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▼ 51 妄想

「いわーん」

リツのベッドのそばでうつらうつらとしていると、リツの声が聞こえた。
慌てて飛び起きれば、ベッドの上で体を起こし喉をさするリツの姿が目に入った。

「リツっ」
「声出るようになった」
「よかった……」

ほぼ丸一日聞いていなかった声に、じわ、とイワンの視界が滲む。
「目はまだ見えないけど、三日くらいって聞いてたから……あーよかった」

リツは笑う。けれどもまだ声が出しづらいようで何度か咳払いをした。

「今何時?」
「えっと、午後の四時……結構寝てたね。お腹はすかない?」

うーん、とリツは考え込んだ。
背中がヒリヒリズキズキと痛いせいで正直食欲は感じない。けれどもこれ以上胃が空っぽの状態で薬を飲むのは気が引けた。

「イワンはお腹すいた?」
「うん、ちょっとね」

「なんかデリバリーでも頼む?」



薬を飲み、リビングのパソコンを立ちあげる。
「適当に食べたいの選んでー。 あ、お寿司食べる?」
「……お寿司は好きだけど……僕生モノ苦手で」
「じゃあ助六は?」
「スケロク?」
「うん。 いなり寿司と海苔巻きのセット。お魚は入ってないよ。検索して画像見てごらん」

入力して表示された画像を見れば、これなら食べれそうだとイワンは頷いた。

「助六寿司はね、歌舞伎から名付けられたお寿司なんだよ」
「なんと!」

「助六ゆかりの江戸桜っていう演目でね、助六さんと揚巻さんが出てくるの。揚巻さんは助六さんの恋人でね花魁なんだ」
「花魁!」

花魁の絵を見たことがあるイワンは目を輝かせた。
リツの目はまだ見えるようになっていないが、その様子がありありと浮かぶほどイワンの声は弾んでいた。
「揚巻さんの揚げはいなり寿司の外側のこと、巻きは海苔巻きのこと。
当時人気だった演目にちなんでこのセットのお寿司は助六って呼ばれるんだよ」

「なるほどっ」
「他にもタマゴとか食べられそうなやつ追加できるかもしれないし好きに頼んでいいよ。
兄貴からカード貰ったでしょ?」

そういえば、とイワンはテーブルの上を見た。
受け取ってから置きっぱなしになっている。

「リツはなに食べる?」
「……茶碗蒸し頼んどいて。あとは食欲ないや……」

ヒラヒラと手を振りリツはソファに座った。
痛みがあるとすぐに疲れてしまう。

「ねぇイワン」
「どうしたの?」
「……背中のさぁ、薬塗ってガーゼ取替えてくれたりとか……お願いできる?」
「っう、うん!」

ついに来た、とイワンは居住いを正した。
「お風呂も入りたーい」
「それは……体拭くだけって言われてるでしょ」
「そうだけど……」
はあ、とリツはため息をついた。

言おうか、やめておこうか、イワンは迷っていた。


僕が髪洗おうか、足だけでも洗おうか、タオルで体を拭こうか。


髪を洗うだけならバスタブの横にイスを持っていき、濡れないようタオルを首に巻いて頭を下げてもらえば可能だ。

足ならズボンをまくれば良い。

体を拭くのは……背中は火傷で拭けないのだからリツが分かる場所にタオルを用意すれば大丈夫。

一通りイワンの頭の中でシミュレーションをしてこれなら大丈夫だ、と申し出ようとした、その時。

『ねぇ、イワン……服、分からなくなっちゃった……着替えさせて……』

「!」
体を拭いた後の裸のリツが着替えさせて欲しいとイワンを呼ぶ姿が脳裏に浮かんだ。

(なっ、ななな何想像してるんだよ僕!!)


ブンブンと頭を振ってよこしまな妄想を追い出す。

(リツが心配だから一緒にいるんであって下心はない! 無いんだっ!)

言い聞かせるように心の中で繰り返し、イワンは熱くなった頬に手の甲を当てた。

(で、でも……包帯を解いたら前は……包帯巻く時に前の方に手を伸ばしたら……うわぁあああああっ)












「あー気持ちいい」
「痒いとこない?」
「だいじょーぶー」

シャカシャカとイワンはリツの頭を洗う。
もちろん首より下に水かかからないようにタオルで保護し、慎重に洗ってゆく。

「力は強すぎない?」
「ちょうどいいよー。イワンうまいね。毎日お願いしたいくらい」

毎日。
毎日リツとお風呂。
リツの怪我が治っても毎日一緒にお風呂。

「…………」
(な、な、なんてこと言うんだよぉおおおお!)

些細なことでも想像が膨らんでしまって、イワンは「冷静に、冷静に」と心の中で唱えた。

「……流すよ」
「うん」

シャワーを取り、コックをひねりお湯を出す。
手で温度を確認してリツの頭にかけてゆく。

白い泡とともに己の煩悩も流れていて欲しいと願ったイワンだったが、そう都合よくは行かなかった。

頭を洗い、乾かしたら今度は背中の手当が待っているのだ。



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