葉と葉の隙間を縫って差し込む光は黄色く熱を孕んで明るい。

 陽光の眩しさに手庇を作ると、イタチは自分の往く手を塞ぐ“障害物”を睨んだ。
 障害物――スラリと伸びた枝は幹を中心に四方に葉を茂らせ、その隙間を縫って進むことは到底出来そうにない。いっそ、折ってしまおうか。僅かな苛立ちを覚えると同時に、イタチは足元で渦巻くチャクラが乱れたのを察知した。足場としている硬い幹に、踵がめり込んでいる。
 イタチはそっと右足を浮かせて、つま先でトントンと足場の強度を確かめた。チャクラが乱れてすぐ気づいたから、大して負荷は掛かっていない。このまま修行を続けても問題なさそうだ。
 今イタチは高度十メートルはあろうかという杉の“樹幹”に対して垂直に立っていた。
 足の裏に集めたチャクラを樹幹に吸着させる傍ら、体中を巡るチャクラの循環速度を一定に保つことで重力に逆らう――トバリ曰く「おじいさまは、“きのぼりのぎょう”と呼んでいた」とのことだが、それが一般的な呼び名か如何かはさておき――“木登りの行”は忍術に関心を持ちだしたイタチにうってつけの修行だった。忍術を習得する上でチャクラコントロールは避けて通れない。

 イタチは、父親の意向により印の組み方を覚えることさえ禁じられている。
 印の組み方に触れた指南書は数多く存在し、それこそ隠れ里のなかでなら一般の書店にさえ並んでいるし、購入の際に年齢制限が掛かることもない。故に、アカデミー入学前から忍術を教える親や、忍術を使える子どもが稀にいる。ほんの一年前まで戦争状態にあったのも関係してか、うちは一族の子どもは大部分が未就学児のうちに初歩の火遁忍術を学ばされる。
 そうした背景があるにも関わらず、フガクはイタチに忍術を教えるのは早くてもアカデミー入学後だと口にして憚らない。イタチは手裏剣術でも体術でも、忍者に必要とされるもの全てに熱心に取り組んでいる。だからこそ、「お前にはまだ早い」と言われるのは不満だった。
 勿論、父が忍術修行を禁じるのにはちゃんとした理由がある。幼い内は経絡系が未発達で使えるチャクラが乏しいばかりか、体内のチャクラ量が安定しないので制御が難しい。ちゃんと印を結ぶことが出来ても発動しないこともあるし、逆に思いがけず強力な術になってしまったりする。
 そもそも忍術・幻術の使用の際には用途に応じて必要とされるチャクラを練るところから始めなければならないのだが、経絡系が未発達な内は「必要な分だけチャクラを練ろう」と構えても有りっ丈練り上げてしまう。常にその時の全力で忍術を使っていれば、当然経絡系が麻痺する。
 幼少時から形だけの忍術が使えたとしても得るものは何一つないというのが、フガクの見解だった。イタチも、父の意見は筋が通っていると思う。それでもイタチは忍術修行がしたかった。
 イタチの目標は、誰より優れた忍者になることだ。周囲と比べて焦る気持ちは毛頭ないが、試す前から「まだ無理だ」と決めつけられるのは釈然としない。納得出来ない以上、例え父の意見に筋が通っていようと、早々に忍術を得とくしたいと望んでしまう。トバリと出会ったのは、丁度そんな風に悶々としていた頃だった。ある意味で、渡りに船だったのである。

