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「ん?」
すっかり慣れた新しい地での生活。
シュテルンビルト市街地の端も端の方に引越し早数ヶ月。
鼻歌交じりに朝食後の食器を片付けているとかすかに聞こえたテレビの音声に手が止まった。
何事かとテレビにかけよれば映し出されている映像に目を見開く。
「え、タイガーさん?」
画面いっぱいに映し出されたタイガーさんの素顔。そして指名手配の文字に思考が追いつかない。
ーータイガーさん一体何やらかしたの!?
被害者の写真が映し出され、タイガーさんの指紋が現場から検出されたとマリオが読み上げた。
すぐにヒーローTVの中継に切り替わる。
「タイガーさん……どうなっているの?」
スマホで兄の番号を表示させる。
ワイルドタイガーがそんなことをするはずがない。彼は誰より『ヒーロー』なのだから。
だからこそ、指紋だけで指名手配をかけられる意味がわからない。
『……はい』
「ユーリさん、タイガーさんのニュース見たんだけど……」
『不思議なことが起こっていますよ』
「不思議?」
不思議なんてふわっとした事態じゃない気がするけれども。
『アポロンソーシャルシステムから鏑木T虎徹の情報が抹消されています』
「え!?」
『司法局ヒーローリストのワイルドタイガーの項目はアクセスできない状況です』
「ちょっとまって!司法局はともかくアポロンメディアの方はっ」
それって不正アクセスなんじゃ……
『このままだと、ワイルドタイガーが捕まり断罪されるのは時間の問題のようです。
何故かほかのヒーローは鏑木T虎徹がワイルドタイガーであることを認識できていないようです』
どういうことだろう。
テレビの画面を見つめながら思案し、一つの可能性を導き出す。
「ネクストの仕業?」
『おそらくはそうでしょう。 アポロンソーシャルシステムと司法局のヒーローリストに手を加えられる人物はそう多くありません。厄介ですね』
「ユーリさん」
『わかっていますよ』
「はい。……ご迷惑おかけします」
『お気を付けて』
クスリと電話の向こうでユーリさんが笑った。
通話を切り、乱暴にクロゼットを開ける。奥の紙袋を掴み引っ張り出せば手前のカバンや靴が崩れ転げ落ちた。
袋の中から服を引っ張り出す。
ーー懐かしいな、作業服。
色んなこと、とひとくくりに出来ないほど沢山のことがあった。
スティールハンマー像が動き出した時、スタチューオブジャスティスが盗まれた時、スカイハイに抱えられて飛んだ時。そしてジェイク・マルチネスがひきおこした事件。
それらすべてが、ついこの間のように思い出される。
もう必要ないと頭では理解しているつもりだったが、処分することが出来ずにクロゼットの奥に隠すようにしまっていた。
作業服に袖を通しヘルメット、ゴーグル、手袋にブーツを身に付ける。
タイガーさんのところへ行こう。
絶対なにかの間違いだ。
タイガーさんの正義がここで終わるはずがない。
*
バイクを飛ばしシュテルンビルト市街地を最短距離で突っ切る。バンケリングリバーの橋も走る車の間をすり抜け渡り、メダイユ地区に入る。チラリと上空を見ればヒーローTVと警察のヘリが飛んでいるのが見えた。
検問を飛び越え突破し、傍受した無線がよく聞こえるようにイヤホンの音量を上げた。
『Bカメ!今の黒いバイクうつして!』
久しぶりに聞いたアニエスさんの声。感慨に浸る余裕もなく、早速私は発見されたようだ。
『顔は!顔撮れないの!?』
あいにくフルフェイスのヘルメットだ。うつるわけがない。
『まさか……リツ?』
そのまさかだけれども、私からは何も返事を返すことは出来ない。
『一台はあの暴走してるバイクを追いなさい!』
確かにスピードは出しているけれど暴走ってほどではないと思う。
『やっと現れたね! さぁっ!!』
ドラゴンキッドの声だ。
『ターゲットは自分のアパートよ! GO!!』
『了解!』
「!」
今の、声は。
ほかのヒーローと重なる「了解」だったけれども、その中にスカイハイの声があった。
この気持ちはとっくに切り捨てたはずなのに、どこに残っていたのか胸が苦しくなった。
震える手をごまかそうと、きつくハンドルを握った。
街頭の大型モニターに映し出された映像でタイガーさんの家の位置を確認する。
モニターに見入る市民を弾かないよう右足を軸にバイクをターンさせ目的地に向かう。
間に合うだろうか。
まだ捕まらないでくださいタイガーさん。
タイガーさんの自宅に到着した時には既にタイガーさんはいなかった。
確保の声は聞こえなかったのでまだ無事だろう。
道路のマンホールの蓋がずれている。横目に確認して地下の構造を思い出す。
新たな工事がされていなければいいのだけれど。
後ろから道路を封鎖していた警官が怒鳴っているが、気にせず再びバイクを走らせる。
バリケード壊してごめんなさい。
タイガーさんが出てくる可能性のあるマンホールの中で一番人目につきにくい場所へと向かえば、案の定がたがたとマンホールが動き、その周りがうっすらと凍っていた。
中にいるのはタイガーさんとブルーローズのようだ。
静かに静かに能力を発動させ外壁を坂のように変形させて建物の上へとバイクごと登る。
「往生際の悪い男ね。 私から逃げられると思ってるの!?」
「俺だって逃げたくて逃げてるわけじゃねーんだよ!」
タイガーさんは走って逃げるが、行き止まりの袋小路に入ってしまった。
いつ接触しようかと様子を伺っては見るものの、なんだか飛び出しづらい。
バーでチップ……タオル……
タイガーさんは自分がワイルドタイガーであることを必死に説明しているが、冗談言わないでよ、と一笑のもと切り捨てられた。
「確かにワイルドタイガーの正体は誰にも明かされてない。 顔も名前もわからないからってよくもそんな図々しいこと言えるわね」
「!」
やっぱり!
記憶と情報の操作がされている。
タイガーさんのことを忘れてしまうなんてにわかには信じられない事象だったが、ブルーローズの言葉で確信する。
黒幕は、とても厄介だ。
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