小説 | ナノ

 愛情は、質量がない。見えない。だからこそ可視化に努めるべきなのかと、承太郎は四十代になってようやく理解した。母親のあのうっとうしいほどのスキンシップはそういうことだったのかと。
「父さんのことは理解はしたよ。でも全部水に流すかどうかと言われるとそれは別の話でしょ。あと理解したのアタシだけだからママにもその態度で行くと蹴り入るかもよ」
 そして、娘が父親に対してドライな生き物であるということも、実感を持って理解した。
「そうか……愛情は惜しみなく注ぐものというものは、そういうことだったのか」
 娘との和解を経てもなおこのリアクションしかもらえないことに、最強のスタンド使いは一種のトラウマを抱えた。

 だが承太郎は二度同じ轍を踏まない。一度失敗したことは学習する。
(アヌビス神じゃないが……)
 愛情は、注がねば相手が枯渇する。
「承太郎さん、買い物に出てきます」
「ああ、俺も行こう」
「お仕事中ですよね?」
「……」
「お仕事中ですよね?」
 しかし、愛情を注ぐのは諸々の事情のせいで難しいことだってあるのだ。自分の内からはこんなにも溢れているのに。
「気を付けて」
 せめて出かける前にキスをする。こちらが屈もうとしても向こうが背伸びをしてくる姿に、今は老いたが若かりし頃の母を思い出した。
「……皿でも洗うか」
 先ほど食べたおやつのケーキが乗っていた皿とマグカップがシンクに放置されている。帰ってきたらすぐに夕食づくりに取り組めるように雑用はあらかじめ済ませておいた方がいいだろう。
(そういえばこの包丁、さっき使った時切れ味が悪かったな。切れない包丁の方が怪我をしやすい)
 シンク下の棚から砥石を取り出すと包丁の手入れをしはじめた。そうなってくると今度は排水溝のぬめりがあるような気がしてきたし、冷蔵庫にある古い保存食が本当にまだ食べられるかどうか気になって来た。
(公子に汚いものを触らせたくない……)
 カビキラーを吹き付けしばらく放置。
(公子がお腹を壊すとまずい)
 タッパーの蓋をあけて臭いをかぐ。なんとなくスタープラチナにも嗅がせてみる。
(まだいけるな)
 だが本当に公子を心配するのならばこんなことをしている場合ではない。
(……論文を早めに上げないと、催促の電話対応に公子が追われてしまう)
 仕事だって立派な愛情表現の一つである。
「ただいま戻りましたー」
「おかえり」
 やはりおかえりのキスも欠かさない。子供のころあれだけ嫌がっていた行為を自分からせがむようにするようになるとはさすがに思わなかった。
「お仕事進みましたか?」
「まあ、な」
「今日は久しぶりにご飯炊きましょうか。日系スーパーでゆかりふりかけ買っちゃったんです。これ、承太郎さん好きだっておっしゃってたから」
(ああ……出先でもその場にいない俺のことを考えてくれてたのか。それに俺の好物も覚えててくれて、それを俺のために買おうと思ってくれた。公子はすごいな。愛情表現を、一つの方法で三度も伝えてくれる)
 紫色のパッケージを持つ手に、承太郎はキスをした。
「ふふ、くすぐったい。承太郎さん、いつも私がしてほしい場所にキスしてくれるの、すごい。私そんなに顔に出てます?」
「……俺がしたいと思ったからしただけなんだ。公子こそ、俺が喜ぶことばかり言ってくれる」
「それも私が言いたいから言ってるだけですよ。承太郎さんは行動で、私は言葉で愛情表現ですね」
「でもまだ一番の愛情表現の言葉を今日は聞いてないな」
「おねだりですか?」
「いや、たまには俺の方から言わせてくれ……愛してるよ、公子」


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