「リコ」 トリコの姿に気づいたサニーは、静かにその名前を口にした。 トリコも彼の姿に目を丸くする。 「珍しいな。ここで会うのは」 ここは、IGOの研究施設の一角。 辺り一面、緑に覆われた地。その草海原の中心に、一本の大樹が根を張り、天にその腕を高く掲げている。 その枝に蒼衣が好きだった花が開く季節も、もうすぐ訪れる。 「どこに行く?」 トリコの問いに、サニーは顎をくい、と上げて示す。 その場所が自分と同じだった事に小さく溜息をつき、トリコは一歩踏み出した。 ココが暴走した日、蒼衣の治療に使われていた建物。 それは彼女の治療という役割を無くしたため、暫く放置された後、取り壊されていた。 現在の蒼衣の処置は、少し離れた場所に建てられた研究施設で行われている。 トリコはサニーと並んで、その建物に向かって歩いた。 時折強い風が、二人の足をさらうように吹き抜けた。 「最後に会ったのは3ヶ月くらい前か?・・・ココんちだったな」 「…おぅ」 「リンが連絡が取れねぇって心配していたぜ?」 「……まぁちょっとな」 トリコはサニーの様子を怪訝そうに見た。 「何かあったのか?」 サニーはフン、と鼻を鳴らした。 「レにもプライベートってもんがあるし」 「………失恋か」 「直球かよ!」 トリコは己を睨み付ける男の背中をポンと叩いた。 「ドンマイ」 「まえが言うな」 「世の中にはたくさん良い女がいるって」 「…そっくりな女もな」 トリコはサニーのいつもと違う様子に違和感を感じた。 が、それはすぐ目の前の男に気を取られた事で、頭の隅に追いやられた。 「あいつは…?」 「αだし」 アルファ、と呼ばれた男は、のそのそと前を歩いていた。 老いた体は酷く小さく、痩せて背中が曲がっていた。 その体が纏った白衣が風に吹かれ、空気を孕んで膨らみ、まるで何かの幼虫のように見えた。 その男はトリコたちが目指す施設ではなく、別の方向に進んでいる。…先の研究施設の跡地だ。 「そう言えば、奴の研究室は残ったままって言ってたし」 「……そうか」 建物の地下には、研究者単独の研究室があった。 能力のある科学者たちは、研究チームに加わっていない期間、各々で独自の研究をしていた。 またその研究は、IGOの要請によって一大プロジェクトに昇格する事もあった。 α以外の研究室の持ち主は、先の施設の閉鎖が決まると、次の施設内に用意された研究室へと移動していた。 移動を頑なに拒み、更地になった後もその場所に残ったのはその男だけだった。 「墓守のつもりかもしれないな」 トリコは目を伏せて言う。 「蒼衣の」 αは、蒼衣の治療に携わっていた医療班の一人だ。 医療班には医師と科学者が混在していたが、彼は後者だった。 蒼衣の治療のためのチームが組まれる時、αは自らその治療に加わりたいと志願した。 蒼衣の欠陥が何かが解明され、その治療法を検討した時、αは自身の研究が治療に役立つと発言した。 そして蒼衣の治療は、その男を長として開始された。 あの日蒼衣に最後の治療を施したのも、その男だった。 「今のチームには入っていなかったな」 男は今、自らの意思で蒼衣の処置から退いている。 「責任を感じてんのか?」 「それもあるが……奴にとって蒼衣は特別だったんだろうよ」 不意に、αと目が合った。 その醜い顔の窪んだ目は、トリコたちに会った困惑と狼狽、恐怖で満ちていた。 αはふらつきながら、逃げるように自身の道を進んでいった。 「……キモ」 サニーが言った。 「蒼衣って、何であんなヤツにフツーに話せたんだか」 「そういう蒼衣だから、奴が崇拝したんだろ」 「まぁな」 「それにオレは、あいつよりも気に入らない奴がいる」 「誰だし?」 「βだよ」 ベータと呼ばれている男は、αから以後の研究の権限を全て継いだ男だ。 研究者としては一流だったが、人間としては偏った男だった。 αがいる間はその背後で、常に何かを狙っている蛇のような眼をしていた。 「これから会うんだし?」 トリコは無言で頷いた。 「オレもβに言いたい事があるし」 「それは心強いな」 二人は草原の果てに見える建物に向かって、再び歩き出した。 ← → |