 父親の口にする一般論と異なり、トバリは下忍顔負けのチャクラコントロールを誇る。
 水遁と土遁という二系統の忍術を使いこなすだけでなく、自分の駆使する忍術の威力・範囲共に完璧にコントロール下に置いているのがイタチの目にもわかった。休憩を挟むことなく立て続けに忍術を発動させることからも、トバリが必要な分だけチャクラを練っているのは明らかだ。
 木登りの行が上手くいったら、イタチはフガクに忍術修行に付き合って欲しい旨を伝えるつもりだった。世の父親の例に倣って、フガクもまた息子が自分の言いつけに逆らうのを快く思わないが、結果を出せばその限りではない。イタチは、父親のそういうところが好きだ。
 合理的判断を重んじるフガクの考え方はごく分かりやすい。恐らくイタチのチャクラコントロールが万全でなくとも、トバリに会えば「自分の考えが全ての子どもに当てはまるものではない」と理解するだろう。あれで親馬鹿なところがあるから、一人の例外を目にして「うちのイタチにはまだ無理だ」と思うほど謙虚な人間でもない。息子同様「トバリに出来るのなら、イタチにも出来る」と考え、チャクラコントロールについて熱心に教えてくれるはずだった。
 ……しかしイタチは「父さんとトバリを引き合わせよう」と考えたことはただの一度もない。

 理由の一つには、まず父母が千手一族に好感を持っていないらしいことがあった。
 尤も、それは大した懸念事項ではない。父親は四歳の子どもに悪感情をぶつけるほど器の小さい男ではないし、母親は頻りに息子の“はじめての友達”を家に招きたがった。実際にトバリと対面したところで、父母は一族の子どもに対して見せる寛容さでもって接するだけだろう。
 イタチが父母とトバリの接触を忌避する最大の理由は、トバリが“世間知らず”だからだ。
 いや、世間知らずと言うのも烏滸がましい。トバリの頭の中にはありとあらゆる忍術・忍具の知識がぎゅうぎゅうに詰まっていて、一般常識を収める場所が残っていないらしかった。間違いなく彼女は忍一族の人間として優秀な子どもだったが、それと同時に驚くほど無知だった。
 こと人間関係において、トバリは殆ど白痴に近い醜態を露呈する。
 トバリの人となりについて問われると、イタチは「トバリは寡黙で落ち着いていて、大人びた口調で話す」と返すことに決めていた。何も知らないミコトは「あらあら、イタチと似てる子なのね」と声を弾ませるが、正直一緒にされたくない。イタチは、余計な諍いや不和を何より厭う。万が一にも敬愛する父母と、少なからず敬意を抱いているトバリとが揉めるのは避けたい。
 それ故にオブラートを幾重にも被せた虚偽報告を行っているのだが――誰に気を使わなくても良いのなら、イタチはこう言うだろう。あいつは忍術にかまけるあまり、ネジが数本抜けてる。
 決して社交的とは言い難い、それどころか一族中から「イタチくんはちょっと変わってるね」と言われるイタチが「こいつは一般常識という概念を理解してない」と思うのだ。最早忍者としての才能があるというより、忍者になる他生きる縁を持たないという方が正しい。


 イタチは、そんなトバリのアンタッチャブルさを、身をもって体験したことがあった。
 あれは、トバリと知り合って間もない頃のことだった。母親から里の中心街での買い物を頼まれていたイタチは、彼女に付き合って早く修行を切り上げた。街区へ行くにはうちは一族の居住区画を抜けるのが一番近い。自然な成り行き上、協調性のない二人は居住区画の中心を抜ける大通りを並びあって歩いていた。そこで、一行はイタチの母方のはとこと出くわしたのだった。
 五つ年上のはとこは齢四歳のイタチの目から見ても凡庸な少年であり、加えて顔を合わせる度に詰まらない揶揄をくれる。正直言って何の好意も抱いていないが、自分より年長の親族であるからには無視するわけにもいかない。仕方なく挨拶をしたところ、案の定絡まれてしまった。
 偶然居合わせただけのトバリが「不愛想な顔が二つ並んでると双子みたいだな」等と巻き添えになるのは申し訳ないが、母親にしわ寄せが行く可能性を考えると、強く出る気にはなれなかった。増して、フガクが一族を取り仕切る立場にあるのも関係して、露骨な中傷をくれるわけではない。大人たちの目を気にしてか、はとこは“親しみのある軽口”が“悪意から来る揶揄”と判断される手前スレスレで言葉を選ぶのだった。そうしたやり口を“汚い”と言って批判したい気持ちは無論あるものの、義憤より「羽虫に付き纏われているようで鬱陶しい」という本音が一等強い。
 羽虫相手に策を講じるのも面倒くさいので、イタチはこのはとこの嫌味は適当に受け流すことにしていた。トバリとてアスマという年長者に面倒を見て貰っているのだし、流石に長幼の序ぐらいは弁えているだろう。後で謝罪しなければならないな等と考えながら黙っていると、それまではとこを見つめて何事か思案している風だったトバリが徐に口を開いた。
『イタチの体をきづかうより、自分のことを気にしたほうが良い』
 口を挟まれると思っていなかったのか――はたまた自分の胸にも届かないような幼児がませた口を利くので驚いたのかもしれない。ぎょっと目を剥いたはとこに、トバリが小首を傾げる。

