トバリは寡黙で落ち着いていて、大人びた口調で話す。

 誰かから――尤も、誰かからトバリについて聞かれることはそうないのだけれど――トバリの人となりについて問われたら、イタチはそう返すことに決めていた。
 事実トバリは寡黙で落ち着いていて、大人びた口調で話すのだから、まるっきり嘘を吐いているわけではない。イタチは幼いなりに、“嘘”と“誤解”の判別が出来る。

 トバリについて語るとき、イタチは幾重ものオブラートを必要とする。
 それは勿論“不和”を避けるためであり、イタチは自分が関心を持っているもの同士が衝突するのを何より嫌っていた。尤も質問相手が父母でなく、イタチの関心の外にある他人だったとしても「あいつは忍術にかまけるあまり、ネジが数本抜けてる」とは打ち明けないだろう。
 例え子どもと言えど、人並み外れて一般常識の欠けた人間が存在することを知って喜ぶ人間は少ない。イタチは知人の悪評を立てるのはジンドウに反する行い(ジンドウが何かは知らないけれど、まあ反してはいけない何かなのだろう)だと思っていたし、トバリと過ごしたことのない人間に、自分がその身を犠牲にして知りえた情報を教えてやる義理はないとも思っていた。
 要するに、イタチは、トバリの頭のネジが数本抜けているのを割と面白く思っている。
 勿論はとことの一件を踏まえると手放しに面白がることは出来なかったし、トバリが忍術以外に大して関心を持たないが故に他人の感情を見落とすのは、傍で見ていて愉快なことではない。
 間違いなくトバリは“ある程度距離を置き、何とか被害を免れるライン越しに付き合わねばならない”相手であり、出会ってから一月、未だ完全に気を許したことはなかった。
 しかし、そうした背景があって――そもそもイタチ自身“他人に関心を持つタイプ”でないにも関わらず、イタチはトバリの思考回路や行動パターンの歪み、異端さに惹かれるのだった。


 寡黙で落ち着いていて、大人びた口調で話すトバリは当然聡明な子どもだ。
 聡明かつ頭のネジが数本抜けているトバリは、彼女が一般常識を犠牲にありとあらゆる忍術・専門知識を身に着けてきたのだろうことが容易に想像出来る“無知”を度々晒してくれた。
 そればかりか、他人の一挙一動一挙手一投足に恐ろしいほどの無関心を誇る。自分同様、他人の感情に奥行が存在するとは思っていないのだろう。他人の言葉は額面通りにしか受け取らない。
 鉄の“無関心”は無論イタチに対しても同じで、トバリが定期的に会いに来るのは――イタチに好感を持っているとか、懐いているとかではなく――イタチがそう強いたからに他ならなかった。

 雨の日も晴れの日も、トバリは必ず二三日に一度イタチに会いに来る。
 イタチ自身、そう強い意志でもって“二三日に一度必ず顔を出して欲しい”と願っていたわけではない。ただフラッと来てはチャクラコントロールに精を出すイタチを目視した途端、またフラッと消えてしまうトバリを許容出来るほど無欲なわけでもない。苛立ちのあまり口にした「どうせひまをしてるなら、二三日に一回はかおを出せ。きたなら声ぐらいかけたらどうだ」という軽口を固く守って、トバリは雨の日も晴れの日も、二三日おきにやってくる。そしてイタチに一言掛けない限り、決して帰らない。愚かなことには、イタチの姿がない場合は忠犬よろしく待ち続ける。
 二週間ほど前、土砂降りの雨のなかでぼーっと突っ立ってるのを見た時は心底「こいつは、馬鹿だ」と思った。その時は、イタチを視認するや「きょうはかえる」と言ってスタスタ帰って行った。イタチがふと思い立って見に行かなかったら、いつまでいたのだろう。門限があるからずーっと待っていることはないにせよ、やはり何を考えているやら、わけのわからない奴だ。

 ネジが数本抜けているものの、トバリの性根は極めて善良である。
 イタチが詰まらない怪我をした時は手当てをしてくれたし、修行途中で折った木を隅に寄せるのも手伝ってくれる。イタチの荷物が重たげだと察して、半分持ってくれたこともあった。落とし物とあらば汚れを払って人目につきやすい場所に移動させるし、老婆が往来で鞄の中身をぶちまけた時だって誰より先に荷物を拾い集めはじめた。きっと、イタチから彼女の行いについて聞いた者は皆トバリを“良い子”だと思うだろう。そして、それはあながち間違ってもいない。トバリは極めて善良な子どもだ。善良さは尊ぶべき美点だろう――その善良さによって、彼女が他人に深い関心を持っておらず、深く付き合おうともしない事実が浮き彫りになるとしても。
 教本通りの親切さと、その場限りの優しさ。その二つが、トバリの善良さを模っていた。

