六月が近づくと、どんよりとして分厚い雨雲が里の上空に居座り始めた。
 精確に雨期が到来したのかも分からないままにパラパラと振ったり止んだり、ここ数日は曇天が続いている。尤も空気中の湿度だけは天候の如何に左右されず、確実に雨期へ近づいていた。
 さらりと肌を撫でるだけだった五月は失せ、六月の気候はじっとりと重たげに湿度を含んで、肌に纏わりつく。外を歩くと、まるで天から百枚の布が吊るされているような反発力を全身に感じた。夏日の実直な暑さよりは大分マシだろうが、湿度が高いと発汗による体温調整が機能しないため、体内に熱がこもる。肌に染み入るような蒸し暑さのなかで、トバリもグッタリしていた。

 しかしながら、ここ最近のトバリがグッタリしているのは、暑さだけが理由ではない。
 雨期の到来とイタチのお節介――イタチのチャクラコントロールが万全になったにも拘わらず、トバリはまだ彼と縁を切れずにいた――トバリはその二つが重なっても尚元気はつらつと振る舞える性質ではなかった。重ねて不運なことに、“グッタリ”の理由はもう一つある。

『母さんに会いたいなら、うちにゆうはんを食べにくると良い』
 何が良いのかさっぱりわからなかったが、イタチの家で食事をすることになった。

 それは、イタチのチャクラコントロールが万全になった日のことである。
 大蛇丸との逢瀬を終えて、ひいこらイタチの様子を見に行った日でもあった。今日を最後にイタチと縁が切れると思えばこそ無理を押して会いに行ったのだ。そうでなければあんな状態で外を出歩かない。イタチがそうと察した通り、体調は万全ではなかったし、機嫌も悪かった。
 何故と言えば、理由は数多ある。大蛇丸が自分の希望を無視して、日中に臨床実験を行ったこと――日中の自己治癒力が夜間に比べ大分鈍化していること――結果として一時間の心機能停止、数時間に及ぶ貧血状態、熱傷を味わうはめになったこと――苦労して様子を見に来たイタチが自分の体を顧みずに修行に励んでいたこと――何もかもがトバリの気に障った。
 何より腹が立ったのは、樹上のイタチがいつまで経っても下りてこようとしないことだった。


 トバリは、これまで大した怪我を負ったことがない。
 いや精確には“怪我を負ったことがあるのか如何か覚えていない”と言うべきだろう。カンヌキに暴行された夢が事実であれば、恐らくその際に幾らか怪我を負ったはずだ。しかし祖父の日記は一から十まで暗唱出来るのに、カンヌキによって負わされた傷がその後どうなったのかは全く分からない。そういうわけで、トバリは“大した怪我を負ったことがない”という認識だった。
 自分のみならず、家政婦やヒルゼン、センテイといった身近な人々が怪我を負っている様も見たことがない。アスマに限って言えば例外ではあったが、それも軽傷が殆どだった。当然、行動を制限されるどころか、苦しんでいる様子さえなく、健常時との違いは“包帯の有無”だった。
 どの道、所詮他人に過ぎない彼らは怪我を負えば自宅へ戻る。家族を知らないトバリが“怪我”や“病気”についての知識を本に頼るのは当然のことだ。しかし喩え本を読んだとしても、紙上に“骨折は通常一ヶ月ほどの休養を要される”とか“捻挫は一週間近く安静にしなければならない”とか記された脇に“チャクラでの治療を用いた場合は例を問わない”と注釈されているのだから、信頼度は著しく低い。トバリに“怪我”や“病気”に纏わる知識はないに等しかった。少なくとも、如何いう経過を経て治るのか、体の不調が如何いう感情をもたらすのかはサッパリ分からなかった。
 一年ほど前に世話してやった仔猫とて、単に衰弱しているだけで、外傷はなかったし、そうでなくとも猫と人間を一緒に考えるとイタチの不興を買う。イタチが猫と母親の妊娠を一緒くたに纏められて腹を立てたことには、きっとトバリの考えでは及びもつかないような深々として説得力のある理由があるに違いなかった。何せトバリには母親がいないし、一般常識もない。

 イタチが腕を捻った時、物知らず且つ常識がないトバリは俄かに考えた。
 アカデミー卒のくノ一にとって、掌仙術の会得は必須である。尚且つ彼の両親は上忍らしいから、そのどちらかが掌仙術より高度な医療忍術が使える可能性は極めて高い。それにも拘わらず腕の捻挫が中々治らないのは、彼の体が特別弱いからではなかろうか。考えてみると、忍としての才能に溢れ、驚くべき聡明さを備えるばかりか、容姿にも恵まれている彼に、何の欠点もないのは話が出来過ぎている。今となっては“しぶとい顔をしている”以外の感想が出てこないものの、初対面では“性別に迷うほど繊細な見目をしている”と思ったものだ。美しい花はか弱いものだし、そう考えると人一倍修行熱心な理由にも納得がいく。林檎が詰まった袋を差し出されて困惑するイタチに、トバリは思った。二日も経って捻挫一つ治らないのだから、こいつは病弱なんだろう。
 しかしイタチは特別体が弱いわけでも、林檎が嫌いなわけでもなかった。
 大蛇丸は「アナタ、私を前にしてもまだ社会常識なんか必要だと思うの?」と肩を竦めるが、それでもトバリの質問をはぐらかしたりはしない。大蛇丸せんせいの“ナゼナニ質問コーナー”のおかげで、トバリは色んなことを知った。捻挫の完治には一週間ほど掛かるらしいとか、医療忍術は自己治癒能力の阻害となるため頻繁に使うものではないとか、うちは一族は別に体が弱い家系ではないとか――トバリの勘違いを懇切丁寧に指摘しながら、大蛇丸はこの上なく楽しげだった。
『その“イタチ”くんとやらが特別なんじゃなくて、アナタの自己治癒力が特別高いだけなのよ』
 己の無知と異端とを同時に突きつけられ、トバリはつくづく嫌な気持ちになった。
 トバリが不愉快を露わに顔を顰めると、大蛇丸は更に機嫌よさげに色々教えてくれる。有難いと言えば有難いのかもしれないが、トバリを見下ろす視線は豚が肥え太る様を見守るようで気味が悪い。実際のところ、大蛇丸にとってのトバリなどその程度の存在なのに違いなかった。
 とはいえ、それは如何でも良い。きっと過去の自分はそうした扱いに慣れていたのだろうから。

