書庫の入口は開け放たれて、階上から流れ込んでくる薄暗い冷気が足元を包む。

 定位置で黙々と読書を進めるトバリの隣で、アスマはぼんやり雨が止むのを待っていた。
 天井付近にある小窓から灰色の光が垂れこめているとはいえ、この薄暗いなかでよく文字が読めるものだ。感心と呆れが綯交ぜになった感情を胸中に転がしながら、アスマはトバリが抱え込んでいる――というより、トバリが“抱え込まれている”と言ったほうが正しいかもしれない――巻物を取り上げた。のっそりと顔を上げたトバリは無表情を崩し、世にも不愉快そうな顔をしている。

「また三代目とけんかしたの」
 暗に“八つ当たりはやめろ”と匂わせる妹分に、アスマの顔が引きつった。

「お前は如何してそう、オレがしょっちゅう親父と揉めてると思ってんだ……」
「べつに。これまでがそうだったから、そうすいそくするのが一番ろんりてきだと思った」
 巻物を取り返すのも諦めて、トバリが肩を落とす。大人びた仕草でため息を漏らすトバリは却って幼く見える。アスマは自分がこの幼児より十歳も年上であることを思いだした。退屈だからって、四歳の子ども相手に詰まらない嫌がらせをするのはあまりに大人気ない。
 帯状に広がった巻物を「ほらよ」と渡せば、案の定トバリは再び紙面に集中しだした。
 つまらない。アスマは中忍ベストのポケットから、煙草の包みを取り出す。

「つか、今はセンセーっつってんだろ。他人行儀に、オレの前でまで三代目呼びすんな」
 アスマの台詞を受けて、トバリは俯いたまま口を開いた。「……まだ、なれない」躊躇うような口ぶりに父親への遠慮と配慮を感じる。アスマはどことなく温かい気持ちになった。
「ふうん。ま、すぐ慣れるだろ」
 ライターを鳴らして火をつけると、アスマは口元をにやけさせた。
「親父の呼び方だけじゃない。外に出て、イタチと遊ぶのも……すぐ、そっちが“日常”になる。友達が出来りゃ、いなかった頃のことなんか忘れちまうよ」
 浅く吸った煙を吐き出すと、ただでさえ薄暗い室内に白く靄が掛かる。息苦しかったのか、はたまた他に理由があるのか、視界が晴れるとトバリが渋い顔をしていた。
 凡そ一月前にイタチと出会って以来、トバリの表情筋は大分働くようになっていた。働くと言っても精々膨れ面や顰め面を形成する程度なので、手放しで“表情が多様化した”と喜ぶのは些か難しい。それでも以前に比べれば、感情の起伏が分かりやすくなってきたほうだ。

 ぼんやりと思索に耽っていたアスマの意識が、密度の高い視線に絡めとられる。
 ふと我に返ると、トバリの瞳は剣呑な光を帯びてアスマを凝視していた。あどけない曲線に囲われた表情は凡そ“子どもらしさ”から逸脱して、見る者を慄然とさせる。
「……アスマは?」
 つい先ほどまでの気安いやり取りが嘘のように、重たい声音がアスマの名を紡いだ。
「ともだちが死んだきずは、なにがわすれさせてくれたの……たばこ?」
 アスマは感情の抜け落ちた双眸を見つめ返す。野生動物と相対している時と同じで、逸らしたが最後“取るに足らないもの”として格下扱いされてしまう気がした。
 アスマとしては“妹分と野生動物とを混同するのは如何なものか”とも思うのだが――トバリの浮世離れした佇まいを前にすると、“この子どもが自分と同じ人間だとは到底認めがたい”という浅慮に駆られてしまう。聡明な子どもも、忍者の才に愛された子どもも、他人との触れあいを拒む子どもも……“トバリに似た子ども”は沢山いる。しかし、この子の孤独は“化生”の不穏が潜んでいた。
 乳飲み子の頃からトバリを見知っているアスマでさえそう思うのだから、所詮一般人に過ぎない家政婦たちがトバリを不気味に思うのは当然のことと言えた。