 極めて善良かつ他人に無関心なトバリは、決してイタチの失態をからかったりしない。
 いつのだったか、樹上から落ちた拍子に受け身を取りそこなったことがあった。腕を捻ったイタチが己の失態を忌々しく思っていると、驚くことにトバリが怪我の具合を確かめに寄ってきた。驚くことに……と言っても、すぐ“いつもの”だと合点が言った。案の定善良なトバリは献身的に、そして全く労りの気持ちがこもっていない態度で患部を手当てしてくれた。
 トバリの手当てはどこまでも甲斐甲斐しい。南賀ノ川で濡らしてきたタオルを使って、腫れた腕を冷やしてくれる。皮膚の色が収まると、何故所持していたのか分からない冷感湿布を貼ってくれる。テーピングも施してくれた。トバリの鉄面皮が与えるリラクゼーション効果の是非は兎も角、彼女の丁寧な処置を受けたイタチは少なからずトバリを見直したし、それはミコトも同様だった。
 事の次第を聞いたミコトは「きっと三代目か誰かに手当された時のことを、ちゃんと覚えてたのね。他人に優しくされた分、他人に返せるのは良い子の証だわ」とほほ笑んだ。実際にトバリの人となりを知るイタチは、無論彼女がそんな殊勝な子どもでないのはよくわかっていた。忍一族において、沈黙は金に勝る。イタチは否定も肯定もなく、ただ一言「鍋が吹いてる」と母に伝えた。
 確かに、うちは一族と千手一族は相性がよろしくない。根っから無益な情報に関心が向かないので知らなかったのだけど、よくよく大人たちの会話に耳を澄ませてみれば、父より過激な批判を口にする者も少なくはなかった。父親程ではないが、母親もまたうちは一族の人間として相応の価値基準を保っている。その母がトバリに好意を抱いたのなら、それに越したことはない。
 だから、そこまでは良い。イタチはトバリの善良さに感謝しよう。しかし他人に無関心なトバリは自らの手を煩わせて手当てしたにも関わらず、怪我の二日後に“家政婦に持たされた”と言って、林檎がぎゅうぎゅうに詰められた袋を二つ持ってきた。無論イタチはその日、忠犬トバリを追い返すためだけに森にやってきたのだった。腫れは随分収まったとはいえ、完治までは数日を要する。修行は当然、重たいものを持つのも駄目だと“マザーストップ”が掛かっていた。
 母の言いつけを思い返しながら、イタチはトバリの差しだす袋を見つめる。二つ合わせ、目測で十キロといったところか。“腕に負担をかけない、ちょっとしたもの”には含まれなさそうだ。
 ひたすらに悪意の伺えない無表情で突っ立つトバリを前に、イタチは暫く考え込んだ。ややあってから「……片手でもってかえれということか」と問うと、トバリは目を瞬かせた。

『両手でもてばいいじゃないか。いつもの修行用具いっしきよりかはおもくないだろう』
 イタチはこれ以上にトバリそのひとを的確に表す台詞を知らない。

 トバリは、他人が困っている時は身を粉にして尽くしてくれる。
 汚れることも、自分の時間を割くことも厭わない。しかし一旦物事の収拾がつくと、トバリは極めて無神経な態度をとる。先の“林檎”もそうだし、飴を差しだす老婆相手に「要りません」と吐き捨てたのも、“善良な子ども”らしくない塩対応だ。冷酷な拒絶と共に踵を返すトバリに、老婆は鞄の取っ手が壊れた時よりショックを受けた様子だった。甚だ不憫である。
 普通“人助け”をするときは、相手に好意があるとか、良いことをする自分に酔いたいとか、一応の理由がある。相手に好意があるなら最後まで優しさを見せるし、善行に酔いたいなら感謝されるのを喜ぶ。しかしトバリは、誰かが困っているその時、刹那的に助けてやるだけなのだ。
 助けた後は野となれ山となれ。イタチの怪我の予後を慮ることさえないのだから、これまでに助けてやった人々の存在を意識に留めているか如何か推して知るべしと言ったところか。

 兎に角トバリは変わっている。
 トバリの行動パターンや、親密度による対応の変化を観察するのは、随分面白かった。修行漬けで趣味らしい趣味を持たないイタチにとって、トバリを観察するのは唯一の趣味と言って良い。

