メビウスの指輪・4 3





「……ここは?」
ココに連れられてやって来た建物を、蒼衣は不思議そうに見上げた。
「おや、まだ寝ぼけているのかな?」
じゃあこれは?と言ってココはバッグから出した物を蒼衣に見せた。
「…カメラですよね………あ!」
蒼衣の表情がぱっと明るくなった。
「『キッスのカメラ』だわ!」
「ご名答」

そう。初めてキッスを見たのは、このカメラだったの。
ココさんが、私の体を気遣って。
急に会わせたらビックリするだろうって、写真を撮って見せてくれた。
後になって、そのためにカメラを買ったって聞いたの。
キッスの姿は、最初は写真でもビックリしたわ。
けれど、段々慣れてきて。そうしたら、今度はそれでビデオを撮ってきてくれた。
羽ばたいた姿が美しくて。悪戯そうな目が可愛らしくて。
早く会えると良いなって、思えたの。
初めて手に触れた羽根の温かさは、今でも覚えてる。

「ココさんの方が、よっぽど怖かったわ」
「え?」
「キッスの鳴き声。初めに教えてくれたでしょ」
ココが蒼衣の言葉に照れた笑いを返した。
「あの時は、キミが驚かないようにと必死だった」
蒼衣も笑う。
「でもそのお陰で、すんなり仲良くなれたわ」
「それでこのカメラは、キッスの紹介という大役を無事に終えた訳だ」
ココはカメラを蒼衣に向けた。
「そのまま御役御免にするのもどうかとキミに言われたボクは、それからどうしたっけ?」
レンズ越しの彼女に向かって語りかけた。
「…写真を撮ったわ。二人で……あ!」
フラッシュに一瞬動きを止めた蒼衣は、何かを思い出した。
「ここでも、撮っているわ」
そして赤くなった。ココはその顔を見て、くすっと笑った。
「中に入ろうか」

錆付いた扉をココはそっと開けた。
ギィ、という音が中で反響する。
中は静かで、長い間使われていないようだった。
砂埃がうっすらと辺り一面を覆っていた。だが通路には、人の通った跡がいくつも残っている。
扉から真っ直ぐ伸びる通路、その左右に並列して並べられた長椅子が、扉から入り込んだ光に照らされた。
通路の先の祭壇では、この建物を象徴する像と燭台が二人を待っていた。
その後ろの壁の、ところどころ割れ落ちてくすんだステンドグラスが光を通し、置き去りにされたままの像を温かく包んでいた。
かつては、この一帯には人が住んでいたのであろう。
今は人の姿は無く、主を失った建物が、その場所でただ風化のみを待っている。
これもその一つだった。
人々が集い、祈り、歌い、祝福した場所。
「偶然見つけてから何度目だっけ?つい来てしまう」
ココは蒼衣の手を取った。
「初めて来た時、ココさん、誰も使ってないみたいだから良いよね、って」
扉、無理しましたよね、と蒼衣はココを上目遣いで見た。
バツが悪そうなココと、悪戯な目の蒼衣。
二人はふふ、と笑うと、手を確と重ね通路を進んで行った。
通路の途中で、ココが立ち止まる。
どうしたのかと蒼衣はココの顔を窺った。
「ゴメン」
ココはゆっくりと蒼衣の肩に手をかけ、背後からその右側に体をずらした。
「確か前も間違った」
どうしても右側にキミを置いてしまうんだ。とココは済まなそうに言った。
そして、左の肘をくい、と上げた。
ココが構えた腕に、蒼衣はそっと自身の手を絡めた。
二人は再び前へと歩みだした。


「外で写真を撮ったら、もう少し遠くまで行ってみようか」
ココの言葉に、蒼衣は笑った。
「確かに、キッスも待ってるみたい」
ついさっき、キッスの力無い声が聞こえたばかりだ。
「まさか空腹かも」
お昼がまだだよね、とココは蒼衣を見た。
「そうでした!じゃあ急いで食べましょう」
二人は入り口に向かう。
ふと、扉に手をかけたココが、
「またここに来られるかな。……キミと」
と呟いた。
蒼衣は勿論お付き合いしますよ?と笑う。
その屈託の無い笑顔に、ココは小さく息を吐いた。
「…じゃあ、戸締りをちゃんとしよう」

ココが扉を閉める前、蒼衣はふと、壁際で沈黙していたオルガンに目が行った。
錆び色に変わった音管。その管からかつて紡がれたであろう音。
刹那。蒼衣はそれが自分にも聴こえたような気がした。








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