▼ 涙の梅干し
大きなタッパーを風呂敷に包み、私はヨロヨロと歩いていた。
わかってはいたが重い。
一抱えもあるそのタッパーの中にはちょうど食べごろの梅干がぎっしりと詰まっている。
ベンチに置いて休憩していると、声をかけられた。
「リツさん?」
顔を上げるとそこにはイワンくんがいた。
「あ、イワンくん。久しぶりだね」
手を小さく振れば、彼は隣に腰掛けた。
「荷物が重くてね、休憩してたの」
笑って風呂敷包みを叩けば彼は大丈夫ですか、と心配してくれた。
「どこまで行くんですか?」
「あそこの茶色いビルの2階まで。 オリエンタルの和食レストランがあるのよ」
あそこの、と指さした先をイワンくんも視線で追う。
「そこまで持ちますよ」
「えっ? いいよ、これ重たいし」
「重いのなら尚更です」
かなり重いはずなのに彼はヒョイと軽々持ってしまった。
「イワンくんって力持ちなんだね」
「リツさんよりは力あると思ってます」
彼の笑みにドキりとした。
*
カラカラと軽い音を立てて木製の引き戸をあける。
木のお櫃の中に入り込んだような独特な匂いにふわりと包まれた。
「あらー、いらっしゃいリツちゃん。 重かったでしょう……あら?」
「大将こんにちは!知り合いに会ってね、持ってもらっちゃった」
対象の視線が私の横をすり抜けた。
ロックオンした先にはイワンくん。
「あらあらあらあら! ありがとうねぇー!」
くね、と大将はしなを作りイワン君の持っている風呂敷包みを引き受けた。
「二人とも、時間あるならちょっと座っていきなさいな」
お言葉に甘えてイワンくんと二人カウンターに座った。
「はぁ〜いお待たせ!」
無骨な黒い釉薬の大きめの茶碗がどん、と置かれた。
「リツちゃんの梅干で梅茶漬けよぉん」
黄金色の出汁が注がれ、海苔とゴマの香りがふわりと鼻に届いた。
「いい香りですね。お茶漬け、初めて食べます」
「あらっ!こんなカワイイ子の初めてになれて嬉しいわーっ」
イワンくんは苦笑いしている。
イワンくんはいただきます、と手を合わせレンゲで山を崩し、一口運ぶ。
それを見て私もいただきます、と手を合わせて口に運ぶ。
梅干しの酸味に唾液腺が刺激されジワリと唾液がにじみ出る。
となりでイワンが口を抑えて固まっていた。
もしかして
「イワンくん、梅干も初めてだよね……?」
涙目でこくこくとうなづくイワン君に代わって、
「大将お茶ぁ!!」
「ごめんねイワンくん。うっかりしてた……」
「い、いえ、美味しかったです」
涙目になりながらもイワンくんは完食した。
せめてハチミツ漬けならば良かったらのかもしれない。
私がつけた梅干は昔ながらの塩と赤紫蘇のみで漬けたものだ。
高い塩分濃度のおかげで保存料なしに常温保存ができるくらいのものだ。
漬けてから一年、まだ酸味が強い梅干は、オリエンタルの人でも一粒丸ごと食べる人はあまりいないと思う。
「今度お詫びに甘いものご馳走するね」
そう約束して彼と連絡先を交換した。
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