 トバリは大蛇丸について、特に不快だとも危険分子とも思わない。
 大蛇丸が自分に与える情報を制限しているのも、あからさまな嘘を吐かれているのも、トバリは構わなかった。今のところは、大蛇丸にトバリの望みを害する気はないし、また彼がまるっきり優位に立っているわけでもないからだ。確かにトバリは化け物だけど、それが露見しない以上は二代目火影の孫という立場、幼い容姿に加えて、三代目の庇護がある。一方の大蛇丸は、例え相手が化け物だろうと、その事実が表面化する前からトバリに怪我を負わせている。如何取り繕っても、彼が幼児に暴行を働いた事実を消すことは出来ない。トバリが自棄になれば、最悪二人してこの里に居られなくすることも可能だった。それ故、大蛇丸はトバリを上手く扱う必要がある。
 大蛇丸はこの里に執着しているし、ヒルゼンにも幾らかの関心を寄せる。増してトバリのことも、全く無価値な存在だとは思っていないらしかった。でも、トバリはそうじゃない。
 何ならトバリは、今すぐ全部が破綻しても構わないのだ。確かにトバリは事の露見を恐れているけれど、いざ起こってしまえば“その程度のことだった”と諦めて、“これで全部が終わるのだ”と安堵して、自分の結末を受け入れるだろう。何事においても捨て鉢な分、トバリのほうが身軽に動ける。トバリはただ、大蛇丸の手によって秘密裏に処理される事態に備えておくだけで良かった。
 それ故、トバリは大蛇丸の好奇心に協力する見返りとして、そして二人でいるところを目撃されても問題視されないよう、彼に家庭教師を務めてくれるよう頼んだ。トバリの交友関係は極めて狭く、そして大蛇丸の異常性は広く知れ渡っている。自分と恒常的に関係を持っているのが周知されたなら、軽々しい口封じに走ることも、拉致監禁に及ぶのも躊躇するだろうと踏んだからだ。
 ヒルゼンが散々「あいつは子ども向けの人間ではない」とか「基礎も危うい状況で妙な術を覚える羽目になるかもしらん」とか言ってたあたり、何かあれば真っ先に疑われるのは間違いない。未成年略取や幼女暴行の疑いを掛けられても尚自分を如何にかしたいのなら、お好きにどうぞ。トバリに先手を打たれ、大蛇丸は渋々と――それでいて、どこか楽し気に――トバリの案に乗った。

 そういうわけで今の大蛇丸とトバリは、表向き“家庭教師と生徒”という関係にある。
 許可を出したのは大蛇丸の師であり、トバリの後見人でもあるヒルゼンだが、そこに如何いう気持ちの動きがあったのかは分からない。ヒルゼンはトバリが危険人物と関わるのを嫌っていたし、危険人物云々以前に、大蛇丸は仮にも三忍の一人として多忙な人間である。
 勿論大蛇丸がトバリに会いにくるのは余暇に限られるものの、ヒルゼンとしては“幼児に構う暇があるなら余計に任務をこなしてくれ”というのが本音ではあるまいか。波風ミナトと並んで四代目候補に挙がったことからも、たかが幼児の家庭教師に収まる器ではない。“変わった子ども”として名を馳せるトバリ相手では、家庭教師を募ろうにも大蛇丸以外は誰も承諾してくれなかったのだろうか? そもそも家庭教師を付けて欲しいと申し出たのもトバリの勝手なのだから、人が集まらないなら集まらないで有耶無耶にする選択肢もあった。しかし、ヒルゼンは口では反対しつつ、結局はトバリの申し出を呑んだ。当事者同士が乗り気であること、トバリが二代目火影の孫であることを差し引いても、ヒルゼンが許可を出した経緯は依然として分からないままだった。
 自分が化け物であることに気付いたのだろうかとも思ったのだが、トバリの視線の先で、トバリに話しかけるヒルゼンは相変わらず柔和で思慮深く、どこまでも優しい。その立ち居振る舞いには、一切の演技もないように見えた。今のところ、ヒルゼンとの関わりにおいて気を張る必要はない。その結論に神経が休まるような、罪悪感が増すような、奇妙な気持ちになった。


 今のところ、トバリは上手くやっている。気を張る必要も、臆する必要もないはずだ。
 トバリが望むのは自分が何者か知ることと、平穏に過ごすことの二点のみ。今後のことはまた別として、当面はその二つが満たされれば何の不満もなかった。幸いにして大蛇丸という協力者も得たし、あとはイタチと縁を切るだけで、それなりに平穏に暮らして行ける目途は着いていた。


