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▼ 62 あなたは私の大切な人


どこにもいないイワンを探してリツは夕食後の運動も兼ねて校舎の周りをウォーキングしていた。
本当は走って体力を削りストレス発散してから眠りたかったが、食事の直後に走るのは腹痛を引き起こすので我慢だ。

ところどころ雪が溶けアスファルトが覗いている。
明日も天気が良いらしいので、きっと雪はすべて溶けてしまうだろう。

春は確実に近づいてきている。

すっかり日が落ちて暗くなり随分と視界が悪いが、ごちゃついた立体建設のダウンタウンに建つヒーローアカデミーには周囲のビルから漏れる光で真っ暗になることは無い。

目を凝らしてグラウンドに人影がないか探し、見つからないと一つ小さくため息をついた。
もちろん捜索の対象はイワンである。

ポケットの中の箱にはハンナと一緒に作ったガトーショコラが入っている。
甘すぎずほろ苦いガトーショコラは試食の段階で好評だった。
イワンにはガトーショコラ。エドワードを含めその他は大量生産の容易いトリュフである。

少し照れくさかったが、イワンにはカードを添えてあった。

お菓子を作る時は楽しかったが、カードにメッセージを書く時は緊張したし中身の文章もウンウンと唸りながら考えた。

ハンナは「ストレートに気持ちを」とか、「普段言えないことを」とか簡単に言ってくれるが、ニホン育ちのリツにとってそれはだいぶハードルが高く、メッセージの作成にはかなりの時間を要した。
何度も書き直して、破棄したカードは十枚以上。

ああでもないこうでもないと机に向かい唸るリツにハンナはあきれていたが、それでも応援してくれたのだからいいルームメイトに出会えたのだと思う。


ぐるりと校舎の周りを一周し、今度は体育館へと向かう。
ため息とともに空を見上げればよく晴れ月と星が綺麗に見えた。

(あの時もこんな感じだったなぁ)

リツはクリスマスイブのパーティを思い返し、口元が緩んだ。
中庭から見えた星空は今よりももっと美しかったように思える。

(久しぶりに中庭行ってみようかな)

もうクリスマスツリーは片付けられ、白茶けた芝生とベンチしかないだろう。

イワンとリツが付き合うことになる、その前日の夜の出来事はたった2か月前のことなのに随分と前の出来事のような気がした。









「一応甘さ控えめに作ったんだけどね。 苦手なら無理に押しつけたりしないけど」

中庭のベンチにはイワンがいた。
後ろ姿しか見えなくてもあのプラチナブロンドを見間違えたりはしない。

驚かせてやろう、と小さないたずら心のままにそろりそろりと足音を消して近づいた。
わ、と声をかけようとした時にイワンから発せられた言葉に思わず気が抜けてしまった。

いやだよ、なんて。

「リツ!? な、な、なんで、ここにっ?」

肩を震わせ、リツの方に振り向くかと思えば、ビタリと肩を上げたまま固まってしまい動かなかった。
リツは今度は足音を消さずサクサクと芝を踏みしめイワンの隣に腰掛けた。

「全然見つからないから、渡せなかった」

ポケットの中から小さな箱を取り出してイワンの膝の上に置いた。
「今日ずっと持ち歩いてたから崩れちゃってるかもしれない。 休み時間もすぐどっか行っちゃうし」

「これ、僕に?」
「当たり前だよ。 ……今日は平日だけど、さ。 イワンは私の彼氏でしょ」

イワンは膝の上に置かれたプレゼントをじっと見つめた。
リツが昼間、ほかの男に渡していたものと随分違う。

「私さ、知らなくて」

リツは両足をまっすぐ前に投げ出し、ずるりと体を前にすべらせた。 ハンナがこの場にいたのなら行儀が悪いだの女子力が、だのとチクリと注意するに違いない。

「こっちにも友チョコ文化があって、恋人がいる人はなるべく受け取らないって。
知らなかったからさ、えーと、一回受け取ったやつ、女子以外からのは全員返してきたよ」

「え?」
もしかして、とイワンは目を瞬かせた。

「男子にあげたのはイワンとエドワードだけ。 それしか用意してないし、もらったのは返した」

失恋しかけても食欲が落ちずケーキまで平らげたリツからすれば、美味しそうなお菓子を返却して歩くのは少し、ほんの少し辛いものがあった。
けれども何より大事なことを蔑ろにしたくなかった。