 さっきから見てると異様に右肩を上下させてるが、投擲フォームが可笑しいんじゃないのか。
 肩だけじゃないな。右腕全体に違和感があるんだろう。どうも、そういう動かし方をしている。指先の痙攣も訓練疲れというより、無駄な負荷が掛かっていることの証拠だ。
 アカデミー教諭か誰かから疾うに教わっただろうが、肩と腕に余計な負荷が掛かるのは下半身の訓練不足が理由だ。全身の筋肉を使って投げるべきところを、肩と腕だけ使って投げるから負荷が掛かる。下半身が鍛えられてないということは、持久力の欠如を意味する。投擲フォームの改善も勿論のこと、根本から体力づくりを行わない限り、我流で修行を続けても体を壊すぞ。
 クナイの修行を積む前に、まず走ったほうが良い。それから、イタチにフォームを直して貰え。彼は教本よりずっと綺麗なフォームをしているし、説明が上手い。君のためになるだろう。

 滾々と駄目だしするトバリに、イタチは呆気にとられた。
 こんなに喋る奴だとは思っていなかったし、何より明らかな年長者を捕まえて「お前はクナイに触るレベルにも達してない」と宣う人間がこの世にいようとは想像だにしたことがなかった。
 他の一族から“排他的だ”と批判されることがままあるうちは一族は、一族内の団結力や助け合い精神に富んでいる。必然的にうちは一族の子どもらは物心つく前から長幼の序については厳しく叩き込まれ、例え一歳差であれ相応の敬意をもって接するよう強いられるのだった。
 無論そう教えられたのは、イタチも例外ではない。寧ろ一族の人間に示しをつけるためなのか、フガクの躾は誰より厳しかった。礼節と長幼の序を重んじるよう厳しく言いつけられて育っただけに、トバリが全く悪びれた風もなくはとこのプライドを抉り続けるのは衝撃だった。

 九歳のはとこが泣きながら逃げ出すのを、イタチは茫然と見送った。
 傍らのトバリが困った風に「彼はぐあいでもわるいのか? 長々とひきとめて、すまないことをした」と目を伏せたのも信じられなかった。トバリの今後のためにも長幼の序について教えてやろうかと思ったが、芯からすまなそうにしてるのを前にそんな考えは一瞬で吹っ飛んだ。
 トバリは、自分が悪いことをしたとは全く思っていない。実際トバリの口にした指摘は正しかった。我流で修行を続けるはとこは度々腕を傷めていたし、フガクも「反面教師にしろ」と口にして止まない。だからと言って、はとこのプライドを無視した指摘をして良い理由にはならない。
 イタチとて社交的な性質でないので偉そうなことは言えないのだが、それでも“社交辞令”とか“角の立たない振る舞い”の如何は分かる。トバリは、その何れも分かっていない。
 それどころか、“他人の思考展開・感情に自分の想像の及ばないものが存在するはずはない”と決めつけて話す癖がある。平然とはとこの心を折るトバリを思い返して、イタチはそう思った。

