を粉にして尽くせばいい。己に課された指令の意図をくみ取って、それを全うするだけでいい。
 ……少しずつ世の道理が分かってくると、トバリは自分のなかにある使命が何か理解した。“ゆうしゅうなにんじゃ”と呼ばれるために如何いう素養が必要か知った。“さと”は木ノ葉隠れの里を指すのだと悟った。“みをこにしてつくす”という言葉から“道具”を連想するようになった。
 トバリは普通の子どもではない。多分、誰かの道具なのだ。四歳半ばに差し掛かって、そう思うようになった。しかし、その“誰か”については考えたくなかった。

 他人と触れ合うことで自分の精神が成熟し、より深い思考の闇に囚われるのが怖かった。
 トバリにとって唯一心許せる相手は自分を気遣ってくれるヒルゼンでも、一番の近縁である綱手でもなく、増してや事務的な家政婦であるはずもなく、呆けた庭師だけだった。
 温室へと足を運ぶのも、疾うに自分のことを認識出来なくなった庭師に会うためである。


「坊ちゃんはカラリとした性格の楽しいひとでねえ、色んな意味で色好みだったねえ」
 庭師は誰と話しているつもりなのか、温室内に人がいようといまいと平気で昔話をはじめる。
 トバリはスイカズラの蜜を吸う口を一旦休めて、少し離れたところで水やりをする庭師を見つめた。如何にも人の好い笑顔を浮かべたまま、声音は夢見がちで間延びしている。
「長く家を留守にするのはようあることだったけど、『センテイ、見ろ、これ。ぼくの子だ』なんて、うん」眠たげに頭を垂れた如雨露が、鉢植えの一つを水没させていた。「おどれぇたよねえ。珍しい植物をおれにおしつける時と、全くおンなじ調子なんだもの」
 自分に母親がいないことも、父親に放浪癖があったことも、庭師の昔語りから知った。
 各地で植物の採集を行い、様々な覚書を残してきた父親は、その生涯において独身を貫いた。庭師の「色んな意味で色好みだった」という台詞が如何いった意味を持つのか、また他人から自分の出生を如何いう風に思われているのか察するほど聡いわけでもなく、トバリは庭師の話をありのままに受け止めていた。きっと父親は、華やかなものを好んでいたのだろう。そして、庭師はそんな父親のことを我が子のように慈しんでいたのだろう。祖父の代からこの家に通っているという庭師は、トバリの父親が産まれてから死ぬまでを父のように兄のように見守ってきた。
 庭師の感情らしい感情を見たのは、父親の棺桶に取りすがって泣いているのが最後だ。
 トバリの父親が死ぬと同時に、庭師はトバリがこの家にやってきた日から先の記憶をすっかり失った。体調が良い時にはヒルゼンと雑談に興じることもあるが、トバリのこと、トバリの父親が死んだことは認識出来ない。庭師が幸福そうだから、全部忘れてしまって良かったのだと思う。

「もう六十も間近だったから、コハル様なんかはほんとに坊ちゃんの子かってね」
 凡そ幼い子供に伝えるべきではない事実を、庭師はニコニコと邪気のない声で語り続ける。
「ほんでも三代目ぇが、柱間様にようく似とるてトバリさまのこと可愛がっとったねえ」
 今もすぐ傍で立ち尽くすトバリのことを話しているのに、ずっと昔のことのようだった。
 父親の死後、ヒルゼンはトバリの後見人を務めている。家にこもりきりのトバリを、最低でも月に一度は訪ねて来てくれるし、火影の座を退いてからは連日姿を見せることも少なくない。優しくしてくれる。後見人としての責任感があることを踏まえても十分“三代目はトバリを可愛がっている”と言うことが出来るはずだった。それも、庭師にとっては全て過去のことなのだ。

 トバリは蜜の出なくなった花を地面に放って、新しい花を摘み取った。
 唇に食んで吸うと甘い。腹は膨れないが、口寂しさは紛れる。
 日々懸命に丹精して咲かせた花を次々むしられているのに、庭師はまるで意に介した様子がない。現実に盲しいて、思い出しか見えていない庭師が屈託なく笑う。
「かわいい子ぉだった。三代目の言う通り、ほんとに柱間様によく似とってな。扉間様に見してあげたかったわなあ」ただでさえ人の好い顔が、ぎゅっと中央によってくちゃくちゃになった。「あの人は冷酷な風に言われとったけど、ほんとに情深い人で、おれが庭を丹精してると『弟の気にいってた花だった』『小さい頃、兄者とアケビを食べた』ってポツポツ話してくれて……」
 しわに埋もれた瞳は、如何にも優しげに細められている。
「あなたの大事にした里に……花が咲いとります。あなたの背後に守られた土地に、あなたの慕ったお兄様によう似た子ぉが産まれました。そう知ったら、笑ってくださるか思うてな」
 この男は、若い時分に足を悪くして忍生命を断たれた。手先が器用なわけでもなく、医療に従事できるほどの胆力もなく途方も暮れていたところに与えられたのが、この庭だった。
 トバリの祖父である扉間に庭師として雇われる傍ら、やがて薬学を身に着けた。少しでも扉間の役に立つのが目標だったと、そう聞いたことがある。扉間が死んだとき、彼の末息子である、トバリの父親のためにもう少し生きてみようと思ったと言う。
 その、トバリの父親が死んだときに糸が切れた。抜け殻だけが今、辛うじて息をしている。

 庭師が愛したのは、祖父と父の二人だけだった。
 この男の瞳のなかに自分の姿は存在しない。いや、この男だけではなく、トバリは誰の瞳のなかにも自分の姿を見つけることは出来なかった。憐れみ。懐疑。嫌悪。好奇。その何れもトバリに勝手な偏見や劣等感を投影して、歪めたものだった。

「なんて可愛い子だろう……なんて、いとしい子だろう……」
 トバリは、庭師の話を聞いていたかった。
 例えもう自分の姿が目に映っていなくても、ただ自分の愛した人々の血を汲むだけの器に過ぎなくても、この人だけがトバリを普通の子どもとして屈託なく受け入れてくれた。
 ずっと、庭師の話を聞いていたかった。それが己の人生において無駄でしかないと分かっていても、この男が自分の名を口にすると愉悦を覚える。この男は、自分に向けられる好意は自分の人生に要らないものだ。トバリには物心がつくずっと前から、自分に必要なことが分かっていた。その“使命感”こそが自分を子どもたらしめない一番の理由と分かっていて、そして“何のため”なのかも分からない使命感に振り回される自分自身に疲弊してもいたけれど、それを投げ出そうと思うことは出来なかった。自分に課された“義務”や“期待”に倦む度に、庭師の声を求める。
 この男の話を聞いていると、自分は“普通の子ども”ではないけれど、自分のなかに何もないわけではないのだと思うことが出来た。自分のなかにも何かがあるかもしれないと、思った。


 いずれトバリは優秀な忍者になり、里のために身を粉にして尽くすだろう。何も考えず、己に課された指令の意図をくみ取って、それを全うするだけでいい。トバリには何も要らない。
 ただ祖父の大事にした里に花が咲くから、そのために長じるのだ。
わたしをみてくれないひと
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -