▼ 初夢で不安になる月
「…………」
ひどい夢を見た。
元々夢見の良い方ではないが、取り立てて今の夢は悪かった。
まだ夜の明けない深夜。
じとりと不快な寝汗でうなじに髪が張り付き、手で払っても気持ち悪さは消えなかった。
『裁判官さん、ごめんなさい、私……そんなつもりはなくて……』
申し訳なさそうにうつむくリツに何も言えない自分。
良い雰囲気だと思っていた。
デートに誘えば応じてくれたし、いつも笑顔で、何より役職呼びから姓へ、姓から名前呼びに変わった時は本当にうれしかった。
なのに。
『私……結婚してるので……』
夢だ。
ただの夢だ。
夢だとわかっているのに胸を抉るようなその一言に気が遠くなった。
「夢……?」
あまりにもリアルなリツの声、表情に不安になり思わずスマートホンに手を伸ばした。
発信履歴の一番上にあるリツの名前をタップして耳に当てる。
数コールの後、もしもし、と愛しい人の声が聞こえた。
『どうしたの、ユーリさん』
名前呼び。
なんだ、やはり夢は夢だ。
自分はついに夢と現実の境まで曖昧になってしまったのかと胸を抑えた。
「すみません、こんな時間に」
『いいえ、私もユーリさんの声聞きたかったから……』
「会いたい、と言ったら迷惑でしょうか」
『え、今ですか?』
「……すみません、あなたの都合も考えずに。 忘れてください」
『あ、あの! 私もユーリさんに…会いたいです』
リツの消えそうな声にクスリと笑い、クロゼットを開いた。
「では……今から会いに行っても?」
『はい』
シャツに袖を通し、適当に髪をまとめ、車のキーの入ったままのコートを持って部屋を出た。
*
「こんばんわ、ユーリさん」
「夜分にすみません」
リツの住むシルバーのマンションまで車を飛ばし、なかなか降りてこないエレベーターに多少の苛立ちを覚えながらも、早く会いたい、顔を見たい、直接声が聞きたい、と逸る気持ちが次々とユーリの中に湧いてきた。
やっと会えた。
中に入りドアが閉まるとコートも脱がないまま玄関でリツを抱きしめた。
「ゆ、ユーリさん?」
びくりとリツの肩がはね、どうしたの、と背中に手が回された。
「……夢を」
「夢?」
「あなたがまだ私のことを裁判官と呼ぶ時の夢を見まして」
夢を皮切りに記憶が蘇る。
『裁判官さん、ありがとうございました』
シンプルなスーツを来た、今より痩せてやつれた姿のリツがぺこりと頭を下げた。
頭を上げたリツは晴れ晴れとした顔をしていて、ユーリは『頑張りましたね』と声をかけた。
約半年ユーリとリツは家庭裁判所の一室で顔を合わせてきた。
「ユーリさんのことを……じゃああの時ですね」
リツも思い出したのか苦笑いをこぼす。
「夢の中で、あなたにふられました。結婚しているからと」
「……やっぱり気になりますか?」
ユーリはリツのうなじに顔を埋めたまま首を振った。
「私の手であなたの結婚に終止符を打ちましたから」
「ユーリさんに助けられました。」
リツはぽんぽん、とユーリの背中を叩いた。
「あの後ひとり祝杯を上げに行ったバーでユーリさんと再会するなんて思いもしませんでしたけど」
「……チャンスだと思いまして。
離婚したばかりの人を口説くのは良心が痛みましたが」
「でもそのおかげで一緒にいれるじゃないですか」
それでも不安なのはまだすべて手に入れていないからなのだろうとユーリはリツを抱きしめる腕に力を込めた。
今年こそはすべて手に入れようとユーリは固く決意した。
「ユーリさん、くるしいですよ……」
「わざとです」
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