『きみは、したしい相手が多いんだな。体が弱いようだが、めんどうみの良い人間じゃないか』
 別れ際に言われた台詞からも、トバリが何にも分かってないことがよく分かる。
 自分が他人の心を折ったことを理解するどころか、トバリは自分が嫌味を言われたとも思っていないらしかった。まるきりの善意から、ああまで自尊心を踏みにじれる人間もそうそういない。心底からイタチがはとこと親しいと信じ切るトバリに、イタチは答えに窮した。
 確かにはとこが口にした揶揄は、アスマがトバリに告げるものとそう変わらないのかもしれない。しかし、はとこの口調や表情は年相応の露骨さでもって嫌悪を醸しており、少なくとも彼女の祖父が残した走り書きよりかは余程解読しやすい――よく、あのミミズののたくったような文字が読めるものだ。イタチの知る限り、トバリに読めない文章はなかった。
 大人向けの書籍を十全に理解出来ることからも、トバリは間違いなく“聡明で頭の良い子ども”のはずだった。その、少なからず聡明なはずのトバリはこと対人関係において滑稽なまでの盲目さを露呈する。出会い頭の「どこまでがみょうじ?」も、今思えばトバリは心から真剣に、そして真面目に、イタチの名前が“おれだけにこたえさせるのか”だと思ったに違いなかった。
 目的地である忍具店までトバリと連れ添って歩きつつ、フツフツと考えたものの、結局トバリの盲目さがどこから来るものか、納得のいく推論は出なかった。

 その日の夜になっても、イタチはまだウンザリしていた。
 フガクと違って、人当たりの良いミコトは気の強い人間が多い親族中で重宝されている。
 大らかで、何でも言いやすい人柄が好かれるのだろう。しかし相談役として頼りにされると同時に、妻と対照的に気の強いフガクを嗜めてくれと愚痴られることも度々あり、気苦労が絶えない。
 はとこが「イタチの友人に生意気なことを言われた」と両親に訴えれば、当然イタチの製造元であり、不平不満を親身に聞いてくれることに定評のあるミコトに話がいくだろう。母に困り顔をされるだけまだしも、フガクの耳に入ればトバリとの付き合いを制限される可能性もあった。
 あれだけ常識のない奴と付き合い続けて得るものはあるのかと思わないでもないが、なんだかんだ忍術の話や二代目火影の話を聞いていると楽しい。それに――流石にトバリよりかは常識があると思うものの――些細な価値観が合致しているのか、一緒に居てしっくりくる。
 面倒くさいことになりそうだと、半日近く鬱々としていたが、幸いにしてその件で父から叱られることはなかった。寧ろその日早々に帰ってきたフガクは、どことなく機嫌が良いようだった。
 晴れやかな雰囲気を纏ったまま食卓についた父親を見て、イタチは「未だ日中の出来事は耳に入っていないらしい」と複雑な心境になった。上機嫌の父親は、家族が食卓に揃うなり口を開いた。
『イタチ。昼頃、件の千手の子が往来でひと騒動起こしたらしいな』
 何故母さんもまだ知らないことを、父さんが知ってるんだ。そう思ったのもつかの間、フガクは“極めて面白い話を聞いた”といった調子で「ヤシロが一部始終を教えてくれた」と付け加えた。ヤシロも何を思ってフガクに告げ口したのか……余計なことをしてくれる。
 もし父親の耳に入れば、トバリとの付き合いに口を挟まれるだろう――イタチの思惑に反して、日中の出来事を耳にしたフガクはトバリに好意的な感情を抱いたらしかった。
 夕刊を捲りながら、フガクがフッと鼻で笑う。四歳の子どもにあれだけ言われれば、少しは大人しくなるだろう。そう話を締めくくった父親は、長幼の序の何たるかを忘れてしまったのだろうか。困惑のあまり凝視していると、息子の疑問を察したらしい父親が視線をくれる。
『長幼の序なんてものは、集団生活を円滑に進めるためだけの建前だ。
 お前は年長者を立てて黙っていた。彼女は一族外の人間故に、感じたまま言ってしまった。それだけの話だ。それに、まだ四歳の子どもだからな。何を言おうと仕方ない』
 釈然としないものはあったが、一先ず親族間の揉め事に発展しなさそうなのは安心した。
 尤も、だからといってトバリと一緒に街中を歩くのを忌避する気持ちは薄れない。
 トバリは仮にも二代目火影の孫であり、四歳にして天涯孤独という十分に同情されるべき境遇にある。それにも関わらず「癇が強くて、年中チャクラを暴走させてるらしい」などと偏見混じりの噂を立てられる理由を、イタチは察した。あんな調子で生きていれば、変な噂も立つだろう。
 三代目が後見人を務めているとのことだが、ちゃんと躾けているのだろうか。そしてアスマは、幼馴染をあのような状態で放置して何とも思わないのか。二人が余程大らかなのか……単に二人の手に負えないという可能性もなくはない。何となれば、トバリはあまりに欠点が多すぎる。