 そうだ。だからアスマは“仕方ない”という言葉で、トバリと距離を置いていた。

 大戦末期から今に至るまでの多忙を差し引いても、アスマは決して頻々にトバリの世話を焼いてきたわけではない。所詮血縁があるわけでもない“父親の友人の娘”だ。
 その細い繋がりを維持するには、月に一度でも様子を見に来るだけで十分だった。
 アスマは気まぐれに、友人の家のペットを構いに来る程度の愛着でトバリに会いに来た。家政婦がトバリと距離を置いているのにも“これだけ無表情じゃな”と客観的な感想だけを抱いて、去っていった。自分よりずっと多忙な父親に突かれない限り、アスマはトバリの存在を思い出さなかった。思い出しても“億劫な用事が増えた”程度に思うのが常で、アスマは一度として自分のいない邸でトバリが如何いう想いで生きているのか思い馳せたことがない。
 当然のようにトバリはアスマの来訪を待っていなかったし、アスマが辞去するのにも無関心を決め込んでいた。言葉を覚えるに従ってそれなりの会話を交わすようにはなったが、それは殆どアスマの一方通行だった。アスマは平均よりかは情に厚いほうだ。それでも能面顔でひたすら自学自習に励む幼児を前にすると、“忍犬のが余程人間味がある”と思ってしまう。
 有り体に言って、アスマはこの子どもを可愛いと思ったことはない。ただ十も年が離れているし、父親の友人の娘で、女だから、一緒に居る時は優しく振る舞った。根がお喋りだから、返事が期待出来ないと分かっていてもダラダラと話しかけた。それだけのことで、特別トバリ個人を慮っていたわけではない。条件さえ同じなら、アスマは誰にでも同じ“やさしさ”を向ける。
 ひとによってはその“やさしさ”を“薄っぺらい偽善だ”と言って批難するだろう。でもアスマは、この世に自分を批難する資格を持った人間がいないことを知っていた。

 カンヌキの葬儀の後、邸に押し寄せた親族を遠巻きにトバリはひっそりと息を潜めていた。
 義理でつき合わされただけのアスマも居心地の悪さを感じながら、チビリチビリと法事御膳を片付けていた。享年だけでなく、暗部総隊長まで勤め上げた経歴が関係して集う人々は皆上忍ばかりだった。トバリを除けば、アスマが最年少だ。千手一族の席にも子どもの姿はなく、各分家の家長らしき老人が顰め面で酒を飲み交わしている。年齢制限でもあったのだろうか。
 必然的に退屈したアスマは、何とはなしにトバリを眺めることにした。大のおっさんが岩隠れへの不平不満を一席打つのを大人しく拝聴しているよりかは有益だと思ったからだ。そのぐらい暇だった。そもそも、うら若いハイティーンが縁遠い知人の通夜を楽しめるはずもない。周りは頭でっかちのお偉方ばっかりだし、話題は殺伐としているし、肉は出ないし、煮物は味が薄すぎる。
 ちゃっかり者の兄が一人この責め苦を免れているのも苛立たしかった。疾うに家父長制度は廃れて久しいのに、よりにもよって何故次男の自分が同行を強いられているのか。確かに、大戦世代のアスマは合同葬祭しか知らないかもしれない。父親は「個人葬のマナーを覚える良い機会だ」と言うが、そんなのは兄だって同じなのに……アスマは心底退屈していた。演習場が開いている内に解放されたい。早く帰りたい。アスマはぼけーっと、トバリを眺めた。