 はとこ号泣事件は例外として、トバリは初対面の人間にはしおらしい反応を見せる。
 ちょっとでも突くとボロが出るのを知っている身としては、トバリが他人と話しているだけで俄かに心拍数が激しくのだけれど、まあ大抵の場合平穏に終わる。逆に、トバリに関しては百戦錬磨でごく親しいだろうアスマを前にすると、トバリは酷くぞんざいな物言いをする。
 妹分の様子が気になるのか、アスマも稀にギャップに立ち寄ることがあった。朗らかに話しかけて来るアスマを相手に、トバリがしおらしい反応を見せたことはついぞない。
 長幼の序とチョウチョの区別もつかないトバリは、どうも親しくなるにつれ扱いが雑になるらしかった。表向きの善良さや親切さより、アスマへの素っ気なさが彼女の素なのだろう。
 要するに、トバリは“善良で親切だけど、他人に無関心な子ども”ではなかった。彼女は“心底他人に興味がないけど、諸事情から善良かつ親切ぶる必要性を感じている子ども”なのだ。
 そう気づいてしまうと、トバリの善良さも、その従順さも、ひたすらに寂しい。

『きみは、わたしが正しいことをみとめるの』
 そうだ。トバリは……彼女の口にすることは教本通りに“正しく”、非の打ち所がない。
 だからこそイタチは彼女を否定したいと願ったし、“平べったい紙に感情が宿らないのと同じで、この子どものなかにも人間らしい感情はないのではないか”と思うこともあった。
 ほんの十数分前まで、そう思っていた。


 イタチは、樹下でワアワア騒がしいトバリをまじまじと見つめた。
 あの――寡黙で落ち着いていて他人に興味がないトバリが、イタチに降りろ降りろと口を酸っぱくして訴えている。明らかに“異常事態”であるが、イタチにはそのトリガーが何か分からない。イタチに分かるのは、いい加減下に降りねばトバリがキレるだろうことぐらいだ。
 しかし、それはそれで見てみたい気もする。イタチは思案気味に腕を組み、トバリの動向を見守った。トバリはイタチの足場として垂直にそびえる幹に触れると、ペチペチ叩きだした。

「おりてきて、ちゅうしょくをとったほうがいい」
 何故自分が昼食を取っていないことが知れたのだろう。イタチは僅かに動揺した。
 トバリの指摘が何に裏付けられているのか分からず虚を突かれたものの、その疑問はすぐ解決した。トバリの視線を追ってギャップの隅を見やると、そこにはイタチの未熟さにより折れた杉が数本転がっている。倒木の上には、ミコトから持たされた弁当が置いてあった。
 弁当が入った赤い風呂敷包みの脇には、早生の林檎が丸のまま転がっている。なるほど、これではトバリにだってイタチが弁当に手をつけていないと知れるだろう。

 一向に降りてくる気配のないイタチに、トバリが眉間のしわを深くする。
「昼きゅうけいのじゅうようさをといたのはだれだ」
 ちゃんと一日三食食べろと、散々トバリを責め詰ったのは無論イタチである。
 イタチの知り限り、トバリは凡そ野外での栄養補給を行わない。何度か理由を追及したら、観念した様子で「しょくごに“は”をみがけないからだ」と吐いた。忍者にあるまじき鉄の衛生観念に、イタチは静かに呆れた。ちょっと汚れただけですぐ着替えるし、濡れタオルで体を拭いたりするあたり、生まれ持った才能を考慮しても、この子どもに忍者の適性があるかは謎だ。
「今コツをつかんだところだ」イタチはトバリの反応を見ながら、言葉を続けた。「少し、まて」
 見覚えのある表情で――目元を険しくさせて、キリッと唇を噛む――トバリが湿っぽい視線をくれる。コツを掴んだなら、もう良いじゃないか。そう思っているのは明らかだった。
「おりてきたほうがいい」
「すぐおりる。あと少し、なれておきたい」
 適当な言葉でトバリの要求を誤魔化すと、イタチはそうっと後退してみた。
 距離が遠のくに従って、トバリの顔の険しさは増していく。やはり単に虫の居所が悪いとか、余所に懸念事項があるのではなく、イタチが降りてこないことが気に食わないのだ。
 顰め面のトバリは、相変わらず高所から自分を見下ろす影を睨んでいる。その顰め面はこの上なく不愉快そうで、見ようによっては癇癪を起こしているようにも見えた。
 こうまで不機嫌な顔を見るのは初めてのことかもしれなかった。流石にトバリの一挙一動に至るまで精細に記憶しているわけではないから、はっきりとは分からないけれど。
 この一月の間に、イタチが見たトバリの表情のレパートリーは、不愉快な時とそうでない時の二種類。トバリと付き合いの長いアスマでさえ「あいつ年中真顔だけど別に怒ってるわけじゃねーからさ」と言っていたのだから、彼女の感情が如何に平坦であるか思い知らされる。
 喜怒哀楽の何れにせよ、トバリの感情の発露に居合わせるのはセミの脱皮に居合わせるよりレアリティが高い気がした。一応は幼児であるからして、イタチも珍事に関心がある。
 このまま降りていかなければ、トバリが地団太を踏んで憤る様さえ見れるのではあるまいか。
 みたい。ものすごく、みたい。イタチの心はすっかり“木登りの行”から離れ、趣味の珍獣観察へと移っていた。イタチ自身疲弊してると自覚していたものの、何故なのかチャクラコントロールが乱れるとか、落ちるのではないかと案じる気持ちは全くなかった。そしてイタチの関心の薄さと裏腹に足の裏に集めたチャクラは樹幹にピッタリ張り付いたまま、弱まる気配もない。
 樹上でずっしり構えているイタチと対照的に、トバリは樹下でウロウロと所在投げにしている。

