メビウスの指輪・4 2





「リコ」
トリコの姿に気づいたサニーは、静かにその名前を口にした。
トリコも彼の姿に目を丸くする。
「珍しいな。ここで会うのは」
ここは、IGOの研究施設の一角。
辺り一面、緑に覆われた地。その草海原の中心に、一本の大樹が根を張り、天にその腕を高く掲げている。
その枝に蒼衣が好きだった花が開く季節も、もうすぐ訪れる。
「どこに行く?」
トリコの問いに、サニーは顎をくい、と上げて示す。
その場所が自分と同じだった事に小さく溜息をつき、トリコは一歩踏み出した。

ココが暴走した日、蒼衣の治療に使われていた建物。
それは彼女の治療という役割を無くしたため、暫く放置された後、取り壊されていた。
現在の蒼衣の処置は、少し離れた場所に建てられた研究施設で行われている。
トリコはサニーと並んで、その建物に向かって歩いた。
時折強い風が、二人の足をさらうように吹き抜けた。
「最後に会ったのは3ヶ月くらい前か?・・・ココんちだったな」
「…おぅ」
「リンが連絡が取れねぇって心配していたぜ?」
「……まぁちょっとな」
トリコはサニーの様子を怪訝そうに見た。
「何かあったのか?」
サニーはフン、と鼻を鳴らした。
「レにもプライベートってもんがあるし」
「………失恋か」
「直球かよ!」
トリコは己を睨み付ける男の背中をポンと叩いた。
「ドンマイ」
「まえが言うな」
「世の中にはたくさん良い女がいるって」
「…そっくりな女もな」
トリコはサニーのいつもと違う様子に違和感を感じた。
が、それはすぐ目の前の男に気を取られた事で、頭の隅に追いやられた。
「あいつは…?」
「αだし」

アルファ、と呼ばれた男は、のそのそと前を歩いていた。
老いた体は酷く小さく、痩せて背中が曲がっていた。
その体が纏った白衣が風に吹かれ、空気を孕んで膨らみ、まるで何かの幼虫のように見えた。
その男はトリコたちが目指す施設ではなく、別の方向に進んでいる。…先の研究施設の跡地だ。
「そう言えば、奴の研究室は残ったままって言ってたし」
「……そうか」
建物の地下には、研究者単独の研究室があった。
能力のある科学者たちは、研究チームに加わっていない期間、各々で独自の研究をしていた。
またその研究は、IGOの要請によって一大プロジェクトに昇格する事もあった。
α以外の研究室の持ち主は、先の施設の閉鎖が決まると、次の施設内に用意された研究室へと移動していた。
移動を頑なに拒み、更地になった後もその場所に残ったのはその男だけだった。
「墓守のつもりかもしれないな」
トリコは目を伏せて言う。
「蒼衣の」

αは、蒼衣の治療に携わっていた医療班の一人だ。
医療班には医師と科学者が混在していたが、彼は後者だった。
蒼衣の治療のためのチームが組まれる時、αは自らその治療に加わりたいと志願した。
蒼衣の欠陥が何かが解明され、その治療法を検討した時、αは自身の研究が治療に役立つと発言した。
そして蒼衣の治療は、その男を長として開始された。
あの日蒼衣に最後の治療を施したのも、その男だった。
「今のチームには入っていなかったな」
男は今、自らの意思で蒼衣の処置から退いている。
「責任を感じてんのか?」
「それもあるが……奴にとって蒼衣は特別だったんだろうよ」

不意に、αと目が合った。
その醜い顔の窪んだ目は、トリコたちに会った困惑と狼狽、恐怖で満ちていた。
αはふらつきながら、逃げるように自身の道を進んでいった。
「……キモ」
サニーが言った。
「蒼衣って、何であんなヤツにフツーに話せたんだか」
「そういう蒼衣だから、奴が崇拝したんだろ」
「まぁな」
「それにオレは、あいつよりも気に入らない奴がいる」
「誰だし?」
「βだよ」
ベータと呼ばれている男は、αから以後の研究の権限を全て継いだ男だ。
研究者としては一流だったが、人間としては偏った男だった。
αがいる間はその背後で、常に何かを狙っている蛇のような眼をしていた。
「これから会うんだし?」
トリコは無言で頷いた。
「オレもβに言いたい事があるし」
「それは心強いな」
二人は草原の果てに見える建物に向かって、再び歩き出した。








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