 トバリは与えられた幼児食を前に大人しい。
 お盆の上にあるものを、順繰りにちょっとずつ食べている。“三角食べ”という奴だ。
 アスマも昔バランス食べるよう教わったが、“バランス良く食べたところでチャクラコントロールが上手くなるわけでもなし”と一度として実践したことはない。挨拶一つ出来ないくせに、物を食べる時は行儀が良い。いや、あまりがっついて食べないから、そう見えるだけなのかもしれない。
 アスマだって、食事時のマナーなんて碌々知らないのだ。ついでに、ほんの数時間前に教わったばかりのお焼香時のマナーも覚えていない。別に良いのだ――完璧な段取りでお焼香出来たところで、火遁の威力が増すわけでもないのだから。アスマは妙な持論を展開させながら、トバリの観察を続けた。トバリは完食を目指して、黙々と食べ続けていた。殆ど義務的な食べ方で。
 トバリの食べ方は消極的だったが、それでも観察開始から二十分過ぎたところでお盆の上が空っぽになった。残るはデザートのゼリーと、パックのリンゴジュースだけである。
 音もたてずにゼリーの蓋を剥がすトバリを見て、アスマはなんとなく面食らった。面食らったというか、感心したというか……「コイツにも最後に自分の好物をとっておくだけの“子どもらしさ”があったのか」と、不思議な気持ちになった。デザートを最後に取っておくのは、まあ、几帳面なトバリだから分からないでもない。でも、ジュースを後回しにする必要はないはずだ。そもそも“三角食べ”の歯牙に掛かっても良かったはずなのに、ストローさえ刺していない。
 リンゴジュースが好きなのだろうか。食べ始めからずっと自分の好物を一番最後に取っておこうと画策していたのかもしれない。そう考えると、アスマは俄かに退屈を忘れた。

 十も年上のアスマが退屈しているにも拘わらず、トバリは終始“良い子”だった。
 あんまりに大人しいので、トバリの隣に座る男も、その斜め向かいの老女も、誰もトバリを気にしない。この四年の間実父の手で養育されたことがなく、遂に天涯孤独の身となったトバリは空気のように扱われていた。尤もトバリ自身がヒルゼンや綱手の気遣いを躱しているので、皆“そっとしておこう”と思ったのだろう。まあ、そっとしておくも何も、一度も会ったこともない実父の死に何か感じているはずもない。何の事情があってかトバリに関わろうとしない親戚連中は、何も分かっていないのだ。取ってつけたような憐れみも、斜め上の気遣いも、何もかもが馬鹿馬鹿しい。
 アスマは引き続きトバリを観察し続けたが、トバリが面白かったのはゼリーを食べ終えるまでだった。食事を終えるなり、トバリは目線をお盆に落としたまま動かなくなった。“食後のお楽しみ”のパックジュースにも一切手をつけず、じっと喧噪に耳を澄ます。目をぱっちり開けたままで。
 やがて法宴が酒宴に近い無法地帯と化してきたあたりで――アスマが何故自分がここにいるのか、そして何故トバリを見ているのかさえ忘れた頃――不意にトバリが立ち上がった。
 パックジュースを手に、そっと部屋を出る。自然とアスマも立ち上がって、トバリを追った。
 小さいトバリはシンと静まり返った廊下を、その静寂を壊さずに駆け抜ける。一応自宅とはいえ、トバリが母屋に入るのはこれが初めてのはずだった。それなのに、トバリはちょっとも迷わずに廊下を抜け、突き当りを右に曲がって、仏間に飛び込む。初対面の父親が眠る部屋に。
 仏間の入り口を凝視したまま、アスマは目を白黒させた。よもや、親戚連中の言っていることのほうが正しかったのだろうか。あのトバリにも、父親を――本当の本当に形だけの父親を“家族”として特別に思う気持ちがあるのだろうか? アスマには信じられなかった。

『……なにか、のまなくては』
 弱々しいトバリの声に、アスマは我に返った。

 気配を殺して仏間のなかを伺うと、トバリは老爺の傍らに座り込んでいた。
 老爺は部屋の中央に置かれた棺桶に覆いかぶさって、小刻みに肩を震わせている。その老爺が庭師であるとは、アスマも知っていた。古くからこの家の庭を守り、カンヌキにとっては兄とも父とも呼べる存在だったらしい。身内同然に付き合ってきた分、慟哭も深かったに違いない。
 最早声も嗄れ果てた様子で、時折漏れる掠れた嗚咽からは老爺が起きているのが分かる。
 今思えば、あの時既にセンテイの意識は混濁していたのだろう。皆最初はセンテイを宥めようとしていたが、その慟哭が酩酊めいて言葉さえ覚束ないと見るや早々に諦めてしまった。
 元々センテイと大した親交のないアスマは「そんだけ悲しんで貰えりゃ死んだ甲斐もあるってもんだよな」と半ば他人事っぽく思っていたが、事の異様さは何となく察していた。
 幾ら悲しみが深いとはいえ、五時間以上も棺桶に取りすがって泣くのは正気の沙汰ではない。
 父も含め、皆が、センテイのあまりに急激な老化を不気味に思っていた。「そのうち落ち着くだろう」と口々に交わす傍ら、決して本心から“時が解決してくれる”と思っていないだろうことはアスマにも分かっていた。でも、アスマはその“異様さ”について深く考えなかった。
 アスマはもうすぐ十四才になるやならずといった調子の子どもだったし、十四才の子どもにとって中年も壮年も老年も同じようなものだ。昨日まで頭がシャンとしていた老人がある日突然呆けたからといって、それは有り触れたことのように思った。ただ、「そんなにカンヌキさんのことが好きだったのか」とか――「そりゃ、大人にとっちゃあ四年ぽっちかもしんないけどさ」とか、ちょっとの理不尽を覚えたぐらいで、センテイの脳年齢はアスマの関心の外にあった。