「ぐあいがわるい」
「そしたら、向こうのとうぼくにでもすわってるといい」
「ぐあいがわるいから、おりてほしい」
 少し前、樹下に降りようとしたイタチを制したことを心底悔いているようだった。
 トバリは、自分の都合で相手の予定を狂わせるのを嫌う。それ故、反射的に「もんだいない」と言ってしまったのだろうが――こうまでしぶとく修行中断を拒むとも思わなかったに違いない。
 トバリは恨みがましげに「きもちがわるい」と繰り返しているものの、前後のやり取りから見てイタチを地上に下ろすための嘘だろう。妙なことを学習させてしまった。
 そもそも、よもやトバリが“詐病”などといった馬鹿げた嘘を吐くとは思わなかった。当人は大真面目であるが、していることは幼児と変わりない。いや、変わりないも何も“幼児”だ。
 四歳の子どもが自分に都合よく物事を勧めようとするのは有り触れていて、眼下の子どもも自分もそれが許される年齢だろうに、イタチには如何しても“トバリが狂った”としか思えない。
「ぐあいがわるい」
 それにしても、“ぐあいがわるい”以外の台詞を言えないのか。
 まるで嘘を吐き慣れていないトバリを見下ろして、イタチは心底呆れた。

「そんなにぐあいがわるいなら、中忍の詰め所までつきそうからアスマさんにそうだんしよう」
 執拗にバイタルサインを出していたトバリがピタリと押し黙る。
「それはいい」
「ぐあいがわるいんだろう」
「なおった」
 平然と言い張るトバリに、イタチは口端が引きつるのを必死に堪えた。
「じゃあ、オレがおりるひつようもないな」
きみはつかれている
 いい加減イタチの揶揄を察したのか――はたまた、アスマとのやり取りを思い返して不愉快に拍車が掛かったのか、トバリが彼女らしくもなく語気を荒げて畳みかける。
それだけ出来れば、もんだいない。きみはつかれている。おりてこい。休め

 イタチはじっとトバリを見下ろして、考えた。
 今日のトバリは、大分可笑しい。命令口調で話すことといい、癇癪めいた要求を口にしたり、詐病を気取ることと言い、まるで普通の子どものよう……そうとまで考えて、イタチは自分がトバリを異端扱いしていること――そして自分自身もまた世間一般の思い描く“普通の子ども”像から外れている自覚があることに思い至った。きっと、イタチは少なからずそれが誇らしいのだ。
 アスマあたりが居合わせれば、この異常事態に戸惑いつつも喜ぶのかもしれない。しかしイタチはこの珍事を面白く思うと同時に、彼女が詰まらない存在に成り下がるようで、面白くない気持ちもあった。そういう自分の身勝手こそ子どもっぽいなと結論づけて、イタチはため息をついた。
 そろそろ自分らしくない児戯はやめて、トバリの提案通り休むべきだ。

 ちょっとずつ下りてくるイタチに、トバリが肩を上下させた。
 イタチの目には安堵から肩の力が抜けたように映ったものの、やっぱり、如何考えても、一日二日でトバリの情操教育が発展するとも思えない。距離が縮まるにつれトバリの顔が見知った鉄面皮に戻ると、イタチは僅かばかり安心した。まあ、でも、“具合が悪ければ来なくていい”と早めに伝える必要がある。またいつフラフラとした足取りでやってくるともしれぬし、そうでなくとも梅雨時が近かった。ぼけーっとイタチを待ってたのが理由で風邪を引かれるのも、寝覚めが悪い。
 如何にかこうにかトバリを転がす必要があると考えて、イタチは忸怩たる思いに駆られた。何故弟妹が産まれる前から、他人の世話を焼かなければならないのだろう。
 それで感謝の一つもしてくれるなら焼いた甲斐もあろうが、イタチが親切に忠言したところで鬱陶しがって逃走するのだから、忍犬を躾けるほうが余程遣り甲斐があるというものだ。
 イタチは俄かに腹が立ってきた。トバリを前にすると、いつも感情の起伏が激しくなる。そういう自分が子どもっぽくて――元凶たるトバリが平然としてるのも関係して――嫌だった。
「おまえは、すぐ“もんだいない”と言うが、おまえだってスタ……っ」そうぼやくイタチの足元で、バキッと幹が弾ける。「……チャクラコントロールにスタミナはそうかんけいないかもしれないがな。忍者をめざしていながら、おまえのスタミナぶそくは“だいもんだい”だぞ」
 足裏に集めたチャクラが綺麗な螺旋を描いて脚に、体に戻ってくる様を意識する。
 肩の力を抜いて、深く息を吸いながら、イタチは平静を気取って樹下を伺った。トバリも平然とイタチを見上げて、動かない。イタチは決まり悪さから眉を寄せた。浅くため息を漏らす。
 いい加減、乱れたチャクラコントロールを制御しなおすのに慣れてきた。その甲斐あって木の皮が剥げただけで済んだものの、児戯に耽る前に休息をとるべきだったのは明白である。
 樹下でじっと自分を待つトバリに一歩一歩近づきながら、イタチはぐったり肩を落とした。

