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▼ 53 土下座再び


イワンがシャワーを浴びて出てきた頃、リツはソファに倒れ込み寝ていた。
規則正しく深い呼吸。

暖房の効いた室内だが、薄着のパジャマのままでは風邪をひきかねないとイワンはリツに声をかけた。

「リツ、寝るならベッドに行こう」
「……」

返事はない。
深く眠っているようで、軽くゆすってみても全く起きる気配はなかった。

仕方ないな、とイワンはリツを抱き上げた。
背には極力触れないよう横抱きではなく子供にするように腰と脚を支える縦抱き。
抱き上げる時に揺れるので、その揺れで起きるかと思えば手はダランとしており、なかなかツワモノだとイワンは苦笑する。

リツの部屋に入りベッドにそっと下ろせばふるりとリツは身を震わせた。

「寒い?」
「イワ……さむい……」
薄目を開けてはいるが見えていないのだろう。黒目は動かなかった。

「……ちょっとだけ、いてよ」
シャワーを浴びたばかりの、ほんのり湿り気を帯びた暖かさが名残惜しいのか手が伸びてきてイワンのタンクトップを掴んだ。

「っリツ?」
「イワン、あったかかっ……」
ぐい、とリツはさらに引っ張る。
眠気に勝てなかったのだろう、言葉が途切れるとともにパタリとイワンの服をつかんでいた手が落ちた。

「……」
イワンはそっと毛布をめくりリツの隣へと体をすべらせた。

ーーリツの体が温まるまで。

そう誰にともなく言い訳をして、バクバクとうるさい心臓に手を当て落ち着け、と深呼吸をして身を寄せ目を閉じた。














「…………」

迂闊だったとしか言いようがなかった。
背中に注がれる殺気。

目を閉じていてもやり過ごせるはずもなく、イワンはついに観念してがばりと起き上がると素早く床に正座をしてそのまま流れるような所作で土下座をした。

まずは姿勢を正し、右手左手と多少タイミングに差をつけて前に出し床に指先をつけて頭を下げる。
サ、サ、ビシ、とスムーズに、そして素早く土下座の体制を取った。

「無駄に綺麗だなオイ」

深夜、リツの兄が帰って来た。
ほんの少し一緒にベッドに入り、リツの体が暖まったら抜け出すつもりだった。
しかし、

(いい匂いだし柔らかいしっ )
あと少しだけ、少しだけと欲が出た。
火傷や傷のない位置は確認出来ていたので、触れても平気な腰に手回し『あと少し』と目を閉じたのだった。

バクバクとうるさい心臓と、疚しい心のおかげで眠気などやってくるはずもないと思っていたが意外や意外、『あと少しだけ』と欲張っているうちにすこんと眠りに落ちてしまったのである。

「……まあ、オレも男だから気持ちは分かるけど」
「……な、なにもしてませんっ」
「え、何もしてねェの?」
「ち、誓って何もしてません……」

それはそれで色々多感で色々興味のあるお年頃の男としてどうなんだ、
とリツの兄は思ったが暗にヘタレと言うようなものなので何も言わないでおいた。

「まあ、俺もいきなり来て悪かったわ。顔上げろよ、コイツの具合はどうだ」

お咎め無し。
意外な結末にイワンは恐る恐る頭を上げた。

「あ……リツの声は出るようになりました。 目は光を感じる程度には回復してます」

イワンの報告にリツの兄は「早いな」と目を見開いた。
「そっか。 オイ寝たふりムスメ起きろ」

え、とイワンはベッドの中のリツを見た。

「あはー……おかえり……」
「ただいま。目の調子は変わらずか?」

むく、と起き上がりリツは目をこする。
「だいぶ見えるようになったよー。 あともう一息かなぁ……ぼやーっとしてる」

リツの深刻にイワンは安堵の息を吐いた。
このペースならば明日中にでもあとは怪我のみだ。

「そりゃ良かった。 自力でアカデミー戻れそうか」
「うん」

リツが頷くのを見てリツの兄は携帯電話で時間を確認し、あくびをした。
「会社戻る。まだ待機中なんだわ」
「いってらっしゃーい」

さっさといけ、とばかりにリツは笑顔で手を振る。

目が見えるようになった言うことはアカデミーに戻ってもそろそろ問題ないということ。
そして、あと二日で冬季休暇は終わってしまう。
二人の恋人関係は休日限定。
もうすぐ二人は友人関係に戻る。

ベッドの中からリツは兄を見送り、玄関のドアがしまる音を聞くと、イワンに手招きをした。

「なに、リツ」
「ねえ、もう夜遅いし早く寝よ」
「そうだね、じゃあおやすみ」

踵を返したイワンの服をリツが掴んだ。

「……リツ?」
「いいじゃん、さっきまで一緒だったんだし」
「!」

リツの目はぼんやりとだがもう見えている。
ぶわりと熱を持った顔を見られたくなくてイワンは振り向けずにいた。
「ねえ、二人の方があったかいし」
「……寒いの?」
「うん。」
「ーーリツがあったまるまで、だよ」
「ありがと、イワン。」

ぼんやりと見えるようになった恋人の顔。
たった二日見えなかっただけなのに、リツにとっては数年ぶりの再会のように感じられた。
手を伸ばせばすぐそこにいたというのに、おかしなこともあったものだとリツは内心苦笑する。

気はずかしいと感じるものの、リツが毛布を持ち上げイワンを迎え入れた。
イワンの胸に額をくっつけ目を閉じた。

大好きな人の、大好きな匂い。

多少イワンの腰が引けていたことには気づかないふりをした。



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