 兎に角トバリは色んな意味で“規格外”の子どもだった。
 出会ってから未だ一ヶ月と少ししか経っていないにも関わらず、イタチはトバリの欠点をざっと十は挙げられる。不愛想というのも躊躇うような無表情に加え、社交性も著しく低い。常識が備わっていない故に、他人の気持ちを汲み取ることも出来ない。誰でも皆、一を聞くだけで十理解出来るものと思っている節がある。更には、自分が規格外である自覚がないと来た。
 そのような人間なので、当然トバリは他人に物を教えるのが壊滅的に下手だった。

『あしにチャクラをあつめて、そのままのぼる』
 “木登りの行”のもたらす効果について語っていたトバリは、あまりに簡素な説明で話を〆た。
 さあ、やってみろと言わんばかりに幹の太い杉に視線をくれるトバリは、“木登りの行”で行き詰ったことがないのだろう。チャクラコントロールについて丁寧に教えてくれたことを踏まえて考えると、そうとしか思えない。人間は自分の理解の外にあるものは決して説明できない。
 イタチが幹を粉砕して落下するたび、トバリは不思議そうに小首を傾げるのだった。間違いなく“木登りの行”について他人に教えるなら、イタチのほうがずっと親切に教えられる。

 甚だ指南役に向いていないトバリは、イタチを置き去りに次のステップに進もうとした。
 他人にものを教える際には、やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやるという、その四つのプロセスが大事だと聞いた覚えがある。あれはいつのことか……父親が“新しく第一部隊配属になった忍の覚えが悪い”と漏らしていた時に、母親が口にした台詞だった。
 その指導能力と裏腹に、トバリの教育要綱は完璧だった。不十分であるとはいえ一応“言って聞かせた”トバリは、次に“やってみせ”てくれた。ムッツリと形ばかりの教師を見上げるイタチの前で、トバリはあたかも平たんな道の先を行くように、平然と幹を上下する。
 澄まし顔で「大して難しいことではない」と口にするトバリに「もう少し分かりやすく説明することは出来ないのか」と言わなかっただけ、イタチは我慢強いほうだ。まるで参考にならないパフォーマンスを見たイタチは、トバリに指導者としての才能がないことを理解した。
 いや、“まるで参考にならない”というのは言いすぎだろう。“恐らく平常心が大切なのだろう”程度には参考になった――経験から言っても、その憶測は正しいと思う。

 不幸なことに、イタチはトバリほど何も考えずに生きているわけではない。
 イタチが数少ないヒントを手掛かりに全身のチャクラバランスを掴むまで、結局三日も掛かった。それで「君はよくやっているほうだ。才能があるのだと思う」と言われても、イタチの耳は空々しく聞こえる。そもそもイタチは自分に才能があろうとなかろうと、如何でも良かった。
 大切なのは“今この瞬間に、自分一人の力で何が出来るか”ということだけだ。

 トバリは欠点だらけだが、決して必要以上に他人に頼ろうとしない。
 まるで、忍者としての使命を全うするために全てを切り捨ててるようだと思う。所詮、トバリも自分と同い年の幼児に過ぎない。たった四歳の子どもが、そんなストイックに忍者を目指すはずがない。そうと分かっていても、“忍者になるためだけに産まれてきたようだ”と、薄ら思う。
 イタチは物心着いた頃にはもう忍者を志すようになっていた。父親への好意と敬意、そして寄せられる期待をそのまま自分の“夢”だと認識していた。屈託のない夢は血の記憶を経て、今は切実なまでにイタチを突き動かす衝動として昇華されている。それでも、元は光の下で育まれたものだ。
 父さんや母さんみたいな立派な忍者になりたい。ほんの一年前まで、そう漠然と夢見ていた。

