小説 | ナノ

「次の船の手配、乗組員の名簿作成と各種免許証のコピーの提出はいつ頃出来る」
「あ、えと……今日の午後五時までには」
「分かった。その帳簿の整理は後でいい。今行ったことを最優先にしてくれ」
「分かりました」
 必要になるのは分かっているのに作成を頼むのがいつもギリギリである。だがそれに文句をつけている時間も毎回ない。
(とりあえず帳簿は置いておくとして、船の受付やってる時間が四時までだからこれが最初に……いや、先に名簿作成に必要なものを先方に送ってもらって待ってる間に予約電話を……)
 目まぐるしく変わる公子の表情を見て承太郎がニヤリと笑った。そんなことをしている余裕があるのならばせめて今放り投げた帳簿の整理でも手伝ってほしい。パンチで穴をあけてファイリングするだけだから。

 時間ギリギリの四時五十五分、何とか頼まれごとを全て終わらせることが出来た。
「お……わりま、した」
「ご苦労」
 優雅にコーヒーを飲む承太郎に出来上がった資料を渡す。きちんと目を通して穴がないことを確認すると、クリアファイルにそれをしまって片づけを始めた。
「急がせて悪かったな。今日はもうあがっていい」
「え?あ、はい」
 定時まで一時間あるが、言われた通り公子もかたづけをはじめる。最後に電気を切って戸締りの確認をすると二人は部屋を出た。
「寄っていくところはあるか?」
「いえ、今冷蔵庫の中身たくさんあるので」
「メニューは決まってるのか?」
「特にリクエストがなければ今日は和食です。メインはささみです」
「味噌汁があるならなんでもいい」
「じゃあ多めに作っておきますね」
 同じオフィスを出た二人は同じ道を歩いて同じ家にたどり着いた。玄関先で靴を脱ぎ、コートを公子が受け取り、承太郎はシャワー、公子は夕食の準備にとりかかる。
(まだ五時過ぎだから焦らなくてもいいけど、せっかくリクエストくれたんだからいいものをつくりたい)
 いつもは出汁の素で作る味噌汁も、今日は煮干しを使って一から作る。ささみも酒と塩コショウできちんと下味が馴染むよう時間をかけるし、食後に出すグレープフルーツも薄皮を切り分けて果肉だけを皿によそう。
 そこに風呂からあがったばかりの承太郎が、上半身裸で首にタオルを下げるという恰好で現れた。
「公子、一杯やるからまず付き合ってくれ」
「あの、せめて私もシャワーしてからでいいですか。お料理中に汗をかいてしまって」
「ああ……どうした、いかないのか」
「お肉をオーブンに入れてからにしようかと。待ってる間にシャワーを浴びた方が時間が……わっ」
 肉が並んだ天板を承太郎が取り上げる。手を上にあげれば公子の身長では絶対に届かないばしょになる。
「余熱が終わったら入れてボタンを押すだけだろう。俺にだって出来る」
「いえ、その間に副菜の調理もあります。会社では承太郎さんは上司ですけど、キッチンでは私が最高責任者なので返してもらえますか?」
「……相変わらず固いな。いつになったらその敬語は直るのかな?」
 別に悪いことをしているわけではないのに、優しく責めるようないたずらっぽい顔で公子をのぞきこむ。自分の低音の声が公子の心に刺さることを知っていて、わざとワントーン下げてこういうことを言うのだ。
「じょ、承太郎さんみたいに、臨機応変にできませんから」
 結局イチャついている間にオーブンの予熱が終わったので、天板を放り込んでシャワールームへと足早にかけていった。
「臨機応変、ね。出来てるわけないだろう。早くお前と一緒に帰りたくて、仕事で無茶をさせるような公私混同をする男なんだ、俺は」
 だからせめて箸やコップの準備は自分でしておく。早く、隣に座って食事をしたいから。公子の手料理に、美味いと言いたいから。


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