▼ 61 いやだよ
「……イワンに、会えない」
放課後、やっと男子からのプレゼントやカードを返し終えたリツは寮の談話室で項垂れていた。
トレーニングウエアのポケットは不自然な膨らみがあり、その中身はイワンへのプレゼントだ。
談話室のソファにぐだりと行儀悪く凭れていた。 全く会えない。
忙しければ仕方の無いことかもしれないが、それがバレンタインの日であるというだけでこんなにも気分が沈むものなのだと、リツは深くため息をついた。
「夕食の時間にもいなかったわね。 誰かに擬態して食事してたりは「しない! それならわかる!」
食い気味にリツは応えた。 単に擬態しているだけならば、それがイワンであることくらい見破る自信があった。
「ケディくんに頼んだら?」
「……自分で渡したいじゃん」
「それは──そう、ね。 メールはしたの?電話は?」
「メールした。 電話もした。 返事は無いよ」
ならば談話室にいれば通りかかったイワンを捕まえることも出来るだろうと夕食後からずっといるのだが、一向に現れる気配はない。
「リツ、無自覚に何かやらかしてたりとか」
「無自覚ならわかんないよお手上げ」
「カレリンくんはチョコレートや甘いものが死ぬほど嫌い、とか」
「だったら逃げずに言えばいいじゃんかぁ……」
リツの声がどんどんしぼんでゆく。 恋というものは厄介だ。 ただ一つ成しえないだけでこうも気落ちしてしまう。
「カレリンくんの部屋に直接……はちょっとね、今日はちょっと人目が気になるしね……やっぱりケディくんにカレリンくんが何か言ってなかったか探りを入れてもらうのがいいんじゃないかしら」
うーん、とリツはお揃いのステッカーを貼った携帯電話を見つめた。
「いや、イワンとっ捕まえて直接聞く」
「そう? なにかあったらいいなさいよ。力になれるか分からないけど、協力するわ」
「ありがとハンナ」
エドワードに聞くのは簡単だ。
けれども恋人なのだから、出来れば二人で解決したかった。
今更ではあるが、友人と言えど何もかも筒抜けというのも決まりが悪い。
はあ、と溜息をつきリツは談話室を出た。
*
何が悪かったのだろうか。
イワンは人気の無くなったアカデミーの中庭のベンチに座り背を丸めて顔を覆っていた。
中庭に積もっていた雪は溶けところどころ枯れた芝生が顔を覗かせている。
最近の平均気温は緩やかに上っているがまだ二月。 日が落ちてしまえばぐっと気温が下がり冷え込む。
携帯電話には着信があったことを知らせるランプがチカチカと点滅していたが、チェックする気にはなれなかった。
(本当は、あの日系の人が好きなのかな……)
自分とは真逆のハキハキとものを言い社交的。
いつだったか授業で見たネクスト能力はジャンプ力の強化。
(僕よりヒーロー向き……)
はあ、と何度目かわからないため息をつく。 白いもやと一緒に悩みも外に出てしまえばいいのにと思った。
体育館への渡り廊下から外に出て10メートルも歩けばこの中庭にたどり着く。
クリスマスイブのパーティにリツがイワンを誘ったのもこの中庭、パーティでガチガチに緊張したイワンを真っ赤にさせたのもこの中庭。
そこまで思い出してイワンは手の甲を見た。
(……ここに、キス、されて、)
その時の感触をありありと思い出してしまい、イワンの頬が熱くなる。
(パーティで、耐えられなくなって、ここに逃げてきて……もう一度リツと一緒に踊って……)
緊張したけれど、楽しかった。 心臓はバクバクとうるさいし、顔も耳もあついし、リツに覗き込まれたり、触れられると今でもカチンと固まってしまいそうになる。
好きだ、と自覚してからは余計にリツが気になって、つい目で追ってしまうけれど、目が合うと逃げ出したくなった。
晴れて両想いになった今でも好きだと思えば思うほどそれと同じだけの不安がイワンに押し寄せる。
対人格闘の授業ではリツとペアを組んでいようが、一度でいいから、と言われひっきりなしに誘われて、それでもイワンと先約があるからと毎度断っている姿をよく見るし、
本当は自分なんかよりもっと格闘技の強いクラスメイトと組みたいのではないかと何度も考えた。
それでもその一言を口にしてリツが離れていくのが嫌だった。
食事も人付き合いが苦手なイワンに合わせ、リツがエドワードやハンナ以外を同席させることは無く、ほかの生徒から声をかけられても約束があるだとか、また今度、と、断っているのを知っている。
たまにはほかの友達と食べなよ、なんて気の利いたことは言えない自分のわがままや独占欲にリツは愛想を尽かしてしまったのかもしれない。
でなければバレンタインに他の、それも自分と真逆の日系の男にプレゼントを渡すなんて考えられない。
(いやだよ、どうしよう)
目を閉じても何度も何度もあの光景がよみがえる。
見たくないのに何度も再生されその度にじくりじくりと胸が痛んで苦しい。
ヒーローアカデミーに入れただけで良かった。
ヒーローになるのはどこか無理だと頭の中では理解していて、それでもヒーローを目指していたという事実ただそれだけで良かったはずだった。
それがどうだろう。
今まで人付き合いが苦手で友人なんて望めなかった。
人を好きになって恋をしたのは初めてだった。
友人を作るなんて、ましてや両想いだなんて夢の夢だと思っていたのに。
一度手に入れてしまったものを失うのが、こんなに苦しいだなんて、知らなかった。
胸を抑えて嫌だ嫌だと心のうちで唱えるうちに、ぽつりと口からもこぼれた。
「いやだよ……」
「えっ? そんなに私からのチョコ嫌だったの!?」
真後ろからした声に、イワンはビタリと固まった。
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