小説 | ナノ

「水泳担当のシーザーです。あとあっちのプールサイドにいるのがジョセフ。平日のプールは僕らが主に担当ですので、分からないことは何でも聞いてください」
「はい。あ、あの……私学生の頃の授業以来で、泳ぎ方というのもイマイチ覚えていないといいますか……」
「分かりました。公子さんはダイエットが目的、でしたね。まだ体を鍛え始めたばかりだからあまり負荷のかかるようなクロールやバタフライよりも、平泳ぎから練習しましょう。でもまずは体を慣らすために水の中を歩くことから始めます。地上と違って歩くだけでも随分体を動かすでしょう……おっと、バランスに気を付けて」
 慣れない水中での動きに足を囚われ転びそうになるも、逞しいシーザーの腕が支える。水中なので転ぶことはないのだが、まるでお姫様のようにうやうやしく扱うものだからドキッとしてしまう。
 少したれ目気味の甘い顔と、水着姿で完全に肌を露出しているこのシチュエーションのせいなのか、心臓がいつも以上にやかましい。
(ち、違う!早速疲れてるだけよ、きっと。ほら、私体力ないし!?)
 言ってて悲しくなりそうだったが、そんな微妙な気持ちを吹き飛ばすかのようにプール中に大声が響いた。
「あー!シーザーちゃんお客さんにセクハラだーっ、また投書されっぞー!」
「失礼なことをぬかすな、ジョセフ。あれは女性会員の喜びの声だったじゃないか。また俺に担当してもらいたいってな。自分がモテないからといって俺に八つ当たりするな」
「大丈夫か、公子ちゃん」
(公子ちゃん!?)
「こいつ見た目通りのスケコマシだから気をつけなねー」
「見た目通りってなんだよ……」
 大声を出して目立ってしまうのではと辺りをきょろきょろ見回したが、どうもこの二人のコントのようなやり取りはこのプールの名物になっているようで、以前から通っている会員は全く気にすることなくそれぞれトレーニングを続けている。年配のおばちゃんが一人、やれやれと言った風な顔でため息交じりに尋ねる。
「ジョセフ先生、まだ彼女いないんですか……?」
「う、うるせー!俺は出来ないんじゃなくて作ってないだけだっつーの!」

 ダイエットを決意してから一気に周囲が華やかになった。行く先々で出会うイケメン、イケメン、そしてイケメン。しかも皆一様に優しく、そして公子によく話しかけてくれる。人生のモテ期というやつが来たのかと公子が浮かれていると、またしてもイケメンが公子の前に現れた。そしてそれは、大きな落とし穴だったのだ。
「それじゃあこのマシンは十五回でワンセットにしましょう。終わったら一度休んで水分を取ったほうが……あ、失礼」
 トレーナーの仗助がインカムで何か応答している。どうやらトラブルが発生したらしく、そちらの対応に追われるためしばらく裏に回るとのこと。
(よし。それじゃあその間にもうワンセットずつやって、仗助くんをびっくりさせちゃおう)
 再度重りを合わせてトレーニングの体制に入ったところで大きな影が落ちてきた。何事かと上を見ると、今まで散々デカいと感じていた仗助よりも更に巨大な体格、このジムという場に相応しい鍛え上げられた筋肉。その持ち主が、緑色の瞳でこちらを見下ろしている。
「おい。待っているヤツもいるんだから替われ」
 顎をクイと動かして、どけと合図する。その横柄な態度に思わず眉間にしわが寄ったが、言っている内容は彼が百パーセント正しい。
(正しいけど、正論ならどんな態度でも許されるってわけじゃあないのよねぇ!)
 重りを初期位置に戻し、ぶら下げられているタオルでマシンについた汗を拭く。巨体の男の背後で申し訳なさそうにしている女性に会釈して順番をあけた。
「すみません、気が付かなくて」
「いえ。こちらこそありがとうございます」
 譲られた女性は薄いピンク色のウェアが似合うなんと謙虚な人なのだろう。
(それに比べてこの大男はっ!)
 比べれば水泳のジョセフと同じくらいの身長だろうか。顔もそういえば似ているような気もする。
「始めたばかりですから仕方ないですよね」
「え、何で私が初心者ってわかったんですか」
「あまり見かけない人だし、東方くんが使い方を教えていたから……あ、私杉本と言います」
 杉本鈴美と名乗った女性は、その華奢な腕で結構な重さを持ち上げるようだ。それから一緒にトレーニングしましょうと公子の方から誘い、先輩から様々なことを教わった。
(フ。あの大男、どうせ鈴美さんにカッコイイとこ見せてナンパでもしたかったんでしょうけどそうはいかないっつーの)
「どうかしました?」
「あ、いえ。さっきのあの……すごい大きい人ってよく来るんですか?」
「空条承太郎さんですね。このグレヒルでの有名人ですよ。彼みたいになりたくてここに来たって人もいるくらいだし、一番すごい体の会員なんじゃないですか」
「ま、まあ確かにアレは素手で熊とか倒せそうなタイプの人ですね」
 己を鍛える、を目標にする公子からすれば理想の全てを詰め込んだかのような体だ。それに体だけじゃなく、顔さえも今までのイケメンたちに匹敵……いや、それ以上のものだ。
(正直に言おう。タイプだ。が、しかし私はもうそんな温いこと言って許されるような年齢じゃないんだ。あの熊殺しのことは一旦忘れよう)
 それにタイプなのはあくまで外見だ。初対面の人間への礼儀を欠いたあの態度では進展するものもしなくなる。
(第一私は中身で言うなら仗助くんみたいなカワイイ系のほうが好きなのよね。それに好かれるならシーザーさんみたいな女の扱い方が分かってる大人がいいのよっ!)
 同じジムにいるならまた顔を合わせてしまうかもしれない。そうしたらまた揺れ動かないとは言い切れない。しかしそんなものはそんなときにどうすればいいのか考えればいいのだ。
(そうよ。トレーニングに集中さえすればいいのよ)
 そうやって気持ちを新たにトレーニングに励んだ。体を動かしていると不思議と雑念が薄れていくのが分かる。どちらかというと仕事中にこの効果が発揮されてほしいところなのだがそうはいかない。
(浮かれていたわ。イケメンばっかだからちょっと気持ち的にふわふわっとなっちゃったのねきっと。週明けからの新しい取引先への新規開拓でミスんないように気を付けないと)
 新しい取引先の『ワールド株式会社』はイギリスに本社を置き、エジプトやインドなど中東への足掛かりをきっかけに一気にアジアに攻め込もうとしている今日本でも注目されている企業だ。
 そこのやり手の社長が、どうもわが社のジョースターグループのトップと旧知の仲だとかなんとかで大きなプロジェクトを共同で興すことになったらしく、初顔合わせには公子も同席することになっている。
(この流れだと分かっているのよ……どうせそこのDIO社長ってのもイケメンなんでしょ!?)
 半ばやけくそのその予想がどストレートに当たった挙句、公子が気に入ったとかなんだとかでプロジェクトの橋渡し役に抜擢されることになるのは週明けすぐの夜のことである。


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