「そうだね。わたしはスタミナぶそくだ」
 些細な失態を恥じるイタチなど素知らぬ顔で、トバリは鷹揚に頷く。
「そのためにも走り込みなどをして、きそたいりょくづくりにはげまなくてはなるまい。それに、きみの言うとおり、」僅かに、トバリが言い淀んだ。「……人間には、しょくじがひつようだ」
 イタチの言に従うのが、余程癪だったのだろう。尤も今更トバリの同意を得たところで、自分がその言葉を軽んじた以上、今後彼女が食事を持って来なかろうと口煩く批難することは出来ない。まあ、良い。今のところ頻々に体調を崩しているわけでもなし、アカデミーで幾つかの演習をこなすうち「外で食事するのは嫌だ」などとふざけた料簡を口にしなくなるに違いなかった。
 イタチは杉の樹幹をゆっくり下りながら、口を開いた。
「いつもなら、もうかえるころじゃないのか。今日はずいぶんおそいんだな」

 日の傾斜から、今が十五時前後であることが分かる。
 トバリの門限は夕方四時に設定されていて、普段なら昼過ぎに早々と帰ってしまう。こんな時間に顔を出し、尚且つ帰る素振りを見せないのも初めてのことだった。
 イタチに雑談を振られたトバリが、ピタリとフリーズする。無視ではなく、“フリーズ”だった。
 思いがけない反応に、イタチも目を瞬かせて彼女の反応を待った。トバリはちょっと俯いて考え込んでから、何も言わずに背を翻した。樹幹を下るイタチを置き去りにギャップの隅へ歩き出す。
 その足取りが来たときよりしっかりしてることに、イタチはホッとした。

「来客があった」
 長々とした沈黙のあと、やっとのことでトバリが答える。
 それは未だ幹の中ほどにいるイタチに届くか届かないかの声量ではあったが、イタチの耳は彼女の台詞をしっかり捉えていたし、嘘を吐かれたとも気づいていた。嘘だと気付いたのは、別段イタチが鋭いわけではない。単に、トバリの“嘘”があまりにあからさま過ぎるせいだ。

 誰かに知られたくないことがあると、まずトバリは延々と考え込む。それだけならまだしも、彼女が長考の末にひねり出した“言い訳”を発するには、相手と物理的距離を置く必要があった。勿論声量はごくか細く、折角苦労して思いついたのだろう言い訳をボソボソッと言い捨てる。
 これでは“嘘をついてます”と暴露しているのと同じだ。人並み外れて潔癖症の気があることといい、嘘を吐けない不器用さといい、本当に忍者としてやっていけるのだろうか? イタチには何ら関係ないことではあるが、トバリを知れば知るほど、イタチは彼女の才能が勿体ないと思う。

 イタチは沈黙を守ったまま、彼女の嘘を見過ごすか、追及するか、頭のなかで天秤に掛けた。
 今後の自分たちの関係上、この嘘を見過ごすのが得か損か――無論、トバリが何故自分に嘘を吐くのかは気になる。しかし、追及したところで適当な理由を付けて帰ってしまうだけだと学んでいるので、イタチは“見過ごしかねる何か”がない限りトバリを追及しないことにしていた。

 口を噤んだままのイタチが気に掛かるのか、トバリは歩を止めた。
「それに、さいきんはそこうが良かったから“もんげん”が五時にのびた。いそぐひつようはない」
 その場で立ち止まったトバリが振り向く。もう殆ど地表近くまで下りてきてるイタチを緩く見上げて、上着のポケットをまさぐった。じゃらと重たげに鎖を鳴らして、懐中時計を取り出す。
 彼女の父か、祖父の品だろう古めかしいものだった。トバリは、そういうものがよく似合う。
「ここから三十分ほど行ったところに、ほぼすいちょくのがけがある」誘う響きと共に、固い音を立てて露出させた文字盤を覗き込んだ。「きみのしょくじがおわったら、そこへいこう」