 相変わらず、センテイはトバリの声に応えず泣いている。
 トバリはセンテイの手にジュースを近づけ、何とか持たせようとしていたが、十分ほど四苦八苦して諦めてしまった。パックジュースを膝に置いて、小鳥のように小首を傾げる。

『なにかのまなくては……センテイ、おまえがこわれてしまう』
 ポツンと呟く。そう口にするトバリの背中はあまりに頼りなく、小さかった。

 センテイは、トバリの言葉に対して何の反応も見せなかった。
 トバリが嫌いで、意地悪をしているわけではない。呆けているのだ。弟のようにも、我が子のようにも思って、何十年も共に過ごしてきたカンヌキが死んだ哀しみで呆けてしまった。鈍器で頭を殴られたような慟哭に、老いてボロボロになった脳細胞が耐えきれなかった。それだけのこと。
 呆けてしまった。だから、センテイはトバリのいない世界から戻ってこない――永遠に。
 トバリには、センテイが何故自分に応えてくれないのか分からないだろう。分からないから、待っていればいつか応えてくれるかもと思う。泣きつかれたセンテイが飲み物を欲しがるかもしれないから、膝の上のパックジュースには手を付けない。そうやって、トバリは大人しく、良い子で、行儀よくセンテイが泣きやむのを待っていた。法宴の喧噪が薄れるまで、トバリは微動だにしなかった。センテイの意識が自分を捉えるのを待って、時々水分補給を勧める。葬儀の間も退屈していたアスマは、どこか躊躇うようなトバリの声を聞いて、その日初めて泣きたくなった。
 
 センテイには、アスマの“やさしさ”を“偽善”と称して批難することが出来た。
 しかしトバリにとって“唯一心を許しうる存在”だったセンテイの精神は、この時死んでしまった。残酷なことには、その生涯においてただの一度も彼女を顧みなかった実父の道連れとして。
 

「しょせん自分をこわすだけのそんざいの何が良いの」
 アスマはボンヤリとトバリを眺めた。

 あれから少しだけ背の伸びたトバリは、アスマに“不快”や“憤り”を晒すようになっている。
 タガが外れやすくなった表情にも増して声音は雄弁で、舌足らずな響きには冷淡ささえ含まれていた。産まれて初めて耳にする“敵意”に、アスマは酷く冷静にトバリの思考を推察する。
 この子どもは、何故“友達”という言葉に過敏に反応するのだろう。イタチを気に入った様子がない癖、アスマやヒルゼンが彼の人となりを伺うと言葉を尽くして褒める。家政婦の話では、二日に一度はイタチと会っているらしい。アスマが外に行けと言っても従わない。ヒルゼンの言葉には従う。ヒルゼンの思いつきに過ぎないアンケートも、至極真面目に回答者を集めてきた。
 そもそもアスマとトバリの会話がそれなりに続くようになったのは、アスマが「五分で良いからオレの顔見て喋れ」と言ってからだ。トバリの行動は他人の言動に縛られていて、その言動の優先順は彼女のなかにある序列が影響している。恐らく、イタチも何等かの要求を口にしたのだろう。トバリはイタチの意志に従っているだけで、自分の本意でイタチと会っているわけではない。それを“他人の曲解”で囃し立てられるから、こうも不愉快なのだ。