 イタチの一挙一動で、トバリの感情は如何しようもなく乱れてしまう。
 過去の自分が無感情だったわけではないが、イタチに出会うまで、何かを特別腹立たしいとか、鬱陶しいとか、そう言う風に感じることはなかったのである。ほんの数か月前まで、トバリにとって何もかもが“如何でも良いこと”で“些末なこと”だった。アスマの相手が唯一面倒と言えば面倒だったけれど、今となっては彼の来訪さえトバリの平穏を乱していなかったのがよくわかる。
 ヒルゼンといても、アスマといても、大蛇丸相手でさえトバリはボンヤリしていられる。それなのにイタチと来たら忌々しいことに、ありとあらゆる手腕でもってトバリの感情を振り回す。
 兎に角、あの子どもは勝手なのだ。あの日、中々木から下りてこないイタチにどれだけヤキモキさせられただろう。恐らく、これまで生きてきたなかで一番感情が疲弊した。あいつは、木から落ちたら如何するつもりだったのだろう? トバリは良い。腹に穴が空いてもすぐ塞がるし、骨折も十分ぐらいで治る。でもイタチはそうではない。イタチは腹に穴が空けば休養を要するだろうし、骨折なぞしようものなら一月程度家にこもるはめになる。勿論トバリだって、日中のケガは治りにくい傾向があったが、少なくともイタチよりかはマシなのだ。首を切り離したり、心臓を潰したら死ぬかもしれないけど、四歳の子どもが安全圏で暮らしていて、そんな出来事に巻き込まれるはずがない。トバリの体はそういうものだった。壊れてもすぐ直るし、疲れていても意志の力で何とでもなる。トバリの体に比べて、イタチの体は随分脆弱である。無理をしたらすぐ疲れる。疲れると集中力が乱れる。集中力が乱れると、不注意を招く。不注意がケガに繋がろうものなら、平気で一週間一ヶ月近く休むことになるのだ。完治するまでは痛みもあるだろう。動くにも不便だろう。彼の大好きな修行も休まざるを得ない。本当に、本当に――ついこのあいだだって腕を捻って休んでいたくせに、イタチは何も分かっていない。如何して、ああ物わかりが悪いのだろう。

 確かに、あの日トバリは体調が万全ではなかった。
 一リットル近く血を抜かれた後で、ウキウキ気分になれるほど人間が出来ているわけではない。治癒速度の計測を行うために腕に幾らかの裂傷も負わされていた。自己治癒能力が高くとも、痛覚が鈍るわけではない。日中だったから回復に時間も掛かった。しかし、どうせ治るのだ。
 不愉快の理由は数多あった。大蛇丸が自分の希望を無視して、日中に臨床実験を行ったこと――日中の自己治癒力が夜間に比べ大分鈍化していること――結果として一時間の心機能停止、数時間に及ぶ貧血状態、熱傷を味わうはめになったこと――苦労して様子を見に来たイタチが自分の体を顧みずに修行に励んでいたこと――何もかもがトバリの気に障った。
 トバリがイタチだったら……自分の苦痛を案じてくれる人がいたなら、あんな無理はしない。


 トバリはイタチと違う。トバリはイタチよりずっと頑丈なのだ。
 トバリは頸動脈を切っても死なないし、体内の血液の三分の一を失っても気絶さえしない。致死量の蛇毒を打たれても、ちょっとの間心臓が止まるだけで、暫く経てば意識を取り戻す。寝なくても、食べなくても生きていける。そしてトバリが“自分の正体を隠し果そう”と思えば、その通りにすることができる。もし朝から晩まで共に過ごさねばならない相手がいたなら、トバリの秘密は長続きしなかっただろう。トバリには親も、やがて産まれてくるかもしれない弟妹もいない。
 もし自分が死ねば無論ヒルゼンやアスマは驚こうが、逆を言えば“死ななければ何ということはない”のだった。それは多分、トバリにとって“都合のよいこと”なのだと思う。
 幾ら手荒に使おうと、トバリは壊れない。“道具はすべからく頑丈であるべきだ”考えるトバリにとって、己の異端はある意味“長所”でもあった。何となればイタチや家政婦、センテイなどが窮地に陥っても、“自分と相手が助かる方法”を考えるまでもなく、単に自分が彼らの代わりを務めれば良いのだから。二人より一人、三人より二人。身の安全を考える相手は一人でも少ない方が良い。
 しかし、それは飽く迄トバリが印を結べるコンディションであることが大前提だ。トバリは印を要さない、チャクラによる筋力強化が苦手である。それ故、両腕が不自由な際は年相応の動きしか出来ない。樹上のイタチを見上げて右往左往していたトバリは、正に“そういう状態”だった。