『私はこの里の道具で、私の替えは山ほどいる。忍者というのは、そういうものだ。
 私の気持ちや、私が考えたことに、なんの意味があるというの』
 トバリが口にする台詞は、かつて自分が夢見た“教本通りの忍者”そのものだ。
 自己を殺して闇に生き、ただ里のためを思って尽くす。それが忍者の正しい姿だと、厳めしい顔つきをしたフガクが幼い息子に言って聞かせる。「まだ早いわよ」と言う母の目を盗んで読んだ“忍の心得”にも、父の言う通りのことが書いてあった。それを読んだイタチは、忍の正道を心得ている父を誇らしく思ったものだ。いつか自分も、父の血に恥じぬ忍になろうと夢見た。
 父が善なるものとして従う“教本”に従うことが正しいことで、善なるものなのだと思っていた。

『お前もあと数年で忍になる。戦争が終わっても、忍の現実が変わるわけではない。
 お前が足を踏み入れる世界は、こういう世界だ』
 父が言う。その声は、深々とした絶望と怒りのなかで酷く遠く、か細く――あの土砂降りの雨のなか、イタチは自分が夢見たものが何だったのか身をもって理解したのだった。

 奪う強者がいれば、奪われる弱者がいる。
 “自国のために尽くし、我を殺せ”と言う“教本”が正しく、善なるものだとしたら、今目の前に広がる地獄は何なのだ。父の体が発する熱を傍らに感じながら、イタチは悲しかった。
 雨のせいもあって、真新しい地獄には無味無臭の“命だったもの”が横たわっている。それらは死体でも、骸でも、肉塊でもなかった。雨さえ止めば再び動き出すのではないかと思われるほどに、人間の形を残していて、その無念や口惜しさ、悲しみがイタチの瞳になだれ込んでくる。

 イタチは厳しくも頼りがいのある父に畏敬の念を抱くと共に、心から愛している。同様に、父の心の裡に誰より敏感で、常に笑顔を絶やさない母のことも愛していた。
 二人は優秀な忍であり、イタチはそれが誇らしかった。優秀な両親は誰にも負けず、必ず自分の下に帰ってくる。そう信じていたからこそ、両親の不在も大して不安に思うことはなかった。
 降り注ぐ雨滴の数よりまだ多いのではないかと思わせる亡骸を前に、イタチは気付いた。
 フガクが今生きて隣にいるのは、木ノ葉隠れの戦力が岩隠れを上回ったから……木ノ葉隠れのほうが強かったからだ。しかし岩隠れの忍にも、父がいて、母がいて、そして家で帰りを待つ子どもがいるだろう。死体がつけている額当ては、木ノ葉隠れの紋様が刻まれたものも少なくない。
 絶命時の悔恨が伺える死に顔を見つめて、イタチは震えた。視界の隅では木ノ葉隠れ側の忍者が仲間の死体を押し車に積んでいる。その重労働のなかに、死者に対する追悼の念は存在しない。
 物のように扱われる死体たちが、元は自分と同じ人間だったとは到底思えなかった。いや、そう思わねば気持ちの整理が付けられないのだろう。誰もが歯を食いしばるような表情で、淡々と作業に勤しんでいる。自里にとって“正しく善なる存在”であろうと、感情を押し殺す。
 苦痛だけが満ちた空間で、イタチだけは自分の感情を押し殺すことが出来なかった。

 誰かの家族で、まだ生きたいと望んでいたはずで、そしてイタチの大切な人の代わりに死んだかもしれない死体たちを前に、イタチは自分の胸に消し去り難い怒りがあるのを自覚した。
 所詮、自分が誇らしく思ったものは全て虚構に過ぎなかったのだ。