 アスマの想像以上に、トバリは他人と関わることを拒んでいる。
 トバリにとっての他人は皆、自分に寄り添って生きてくれるかもしれない命ではなく、些細な刺激で壊れてしまう“脆い心臓”に過ぎないのだろうか――センテイがそうだったように。
 アスマは煙を舌の上で転がして、じっとトバリの瞳を覗き込んだ。ほんの少し前まで硝子玉染みて無感情だった瞳に、感情の種火が宿っている。苦しそうだと、薄ら思った。
 この子どもには、もう後がない。またほんの四歳、トバリは自分にとってセンテイが如何いう存在なのかも知らないままに喪ってしまった。自分のなかにある感情を教えてくれる人間も居らず、ただ“自分の裡に入れた人間を喪えば、今度こそ自分が壊れる”と本能的に察している。

 人間は、如何でも良い人間の“心臓”の強度を気に掛けない。
 本当に如何でも良い人間の顔色など、窺わない。どれ程傷つこうと、例え命を落とそうと、如何でも良い。期待に応えたいと思うのは、好意があるからだ。好意があるから、嫌われたくないと思う。必要とされたいと思う。不快な思いになっていないか、気分を害してはいないか気に掛かる。
 トバリには、そういう当たり前の常識が欠落している。

 アスマは、トバリのことを可愛いと思う。
 不愛想で無口で礼儀知らずな上に生意気で、ヒルゼンの教養講座を受講しても尚アスマを呼び捨て、タメ口を利く。正直言って、世間一般の“四歳児”とは比べものにならないレベルで可愛げがない。でも、この子どもはアスマがヒルゼンを尊敬していることと、それ故の失望に翻弄されることを知っている。それは余程アスマの言動に意識を払った上で考えなければ分からないことだ。
 アスマの想像以上にトバリはアスマを見て、アスマのことを考えている。
 例えそれが“刷り込み”や“消去法”による関心だろうと、アスマはその事実が嬉しかった。しかしアスマがどれ程トバリを“可愛い”と思っても、トバリにはその愛情は伝わらない。
 アスマがトバリの身を案じ、その進退を気に掛けたところで、トバリはそうした関心が“無条件で自分にだけ寄せられるものだ”とは理解しないだろう。自分のなかにある好意さえ理解出来ないのに、他人から好意を向けられて嬉しいはずがない。賢ければ賢いほど、理解の及ばないものに恐れを抱く。アスマやヒルゼンが好意を寄せたところで、この子どもは恐慌状態に陥るだけだ。
 恐慌状態のなかで、トバリはイタチやヒルゼンたちを傷つけないよう“良い子”にしている。

『ともだちが死んだきずは、なにがわすれさせてくれたの』
 そうやって、誰にも見せられない闇をアスマの前でだけ口に食む。
 これは多分“甘え”なのだ。

「さーな……」
 真意の見えない問いを思い返して、アスマは皮肉っぽい笑みを漏らした。
 口元から離した煙草の灰が膝に落ちる。じくじくと、静かな炎が葉を蝕んでいた。どんどん丈が詰まっていくのを見ても、アスマは別段惜しいとは思わない。ヒルゼンと違って、アスマは嗜好の合致で煙草を吸っているわけではなかった。んっとに、無駄に聡いよ。アスマはため息をついた。
「オレはダチを忘れたいと思ったことがねえから、わかんねーわ」
 こんな時、父親なら如何答えるだろう? 思考の隙を突いて浮かんできた本音を認めて、アスマは携帯灰皿に煙草を押しつけた。人を殺すのは簡単でも、大人になるのは難しい。


 アカデミー卒業後、アスマは通例に則ってスリーマンセルの班を組んだ。
 班員は気心の知れた紅と、もう一人――自分より二年早くアカデミーを卒業した同い年の少年。
 感情の起伏に乏しい“彼”は気の強い紅と飄々としているアスマの間に挟まれて、いつも口数が少なく、何を考えているのか分かり辛かった。たまに一言二言口にしてもキツい指摘が殆どで、他人の感情をお構いなしで自分の“ルール”を決して曲げない。調和を良しとするアスマは、和を乱して悪いとも思わない彼のことが苦手だった。今でこそトバリ曰くの“脆い心臓”を守るためだったのかもしれない”と思うが、当時九歳のアスマはしょっちゅう彼と衝突していた。
 しかし性格に難を抱えているのが問題視されないほど優秀な少年で、三人で挑んだ初の中忍試験で中忍昇格に嗅ぎ付けたのは彼だけだった。同期が集まると“カカシとどちらが強いか”とか、“どっちがより人間的に欠陥を抱えてるか”とか、そんな無礼な話をしたものだ。