 両腕は激痛で燃えるように熱いし、貧血でクラクラする。しかもイタチが降りてこない。
 そもそも“休息は大事だ”とか常日頃五月蠅いのは、イタチである。いつも休息を軽んじるトバリに呆れていたのに、あの日に限って何故あんなに修行続行に拘ったのだろうか? 理由は分からないものの、あの子どもが不意に見せる癇の強さは全く持って不愉快である。結局は無事だったから良いものの、もし幹から落ちて、受け身にも失敗して、それで骨でも折ったら如何するつもりだったのだろう。体調は少しずつ快方へ向かっていたけれど、反射神経は健常時に劣る。他人が傷つく場に居合わせていながら、自分には何も出来ないのではないかと思うと背筋がゾッとした。トバリなら骨が折れても大したことはないけれど、イタチはあの痛みと数週間付き合わねばならないのだ。肋骨が折れた瞬間の切ない痛みと、熱を持った胸部を押さえながら喘ぐ閉塞感。それを何時間も、何日も味わう羽目になる。そう思うと、何というか、言葉にしがたい感情が胸に満ちた。
 それは“怒り”や“無力感”でもなければ、“焦燥感”でもないようだった。自分の足元にぽっかり空いた大穴の存在に今まさに気付いたような、不定形で、曖昧なのに、それについて考えるだけで息苦しくなる。……だからイタチの足元の幹が弾けたのに気付いたのも、一拍遅かった。
 イタチが何とか体勢を立て直す様を見守っていたものの、トバリの目には何も映らない。頭は真っ白だったし、誰かに耳をふさがれたかのようだった。ただ脈だけが、嫌に激しかった。イタチが樹上で何を喋っていたのかも、一気に吹っ飛んだ。馬鹿げたことに「おまえのスタミナぶそくは“だいもんだい”だぞ」という、聞き飽きた罵倒を理解するのに数分掛かった。

 あの子どもはあまりに身勝手だ。
 トバリにあれほど不愉快な思いを強いてまでも、修行をしたかったのだろうか? したかったのだろう。トバリは、あの子どものことをよく分かっている。大人びていると思ったのは、ほんの最初だけだった。我は強いし、自分が優秀だと知っているから他人の忠告は受け入れないし、何でもかんでも自分の配材で決めてしまう。ああしろこうしろと言うのなら、まだ可愛げがある。
 イタチの身勝手さは生半なものではない。具体例を言えば「木登りの行が終わったから、次はお前の投擲技術を見てやる」とか、「いや、その前に下肢の筋力を鍛えたほうがいいな」とか、あまつさえ「来週うちに夕食を食べに来ると良い」なのである。これらのことは既にイタチのなかで決定されてしまっていて、それを翻すには根気強い拒絶が必要とされる。

 根気と拒絶――これほどまでに、トバリが不得手とするものがあるだろうか。
 皮肉なことには、トバリは一月強の付き合いを経てイタチの横暴に幾らか慣れていた。惰性はひとに安心を与えると共に、油断を産む。身勝手に自分を振り回すイタチの脇で、トバリは自分に根気がないのも、拒絶が苦手なのも仕方のないことのように思えるのだった。喩えトバリと並走するイタチが「なんだ、そのフワフワとした走り方は。もっと足こしにチャクラをまわせ。どうしておまえはそうやってつかみどころのない走り方をするんだ」と小うるさかろうと、今のトバリにとっては葉と葉のこすれる音も同然である。フワフワした走り方がどのような状態を指すのか理解出来なかろうと、気にすることはない。強い目的意識のもと数年後の実戦を見据えて鍛錬に励んできたイタチに云わせれば、自分以外の人間は皆フワフワした走り方をしているのだ。
 いついかなる時であろうとトバリが気にすべきことは、“彼の叱責を撤回させる”ではなく“彼と距離を置くよう心掛ける”の一点だった。それなのに、ほんの気まぐれから――妊娠中の女性の腹が如何様なのか一目見てみたいと思った瞬間、トバリはその大事な一点を忘れてしまった。

『きみの母親に会ってみたい』
 確かにトバリは言った。きみの母親に会ってみたい。率直に“見てみたい”と言うのではきっとイタチが気分を害すると思ったからだ。数時間もの間、席を同じくしたいわけではなかった。もっと言えば、それは単なる思い付きであって、決して具体的な返答を求めてはいなかったのである。
『母さんに会いたいなら、うちにゆうはんを食べにくると良い』
 イタチの返事を受けて、トバリはフリーズした。素直に“見たい”と野次馬根性溢れた言い回しを採用するべきだったのに、安易な気持ちで相手を気遣うから面倒くさいことになる。