『オレは必ず、お前の“現実”を否定する』
 その“現実”はフガクが語り、“忍の心得”が示したもので、イタチが一等最初に夢見たものだ。しかしイタチが父母に焦がれて夢見たのと違い、トバリの言葉には憧憬も祈りもなかった。
 トバリはまだ四歳で、親しい兄貴分がいて、三代目の庇護下で暮らしている。孤児は、今の木ノ葉隠れの里ではそう珍しくない。二親揃っているイタチに言えた義理ではないが、トバリは経済的にも対人的にもごく恵まれているほうだ。それなのに、時折死んだような目をする。
 死んだような目で、それ以外なにも知らないと言いたげな声音で、トバリは現実を口にする。
『こわれたら、かえればいい』
『わたしはこの里の道具で、わたしの替えは山ほどいる。忍者というのは、そういうものだ』
『いったい、わたしの気もちや、わたしが考えたことになんのいみがあるというの』
 その苦悶に満ちた表情、響きこそが、自分の目指すものの“正しさ”を裏付けるような気がして――尊敬する父親ごと過去の自分を否定する、その苦痛から逃れるためにトバリとの付き合いを続けている。そんな自分勝手なものを“友達関係”と言うのは、トバリに悪い気がした。


 額に浮いた汗を拭って、イタチは顔を顰めた。
 全身のチャクラバランスに意識を向けていると、抜けるような蒼天さえ鬱陶しく感じる。
 地上でのチャクラコントロールがごく容易だっただけに、“木登りの行”を始めてから行き詰っていることがもどかしかった。肉体の疲労も然ることながら、自身のチャクラを制御するために如何したって精神的課題に取り組まなければならず、みるみる気持ちがすり減っていく。

 やたらと力の入りやすい肩に手を当てて、イタチはゆっくり息を吸った。
 肺に溜まった空気を丁寧に吐きだす。深呼吸を繰り返すと、大分気持ちが落ち着いてきた。
 イタチは顔をあげて、挑むように木漏れ日の先を見つめる。馴れ馴れしい湿気に包まれた体は気怠く疲れ切っていたものの、イタチは地面に下りる気になれなかった。
 杉の枝葉は樹幹の上方に固まっており、普段地上でクナイや手裏剣術の修行をする際に意識したことはなかった。それどころか“日光を遮ってくれるから有難い”とさえ思ったものである。その天然の屋根が、今となっては邪魔でしかない。イタチはまだ幼い目元を険しくさせて、思案する。
 自分の背丈ほどもある細い枝は、クナイを使うまでもなく素手で毟ることが出来るだろう。しかし……結論は見え透いているのに理由を言語化出来ないもどかしさに、イタチが大人びたため息を漏らす。地面と平行に幹から伸びた体を巡るチャクラ量に意識の大半を割いているからか、考えが纏まらない。尤も“先に進むのは止したほうが賢明だ”とは分かっていた。
 しかし、やっと自分のチャクラが幹に絡む感覚が掴めてきたのだ。もう少し修行を続けたい。
 枝をもいででも先に進もう――そう決意した瞬間、思いがけない横やりが入った。

「どこか、べつの場所をさがしたほうがいい」
 幾らか聞き慣れた声に、イタチは足元で渦巻くチャクラに気を払いながら、振り向いた。
 少し離れた場所からこちらを見上げているトバリは、燦燦と降り注ぐ日光に照らされているとはとても思えない顔色をしていた。普段からボンヤリしたところがあるものの、今日は元々白い肌が青ざめているのも相俟って殆ど幽霊のように見える。また二日ほど姿をみせないでいたから、風邪でも引いていたのだろう。イタチの疑問などお構いなしに、トバリが言葉を続ける。
「そこからさきにすすむと、木がおれる。それだけ疲れていれば、着地もしっぱいするだろう」
 トバリは、まだ起こってもないことを見て来たかのように言う。その声音にも力がない。
 具合が悪いなら家に居れば良いのに、余程イタチのことを口煩い奴だと思っているらしかった。
 トバリは他人に効率よく物を教えることが出来ない故、彼女に教えを乞おうと思ったら自発的に質問攻めにする必要がある。どうせ修行以外に大した用事もないなら日参してほしいのだが、如何にもその日の気分で来たり来なかったりする。その件で何度か不満を呈したことがあるだけに、イタチは居た堪れない気持ちになった。“体調不良の際は来なくて良い”と伝えておけば良かった。
 憮然とした面持ちで口を噤んでいると、イタチの顔が逆行で見づらかったのか、トバリが頼りない足取りで数歩前に出る。すっと樹影に入ったトバリが、手庇と共に天を仰いだ。
 自分の表情を伺おうとしているのだなと、イタチがそう思ったと同時に、トバリの膝が崩れた。