 ゆくゆくは火影かとさえ冷やかされた彼は、疾うに慰霊碑に居を移している。
 詰まらない罠に引っかかったをアスマを庇って、片足を喪った。もう一方も辛うじてくっついているだけの状態で、とてもじゃないが医療忍術をアカデミーで齧った程度の紅の手に負える傷ではなかった。元々アスマ達がアカデミーを卒業した年には医療忍術を得意とする下忍が少ない。
 本来なら同時期に卒業した人間だけで組まれる班に、彼が混じってたのも人員不足が理由だ。大戦末期の混迷のなかで、最初からアスマと紅は卒業後すぐに戦場に出る手はずになっていた。
 だからこそ医療忍術よりも幻術、補助攻撃型の紅・攻撃特化で体術の成績も良かったアスマに合わせて、二人より一年早く実戦登用されていた下忍が選ばれたのだ。
 くの一クラスでは得手不得手関係なく全員に医療忍術を教えている。切り傷の縫合程度なら、アスマも教わった。簡易医療パックの所持も徹底されていた。そうした背景を踏まえても、アスマたちの班はまず手傷を負わないことを前提として組まれた――綱手があんなにも厳しく徹底普及を敷いた“スリーマンセルに医療忍者を加えるスタイル”を軽んじた構成だったと言っていい。
 人員不足もあるが、提言者である綱手自身が第三次忍界大戦において前線へ赴かなかったのが大きいだろう。尚且つ後方での治療活動にあたるわけでもなく、里で医療技術の汎用化に勤めていたのだ。綱手を除けば、上層部はまだ古色憤然たる忍道を良しとしている。前線から遠く離れて教鞭を振るう綱手の目など如何様にでも誤魔化せたに違いなかった。
 医療忍術の習得には向き不向きがあるばかりか、学習に掛けた時間以上の知識・技術が得られない。幾ら人命重視の傾向が強くなっていたとしても、あの当時は全ての班・小隊に行きわたるほどの医療忍者を育成している余裕などなかった。きっと“仕方ない”と言うべきなのだろう。

 くの一を医療忍者として数えた杜撰な構成は、アスマの班以外にもチラホラ見受けられた。
 そうした班には全滅したところもあれば、運よく班員皆が大戦を生き抜いたところもある。恐らく綱手の功績は班員に医療忍者を組み込むことで各班の生存率を上げるということより、前線における医療技術の重さを知らしめたことなのだろう。簡易医療パックの徹底所持、そして応急処置技術がアカデミーで必須科目として扱われるようになったのは綱手の尽力によるところが大きい。
 生存率をあげるために普及したはずなのに、その知識故に彼は結論を急いだ。足止め役の上官は戻ってこない。幾らアスマのほうが体が大きかったとはいえ、いつまでも足手まといを負ぶっていては追っ手に捕まる。足がない以上、もう忍としてはやっていけない。

 乏しいチャクラで掌仙術を繰り返す紅の手を振り払って、彼は忍刀で自らの胸を貫いた。

『生き残ったところで、もう忍としてはやっていけない。それに、僕には』
 僕はもう良いんだ。君たちは倫理にも忍の心得にも則った正しい判断をした。何も間違っていない。これで良い。繰り返しアスマたちに言い聞かせる優しい声音が、初めてみた笑顔だった。真っ白な頭で、彼の最期の台詞を頭の中で繰り返しながら二人で里へ戻った。
 戦争が終わる、その日まで、彼の声がアスマの背中を押した。これで良いんだと、肯定してくれた。本当に、これで良かったのか? 引き留めることが出来たんじゃないのか?