 イタチが木登りの行を習得し次第、適当に言葉を並べて“用済み”認定して貰う。
 トバリは、そのつもりでイタチと関わってきた。無事忍術の基礎をマスターした以上、もうトバリは要らないはずだ。明日からはもう会いに来るつもりも、増してや友人関係にない他人の家で食事をご馳走になるつもりもなかった。確かに「君の母親に会ってみたい」と口を滑らせたのはトバリで、イタチは単なる善意で誘ってくれているのだとも分かっていた。とはいえ、その誘いに応じたところでイタチたちに大したメリットがないのは見え透いている。
 大体にして、妊婦について知りたければ“大蛇丸せんせい”に聞けば良かったのだ。自分の愚かさに悶々としていただけなのに、イタチはトバリの長い沈黙を肯定として受け取ったらしい。イタチは昼食の後片付けを終えると、木登りの行を再開した。トバリの返事どころかその予定を確かめる素振りを一切見せない華麗な自己完結っぷりである。トバリは「母さんに会いたいなら、うちにゆうはんを食べにくると良い」という台詞が幻聴である可能性に思い至り、ホッとした。
 一人岩の上で脱力するトバリを置き去りに、イタチは修行に励む。樹幹をスイスイ上下しながら、何事か指折り数え始めた。それは兎も角、イタチは凄い。溢れんばかりの自意識で無駄に難航していた木登りの行は、コツを掴むや一瞬でマスターしてしまった。それに完璧主義が有り余る故、他人のスケジュール管理にも並々ならぬ熱意を見せる。イタチは凄い。すごい迷惑。
『父さんがしばらく“おそばん”だからな……早くて一週間あとになるか』
『まって』
『どうせ三時ごろまたおれのようすを見にくるだろう』
 見にくるとは言ってない。言葉を失ったトバリは、樹下で力なく頭を振る他なかった。
『修行がひと段落したら六時におれの家へよって、かえりは七時半あたりで良いな』
 トバリの知る限り、食事というのは十分もあれば終わる。イタチの家に一時間半も滞在するとして、食事を終えてからは一体何をしろと言うのだろうか。想像するだに苦痛である。
『そうしたら、明日にでも母さんにつごうのいい日を聞いてくる』
『まて、わたしはしばらく“かていきょうし”をまねいて、忍術修行をおこなう』
 ハッと尤もらしい言い訳を思いついたトバリは大急ぎでありのままを口にしたが、イタチはきょとんと小首を傾げるだけで“わかった、それじゃ無理だな”と納得する様子はない。
 このままでは、このままでは……また、いつも通り、イタチの思うがままに事が運んでしまう。
『毎日毎日、朝から夕方まで? 第一、おまえに今さら“かていきょうし”なんかいるのか』
『いる。大体、きみは木登りの行もできるようになったのに、わたしは一体なにをしにきたら』

『木登りの行の礼におまえの修行につきあってやるから、毎日必ずここに来い』
 今後恐らく、トバリはこれ以上イタチそのひとを的確に表す台詞を聞くことはないだろう。

 イタチは食い気味にトバリのスケジュールを決めて、それ以上トバリの反論を許さなかった。
 いつものことである。トバリはイタチの自己完結癖が大嫌いだった。しかし今更“あいつがきらいだ”と再確認したからといって、トバリにイタチを納得させることが出来るはずもない。
 仕方のない流れで、トバリは「それなら、三代目とフサエが良いと言ってくれたら」と大人たちに望みを託すことにした。一体、他に如何すれば良かったと言うのか。トバリはただでさえ口下手な部類に入るが、中でもイタチ相手に意見することを最も苦手に思っていた。ヒルゼンやアスマはトバリの意志を優先してくれるし、それ以外の人間もトバリがピシャリと先手を打てばスゴスゴと引き下がってくれる。トバリ相手に「それはまちがってる」「どういうことだ」「なんで、そうなる?」と延々追及してくるのは、イタチぐらいのものである。何十回、何百回ピシャリと拒絶してもイタチは自分が納得するまで突っ込んでくる。一体イタチ相手に幾度“一時撤退”を行っただろう。兎に角イタチ相手に“不利だ”と感じたら、三十六計逃げるに如かず。物理的に逃げる他ない。

 それに“大人たちの許可が出たら”という台詞は中々良い手だと、トバリは思った。
 何せほんの数ヶ月前まで、コハルやホムラ、ダンゾウといった錚々たる面子に対して無礼千万としか言いようのない振る舞いを見せてきたのだ。幾度となくその現場を押さえている彼らであれば、他家への訪問なぞ断固として許可しないだろうと思ったからだ。
 安易な予想を立て、トバリは胸を撫でおろした。「許可が下りなかった」という断り文句を切り口に、緩々と疎遠になってゆけば良い。察しの良いイタチなら、他家への訪問許可が下りない時点で、トバリがどれ程無礼な子どもと思われているか理解するだろう。あとはトバリが策を講じなくとも、向こうから距離を置いてくれるに違いなかった。しかしイタチも結構無礼な奴だ。今後人と関わる気のないトバリは兎も角、彼はあのまま長じて良いものか。トバリはちょっと心配になった。まあトバリには関係ない。どうせトバリとイタチは他人同士に戻るのだし、好きに屁理屈をこね、非の打ち所がない正論で他人を殴れば良い。トバリはそう安心しきっていた。


 結論から言うと、果たしてヒルゼンは大喜びで許可を出した。

 他人の家庭を訪ねるなど、未だ早いと言ってくれたら良かったのに――トバリの何を見ているのか、ヒルゼンはそうは思わなかったらしい。ヒルゼンのはしゃぎっぷりと言ったら、トバリが産まれて初めて目にするレベルだった。そんなにトバリが他家で恥を晒すのが面白いのだろうか。
 ヒルゼンの「良い良い、好きにしなさい! フサエ、フサエ!!」という興奮気味の返事によって、イタチの家を訪ねることが確定してしまった。脇の座敷でアイロン掛けをしていたフサエも一緒になって、手土産はアレがいいとか、着てく服はどうするかとか、挨拶に行った方がいいかとか……傍で聞いてるだけで疲れる。何ならヒルゼンも一緒に夕飯を食べに行きたそうな勢いであった。いっそヒルゼンがイタチの家を訪ねたら良いのではないかと思ったが、代替わりしたとはいえ“三代目火影”の肩書が消えるわけではない。間もなく開催される中忍試験の準備で殊更多忙なヒルゼンに代理を頼むのは無理と言うものだ。またフサエの仕事内容は邸内での家事全般であるからして、代理を頼むのは契約不履行となる。最早、トバリが自分で行くしかない。
 ヒルゼンがいるにも拘わらず、トバリは思わず顰め面をしてしまった。途端に体調不良を案じた二人にアレコレ問い質される羽目になったので、トバリは極めて面倒くさい気持ちになった。

 何故、イタチの家を訪ねることになってしまったのだろう?
 何故、イタチと殆ど毎日顔を突き合わせるはめになったのだろう?
 何故、イタチと縁を切ることが出来なかったのだろう?

