小説 | ナノ

 中東のサハラを流浪する遊牧民族、ベドウィン。その語源は『街ではない場所に住まう人』という言葉のバーディヤから来ている。
 彼らは街の警護や家畜の世話を引き受け、代わりに土地の管理やそこで作る作物の世話を依頼している。
 彼らの関係性は友好的なものではあったが、ベドウィンはベドウィンと、そして街に住まう民であるハダリはハダリ同士で婚姻関係を結んでいた。
 住まう場所を分かつことは、自分の家族との別れを意味する。元より他民族と結婚しようという考えがそもそもにないというせいもある。
 だがベドウィンとハダリの若い二人は、古くからのそれを因習と思えるほどに愛し合っていた。
 ハダリの娘、公子と、ベドウィンの戦士、アヴドゥルはある共通点からその関係が始まった。馴れ初めとも言うべきなのだろうが、そう言うには少し不気味なものがある。
 毎夜悪夢にうなされるようになった公子は、この街にやって来ているベドウィンの占い師にみてもらうよう母から勧められ家を出た。
 人見知りをする性格の公子であったが、件の占い師を見ると初対面とは思えないなつかしさと優しい気持ちが込み上げてきた。
「……あの、毎晩悪夢にうなされておりまして……原因を、みていただけないかと」
 振り向いた彼もまた、公子に何かしらの感情を抱いたのだろう。目を丸くしてしばらく固まっていたようだ。
「……あの?」
「あ、いや。すまない。そこにかけてくれ」
 すすめられた椅子に座り、準備をする彼の後ろ姿を見つめる。
(やっぱり私、彼の背中についていったことがあるような気がする……)
「それで、悪夢というのは」
「あっ、はい。実は……」
 毎夜見る夢。それは見えない何かに追われている夢だった。見えはしないのだがそこに確かに存在しており、それが触れた場所にあった物は消えてなくなるのだ。もしもそれに捕まったらどうなるのか。自分の衣服の端が切れるのを見た公子は恐怖のあまり錯乱状態に陥る。
 そして頭を抱えて蹲ろうとする公子をかばい、誰かが死ぬのだ。大きな手が公子を護ろうと広げられ、次の瞬間にはその腕を残して消え失せている。
「……その逃げ惑うあなたは、どういった服を着ていましたか?」
「え?」
「さっき言ったでしょう、衣服の端が切れると。その服、今のような伝統的な服でしたか?ヒジャブ(中東の女性が顔を覆う布)はつけていましたか?」
「な、何故そのようなことを……」
「私もここ最近夢を見ます。削り取る何かと戦う夢を。そして蹲ろうとする女性を守ろうとして、そこで目が覚める」
 これは奇跡なのか、偶然なのか。運命というたった一つの砂粒を、この広大な砂漠で見つけてしまったのだ。
 それから二人は逢瀬を重ねた。季節が廻ると彼は流浪の生活へと戻ってしまう。また、ここに戻ってくることを約束して。
「でも、あなたがあの夢のように消えてしまうんじゃないかと思うと怖いの……アヴドゥル」
「あれが我々の過去なのか、前世なのか、それは分からない。けれども今現在でないことは確かだ。安心しろとは言わない。その不安を抱えてでも、俺を好いていてくれるか?」
「もちろん……でも、あのとき掴めなかった腕を、今掴んでもいい?来月の……一月十六日には発ってしまうんでしょう?」
「ああ。だが、あまり君に触れられていると、私もここを離れるのが名残惜しくなる」
「せめて、一晩だけでも」
 婚前交渉というのは、近年でこそ普通の感覚になってきたが、それでもないほうがいいという風潮はまだ根強く残っているし、歴史ある宗教の教えともなると一層厳しくなる。
 だが特定の居場所を持たない、あらゆる変化をそのまま受け入れるベドウィンはあまり慣習というものに囚われなかった。だが、問題は。
「本当にいいのか、公子」
「はい。あなたを失うより怖いことは、ないから……」
 それ以上を女に言わせるのは男として出来ないと、それを最後の確認としてアヴドゥルは公子の服を脱がせた。
 素顔に纏う布をほどいてやると、そこから現れた顔はモンゴロイド系の特徴がある、まさしくあの夢の中の少女だった。
「本当に、よく似ている。だが君を抱くのは夢で見たからではない。きっかけはあの悪夢だったが、君と出会って、二人で過ごした時間の中で、夢じゃない現実の君を好きになったからだ。愛している」
「私もです。本当はあなたについていきたい。街を捨てたっていい」
 一糸まとわぬ姿を抱き寄せると、小さく震えていることが分かる。素肌がぬくもりを求めて互いを求め、ベッドの中へ落ちて行った。

 愛し合っているのに、何故こんなにも不安そうな表情なんだろう。月明りだけを頼りに、そこにいるはずの相手の存在感を、目と手で必死に探す。
 手が無遠慮とも思える場所に触れたとしても、もっとというように奥へと互いに誘導しあう。こんなに温もりを感じるのに、眠りに落ちればまた夢の中で失うのではないかという根拠のない恐怖が喜びを塗りつぶしていく。
 一つになればそれは消えてしまうんじゃないかという期待と、離れたときに喪失感を覚えるのではないかという不安。
 二つの相反する感情を体内で練り合わせながら、アヴドゥルは己のものをそこに差し入れた。公子が震えているのは自分と同じ不安を持っているからなのか、はたまた女としての不安なのか、それとも痛みに耐えているからなのか。
「動いていいか?」
 こくんと頷くだけの返答にしたのは、痛みのせいで声がでないからだ。口を開けば艶っぽい喘ぎ声ではなく低く唸るような呻きが漏れ出しそうだから。
 それでも吐息に紛れて聞こえてくる音が、二人の間から粘液が溢れていることを知らせている。痛みしか感じてないわけではない。繋がることの幸福もある。そして、肉欲に初めて溺れる罪悪感も。
「公子……出そうだ……」
「えっ、あ……ど、どうすれば?」
 言った後に随分間抜けなことを聞いてしまったと思い口を手で覆い隠したが、優しくはぎとられてキスをされる。
「受け入れてくれればいい」
 その言葉にも頷くと、下腹部にじわりと液体が広がるのを感じた。アヴドゥルが体を動かすと隙間から少し液体が漏れ出すのが分かる。
「君と神をつなぐ道を俺が断ってしまった。だが、俺の魂が存在する限り、君の幸福を約束する。あのヴィジョンを不安に感じることはない。死でも分かつことができない俺たちの絆があるという根拠だ」
「はい」
「君を必ず迎えに行くと言おうとしたが、やはりもう耐えきれない。君を、このまま攫っていく。俺たちのことを誰も知らない遠い場所まで」
「どこなのでしょう?」
 翌朝、公子の住む町は大騒ぎになっていた。だが二人の行方を知るものは誰もいない。

「アヴドゥルさん。この飛行機どこへ行くんですか?」
「ジョン・F・ケネディ国際空港。ニューヨークに不動産を経営する友人がいてね。前々から彼に誘われていたんだ」


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