「……そんなものあったか?」
 地面まで三メートルの高さに至ると、イタチは幹を蹴って地面に降り立った。
 トバリのあとについて歩きながら、頭をひねる。南賀ノ神社から半径五キロほど、このあたり一帯の森はイタチの庭に等しい。そんな都合のいい修行場所があったか、記憶にない。
「ある。西にまっすぐ行くと、南賀ノ川にくだるがけがあるだろう
 平然と言い放つトバリに、イタチはピタリと歩を止めた。それからやや遅れて、トバリも立ち止まる。億劫そうに首だけで振り向いたトバリが、小首を傾げる。
「どうした」
「どうしたも、何も」イタチは思い切り眉を寄せて、トバリを睨み付けた。「おまえが言ってるのは、じょうりゅうの、切り立ったがけが川をはさんでいるところだろう」

 トバリの言う通りまっすぐ西に歩いて行けば、南賀ノ川に下る崖がある。
 ここから三十分ほど南賀ノ川の上流へ向かうと徐々に標高が増し、このあたりだと地表より少しばかり低い南賀ノ川の水位は見る間に数十メートル下方に離れていく。つまるところ、川の両端を切り立った崖が挟む形となる。その川も真っ直ぐ一本に流れているわけでなく、あたかも迷路のように分岐し、あちこちで滝がゴウゴウと流れる。故に南賀ノ川の源流を辿るのは難しい。
 その奇妙な地形は初代火影・千住柱間と“あの”うちはマダラが争った跡であるとも言われ、イタチも何度か修行を休んで見に行ったものだ。その物見遊山(母に言わせれば、危険な遠足)がミコトにバレたのは実に数か月前のことだった。それ以来、イタチは「独りで近づいてはいけない」という母の言いつけを守って、このギャップで大人しく修行に励んでいる。
 イタチ独りで上流へ行くことを禁じる母は、息子に四歳児の連れが出来たからと言って上流へ行くのを許しはしないだろう。イタチは、じっとりとした視線でトバリを睨んだ。
 大体にして、川の流れは早く、大きな岩がゴロゴロと川の中ほどに転がっている。ちょっとチャクラコントロールが乱れただけで川に落ちて溺死、もしくは岩で頭を打って死亡というのは、あまりにサドンデス過ぎる。こいつはオレに恨みがあるのか、それともそのぐらい切迫した状況に置かれなければ、チャクラコントロールを万全に出来ないということなのか。イタチは考えた。
「おちたら……川にながされて死ぬんじゃないか」
「おちない」
 間髪入れず、トバリが反論した。

「きみなら、もんだいない」

 何か尤もらしい論拠を提示してくれるのかと思ったのもつかの間、トバリは物的証拠も状況証拠もなしに、己のシックスセンスのみでイタチの生命を保証するつもりらしい。
 まるで悪びれることなく「二十分もあれば食べおわるな」と勝手な予定を立てるトバリに、イタチはむっとした。出会ってほんの一月、そんな短い付き合いの人間の“シックスセンス”に命を委ねるほど、考えなしに生きているわけではない。イタチは憤慨して、頭を振った。
「おまえはいつも『もんだいない』というが、たまには“どくしょか”らしく、言葉をつくしてせつめいしてみろ。そんなあやふやな言葉で、きけんなことをする気にはなれない」
 激しい抗弁を受けて、トバリはまじまじとイタチの顔を見つめた。
 トバリは躊躇った風に開いた口を閉じて、瞳を伏せる。言い過ぎたのかもしれない。
 ややあってから、ふいとそっぽを向いて歩き出すトバリにイタチは“また、逃走か”と渋い顔をした。案の定、トバリは緩々と遠ざかっていく。何故こいつは抗議の言葉を惜しむんだ。
 そのまま木々に紛れてしまうかと思った背は、倒木の手前でピタリと立ち止まった。
 倒木の上には、彼女のものだろうポーチが置いてある。ああ、荷物を回収して帰るのか。イタチの思惑に反して、トバリはポーチを持ち上げなかった。ジッパーを開いて、中を漁る。


