小説 | ナノ

あなたの検査結果は 糸の保有なし です




 イタリア、パドヴァ大学、医学部。
「……あれ?」
 女子生徒とすれ違う時に、ふと足を止めて小さな声でつぶやく。こうするだけで八割がたの女子は足を止めて振り向いてくれるのだ。
 それほどにこの声の主、シーザーは魅力的な男だった。輝くブロンドとたれ目気味の甘いマスク。中身も、いかにもイタリア人ですというようなステレオタイプな女好き。しかも場数だけは若いころから踏んでいるからやたらと女慣れしている。
「ひょっとして君って雌型の糸の持ち主?」
「え?」
「いや、なんだか引き寄せられるようなフェロモンを感じたからさ……気のせいだったかい?」
「あ……あの……」
「違うなら気にしないでくれ。単に、君に興味がわいた。それだけさ」
 こうやって挑発すると、中には嘘をついて自分が雌型の糸を持っていると主張する女子もいる。そうなってしまうとあとは楽だ。
「君が抑制しきれていないフェロモンのせいで俺はおかしくなりそうなんだ……今すぐ薬を飲むか、それとも違う方法で発散させてくれないかな?」

「というやり方が今の俺のマイブームだな」
「さっ……最低野郎だぜ……」
 友人のジョセフの部屋で彼の所蔵するコミックを読んでだらだら過ごす。平日は学内で会うあらゆる女性を相手にしているものだからたまにはこうして野郎どうしでのんびり過ごすことで平日への精気を蓄えているのだった。
「何だよ、お前が女にモテるコツを教えろっつったから喋ってやったのに」
「まさか幼馴染がここまでのクズだとは思わなかったんだよ。大体お前、それだと何か自分が雄型ですって言ってるようにも取れるんじゃねぇか?」
「まあ勘違いされてはいるかもしれないな。だけど雌のフェロモンは糸のあるなしに関わらず効くわけだろ。別に俺が一言も雄型の持ち主だって言ったわけでもないし、フェロモンには誰でもやられるわけだし」
「うわぁ……お前の検査結果大学にバラ撒いてやろうか」
「個人情報守秘義務に違反したければどーぞ」
「くっ……こんなことならお前の検査を俺がするんじゃなかったぜ」
 ジョセフとシーザーは医者の家系に産まれ、練習がてら互いの糸の検査を互いにやろうということがあったのだ。年齢的に十四の頃の話である。
「しかしそんだけ食っちまってたらさぞ恨みも買うだろうな」
「雌型の糸を持ってるって言った子には、俺は糸なしだって言ってから別れてるぜ。だから運命の相手じゃないよってね。そうでない子には、俺は雄型の糸があって運命の女性を見つけちまったからバイバイってな感じで」
「本当クズ!」

 同学年のほとんどの女子を食べつくしたシーザーの噂は学校中に広まっていた。だがそんな最低スケコマシ野郎でもルックスのせいなのか擦り寄ってくる女子は後を絶たない。
「そろそろ年上でも狙うかな」
 この気まぐれで参加希望を出した飲み会の幹事は訝しそうにシーザーを見た。
「お前一年のツェペリだろ……ウチのサークルに本当に興味あんの?」
「そりゃまあ数あるサークルから選んでますよ」
「ちょっと女子に聞いてみねぇとなんとも言えねぇな。お前そんくらい評判下がってるって自覚しとけよ」
(男の嫉妬みっともねー)
 男性幹事が反対してくれと願いを込めて打ったラインに、女子は歓喜しぜひ彼と飲み明かしたいと返事を返した。
「ぐっ……」
「じゃあ俺も当日行きますんで」
 帰り際に、シーザーはうめくように絞り出した一言を聞いた。
「絶対公子ちゃん狙いだろアイツ」
(公子ちゃん?)

 今回の飲み会参加者は十数人で、半数以上が女性だと聞いていたのだが、その中で誰が公子ちゃん≠ネのか、シーザーは一目で見抜くことが出来た。
(絶対あの子だ)
 長い黒髪の後ろ姿だけで確信できる。今までに出会ったどの女子とも違う、大人びた雰囲気の女子……というより、女性。
「公子ちゃん?」
「初対面の人に軽々しくちゃん付けで呼ばれるのは不愉快です。主人先輩と改めてもらって構わないですか?ツェペリさん」
「ああ、申し訳ない。では俺のことは、シーザーと呼んでほしい」
「……まあいいでしょう。シーザー」
 前々からこのシーザーという男は馴れ馴れしく女子に絡んでは最終的にすぐに肉体関係をせがむという噂はここにいる誰もが聞いていた。中にはその肉体関係を期待している女子も少なからずいる。
 だが実際は違った。今までの女の扱い方をすっかり記憶から消してしまったような、初々しさだけがそこにあった。ぎこちなく話しかけ、彼女のしゃべる言葉を聞き漏らすまいと懸命に耳を傾ける。初めての恋愛に出会った少年のような、ピンク色とは程遠い青いひと時を過ごす。
「あの、俺、主人先輩のこと本気で好きになりました。まだ全然振り向いてもらえないの、分かってます。だから俺、自分のためにももっと男を磨きます。気が向いたときにでいいんで、俺があなたに相応しくなるために努力している姿を見てほしいです。たまに見てもらえないと俺、泣いてしまいそうだから」
「案外、女々しいこと言うのね」
「自分でもカッコ悪いって分かってるんです。なんでだろ……こんなに……ああ」