「……ほんとに?」
「なにが?」
「その、僕とエドワードだけ、って……」

俯いたまま小さな声で確認する。
リツが言ったことが本当だとしたら、自分は本当につまらない勘違いをしていたことになる。

「ほんとだよ」

リツは笑って、それからイワンの膝の上の箱に手を伸ばした。

「あ……」
イワンから箱を取り上げ、ラッピングを解く。
中のお菓子を同封していたピックで刺し、イワンの口元に差し出した。

「あーん」
「あ……!? えっ!?」
「あーん。 ほら、食べてくれないの?」

なにを、とそこでやっとイワンは顔を上げリツの顔を見た。

「イワンは他人の手作り系はアウト? じゃあ私が食べ「た、食べる!」

ガトーショコラを引っ込めようとした手をつかみ引き寄せ、イワンはパクリと一切れ頬張った。

「……おいしい?」
もぐもぐと咀嚼するイワンの頬がみるみる朱に染まってゆく。

(な、な、なんて、ことを……! 咄嗟だったけど! リツの手を! 手から!! )

ごくん、と飲み下し、手を掴んだまま消えそうな声で応えた。

「お、おいしい、です」
「あは、よかったー!」

おいしいと告げればほっとしたようにリツは顔を綻ばせた。


ほろ苦く甘いガトーショコラを更にもう一つ、もう一つとリツがイワンの口もとに運ぶ。

それを咀嚼して飲み下す度に、妙な勘違いも嫉妬心も劣等感もいつの間にか消えて、
後にはカカオの香りが残る箱と、カードのみが残った。

「じゃ、寮に戻ろ。 ゴミは捨てとくから」
カードに手を伸ばそうとしたイワンをかわし、リツはサッと空になった箱を閉じた。

「……ねえ、リツ、箱にカードみたいなのが」
「何のことかなぁ、私にはサッパリ。 はい戻ろー!」
「見せてよ」
「ただのゴミでーす」
「ただのゴミなら僕が捨ててくる」
「いやいやお気になさらずに」
「気になる」
「だめでーす! ちょ、だめだってば!」

イワンは逃げるリツからサッと空箱をかすめ取った。
取り戻そうとするリツをかわしながら箱を開けカードを見た。

【You're my Valentine.】


たった一文。 短い文字列。

それでも気持ちが形になり、言葉がこの手の中にある。

あれだけ痛みを主張していたイワンの胸にじんわりと暖かいものが広がった。

「ありがとう、リツ」
「!」

(でた! イワンの可愛い笑顔!! か、かわいいいいい!!)

思わずリツは胸を抑えた。 イワンの笑顔とともに矢でも飛んできて刺さったかもしれない。
そんな幸せな痛みがつきりと主張し、リツの頬にもイワンに負けないくらいの赤みがもたらされた。

「あの……はずかしいから……読んだなら捨てて。」
「いやだよ」
「だめ」
「大事にする」
「だめです」
「ありがとうリツ」
「あっ どういたしまし……いやいやいや騙されないからね、捨ててよ? まじで。 おねがい。」

「……リツ」

英語を学ぶ上での例文そのままのフレーズにつられそうになりながらも軌道修正をした。

イワンは空箱を取り返そうとするリツの手を掴み、そのままリツの体を腕の中にぎゅ、と閉じ込めた。

「!」
「休日じゃないけど、いいよね」

今が夜で本当に良かった、とイワンは心の中で苦笑した。
昼間のように明るければ、きっと自分からこんなことはできない。

ちゅ、とイワンはリツの頬に唇をくっつけた。



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