 トバリは取り出したクナイの幾つかをクナイホルダーに仕舞うと、おもむろに振り向いた。
「少し、左にのいてくれないか」
 ちょいちょいと手を動かして指示を飛ばすトバリに、イタチはため息をついた。
 何故、説明をしろと言っている端から何の断りもなく物事を進めていくんだ。正直言って腹立たしかったし、癪だとも思ったけれど、トバリの話を聞きたいなら、その身勝手に根気よく付き合う必要があるのは言うまでもない。イタチはトバリの動きに従って、隅に移動した。
 イタチの従順さを目にしても、トバリは“ありがとう”の“あ”の字さえ口にしない。トバリに振り回される度、イタチは寛大な心でもって忍耐に忍耐を重ねているというのに、彼女が自分の寛容さに感謝を示す様子は未だ見受けられなかった。今後も、いや永遠に見受けられないだろう。
「そのまま、しばらくじっとしていてほしい」
「……ああ」
 修行を中断する前よりずっと疲れた気持ちになって、イタチは頷いた。

 イタチを安全地帯に避難させると、トバリは慣れた手つきでクナイを空に放った。
 クナイは右方の的に刺さったままの手裏剣に当たり、投擲軌道をクッと内角に変化させる。そのままの勢いで、トバリから見て、真正面に位置する杉に吊るした的に突き刺さった。
 的のど真ん中――面から四十五度の角度で、刀身が二センチ埋もれている。
 真ん中に命中したと言えば聞こえは良いものの、あまりに浅すぎる。手裏剣を経由したことで随分威力が殺されたに違いなかった。幾ら狙いが精確でも、こんな弱々しい投擲では到底役に立たない。いや、陽動程度の役になら……立たないか。イタチは自己完結して口を開いた。
「……手裏剣に当てるなら、それを見こしてもう少しいきおいよくとばしたらどうだ」
 トバリは腰のクナイホルダーに手をやると、イタチに含みのある視線をくれた。
 一言二言、反論なり説明なりくれるかと思ったものの、結局トバリは何も言わなかった。
 左手に次のクナイを用意し、自分の右腕を注視する。暫くの間、短い指をグパと動かしたかと思うと、トバリは右手にクナイを持ち替えた。真っ直ぐに的を見据える――次の瞬間、凄まじい音を立ててトバリの真正面にあった木が倒れた。

 困惑と共にトバリを伺うと、既に彼女の右腕は脇に下されていた。
 その手に、ついさっきまであったはずのクナイはなかった。一体どこへ消えたのか――頭の整理がつかないまま改めて木の様子を確かめると、幹の中ほどで半分に折れているのが分かった。丁度、的を吊るしてあったあたりだ。そこが力点らしかった。状況的に見て、まずトバリの投擲によって折れたのは疑いようがない。チャクラコントロールの一環――筋力の強化にも使えると言っていたから、それだろう。しかし単純に筋力を強化しただけで、これだけの威力を産むとも思えない。流石に街区までは届かなかっただろうが、南賀ノ神社に参拝しにきた人がいれば、誰か様子を見にくる可能性がある。今日は平日だし、大丈夫だろうとは思うけれど……それにしても、こいつ、家でもこんな調子で忍術修行に勤しんでいるのだろうか。トバリが、自分の意志で使用する忍術の威力を抑えられるのは確かである。だからといって、周囲に配慮するとは限らない。
 イタチは連綿と、トバリのデモンストレーションについて考えた。

『度々自分のチャクラを暴走させていると専らの噂だ』
『綱手様が里を留守にしてる以上は、今や千手宗家の人間はあの子だけ。それを見て見ぬふりしてるということは、何かしら問題があるということだ。そもそも、千手一族は薄情者の、』
 これだけ自由自在にチャクラを操れる子どもに、肝心要の“常識”が欠如しているのだ。
 善良なトバリのことだから、勿論周囲の人間の安全対策は考えているのだろう。しかし、言葉少なのトバリに説明できるはずがなかった。彼女を知る人間が、彼女に対して忌避感情を抱くのも仕方ないのかもしれない。たった四歳のイタチにだって、その特異性が分かるのだから。

 余談ではあるが、外縁部に植えられた杉の一本一本も一応は里の財源に含まれる。
 拡張工事に精を出すイタチに言えた義理がないとはいえ、この杉を植えるよう手配した祖父を敬愛する彼女に、もう少し出力を調整するという選択肢はなかったのだろうか。なかったのだろう。

「やっぱり、自分の体をつかうと“ふか”がかかるな」
 しみじみトバリの生きざまに呆れていると、不意に彼女が呟いた。
 イタチは視線を横滑りさせて、トバリを見やった。互いに視線が交差する。「それに、“とうてききどう”のへんかも、きみがやるようにはいかないな」
 プラプラと手を振って、トバリが付け足した。その台詞に、イタチは目を瞬かせる。
 チャクラコントロールの一例を見せるため、デモンストレーションとしての投擲なら、比較用の一投目で軌道変化を織り交ぜる必要はない。あれは、イタチの投擲技術への対抗意識から、クナイの軌道変化に挑戦したということだろうか。そう考えるのが自然だろう。
 とぼ……とぼ……と、俄かに悄然とした足取りのトバリがイタチに歩み寄った。

