▼ 49 過保護
イワンから事情を聞いたエドワードは、先にヒーローアカデミーの寮に戻り、イワンの着替えを持ってくると言って、リツの兄が買ってきた菓子パンを食べて直ぐに出ていってしまった。
二人きり。
静かになった家の中。
『DVD好きなの見てていいよ』
リツはイワンの手に文字を書く。
「……いいよ。 リツ声出ないし、何かあった時に気づけないと困るから」
「!」
妙にイワンが優しい。イワンは普段から優しい性格をしているが、なんだかこそばゆくてリツは俯いた。
「痛む?」
ちがう、と首を振る。
痛むことは痛むが我慢出来ないほどではない。
リツはソファの背もたれに顎を乗せた。
背中側が痛いので行儀が悪いなどと言ってられない。
何か言いたいことがあると直ぐにイワンは察してリツの手を取る。
簡単な言葉なら口パクでも察してくれるが、全てを理解するのは難しいようだった。
(顔見たいなぁ……)
考えてみれば入学してから毎日、顔を合わせない日はほとんど無かった。
授業がない日も食事時には一緒に食べなくても姿は見るし、勉強だ、自主トレーニングだとなんだかんだ付き合う前から一緒にいた。
今は一緒にいるけれど視力が戻らないので顔を見ることが出来ない。
ふと思い立ち、ちょいちょい、とリツは手招きをした。
「……どうしたの」
イワンは手に書けるようにとリツの右手を自らの手のひらに乗せた。
リツはそのまま手、腕を辿り顔まで手を伸ばした。
「リツ?」
ペタペタとイワンの顔を触る。
『うーん……』
「どうしたの?」
『なんでもない』
「?」
近くにいるはずなのになんだか寂しい。
けれどもそんな弱気なことは言いづらくてリツは手を離した。
「見えないと不安?」
不安じゃないわけないよな、とイワンは口に出してからしまった、と思った。
けれどもいつも自信満々なリツが静かで(声が出ないので当たり前だが)元気が無いとまるで別人のように思えた。
『大丈夫』
「ほんとに?」
『大丈夫』
(昨日から大丈夫ばっかり……)
イワンはリツの手をまた掴まえた。
大丈夫、と繰り返すリツにイワンはほんの少し寂しさを覚えた。
(大丈夫、大丈夫って……僕のこと頼ってくれないのかな)
そろりとリツが立ち上がった。
「リツ?」
イワンも腰を上げるが、リツは大丈夫、とイワンの手を断った。
「……昨日からそればっかり」
『え?』
イワンの声色が沈んでいる。
どうしたのだろうと言葉の続きを待つが、イワンは何も言わない。
リツはソファの背もたれに手を置き、家具や壁を伝ってリビングを出た。
全く知らない所ではないので目が見えなくてもなんとなくは歩ける。
イワンはリツを心配して常に一緒に居たがる。
しかし文字通り四六時中一緒にいるわけにも行かない。
例えば、トイレとか。
例えば、着替えとか。
例えば、お風呂とか。
「…………」
いくらイワンがリツに擬態したことがあり、どんな体つきなのかをわかっていたとしてもなけなしの乙女心がイエローカードを出している。
寮の部屋で一緒に着替えたといってもアンリがいたし、
友人だった時と今では事情が異なる。
(……せめて見えてたらなぁ)
ごん、と肘をトイレのドアにぶつけた。
その音を聞きつけ、パタパタと足音が近づいてきた。
「リツだいじょ……ご、ごめんっ」
トイレのドアを開けているところを見てイワンはブレーキをかけた。
リツは苦笑いするしかなかった。
洗面所で手を洗い、ついでにこのへんに櫛があったかな、とリツは手を伸ばした。
ガシャン、と袖に引っ掛けなにかを落してしまった。
またパタパタと足音が近づいてきて、声がかけられた。
「リツ、どうしたのっ」
開けても良いものかと逡巡しているようで、扉の向こうから声が聞こえた。
リツは手を伸ばして扉を開けた。
『おとしちゃった』
イワンはリツの手を取り、そっと肩を抱いた。
「拾っておくから先に戻ろう」
なんだかイワンの対応がムズかゆい。
リビングでイワンを待っていれば、インターホンが鳴った。
ゆっくりとドアホンの方へと歩いていけば、イワンがエドワードだ、とつぶやいた。
リツは手探りで解錠のボタンを押す。
今のリツはどちら様かと尋ねることも出来ないし、カメラの映像を確認することも出来ない。
暫くして玄関のインターホンが鳴った。
「僕行ってくる」
『お願いしまーす』
イワンの過保護さに今は素直に甘えておこう、と遠ざかる足音を聞きながらリツは苦笑いを漏らした。
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