 それからシーザーの噂話はぴたりとやんだ。シーザーと付き合っていると勘違いしていた女の子も、私が彼女よと主張しなくなった。
 それほどまでに、シーザーは一途に公子のことを思い続けていたのだ。
「シーザー、一つハッキリさせておきたいのだけれど」
 しつこいくらいの猛アプローチに折れた公子は、放課後のデートに付き合ってコーヒーショップにいる。
「あなた、赤い糸は持っていますか?」
「あっ……いえ」
「どちらです?」
「持ってません」
「そう。学内でどちらの噂も聞いたから曖昧だったのだけれど、それなら話が早いわ」
「え」
 公子がカバンから錠剤を取り出した。これは異性を引き付けるフェロモンを抑制するための薬だ。
「私は雌型の糸の持ち主です。私は医学的な見地でこの体質と向き合いたいと思っています。そのために、私は私のパートナーを探しているのです」
「パートナーとは、つまり」
「運命の人です。正直、初対面の時にあなたからは何も感じませんでした。ですがあなたという男性を徐々に知っていくにつれ、運命の人なのではないかという錯覚を覚え始めたのです。ですが、一目見てわかるという通説が正しかったようですね。あなたは私の運命の人ではない。これ以上付きまとわれても私はそれに応じることは出来ません。さようなら」
「ま、待って下さい!医学的な見地って……先輩は運命の人と仕事をしたいのですか。それとも一生を共にしたいんですか」
「両方です。この体質は雌と雄が一緒になることに何かしらの意味があるのだと思っています。だから私はそれに従い、それが何なのかを見極めたい」
「……先輩、実は俺、検査をしたのは前期中等学校が終わった直後なんですが、その検査をしたのが当時同い年の幼馴染なんです。子供がお互いを検査したんです。何かしら間違いがあったのかもしれない。本当に俺に糸がないのかどうか、それを調べるまで待って下さい!」

「というわけでジョセフ」
「俺は何一つミスしてねぇぞ」
「ああ、分かってる。カルテを改ざんしてくれ」
「はあああああああああああああ!?」
 検査は子供がやるには難しいところもあったが、実際は大人の手伝いをしながら検査をしていたのでシーザーの糸の結果については間違いなく糸なしだとは二人とも分かっている。分かっているが、だから「はいそうですか」と引き下がれるほど公子への熱が冷めていない。
「虚偽公文書偽造罪とかになるやつじゃないのかそれ」
「お前の家は国立病院じゃねぇから公文書じゃない」
「うわー。屁理屈だー。とにかく、さすがにそこまで危ねぇ橋は渡んねぇぞ!」
「ハァ……仕方がないな。それじゃあ別の女性にお願いするか」
「は?別の女性っておふくろか?」
「いや、ジョセフが絶対に頼みごとを断れない女の子さ。幼馴染だから手を出してなかったけど、最近妙に色っぽくなったんだよな……スージー」
「待て!テメェ!さすがに殴るぞそれは!」
 と言いながら既にジョセフの拳はシーザーの顔を打ち抜いていた。
「殴ってから言うな。冗談だよ冗談。さすがに妹のように大事なスージーには手は出さないよ」
「お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよ」
「分かったよ。カルテ改ざんはなしにしろ、通知書の偽造くらいならいいだろ。糸保持者に届くあの紙。あれならウチからでも出力できるはずだ」
「お前主人先輩にマジで惚れてんのなー……」
「糸があるだけで、結婚できるかもしんねぇんだ。逆に糸がないだけでお付き合いすらできないなんてよ、そんな理由で諦められるようならハナから声なんてかけちゃいない!」

「主人先輩、やはり子供の検査なんてアテになりませんね。俺は雄型の糸の持ち主でしたよ……うーん、違うな。こうかな、やはり運命の相手は俺だったようですね。これからは主人ツェペリ先輩になるのか……とか?」
 ちなみにこれは、イタリアは結婚によって妻が苗字を変えることはほとんどなく、今使用する苗字に夫の苗字を加える権利があるという意味である。
 とにかくかなり気が早いことには違いない。
「シーザー、どうでしたか」
「あっ先輩……その……あの……や、やはり、俺、には……糸があるん、です、よ」
「?」
「いえ。嘘をついて、最愛の人の夢を邪魔するのはやはり男のやることではありません。俺には運命の赤い糸なんて、ないんです」
 自作した雄型糸保持者通知を縦に割く。
「自分から言ってくれましたか」
「……すみません」
「いえ。あなた、自分で嘘が通じないの分かってないのかしら」
「え」
「おバカな女の子を騙すのは得意だったようだけど、私を騙そうとする気は今まで一度もなかったこと、知っているわ」
「……あの、どういう意味ですか」
「だってそうじゃなきゃ、あなたが見せてくれた数々の努力が下心のための嘘じゃないかと疑ってしまうじゃない。あれらが全て私と自分自身のためだって、私は信じています」
「先輩……」
「だから、私。巡り合えるかわからない運命の人を待つよりも、運命の人たらんとして努力してくれるあなたと一緒にいたいわ。もしも私が運命の人に浮気しそうになったら、あなたのその懸命さで止めてくれる?」
「……も、もちろんです!そのことについてはもう、お任せ下さい!俺しか見えないように、俺もっといい男になりますんで!」
 これから先、主人の苗字の後にツェペリを加えることになるかどうかは、今後のシーザー次第である。


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