 トバリはどことなく落ち込んでいる様子だが、決して筋が悪いわけではない。
 イタチとしては、結構見どころがあると思う。実際父母を除いて、イタチの知る誰より狙いは精確だ。ただ、日々鍛錬に励んできた自分と競えば、如何したって数段落ちる。
 そもそも、この子どもは忍術に掛けては“下忍どころか上忍にさえ届くのではないか”とさえ思わせるものの、その他の体術や投擲術・手裏剣術については“まあ、同年代と比べてそれなりにマシかな”程度だ。イタチが360度、何れの方角にもクナイを命中させることが出来ると知った時は、頻りに感心していたものだ。あれから幾らか練習したものと思っていたが、あの弱々しい投擲を見る限り、熱心に投擲術の修行に励んでいるようには思えない。怠け癖が付き始めているのではないかと危惧するイタチの心中などお構いなしで、トバリが口を開いた。
「わたしは、外に“かんしょう”するのが好きじゃないんだ。ひとのチャクラをかんじとって身をゆだねるほうが、やりやすい」トバリはイタチの傍らで立ち止まると、クナイホルダーから取り出したクナイをイタチの前にかざした。重たい鈍色で冷え切った刃のまわりを、静電気のようなものが取り巻いている。「いま、このクナイにわたしのチャクラをながしこんでいる」
 トバリのチャクラはクナイの輪郭をなぞって膨らんだり、薄くなったりを繰り返す。不定形のまま蠢いていることから、トバリが“それ”を苦手に思っているのは理解できた。
「自分の体そのものを“きょうか”するだけでなく、こうして武器に自分のチャクラをながしこむことで、さらに“はかいりょく”をあげることができる。これは木登りの行の“まぎゃく”だな」
 イタチは自分もクナイを取り出して、見よう見まねで――足裏にチャクラを集めたのと同じに、そしてそのチャクラを広げる様を意識する。これは、“木登りの行”に比べ幾らか容易だった。イタチのチャクラは、一定のバランスで手裏剣の輪郭を保っている。
 クナイのまわりを取り巻くチャクラを確かめると、トバリはうんうんと頷いた。
「きみはわたしとちがって、自分のチャクラで外に“かんしょう”するのがとくいなんだな」
 一人で納得するトバリに、イタチはハーッと肩の力を抜く。
「もう少し、ちゃんとせつめいしてくれ」
 何故イタチが苛立っているのか理解出来ないらしく、トバリは小首を傾げた。

「……“木登りの行”で言うなら、木のチャクラとじぶんのチャクラが“がっち”するよう、あえて出力をちょうせいすることだ。そうしないと“せっちゃくめん”があんていしない」
「おまえは、“木登りの行”はとくいちゅうのとくいだろう」
 自らのチャクラで外に干渉するのが苦手だと言うなら、トバリがスイスイ樹幹を上り下りするのは可笑しい。そう突っ込むと、トバリは“どういう事だ”と言わんばかりにキョトンとした。
「命あるものには、かならずそのものどくじのチャクラがある」常識だと言わんばかりの口調で、トバリが語る。「人間だけでなく、けもの、花や、木もそれは同じことだ」
「じぶんのチャクラの出力ちょうせいが苦手だろうと、大したもんだいではない。
 なぜなら、“木登りの行”はそもそも木のチャクラをかんちした上で自分のチャクラと“はちょう”を合わせるぎじゅつがひつようとされる。いちばん大切なのは木のチャクラをとらえることで、それさえなんとかなれば、あとはずっと木のチャクラをさぐりつづけるだけいい。そうすると、おのずと自分のチャクラが木のチャクラとゆうごうして、一体化する」
 トバリが、嫌味っぽい流し目をくれた。
きみは、ちゃんと木のチャクラをとらえて上下してるときと、自分のチャクラで木全体をおおって、むりやり上下してるときとふたつある。そんなやりかた、おじいさまでも知らないぞ
 私が教えて貰いたいぐらいだ。揶揄か、はたまた純粋な賞賛か、判別しにくい声音で呟く。
 どうも、トバリは最初から最後まで、徹頭徹尾イタチの問題点を理解していたらしい。イタチはあまりのことに呆然とした。だから、なんで、お前はそれを一等最初に言わない。
「そもそも、自分のチャクラバランスがみだれるときにきょうつうするのが何か、わかってるんじゃないのか。きみが自分のチャクラを木全体にひろげるのはいらだってるときだ。自分のチャクラだけでものごとをすすめようとするから、チャクラの乱れがそく“らっか”につながる」
 他人にものを教える才能はないのに、なまじ観察能力は高いのが苛立つ。
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