 自分は一体どこで選択を誤ったのか、考えずにはいられない。
 元々はイタチが木登りの行を終え、チャクラコントロールを万全にしたら、お役目御免で解放されるはずだった。そうなるはずだったのである。もう、わけがわからない。
 ジメジメしているし、イタチは横暴だし、イタチの家を訪ねることになるし、縁切りも出来なかったし、毎日毎日修行漬けで精神的に疲れる。放っておいてほしいのに、皆が騒々しい。

 
 そうした諸々の事情により、ここ最近のトバリはグッタリしている。
 ヒルゼンに何ぞ言われたのか、家政婦がアレコレ世話を焼いてくるのも勘弁してほしい。弟妹が産まれてくるまで暇なのか、イタチがアレコレ口を出してくるのはもっと勘弁してほしい。
 トバリの問いに応えて「手裏剣術の修行をつけてやる」と宣った“イタチせんせい”ではあるが、手裏剣術だけでなく筋力トレーニングと投擲術についても面倒をみてくれる。なんて心優しいのだろう。トバリはじきに兄となるイタチのなかに、面倒見の良さを感じ取った。そして彼に弟妹が産まれ、他人である自分が一日も早く解放されるよう祈らずにはいられなかった。
 そもそも弟妹が産まれてくるまで暇で、トバリに構う暇があるのなら、あの不憫な“はとこ”に修行をつけてやれば良いのである。確かに一見して病弱な上に才能の片鱗も感じられない少年ではあったが、イタチが見てやれば多少は改善されるだろう。まだ四歳の自分なぞより、アカデミー卒業年齢の近い彼のほうが優先されてしかるべきなのに、とことん親戚甲斐のない奴だ。
 まあしかし、病弱なのであれば忍者には向いていないのかもしれない。先だって帰宅途中に再会した時も、トバリと目が合うや覚束ない足取りで元来た道を戻って行った。名高い忍一族である“うちは”の人間だからと言って、期待され続けることに疲れているのだろう。不憫に思って、イタチに彼の具合を尋ねたところ「アイツのことは忘れてやれ」と言われてしまった。それだけで、うちは一族が如何に“才能”を重んじ、凡庸な人間に厳しいのか自ずと知れるというものだ。
 この次に会ったら“忍者になれずとも、才能がないのは君の責任ではない”と慰めてやりたい。
 そのような逃避を抱え、トバリは“定位置”に帰宅するなりクタッと脱力する。胃に何か貯まっている感覚が嫌だとかそれ以前に、固形物を口に運ぶ気にもならない。温かい食物を呑みこむ気になれない。多忙と湿気を理由に、ここ数日は食事を冷たい汁物のみで済ませていた。
 不摂生の鑑とまで言われる食卓の一方で、食後の嘔吐は控えている。飲食の違和感は相変わらず存在するものの、まあ汁物だけなら固形物を摂取した時よりかは幾らかマシだった。それに、幾ら悟られないよう気を付けているとはいえ、いい加減家政婦が勘付いても可笑しくはない。汁物の摂取だけで多めに見て貰えるなら、リスクを冒してまで嘔吐するのは馬鹿げている。元々家政婦や食材への罪悪感が募っていたのもあって、飲食への不快感より安堵感が勝った。

 このところ“イタチ化”の進んできた家政婦は、トバリのことを“夏バテ気味だ”と思ったらしい。
 一月近くも食べ吐きしていたのを察したのか、はたまたテーブルマナーを教えるためか、如何いったわけなのか家政婦がトバリの食事時に同席するようになった。のろのろと汁物を啜る様を観察されるので残すわけにも行かず、食後も「夏蜜柑がありますよ」とか「氷イチゴでも食べますか」とちょっかいを出される。気遣って貰えるのは有難くもあり、また申し訳ないことだ。以前とは違いみたらし団子やアンミツをはじめとした固形の甘味を口に出来ない分、食べれそうなものを提示された時は積極的に応じるよう心掛けている。これまでも「おいしかった」とは伝えてきたが、ちゃんと「あまずっぱくて、したがさっぱりする」とか「つめたくて、おいしい」などと、味の感想を口にしたことはなかったように思う。そんなもので家政婦が喜ぶとはついぞ思い至らなかったからだ。それに、トバリは味覚音痴ではないものの、これと言って好きな食べ物はない。逆に、嫌いなものはかなりある。アイスクリーム、豆類、揚げ物、辛い食べ物、生の玉ねぎ、ごぼう、たけのこ、セロリ。基本的に消化しにくいものが苦手なのである。とはいえ苦手だから、嫌いだからという理由で出されたものを残したことはない。ちょっと気が進まないだけで、絶対に食べたくないというほどではないのだ。トバリのなかにある“食物に対する私感”など、その程度である。
 しかし――この夏初めて食べた“かき氷”なるものは冷たくて、涼しくて、舌と喉が心地よかった。家政婦はイチゴとかメロン、抹茶に至るまで色々な氷みつを試させてくれたが、結局のところトバリは、スイとかいう、砂糖水を掛けただけのものを最も好んでいる。
 使わない氷みつの消費については他人に任せておけばよい。最近では頻繁に来客があるから、夏に入る頃には氷みつも無くなる目算だった。肌に染み入るような暑さのなかで、来客たちも供されたかき氷を楽しんでいる。家政婦の気遣いが無駄にならず、実利に繋がって良かった。そう思いながら、棚に並んだ氷みつを眺めていると、決まって家政婦は「お嬢さんは安上がりですねえ」と失望した風に漏らす。氷みつの消費に不安があるのなら消費を手伝っても良いのだが、不思議と「それは良い」と制止される。家政婦の考えることはよくわからない。

