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「だっ……また来たのかよ!」
「あ、虎徹さん……」
リツはまたバーに来ていた。
家に帰っても、家具も何もかもキースと選んだ、キースとの思い出があるものばかりでつらいのだ。
前回と違うバーだが、ヒーローとしてではなく虎徹に会うのは三度目だ。
流石に今日は虎徹のお世話にならないようにしようとリツはため息を飲み込んだ。
「仲直り、出来なかったのか?」
「はい。失敗しました」
まあ座れよ、とカウンターの隣の席を勧めてくれたので腰掛ける。
「今日キースに会ったんだけどよ、すっげえしんどそうだったぞ」
「……わたし、どうしたらいいんでしょう……」
「くっついちまえ」
「……いいんでしょうか」
「いーぞ、俺が許す」
「虎徹さんテキトーすぎ」
ヒーローの名前のついたコーラを注文する。
よく冷えたそれは喉の奥でパチパチとはじけ、刺激が気持ちいい。
「怖いんです。」
何が。 そう虎徹の目が語っていた。
「キースの好きと私の好きが同じ意味なのか。もし違ってその関係が終わる時が来たら。やっぱり違うな、って思われたら……怖い」
今の関係を続け進展も後退もしないぬるま湯のような日常。
より深い幸せを知った後、それを失うのはつらいのだ。身を焼かれるような苦しみなんて、もう味わいたくないとリツはきゅ、とくちびるを結ぶ。
「まあ、失うのは辛いだろうよ」
その声を聞いてリツはしまった、と唇をかんだ。虎徹に愚痴るのはまずかった。彼も大事な人を失っているのだ。
「虎徹さん!」
聞き覚えのある声に振り向けば、バーナビーブルックスJr.がいた。
「よう!遅かったな」
「すみません。あの、そちらの方は」
(あ、そうだ。今はステルスリッターの姿ではないから、初対面なんだ。)
「おー、今話題のキースのカノジョだな!」
「!」
カノジョ、といわれリツの背がピンと伸びた。
「あ、は、はじめまして。リツ・ニノミヤです。それと彼女ではなくただ同じ部署で働いているだけです」
「リツちゃん、コイツはまあ、知ってると思うけど」
「バーナビーブルックスJr.さん、ですね」
顔出しヒーローとして彼はとても有名だ。
バーナビーブルックスJr.はじっとリツを見てーー観察しているようだった。
「ごめんなリツちゃん、今日コイツと飲む予定でさ、一緒にいいよな」
リツがステルスリッターの格好をしていれば一緒に飲んでも問題ないだろう。
しかし、
「流石にバーナビーブルックスJr.さんが一般人の女と一緒にいるのはまずいでしょう」
辞退した方が懸命だ。
ただでさえバーナビーブルックスJr.と共演したCMが原因でキースとの友人としての均衡が崩れてしまったのだ。
彼のせいではないとはいえ、やはり一緒には飲みづらい。
席を立とうとした時虎徹に手首をつかまれた。
「いーっていーって!な、バニー」
「かまいませんよ」
「…………じゃあ、すみませーん、何か飲みやすいカクテルお願いしマース」
「こらっ未成年だろ!」
バーテンダーが可愛いピンクのお酒を出してくれた。
取り上げようとする虎徹の手を抑え、IDカードを取り出す。
「未成年じゃなくなりましたので」
今日はリツの二十回目の誕生日だった。
幼い頃は誕生日が近付くにつれ楽しみでしょうがなかったのだが、今となってはそのワクワク感を感じることはなく、1つ年をとる日でしかない。
「ん?……お、おめでとう。っじゃなくて!キースといなくていいのかよ!」
「どう考えても無理ですよね」
両手で顔を覆い泣き真似をする。
視線を感じれば、やっぱりバーナビーブルックスJr.がリツを観察していた。
見ていた、という感じではない。
じ、とまとわりつくような、少しの変化も見逃すまいと真剣なその目に思わずたじろぐ。
まさかステルスリッターだとバレたのでは、と嫌な汗が背中を滑るが、背丈も違う、声も違う、大前提として性別も違うのだからそれは考えすぎだろうとリツは自分に言い聞かせた。
とりあえず曖昧に微笑み返して誤魔化すように甘い香りのカクテルを喉に流し込んだ。
*
「あの、リツさんって」
虎徹が電話で席を外した。
二人きりになったところでバーナビー・ブルックスJr.が口を開いた。
「はい?」
「キースさんとどんな関係なんですか?」
やっぱりそうくるよな、とリツは苦笑いを浮かべ答えた。
「彼とは仕事仲間ですね」
無難に返しておいた。なんだか、どんどん恥ずかしい事を知る人間が増えている気がする。
「今日、あなたに振られたと嘆いていました」
「!」
(え、キースってばそんなこと……まさかみんなに?!)
「あ、いやそれは……」
「虎徹さんのことがすき、とか?」
「それはないです」
おととい奥さんについて聞かせてもらったばかりですぐに惚れるほど自分はは惚れっぽくない、とリツは笑う。
日頃ヒーローとして現場やトレーニングセンターでの世話焼きでおせっかいなワイルドタイガーのことは好ましく思うが、それが思慕になることはなさそうだ。
「キースさんの事は、どう思っているんですか?」
結構この人もずけずけと来るんだな……
答えづらい質問に無難な言葉を選び答える。今はこれ以上のことは言えない。
「彼は、仕事仲間であり大切な友人です。」
くっついちまえ、と虎徹は言った。
はいそうですかと頷けるほど恋に馬鹿にはなれない。
こくり、とカクテルを一口を飲み下す。
「バーナビーブルックスJr.さん。口を出すのは簡単ですが、彼と私の間柄はそう簡単な問題じゃないんです」
キースはリツを縫い止めようとした。
リツが求めている言葉が何かを知っていて、その言葉でリツを誘った。
CMがバーナビーブルックスJr.とまるで恋仲にあるように見えたから。
あれはただの販売促進のためのフィクションだ。
その演技に何を見出すかは人それぞれだとバーナビーブルックスJr.は言ったが、
そこにキースはリツとバーナビー・ブルックスJr.の未来を見出した。
キースにとって相手がバーナビーブルックスJr.である必要は無い。
もしリツが他の誰かと恋仲であったのなら。
嫉妬、独占欲。
その根底にあるのは異性に向ける愛ではなく、拾った犬や猫に対する愛玩の情なのだとリツは思った。
自分ひとりに懐いていて欲しいという拙い感情。
それは違うと否定してみせたところできっとリツはそれを信じることが出来ない。
「何も無かったことにして、友人として……仕事仲間として彼の隣にいる事が」
「わりーわりー!ちょっと用事できちまった!俺帰るわ!バニー、リツのこと送ってってやってくれ!」
電話から戻ってきた虎徹は財布からシュテルンドル札を何枚か出し、テーブルに置いて出て行ってしまった。
気まずい。
虎徹がいないのにバーナビーブルックスJr.と二人でいるのはまずい。ゴシップになったらアポロンメディアに謝りに行かなくてはならなくなる。
「あの、私一人で帰「リツさんさえよければ、少し付き合って頂けませんか?」
にっこりと、それでいて有無を言わせないような笑みにバーナビーブルックスJr.の本性が見えた気がした。
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