小説 | ナノ

 燃え尽き症候群、というやつを身をもって体感中の公子は、カイロ市内の病院で窓の外の葉っぱを数えるだけの時間を過ごしていた。
 DIOを倒し、ホリィを救い、イギーの義足を調達して各々の傷を診てもらって。そんなこんなが終わって退院の日を迎えた公子は、数日世話になった病室の中で荷物をまとめるでもなくぼんやりしているのだ。
 ノックの音に体がようやく反応して振り返ると、アヴドゥルが封筒を持って部屋に入ってきていた。
「すまない、返事がなかったから心配になって」
「ああ……何かこう、ぼーっとしてました」
「まあ体に無茶をさせるよりはゆっくりしていた方がいいさ」
 封筒の中身はフライトチケットだった。今日、カイロ発東京行きのチケット。それを見てようやく出立の準備が出来ていないことに焦りを覚える。
「短い五十日だった」
「えー、めちゃくちゃ長かったですよ」
 お風呂も寝床もなく、陸路をひたすらに進む汗と泥臭い埃っぽい旅路。だが、いつを振り返ってもやはり、
「楽しかった」
 生も死も分かち合う仲間は、これから先現れるのだろうか。それこそ、生涯の伴侶となる人間とは未来全てを分かち合うことになるだろう。きっとそれ以外に、現れない。こんなに深く魂でつながった仲間というものは、もう二度と。
「あれ、このチケット一枚ですか?承太郎たちにはもう渡しました?」
「ああ。遅れた学業を取り戻すべく精進するようにと一言付け加えたら、承太郎にやかましいと言われたな」
「あーもー、相変わらず年長者への尊敬の念ってのがないなぁ、承太郎は……」
「花京院は余裕そうだった」
「あー……余裕そうですねー……」
「ポルナレフはもう旅立ってしまったよ。あのやかましい声も、聞こえないとなるとやはり寂しいな」
 公子は一人暮らしの自宅で友人を呼んでパーティーをした後のことをふと思い出した。じゃあねと玄関から去っていき、狭い1Kの部屋がやたらと広く思える。あの日常の中のたった一夜と同じ感覚。
「……やっぱり短かったですね。五十日。一晩の出来事に思えるくらいに」
 いずれは命を落としそうになった経験も、思い出に埋没していく。これも平和を謳歌していた日々の中と変わらない、ただの記憶になっていく。
 だがそれは悲しむことではない。恐れることでもない。生きて、また日々を過ごす。喜ばしく、輝かしい命そのものだ。だから、寂しがるなんてしたくない。未練を残すように後ろ髪を引きずりながら旅立ちたくない。
(せめて、泣かないようにしないと)
 既に涙腺の決壊を感じているのだが、席を外すと言おうにも震えそうで声が出ない。
「これだけは言うまいと思っていたんだがな」
 気まずい沈黙を、アヴドゥルの方から打ち破る。
「……寂しくなる。君のいない日々がずっと続くだけだなんて」
「……っ」
「泣いてくれてるのかい?」
「……そ、そです」
「なあ。公子」
 涙があふれるのと、募る思いがせき止められなくなるのは同時だった。公子の頬が濡れたと思った瞬間、抱き寄せられる。
「君とだけは、離れたくない。このままここにいて闘いの日々を思い出させるのは、君のためにならないとずっと耐えてきた。だが、それならば俺が日本に行ってでも、君との時間を失いたくない」
「あ……わ、私……あの。今返事をすると、その……勢いに任せたというか、流されてしまいそうな気がして、一度日本に帰ってから……」
「だったら、流されてしまえばいい。情でもいい、今君を腕の中につなぎとめられるのならば、構わない。冷静になって、理論で別れを切り出されるくらいなら、君をここに閉じ込めておきたい。これは捨ててしまって構わないだろうか」
 手の中にあったチケットの入った封筒が、病室の床に落ちる。別に飛行機というものはこれ一本ではないわけだし、時間でも日にちでもずらせばいつだって日本へ飛べるはずなのに、この飛行機にこのチケットで乗らないと、なんだかいつもの日常を取り戻せなくなる気がして。
 けれども、真っすぐこちらを見つめる瞳をどうやってかわせばいいのか。何もかも受け入れてしまえば楽になれるのを知っているのに、それを振りほどいてまで手に入れたい日常とは何なのか。
「帰さない」



「おい承太郎、もうフライトの時間ギリだぞ。せめて機内で待った方がいいんじゃあないか」
「見送りも来ねぇとはな」
「しかし本当にジョースターさんの言ったとおりになりましたね」
「だろぉ?ああなったアヴドゥル相手だからのー……公子は絶対に来ない」
「だからって挨拶もなしかよ」
「まぁまぁ、今生の別れというわけでもないし。拗ねるとダサいぞ、承太郎」
「誰が拗ねてるって!?」



 飛行機が青空に引く白線が、公子を日本から切り離す。この灼熱の地で、次に手に入れた日常は、困難よりも甘さが勝る日々となるだろう。
 アヴドゥルが、隣にいるのなら。


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