「……ここは?」 ココに連れられてやって来た建物を、蒼衣は不思議そうに見上げた。 「おや、まだ寝ぼけているのかな?」 じゃあこれは?と言ってココはバッグから出した物を蒼衣に見せた。 「…カメラですよね………あ!」 蒼衣の表情がぱっと明るくなった。 「『キッスのカメラ』だわ!」 「ご名答」 そう。初めてキッスを見たのは、このカメラだったの。 ココさんが、私の体を気遣って。 急に会わせたらビックリするだろうって、写真を撮って見せてくれた。 後になって、そのためにカメラを買ったって聞いたの。 キッスの姿は、最初は写真でもビックリしたわ。 けれど、段々慣れてきて。そうしたら、今度はそれでビデオを撮ってきてくれた。 羽ばたいた姿が美しくて。悪戯そうな目が可愛らしくて。 早く会えると良いなって、思えたの。 初めて手に触れた羽根の温かさは、今でも覚えてる。 「ココさんの方が、よっぽど怖かったわ」 「え?」 「キッスの鳴き声。初めに教えてくれたでしょ」 ココが蒼衣の言葉に照れた笑いを返した。 「あの時は、キミが驚かないようにと必死だった」 蒼衣も笑う。 「でもそのお陰で、すんなり仲良くなれたわ」 「それでこのカメラは、キッスの紹介という大役を無事に終えた訳だ」 ココはカメラを蒼衣に向けた。 「そのまま御役御免にするのもどうかとキミに言われたボクは、それからどうしたっけ?」 レンズ越しの彼女に向かって語りかけた。 「…写真を撮ったわ。二人で……あ!」 フラッシュに一瞬動きを止めた蒼衣は、何かを思い出した。 「ここでも、撮っているわ」 そして赤くなった。ココはその顔を見て、くすっと笑った。 「中に入ろうか」 錆付いた扉をココはそっと開けた。 ギィ、という音が中で反響する。 中は静かで、長い間使われていないようだった。 砂埃がうっすらと辺り一面を覆っていた。だが通路には、人の通った跡がいくつも残っている。 扉から真っ直ぐ伸びる通路、その左右に並列して並べられた長椅子が、扉から入り込んだ光に照らされた。 通路の先の祭壇では、この建物を象徴する像と燭台が二人を待っていた。 その後ろの壁の、ところどころ割れ落ちてくすんだステンドグラスが光を通し、置き去りにされたままの像を温かく包んでいた。 かつては、この一帯には人が住んでいたのであろう。 今は人の姿は無く、主を失った建物が、その場所でただ風化のみを待っている。 これもその一つだった。 人々が集い、祈り、歌い、祝福した場所。 「偶然見つけてから何度目だっけ?つい来てしまう」 ココは蒼衣の手を取った。 「初めて来た時、ココさん、誰も使ってないみたいだから良いよね、って」 扉、無理しましたよね、と蒼衣はココを上目遣いで見た。 バツが悪そうなココと、悪戯な目の蒼衣。 二人はふふ、と笑うと、手を確と重ね通路を進んで行った。 通路の途中で、ココが立ち止まる。 どうしたのかと蒼衣はココの顔を窺った。 「ゴメン」 ココはゆっくりと蒼衣の肩に手をかけ、背後からその右側に体をずらした。 「確か前も間違った」 どうしても右側にキミを置いてしまうんだ。とココは済まなそうに言った。 そして、左の肘をくい、と上げた。 ココが構えた腕に、蒼衣はそっと自身の手を絡めた。 二人は再び前へと歩みだした。 「外で写真を撮ったら、もう少し遠くまで行ってみようか」 ココの言葉に、蒼衣は笑った。 「確かに、キッスも待ってるみたい」 ついさっき、キッスの力無い声が聞こえたばかりだ。 「まさか空腹かも」 お昼がまだだよね、とココは蒼衣を見た。 「そうでした!じゃあ急いで食べましょう」 二人は入り口に向かう。 ふと、扉に手をかけたココが、 「またここに来られるかな。……キミと」 と呟いた。 蒼衣は勿論お付き合いしますよ?と笑う。 その屈託の無い笑顔に、ココは小さく息を吐いた。 「…じゃあ、戸締りをちゃんとしよう」 ココが扉を閉める前、蒼衣はふと、壁際で沈黙していたオルガンに目が行った。 錆び色に変わった音管。その管からかつて紡がれたであろう音。 刹那。蒼衣はそれが自分にも聴こえたような気がした。 ← → |