 トバリを取り巻く環境は、随分変わってしまった。
 来客の増加や、イタチとの時間が増えたこともあるが、最たるものは家政婦の過干渉や、彼女の活動域が拡大したことだった。元々は台所と、勝手口に面した裏庭を拠点としていたのだが、ここ最近、縁側は愚か書庫にまで下りてくる。トバリが夏バテしていると思って、気にかけているのだろうから、不都合云々、自分本位な感じ方はさておき有難いことだ。尤も「主庭だから遠慮していたけれど」と言って、裏庭にあった物干し台を縁側の真ん前に持ってこられたのには閉口した。しかし庭の主が未だやってこない以上、トバリには「台所からとおいのではない?」と言う他ない。善良な家政婦は無論「こっちのほうがよく洗濯物が乾きますからね」とトバリのか弱い抵抗を封殺してくれた。実際、主庭のほうが日当たりは良い。センテイがやってくるか、もしくはトバリに庭の手入れをする時間があれば裏庭に引き上げてくれるのだろうが……イタチにしろ、千手一族の人間をはじめとした来客連中にしろ、皆揃いも揃って“庭仕事にかまける時間があるなら、自分たちの相手をするほうが有益だ”と思っているらしかった。おかげでトバリは自分一人の時間を持てないでいた。如何にかしたほうが良いのだろうが、下手を打てば藪蛇になる可能性は極めて高い。
 祖父のはとこの息子だったか、もしくは従兄弟の嫁の甥だったか……兎に角遠縁にあたる男たちに「折角の庭だし、庭師を入れたほうが良いんじゃないか」と提案されたのは一度や二度ではなかった。それらを「お金もかかるし、あまりきょうみがあるわけでもないからいいです」と固辞している以上、トバリが庭弄りをしていると知れれば“金銭的に遠慮してるんだな”と思われるのは想像に容易い。これまで放っておいた分、後ろめたいところがあるのだろう。やたらと親身になってくれる親戚連中は、トバリの了承も得ずに若い庭師を送り込んでくるに違いなかった。

 疾うにボケているセンテイが庭師としての役目を果たしているなど思うものは誰もいない。
 ボケた庭師がかつての職場を好きに出入りしているのは、その庭の主であるトバリが“修行と勉学にしか興味がない”からだった。彼と交友のあるヒルゼンや、親戚筋のシカクとて、トバリの好意で出入りさせて貰っているものだと思っている。実際、センテイには、トバリも世話になった。それに何より“祖父の代から務めてくれた庭師”である。祖父と父がおらず、トバリが無関心を決め込んでいる以上、あの庭は誰のものでもない。トバリは庭にもセンテイにもそう思い入れはないのだ。しかし、尊敬する祖父に尽くしてくれた人に多少なり恩を返すのは吝かではない。好意はなく嫌悪もない。不義理はなく、執着もない。それだけのことで、それが最も肝要だった。
 手入れをしたいと思っても、トバリは庭に木を植えるわけでも、花を咲かせるわけでもない。ただセンテイが居ぬ間に雨が降っては地面が乱れ、日が照っては凹凸の目立つ地形で固めてしまう。葉を茂らせた木々は良い気になって尚も枝を広げ、雑草たちも我先にと背丈を伸ばす。
 時間を作っては温室の鉢植えに水を遣っているものの、それが精いっぱいだった。人目があるなかで、庭の手入れなぞ出来ない。トバリが庭に関心があると知れれば、まともな庭師が雇われ、センテイは追い払われてしまう。トバリの出自が不明な以上、この庭の主は彼なのに。
 トバリはただ、センテイが戻ってこられる状態を維持していたいだけだった。
 たった独り、その内情を理解してくれるヒルゼンは多忙で、今はトバリにばかり時間を割いてはいられない。既に十分すぎるほど目を掛けて貰っているのに、親戚たちを如何にかしてくれと頼むのは無分別なように思われた。大体、ヒルゼンだって千手一族の者がトバリに関心を持つようになって内心ホッとしているのだ。増して親戚たちが庭師を雇わないと確約したからと言って、トバリの気が晴れるわけでもない。目先の安楽を得るためにヒルゼンを巻き込むのは愚策である。