「大丈夫か?」
 地面に膝をついたトバリを見て、イタチは咄嗟に下肢に力を込めた。「もんだいない」自分のために樹下に降りてこようとしたイタチを、トバリが頭を振って制止する。
「大丈夫、もんだいない。久々に日に当たったから、めまいがした」
 目元を押さえたまま立ち上がる様は、確かに先ほどよりしっかりしていた。
 しかし“久々に日に当たった”というのは忍者の卵として如何なものか。まあ、元々トバリは体術より忍術を重んじている。チャクラ量さえ他人より優れていれば、多少体が弱かろうと大した問題ではないのかもしれない。トバリの返事を受けるや、イタチは安堵と共に自己完結した。
 すると、気が緩んだ拍子に下腹部がきゅんと空腹を訴えた。そういえば、修行に夢中になるあまり昼食を取り忘れていた。母親が知ったなら、いつもの如く叱られるだろうなとボンヤリ思う。

 そよそよと吹く風に身を任せながら、イタチは足の裏を撫でる気配に五感を研ぎ澄ませた。
 樹下のトバリはボソボソと「早くおりてきたほうがいい」とか「むちゃをするのは、きみらしくない」とか呟いている。普段トバリにああしろこうしろと言うのは自分のほうなので、イタチはどことなく可笑しい気持ちになった。平静を装って「もう少し」と返すと、トバリが眉を寄せた。殆ど無表情のトバリも、負の感情を表に出すことは出来る。普段イタチが何をしていようと無関心で傍観しているトバリが、これほどまで修行の中断を切望するのは中々ない。
 降りてこい降りてこいと口にするトバリを眺める内、イタチは母に黙って庭の松に登ったのを思い出した。風で飛ばされた母のハンカチを取りたかったのだと説明しても、母の怒りは中々解けなかったのを覚えている。今思えば、あれは単に怒っていたのではなく、イタチが木から落ちて怪我をしないか怖くて、ハンカチ如きで危ないことをしたのが許せなかったのだ。
 よもや忍術以外に興味のないトバリが、あの日の母と同じに自分の心配をしているのだろうか?
 それはあまりに有りえないことのような――こうも露骨に心配している風な態度を取るのは、自分の知る“トバリ”らしくない気がして、イタチは小さく笑った。

 時折トバリはとても幼稚な言動を取る。
 それはトバリの、対人面における滑稽なまでの盲目さが産むものであり、彼女が雨滴で冷える屍と違って、まだ生きている証拠に他ならない気がした。自分たちが友人関係にあるかどうかは分からないものの、イタチはトバリが見せる“愚かさ”がそう嫌いではなかった。
 笑みに筋肉が緩んだ途端、森の奥から響く鳥の囀りが一際鮮明に聞こえてきた。樹幹と足の間で揺らめくチャクラが、自分の体のなかで一定の間隔を保ったまま巡っているのが分かる。
 何故なのか、木登りの行から意識が逸れているにも関わらず、先ほどよりもずっと鮮明に自分のチャクラが杉と一体になっているように感じた。疲弊しきった体を、充足感が満たしていく。
 確かな手ごたえを感じたイタチは、五月の明るい陽光のなかで満足げに微笑した。

 少しずつ自分の夢に近づいている実感が、イタチには堪らなく嬉しかった。
雨滴はきみを凍らせる
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