 僕には……その言葉の続きが何だったのか、それを知ったのは大戦直後のことだった。
 アスマたちと出会う前、アカデミーを卒業してすぐスリーマンセルを組んでいた仲間も、担当上忍も、彼の目の前で死んでいた。父母に加えて弟までも喪い、天涯孤独の身であるのは生前から知っていた。でもアスマが卒業するまでの二年、彼の身に何があったか思い馳せたことはなかった。
 父親の目を盗んで写し取った忍者登録書を読む限り、前の班での素行に問題はない。
 要するに彼が和を無視したのは――彼は、それを喪ったら今度こそ自分が壊れることを知っていた。アスマと紅より先に死ねるから、あの少年は笑いながら息を引き取ったのだ。

 父も母も弟も仲間もいない孤独のなかで、彼は命を絶った。
 大人になりたい。そんな他愛もない未来を夢見る時間もなく、彼は一人前の忍者として、木ノ葉隠れの里を守る道具の一つとして潔い最期を迎えた。慰霊碑に刻まれるに値する“英雄”だ。
 アスマは彼に英雄になって欲しかったわけではない。
 アスマはただ、彼に生きて帰って……自分と友達になって欲しいだけだったのに。

 戦後、度々考えた。何故最後まで足掻こうと、引き留められなかった?
 多分、アスマのなかに迷いがあったからだ。自分たちは何のために戦っているのか――忍者は所詮争いあうことしか出来ないのだろうか。なんの希望もない未来なら、これ以上の地獄を見るなら……そんな諦めがなかったと言えば嘘になる。子どもたちは理由を見つけられないまま戦場に追いやられて、何もわからないまま死んでいく。そんななか、アスマは運よく生き延びた。
 死にたかったわけではないし、生きる縁がないわけではない。ただ、それは他人を殺し、仲間の死を看取ってまで縋りたい縁なのかと疑問に思うことがある。生きていれば、アスマは何度でも彼を思い出すだろう。彼に感情がないと決めつけて、その孤独を、あの絶望を自分に都合のいい慰めとして捉えた浅ましさを、アスマは永遠に忘れない。忘れられるはずがなかった。
 彼の自死を大戦中の“仕方ない”決断の一つとは、思いたくなかった。
 自分が彼を見殺しにした。そう思ったほうが余程――例え生涯罪悪感に苦しもうと、彼が“自分が大人になる未来”さえ拒んだ現実よりかはマシだ。一本道の絶望よりかは、ずっと救われる。

 アスマが見殺しにした孤独を抱えて、トバリはまだアスマの前で生きている。

 トバリはきっと、彼と同じに、アカデミーを駆け足で卒業するだろう。
 たった四歳で、頭も良いのに、トバリは忍者になることしか考えていない。自分に感情がないと思っている。この子どもは、もし足がなくなったらどんな選択をするのだろうと思うことがある。
 忍生命を絶たれた時に、誰か、自分よりずっと頼りになる友に傍にいて欲しい。
 誰でも良いから、この子どもが自分の命の価値を量るより先に、がむしゃらに「帰ろう」と引き留めて欲しい。その先の未来を、アスマは生きたかった。そして、彼に生きて欲しかった。


「ま、なんだ。お前はまだ子どもなんだし、鬱々としたこと考えんのはやめとけ」
 アスマは馴れ馴れしくトバリの頭を小脇に抱えこんだ。
 小さい体がビクリと跳ねたのも無視して、ワシャワシャと乱暴に頭を撫でる。
「明日晴れるっつーし、また南賀ノ神社んとこ行けよ。クナイ苦手なんだから、教わってこい」
「……アスマにはわたしが子どもに見えるの」
 じっとりとした沈黙のあとで、トバリが低い声を絞り出した。
「子どもじゃなかったら何だよ」アスマは口角をあげると、鼻を鳴らした。「お前が思ってるほど、お前は可笑しくねえ。お前よりバケモン染みた奴、戦場でゴロゴロ見てきたぜ」
 両掌で天を仰いで、フッとカッコつける。そうしたコミカルな仕草を前に、トバリは無表情だった。その大仰な言動が“この話はこれでおしまい”の合図だと知っているのだ。
 トバリがふいと読書に戻るのを確認して、アスマも表情筋を休めた。
 再び無音が支配する空間で、再び退屈と闘いながら雨が上がるのを――この子どもが他人に慣れるのを待つ。なんやかや、アスマにはトバリが乳幼児の頃から面倒を見てきた実績がある。
 アスマには煙草の味が分からないし、たかが四歳児の質問に答えることも出来ない。絶望の淵で自ら落ちていった友を引き留めることも出来なかった。しかしトバリの扱いに掛けては、父親より俄然上だろう。アスマは出しっぱなしの携帯灰皿をポーチに仕舞って、苦笑した。
 大人がいつだって、何でもアスマより上手く出来るわけではない。