 皆、善意から構ってくれているのは百も承知だった。
 ヒルゼンもアスマも、トバリの多忙を喜んでいる。家政婦だって、トバリに友達が出来たのだと嬉し気だった。カンヌキの葬儀で顔を合わせたっきりの親戚も、トバリを“大人しい”と評しては安堵した風だった。この幼さで、これだけ聡明なら、トウヤと比べて遜色ない。容姿もそうだが、気性も隔世遺伝で扉間様に似たのかな。桃華様似のトウヤに、柱間様と扉間様の良いとこ取りのトバリ。千手の未来は安泰だ。“トウヤ”が誰かは知らないし、実際のところ自分に千手扉間との血縁があるかも謎だったが、喜んでいるところに水を差すのも無粋だろう。何も知らぬふりをして、トバリは礼を言った。恐らく、それは褒め言葉だろうと思ったからだ。
 来客同士で勝手に盛り上がるのを聞きながら、トバリは時たま「はい」と頷いたり、「ありがとうございます」と頭を下げたりした。言葉少なは相変わらずなのに、たった二言増えただけで“風変わりな子ども”ではなく“聡明な子ども”として扱ってもらえるのだから、大人の価値観はよく分からない。しかし分からないなりに“これで後見人たるヒルゼンの面子が保てるのだから、こう振る舞っていれば良いのだ”とも思っていた。実際、来客の考えは“これまでは、カンヌキの教育が悪かったせいで、多少変わっている風に見えたのだろう”という線で固まりつつある。それは多分“三代目が目を掛けても結局何も変わらなかった”と思われるより、ずっと良いことなのだ。
 トバリが決して普通の子どもになれないのだとしても。


 ほんの一月ちょっとで、トバリを取り巻く世界は大幅に広さを増した。
 顔見知りの人間も増えたし、家政婦やアスマなど元々の知り合いとの関わりも深くなった。もう生垣の向こう側から漏れ聞こえる嬌声に関心を持つのを億劫だと思うこともない。自分のなかにある僅かな感情を厭わしく思う必要もない。トバリを厭うた男は疾うに死んで、誰も、何も知らない。食事にしろ、睡眠にしろ、優れた自己治癒能力にしろ、誤魔化す方法は幾らでもあった。
 トバリが望めば、トバリはもう“普通の子ども”として暮らすことが出来る。

 でも、トバリには何もかもが今更なように思った。
 どんなに周囲が良くしてくれても、結局トバリは誰の瞳のなかにも自分の姿を見つけることは出来なかった。皆が皆、トバリのなかに勝手な像を見出して、トバリがそれに応えることを期待している。いや、他ならぬトバリ自身が他人から寄せられる期待を裏切りたくなかった。他人を裏切ることで、相手を失望させることや、彼らが傷つくことが嫌なのではない。人間は利己的な生き物で、失望や痛みを与えるものからは遠ざかるのが常だと、トバリは知っていた。
 遠ざかることが出来なければ、相手を憎む他ない。かつてのカンヌキがそうだったように、トバリは、多分、今自分に良くしてくれるものがいなくなったり、彼らから憎まれるのが心苦しいのだ。一体いつから自分はこんなに脆くなってしまったのだろう。自分で自分が嫌になる。
 きっと、ヒルゼンに全部を打ち明ければ楽になる――そうは分かっていても、あの優しい人がカンヌキのように豹変したらと思えば、隠し果せなければならないと思った。幾日も幾日も、トバリはやり場のない焦燥感に苛まれて、センテイのいない庭にはためく洗濯物を眺めた。


 もう、いい加減分かったでしょう。この世界にあなたを望む手なんか一つも存在しなかった。
 嘘を吐いてまで得た同情や優しさに取り囲まれて、あなたは本当に幸せなの?



 頭に響く問いへの答えは、考える間でもなく分かっていた。
 トバリはもうこの現実に愛想が尽きている。普通の子どものふりをして暮らすのは、思っていた以上に苦しいことだった。いつ嘘がバレるのか、そして周囲の求める像を演じきれているのか、頭の中はそればかりだ。次々に押し付けられる“約束”を如何しようか考えるのが精いっぱいで、それ以外の未来は何も見えない。それでも、全部を投げ出して、諦めるわけにはいかなかった。
 今諦めれば、何か恐ろしいことが起きそうな気がする。そんな抽象的な不安に左右されることなどあってはならないのに、トバリは如何しても“独力での現状維持”に拘った。自分のせいでヒルゼンたちが不愉快な目に合うことを考えると堪らなく嫌だったし、取返しのつかない事態になってしまえば、自分の異端についても露見するだろう。自分の隠し事が知れれば如何なるのか、考えるだけで背筋が凍る。どれほど苦しもうと、自分で如何にかするしかないのだ。
 トバリには、望みがあった。ふつうの子どもになれないのなら、せめて“大人しい良い子だった”と思われたまま消えたい。それがトバリの望みで、自分の何を引き換えにしても叶えたいものだった。この世界に居場所――本当の自分を受け入れてくれる人がいないにしろ、せめてイタチやヒルゼンの記憶のなかにぐらい自分の居場所があっても良いではないか。幼い頃の有り触れた思い出の一つとして、老年期の多忙に紛れて……あんな子どももいたなと、良い思い出として懐かしんでもらいたい。そのためなら、嘘を吐くことで手に入れた優しさに胡坐も掻こう。

 トバリは、自分の出生に纏わる秘密を抱えたまま消える方法を探さなければならなかった。
 誰にも何の憂いも残さず、将来的な利害も生じさせない。カンヌキの遺志を引き継いで、彼の過ちが他人に知れないよう、トバリという異物が他人を損なう前に、完璧に処理する必要がある。
 長い夜のなかで一人、トバリは自分を壊すことに決めたのだった。


『きみが踏みにじられても誰も傷つかないから、一人でも多くの業を背負って死ね』
 もっと早くこの結論を出せていれば、あなたは安らいだ顔で、私を褒めてくれたのだろうか。
デッドエンド
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