 アスマは“この子どもは普通の子どもではない”と思っていた。
 父親が、トバリの背後にある何かを警戒しているのも分かる。トバリが、自分のなかに誰も、何も入れたがらないのも分かる。“ずっと、こんな風なのかな”とも思う。
 どちらにせよ、アスマはこの子どもを“普通の子ども”だと信じることにした。自分がトバリに向ける好意の根底が偽善でも、同情でも、代償行為でも何でも良い。少しずつ進んでいるのか、沈んでいるのかも分からない暗闇で、今度こそアスマは“この手”を離さない。
 
 いつの日か……トバリが最後の最後まで一緒に生きたいと望む相手に出会うまで、決して。


◆ ◆ ◆


 遺品整理と退去手続きのため訪れた部屋のなかで、アスマは途方に暮れた。
 ほんの半刻で終わりそうな作業のために、兼ねてから気になっていた女子からのお誘いを断ってしまった。部屋のなかには家電どころか食料もなく、本当に最低限の寝具と忍具しかない。
 黙々と拭き掃除に励む紅の脇で、アスマは必要以上に落ち込んでいるポーズを取って、こっぴどく叱られた。その叱責に覇気がなかったのは、紅もアスマと同じ気持ちだったからだろう。自分たちとの思い出が何一つない部屋のなかで、二人は否応なしに“自分はあいつの人生の一部でなかったのだ”と理解した。続いて湧き上がる疑問から目を背けて、互いに清掃作業に勤しむ。
 ものの二十分で傍目には新居同然になったのに、どこからか鉄の錆びた匂いが漂ってくる。
 死体を隠す場所もない、至って平凡な1LDKだ。それなのに、押入れか、天袋か、もしくは自分たちの鼻孔の奥から、至る所に血の匂いがこもっている。
 生きるというのは、そうした匂いを忘れていくことで、煙草の煙を吸うと過去が見えなくなって気が楽だ。シンクにもたれながら呟くと、衣類を片していた紅が「キザね」と鼻で笑った。
 吸い慣れない煙草に四苦八苦しているのを紅に気付かれないよう、窓の外を眺めながら、久方ぶりに洒落にならない軽口を思いついた。首だけで振り向いて、にっと悪戯っぽく笑う。
 お前、オレより先に死ぬなよ。お前の部屋を片すのは手間だろうからな。
 紅が呆れたように長い息をついて、泣きそうな顔で笑った。祈るような声音が耳朶に触れる。


『あんたなんか、百回殺したって死にそうにないくせに』
 まあな、オレの心臓は百個以上ある。そう言った途端、紅は堰を切ったように泣き出した。
 嗚咽に震える背をあやしながら、早く大人になりたいと思ったのを覚えている。
 大人になれば、今よりもっと強くなるだろうし、少しは賢くなってるだろう。そうしたらトバリが納得する答えを口に出来るし、仲間を、紅を残して死ぬこともない。少年期のジレンマのなかで、父親のような大人になりたいとも、父親みたいにはなりたくないとも思った。
 アスマには最後の最後まで一緒に生きたい人が沢山いる。それは父母が屈託なく自分を愛してくれたからで、とても幸せなことなのだと、トバリと過ごす中で察した。
 そう考えると、少なくとも父親としては及第点だったように思う。アスマを愛してくれたし、今もまだ生きて、口煩く叱りつけてくる。ま、親父みたいな“父親”にはなってやっても良いな。

 眼窩に焼き付いた父の背を思い浮かべながら吸った煙草は、ひたすらに不味かった。
 それもそのはずで、アスマはまだ一つ目の心臓さえ持て余している小生意気な子どもなのだ。
百と一回目の死
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